「邪念のコントロール」の方法は?

鎌田英治氏(以下、鎌田):ここからはクエスチョンタイムです。まず、ご質問を2~3人まとめていきましょうか。

質問者1:非常に心が洗われるお話をありがとうございました。その反対の話を、とくに石橋さんと田中愼一さんにお聞きしたいです。「邪念のコントロール」についてです。信念の反対側に邪念がある。とくに悟りを開いていない方にとっては……(笑)。

(会場笑)

邪念はいろいろあると思うのですが、人として、これから逃げるわけにもいきません。ご自身としてどうやってコントロールされているのか、もしくはガス抜きをしているのか。どうやって邪念とうまく付き合っているのかをお話しいただければと思います。

鎌田:(質問者1を指して)◯◯さんもダークサイドの権化ですから(笑)。

質問者1:いやいや(笑)。

鎌田:もう1人いらっしゃれば。

(会場挙手)

質問者2:ありがとうございました。先日、ペルーで修行をしてきたというシャーマンと一緒にカカオセレモニーをやってきました。そこで言っていたのが、「魂は光るもので、光るようにしなきゃいけない。心と体をつなげて、つながりが光っていくんだ」「この世界と楽しくつながる」というようなことでした。

でも、例えば私がそのカカオセレモニーに、「みなさん来ませんか」と言ったら「あいつ変な奴だな」となると思うんです(笑)。どうやったらその世界をみなさんに伝えられるのでしょうか。

鎌田:その世界というのは?

質問者2:そういう、カカオセレモニーみたいなものに来てくださいということです。

鎌田:論理でも心理でもない、そういうスピリチュアルなもの。

質問者2:はい。いろんなものとつながっていくと違う見方ができます、ということで。

邪念は逆に利用すべき

鎌田:じゃあそれは利典さんにお願いするとして、まずはお二人に邪念系を(笑)。

(会場笑)

石橋義氏(以下、石橋):コントロールができるほど、悟りが開けてるわけじゃないのですが(笑)。質問に対して、まっすぐな答えではありませんが、先ほどの「ものの見方」が私にとっては非常に大きいんです。物事であれ人であれ、今までは「自分の嫌いなものは嫌い、好きなものは好き」と、わりとハッキリしていたと思うんですよ。

田中利典氏(以下、田中利):じゃあちょっと違うんですよ。

石橋:違うんですか(笑)。

田中利:僕は呑兵衛ですからね、みなさんと一緒にワインを飲んでいたんですよ。このワインが「これだけある」と思うのか「これだけしかない」と思うのか……。呑兵衛の心境でございます(笑)。

(会場笑)

石橋:(笑)。でもそれが私にとっては非常に大きいんです。その話の前にもやはり、人との接し方について考えるところもあって。そういう捉え方ですよね。それを邪念と思うのか、真っ向から向かうべきことと思うのか、みたいなことを自分で考えるようになりましたね。

だから嫌いなことでも……嫌いと言うのかな。「自分とは違うな」と思っていることでも、それにはなにか意味がある。むしろそれを自分から取りに行こう、みたいなことをするようになりました。ちょっとまっすぐな答えじゃないかもしれませんが、すみません。

田中愼一氏(以下、田中愼):じゃあ、邪念系からお答えさせていただきます。正直、邪念は逆に利用すべきかなと思っています。ただ、邪念は非常に厄介なもので、逆にこっちが呪縛されてしまうんです。だからそこをいかにしっかりと、それこそコントロールなのかもしれないですが……。いや、やっぱり意識が入っちゃうとダメかな。

いかに邪念をエネルギーに変えていくかという発想がすごく重要だと思うんですよね。そこで心がけていることは、自分の心をゼロにするというか。人間にはやっぱり、自分があるんですよ。そこがプラスになっていると、周りとの関係も含めて、逆に邪念に呪縛されてしまう。これは経験談です。

要は、コミュニケーションの一番基本は「相手をどれだけ知るか」。相手になりきることがすごく重要です。相手になりきるために、一番邪魔をするのは自分ですよね。そして、自分がプラスだと相手を理解することができません。だからゼロにする。こういう発想ですね。

(自分を)ゼロにすると、邪念が利用対象として少し明確に見えてきます。ところがその邪念の一部が自分自身になってしまうと、煩悩というか……これは仏教の言葉ですけど、煩悩、人間が持っているモヤモヤしたものが、ぐわーっと群がってくる。

そこを一挙に切り倒すためには、まず自分をゼロにすることです。そのゼロも、まだ完璧にできていないのですが、「マイナスにする」こともけっこうあります。

この世は「思い込みの世界」

田中愼:先ほど利典さんから「ダライ・ラマさんが子どもみたいだ」というお話がありました。84歳でいらっしゃるんですよね。僕がそのお話を先ほどの打ち合わせで聞いたときに、思い立ったのは本田宗一郎さんでした。

僕が本田宗一郎さんに初めて会ったのはアメリカで、(本田氏が)82歳のときです。10日間ずっと一緒に過ごさせていただきました。その当時のお偉いさんは、怖いときの本田さんを知っているからみんな寄り付かないんですよ。しょうがないから僕がずっと一緒にいました。

彼のすごさは、自分をマイナスにできることなんです。もう、子どもなんですね。英語は「ハロー」「サンキュー」しか言えないのに、相手がアメリカ人だろうが誰だろうが、人種に関係なく吸い込まれてしまう。

これはちょっと感覚的なので、なかなか難しいんですけれども、自分をマイナスにできると、邪念も客観視できるようになってくるというか。自分が少しでも残っていて、それがプラスだと邪念に呪縛される。自分がゼロになれば、あるいはマイナスになれば、邪念を利用できる。これが今の僕自身の考え方ですね。

所詮人間には好き嫌いがあります。でも、それをなるべくゼロにする。マイナスというのは、もう嫌いでも「好き」と言う。先ほど「ラブラブ光線」とおっしゃっていましたよね(笑)。

僕はよく「ラブラブ光線」と言いますが、嫌いな相手でも「好きだ」と思い込めば、それを信じれば、基本的には好きになるんですよ。この世は思い込みの世界で、思い込んだほうが勝ちなんですね。

だから先ほどの利典さんからの「信じる力」というのは、すごく納得がいきます。見えないもの・聞こえないものを信じること。その信じることが、間違いなくパワーに出てくるんですよ。信じることによって、今言った邪念や煩悩、いろいろな悩みをレバレッジしていく。そういう意味では、仏教はすごくしたたかな教えかなと思います。

なんといっても「四苦八苦をどうレバレッジするか」ということは、要するにどう利用するかですよ。だから邪念も四苦八苦の1つじゃないですか。そういう意味で、苦しみを苦しみとして受け取らなくする。たぶん仏教の方々は、苦しみを苦しみと受け取っていないはずなんですよね。非常に中立的な概念と思っている。

田中利:そんなことはないと思いますよ(笑)。

(会場笑)

田中愼:(笑)。そう思わせるほど、仏教書は「したたかな教えだなぁ」と(笑)。

「私」があるから邪念になる

田中利:確かにね、「私」がないことは非常に大事なんです。「私」があるから邪念になるんですよ。人はみんな自分の都合で生きているんです。よく見ると、みんな自分の話しかしませんからね。

(会場笑)

そこに「私」があると、「ああ、こいつはイヤだ」「こいつはいいな」とか思うんです。「私」をなくすと、「この人はこの人の都合で生きているんだな」と思える。

仕事ができる人もできない人も、みんなそれぞれ自分の理由・理屈があるんです。それを認めてあげられる自分を作ると、(田中愼一氏が)おっしゃったように、邪念の活用になるかもしれない。

ゴーンさんもなんで捕まったかというと、やっぱり「私」があったからだと思うんですよね。「ブラジルの大統領になりたい」とかいろいろあったかと思うんです。そういう中……まぁ、あれはトランプさんのせいとか、いろいろあるらしいですけども(笑)。

田中愼:(笑)。

田中利:「私」があると、やはり物事はうまくいかない。「みんな自分の都合で生きているんだ」と思っておいたほうが、邪に会わなくて済みます。「ああ、そうなんだな」と思えば邪になりませんから。「なんでこいつは仕事をしないんだ」と思うときも、その人なりの理由があるんです。それを「私」が言うから、邪になるわけです。

鎌田:それもさっきの「空とはつながり」というニュアンスに近いですよね。

田中利:それも含めてね。

縁なき衆生は度し難し

鎌田:じゃあ、ちょっとスピリチュアルな質問です。(質問者2の質問は)結局「体験を共有したいけど難しい」というニュアンスですよね。

田中利:「光の世界をたくさんの人に知ってもらうにはどうしたらいいか」。

質問者2:スピリチュアルはすごく胡散臭く思われてしまうんです。女性は行くけれど男性は行かない。でも、みんな救いを求めている。そこでどうしたらいいのかという悩みです。

田中利:仏教の教えは、仏さまが慈悲深いわけですよ。「すべてを救おう」と。ダライ・ラマに至っては何遍も娑婆世界に生まれてきて、(人々を)救おうというお考えをお持ちなくらい、慈悲深い。

もう一方で、こういう言葉があるんです。「縁なき衆生は度し難し」。縁(仏縁)のない衆生は、仏といえども度せない(救えない)んですね。今あなたが思っている、光の、すごく良い世界はあるけれども、そういう縁に触れない限り、なかなか伝わらないんです。それはその人が持っているつながりや、ご縁の中で生まれるものですから。

いろんなことをなさるのは大事です。私もいろんなことをしているから多くのご縁が生まれていますが、それは「そういうものだ」と思っておいたほうがいいかもしれません。それもこの人たち(行かない人たち)の都合なんです。みんな自分の都合で生きているんですから。と、私は思います(笑)。

鎌田:深いですね……。

(会場笑)

人生の本質は「つながり」にある

鎌田:じゃあ、ちょっと早いですが、改めてラップアップにいきます。2分ありますから、少し尺を気にしていただきながら喋っていただきたいと思います。

今日は、軸や信念のお話でしたが、「自分にとって信念は何か」「どうするか」に対して、みなさんのいろいろな受け止め方があったと思います。その中で「一番言いたかったことはなにか」に戻りましょう。じゃあ、イッシー(石橋氏)からいきましょうか。どうぞ。

石橋:その前に、今日はお二人の先生を前にして、「私がこんなことを話すのはなんだかなぁ」と思いながらずっと話をしていました(笑)。先ほど「人と人のつながり」がありましたけど、本当にその基になるものだと思います。自分の本質に気づくことによって、そういうもの(信念や軸)がしっかりできてくると思っています。

鎌田:「つながり」ですね。ありがとうございました。じゃあ愼さん、お願いします。

田中愼:基本的にコミュニケーションは「つながり」だと思っています。今、利典さんが「空」という言葉……なかなか難しいなと思いましたが、それを「つながり」と言い切ったところにすごさがありますよね。

要は、人間はつながりの中で生かされているわけです。コミュニケーションは僕に言わせると「呼吸」みたいなもので、なくてはならないものだと思っています。

先ほど言った受信・発想・発信をどう回していくのか。それが、つながりをどう作って、つながりに生かされてくるかのポイントだと思うんですね。たぶん、これからすごく重要になるのは(新しい軸をつくること)。まさに利典さんもおっしゃいましたけれど、還暦を過ぎて、やっぱり(軸は)20年もたないんですね。

21年前に立ち上げた会社で一挙に成長してきたけれど、そのときの軸では、還暦を過ぎてからは無理なんです。それを今、実感しています。だから、そこでなにか座標軸を作っていくことが重要で、カギはやはり自分との対話だと思います。今日はどうもありがとうございました。

田中利:もうマイナス19秒なんですけど(笑)。

(会場笑)

今日は、「人生の本質はつながりにある」ということを知っていただきたい。もう1つは、「みな自分の都合で生きている」ということを知った上で、「つながりの中に本質がある」と思って生きると、いろんな場面で使えるのではないか、ということです。これで私のお話は締めたいと思います。(自分は)すごく時間を気にする人なんですよ(笑)。

(会場笑)

ありがとうございました。

鎌田:私もお三方から非常に学ばせていただきました。個人的に思ったことは、「軸の強さ」ではなくて、やっぱり「軸のしなやかさ」というか。時代感の中や他者との関わりの中で、常に調整していけることが、本当の軸なのかなという気がしました。

みなさんにとって、なにか持ち帰れるものがあれば幸いです。どうもありがとうございました。お三方にもう一度拍手をお願いします。

(会場拍手)