30年間に5回もグラミー賞にノミネートされた女性ラッパー

ロジャー・ブラウン:革新者であり、先駆者です。

(会場拍手)

ミッシーのように勇敢でオリジナリティのあるアーティストは、一言で形容することができません。彼女はそのキャリアの中で、ジャンルを超え、ステレオタイプを打ち壊し、音楽的にも視覚的にもスタイルとしてもその境界線をなくしてきました。

彼女のキャリアは1989年にR&Bの、後に「シスタ」と呼ばれるようになったグループとともに始まりました。彼女は地元の新生のプロデューサーである、ティンバーランドとしても知られるティモシー・モスリーと共にグループのデモ曲をレコーディングしました。

そして、1990年代中頃になる頃までには、ミッシーとティンバーランドは需要のあるソングライター、そしてプロダクションチームとしての地位を確立し、トータル、SWV、デスティニーズチャイルドなどに曲を提供したのです。彼らはアリーヤのダブルプラチナのセカンドアルバム「One In A Million」を手がけました。

彼女の粘り強さとスタイル、そして言葉の用い方のユニークさにより、エリオットは「Raven Symone」「New addition」「MC Lyte」などのアーティストが曲の中でフィーチャーするラッパーとなりました。

96年には「エレクトラ・エンターテイメント」や「イースト・ウエスト・レコード」と契約を結びました。その翌年には彼女の初のソロアルバム「Supa Dupa Fly」をリリースし、この曲はビルボード200チャートにおいて第3位となり、当時女性ラッパーとしてデビュー曲が最高位になるという記録を打ち立てました。

(会場拍手)

伝説的ラッパーであるバスタ・ライムスは、ミッシーについてこう言いました。「狂気を持ってどこからともなく現れ、最高の女性MCであるだけでなく、彼女の前に出てきたどんな女性MCとも異なる」。彼女の6枚のスタジオアルバムはそれぞれがプラチナムとなり、このような成功を収めた女性ラッパーは彼女以外には存在しません。ミッシーは30年の間に5回もグラミー賞にノミネートしました。

バークリー校で初のヒップホップアーティストとしての名誉博士号授与者

彼女はこの時代、セールスの面でも最も成功を収めたアーティストのうちの一人で、アメリカで3000万ドル以上を売り上げました。彼女はみなさんもご存知のビヨンセ、ホイットニー・ヒューストン、メアリー・ジェイ・ブライジ、TLCや他のアーティストに楽曲を提供したりプロデュースしてきました。

(会場拍手)

ジャネット・ジャクソンは、「Essences 2018 Black women in music events」にて、心温まるトリビュートをミッシーに送り、こう言いました。「クリエイティビティとは美しいもので、音楽の天才によりクリエイティビティが自由に開花するとき、私たちにできることは、ただ感謝することです。私はミッシーの美しいソウルに感謝します。」

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また、「エピック・レコード」の会長でありCEOであるシルビア・ローヌは、彼女自身も最近バークレーから名誉博士号を授与されましたが、彼女もこう述べています。「ミッシーはこの業界において女性としてのあり方を改革し、前代未聞のミッシー・エリオットとして型を破ってくれたのです。」

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ミッシーは、バークリー校でヒップホップアーティストとして初の名誉博士号授与者となります。これは歴史的瞬間となります。

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彼女はまた来月、「ソングライターの殿堂」で初の女性ラッパーとして就任することにより、また新たな歴史を作ります。

(会場拍手)

彼女がおこなってこられたヒップホップ、R&Bそしてポップカルチャーへの多大なる貢献を讃え、バークリーの音楽学位の名誉博士号をミッシー・エリオットに授与できるのは光栄です。

(会場拍手と音楽)

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