美容整形の当事者として思うこと

木村和貴氏(以下、木村):お二人ともすごくユニークで、おもしろいプレゼンテーションだったなと思います。それでは、ここからはトークセッションです。これからいくつかトークテーマとなるキーワードを画面に映し、それについて、お二方にお話をうかがいたいと思います。

それでは1つめのキーワードにいきます。まずは「当事者としての自分」ということで、川井さんには自分自身が美容整形をした立場というところ、古木さんは美容師としての立場から、そのときの自分自身についてのお話を聞きたいなと思います。

じゃあ、川井さんから、先ほどプレゼンテーションの中でも、かわいくなるために最初は二重からなど、いろいろとありました。最初にそういったことに踏み切れた理由としては、どういう感覚があったんですか?

川井優恵乃氏(以下、川井):最初はけっこう勢いでやりました。高校生のときからアイプチをしてまして、二重もクリニックで切らないプチ整形をして。簡単に済むって宣伝しているのがあって、そこまでリスクのことを考えずに受けたというのはありました。

木村:なるほど。それから気付いたら顔面課金が400万円を超えていたと。

川井:そうなんです。

鏡を見るたびコンプレックスがなくなっていく喜び

木村:自分の中で「◯◯円まではやろう」とか、「完成形はこのくらいかな」とか、何を基準に増やしていきましたか?

川井:二重にしたときは、ここまで整形するとは思っていなくて。ひとつバランスを整えると、他のところが気になってくるというのがあるんです。二重が成功したという成功体験をもとに整形をしたら、リスクが大きいってことに気づきました。

木村:なるほど(笑)。やった結果、一番気になるのって、それをする前と後の自分の生活がどう変わったのかですよね。自分の心の持ちようが変わったとか、そういったところが一番興味深いかなと思います。そういった視点で、どういう変化があったというのはありますか?

川井:私は自分のコンプレックスをなくすために手術をしてたので、鏡を見るたびにコンプレックスがなくなっていくのがうれしかったです。化粧する時間が短くなったりして。自分もそうですし、他人の印象もぜんぜん違うなと感じています。

やはり、女の子のカーストみたいなのがあるんですよ。かわいい子はかわいい子と仲良くなるんです。私はかわいい子のカーストに入っていなかったんですけど、顔を変えてから、かわいい子から「ご飯行こう」とか誘われるようになったのはすごく感じますね。

木村:なるほど。じゃあ、もともとコンプレックスがあったのを変えていった結果、自信を持って生きていけるという感じですね。

バイク旅をしながら訪問美容師を続けた結果

木村:古木さんは、美容師として自分で開業して、美容師街道でかなり成功していた状態だったと思います。そこに至るまではどんな感じだったんですか?

古木数馬氏(以下、古木):美容室を開業するまでですか?

木村:そうですね。美容師としての古木さんは、どんな方だったのかなと。

古木:もともと、僕は開業しようと思って開業したタイプではないんです。

先ほどの話にちょっと出てきたように、サロンをクビになりまして。ぜんぜん悪いことはせずにがんばっていたんですけど、情熱がありすぎて(苦笑)。

当時のボスのことは今でも尊敬していますし、すごく素晴らしい方なんです。僕の美容師の基礎を作ってくれた方ですし。尊敬していたからこそ、クビになったのは本当にショックで、今思えば、うつみたいな感じになりました。夜に寝れなくなって。

寝れなくなっちゃったので、どうしようと思ったときに、「疲れてないから寝れないんだ」と単純に思って、バイクで旅に行って。バイクで屋久島に行って帰ってきてみたいなことをやっていたら、「バイクならどこでも行けるな」と思ったんです。

それで、バイクでいろんなところに髪を切りに行ってたんですね。お客さんの自宅に訪問して。そのときにお客さんがカットやカラーなどをしてほしいということで、その流れで仕方なく始めて。今だとシェアサロンなどの場所を借りるところがいっぱいあるんですけど、当時はなかったので、しかたなく自宅の実家に呼んで、そこが美容室になっちゃった感じでした。その流れで開業したといいますか。

木村:なるほど。必然的に。

古木:そんな感じです。

木村:その頃から美容師として「サイエンス」みたいなキーワードは持っていたんですか?

古木:薬剤や科学が学生のころからすごく好きで。当時アインシュタインがすごく好きで、相対性理論や量子力学とかにハマっていたんです。加えて薬剤とかがすごく好きだったんですよね。

あとは、当時髪質をデータ化する事業をやっている某大企業があって、一緒にプロジェクトをやったりしてすごくおもしろいなと思って。そういう活動はしていました。

木村:なるほど、なるほど。サイエンスをベースとしては持っていたと。

古木:そうですね。もともと大好きで。

韓国の美容整形事情に特化したWebサイトの立ち上げが、起業のきっかけに

木村:なるほど。では次のキーワードにいきますね。お二人が今おこなっているサービスを見ると、美容師側としての自分、整形・美容医療を経験した自分という立場がスタートだったと思います。

普通なら受け手側のまま過ごすところだったのが、そこに向けたサービスを作るビジネス側に移ることになったと。その最初の一歩っていうのには、どういうきっかけがあったんでしょうか? どういうマインドで生み出したのか、おうかがいしたいと思います。では、川井さんから。

川井:私は3年くらい前に、SNSで美容整形に関する情報を発信したり、交換したりしてました。そのころ韓国の整形がブームだったので、私も韓国で整形がしたくて、いろんな人に情報を聞いて、苦労してやっとできたということがあって。

韓国の美容整形に特化したWebサイトのようなものだったら自分でも作れるかなと思って、WordPressの使い方を学んで作りました。それで韓国で整形した180人くらいにDMを送って「レポートを書いてくれませんか」と伝えたら、ことこまかく、なにで悩んでいて、どういう手術をしたかということや、ビフォー・アフターの写真を送ってくださる方がたくさんいて。

こんなに協力してくれる人がいるんだったら、もっといいかたちで世の中に出せるものができるんじゃないかなと考えて、結果的に起業に至りました。

木村:なるほど。女子大生の在学1〜2年とかのときに?

川井:3年の終わりくらいから作り始めて、4年生でつくりました。

木村:女子大生で、そういう情報発信をするためにWordPressを勉強してまで、気持ちが課題解決に向くってすごいなと思いました。

そこのやりきるマインドの強さみたいなものは、ずっと持っていたものなんですか? それか、そのときに急激にやってみようという感じ?

川井:後者のほうですね。衝動的に行動するタイプなので、とりあえずやってみようかなっていうかたちでやりました。

木村:そのサイトで作ったブログで、いろんな人にライターとして協力してもらって、情報発信したのが最初の一歩で。いろんな人が協力してくれて、いろんな人が見てくれてた。これをちゃんとやろうっていうことですよね。

「美容業界はブラック体質なのが当たり前」ではないという事実

木村:古木さんの場合、美容師として開業し波に乗っていたところで、ビジネスの側に一歩踏み出したところのきっかけやマインドについては?

古木:僕は独立してからいろんな活動をしていて。点と点が線になるみたいな体験ってあるじゃないですか。

木村:あります。

古木:そういう体験があったので、いろんな角度からの理由があります。1つチョイスするとしたら、サロンオーナー目線、個人スタイリスト目線、顧客目線といろいろある中、サロンオーナーの目線で答えると、1人でやっている小さなサロンだったんですね。

そこで独立開業して店舗がうまくいったので、店舗の拡張やスタッフの増員を考えたときに、日本の中規模な店舗で苦労しているサロンさんがすごく多いなという印象を持ったんです。

廃業しているところがワーッと増えていて。ホットペッパービューティーへの依存状態と、自転車操業なところを見て、自分が参入したところで、よほど経営力がないと長く続けられないなと思ったんですよね。

そういうきっかけがあって、美容界のことをすごく調べるようになりました。僕らの業界ってかなりブラックな業界というか、労働環境が大変な環境なんですけど、当事者としてはそれが当たり前になっていたんです。でも、それって当たり前じゃないんじゃないかなと。というのも、他の業界や、海外の市場を見て思ったんですね。

日本とは違う海外の美容市場を見たときに、日本っておかしいなと気付いて、その構造がよくわかったので、これを変えたいなと思って活動し始めた感じです。

木村:なるほど。いち美容師として、ただやっていただけでは、おそらくその業界の非効率な部分や課題というのは見えない。見えづらいし、考えない方も多いと思います。だけど、開業して、いろんな美容師業界のビジネスのことを考えてく中で、どんどん課題を見つけていった感じですかね。

参加者の方々の中にも、いろんな業界に携わられていて、これから起業しようと考えている方がたくさんいるのかなと思います。一段階上のレイヤーから見て、いまの業界構造や状況がおかしい状態かどうか俯瞰してみてみるというのが、1つキーワードとしてあるのかなと。

あとは、川井さんのように、1回アウトプットしてみて、その反応を見てみて、そこに人がついてくれば需要があるなという気付きが、今のお二人の話からあったと思います。