真実とフェイクの境目がなくなる時代、メディアはどうあるべきか

山口幸穂氏(以下、山口):みなさん、本日はお寒い中、足元の悪い中、こちらまでお越しいただきまして、誠にありがとうございます。私は、ZEPPELINで広報担当をしております、山口幸穂と申します。

今回のイベントは「フェイクニュース時代のメディアの生き方」がテーマです。平成もいよいよ終わりで、次の年号に突入しようとしているタイミングです。

日本は戦後、高度経済成長期から現在に至るまで、急速にさまざまな変化を経てきました。その変化の中にあるのは、メディアも一緒だと思っています。メディアも、みんながまとまって1つのテレビを見ていた時代から、いまでは誰でも気軽に、携帯でもテレビでも情報が取れるし、ましてや自分自身がメディアとなって情報発信ができる時代になってしまいました。よくも悪くも、そうなりました。

変革の時代を生きる私たちが、これからなにを真実として受け取って生きていけばよいのか。真実とフェイクの境目がわからなくなっているいま、私たちはどう生きていけばよいのか。そんなことを今回のイベントのテーマにして、佐々木俊尚さんに見解をうかがえればと思っています。よろしくお願いいたします。

では、さっそく冒頭でもお話ししたところへ入っていくと、日本は戦後から高度経済成長期、とくに高度経済成長期から現在に至るまで、さまざまな変化を経てきました。そこで、具体的にメディアは、高度経済成長期から現在に至るまでどのように変化してきたのか?  まずは佐々木さんのご意見をうかがえますでしょうか。

もともと政治には限られた人だけが携わっていた

佐々木俊尚氏(以下、佐々木):まず、マスコミと言われるものが、いったいなぜ存在しているのかを考えないといけないわけですよね。よくメディアは民主主義に必然である、民主主義を支えるものであるなどとと言われます。

確かにそうなんですけれど、それは「権力監視をするから民主主義に必要である」と考えて言っているわけではないです。もとを正せば、本来政治というのは、例えば日本だったら幕府や朝廷といった、ごく一部の選ばれた人たちだけによって行われていたと思うんです。

これがだんだん時代が進んで、産業革命で多くの人が豊かになって中間層になり、それまで単なる農民だったり、武家以外の労働者だったりした人たちが、まっとうな生産者・労働者として政治に参加するようになった。

そういった中で、みんなが政治に参加したときに「どうやってその声を代弁するか」が重要な問題になってくるわけです。よく高校の政治経済みたいな授業で、ギリシャ時代は直接民主制だったみたいな話をしますよね。広場に全員が集まって話をしてたと。

そういうことができればいいんですけど、現実にはできません。1億2千万人が1ヶ所に集まって議論するわけにはいかない。それで、ある種の代替物としてメディアに代弁してもらいましょうということですね。

つまり、新聞やテレビがみんなの意見を集約して、それを世論調査にかけたり、「国民の半分は憲法改正を望んでいます」「望みません」といった声を集めて、それを政治にぶつけるということです。

国民の声を代弁して政治に届ける役割の完成と、その先の迷走

みなさんがどういったものを大ニュースと考えているかというと、例えばNHKで一番見られているニュースは夜7時、もしくは夜9時のニュースですが、そのトップで流すニュースは、やっぱり重要なニュースだと認識するわけです。

また、朝日新聞や読売新聞が一面トップで掲載すれば、それはやっぱり重要なニュースだよねとなります。社会面のベタ記事という、一段しかない小さな記事と、一面の頭の記事を見比べれば、一面の頭の記事が重要だと認識します。

その一面トップをなんの記事にするのかを選ぶのが、新聞社なわけですよね。そこで新聞社が「今日の大ニュースはこれだ」と設定しているわけです。そういう機能があるんですね。

つまり、みんなの意見を集めるということです。今社会で重要なニュースはこれだということと、さらにその問題について、いろんな報道をして、みんなの意見を集めて、首相に「世の中はこうなんだから、こういうふうにしてください」と求めるということです。

そうして国民の声を代弁して、政治に届けるのが、新聞やテレビの役割だったわけです。こうした新聞やテレビのあり方というのは……テレビは最近ですけど、だいたい近代の始まり、日本でいうと19世紀の終わりくらいから徐々に始まりました。

そして、20世紀の中頃くらいに戦争が終わって、高度経済成長が始まるくらいまでにおおむね完成してきたんですね。そのあと、メディアというのはだんだん迷走を始めるんです。なんで迷走を始めるのか、僕はわりと実感があるんです。

マイノリティの取材によって、社会の歪みを逆照射する

僕は毎日新聞社で、1988年から2000年くらいまで、12年ほど新聞記者をやっていました。社会部という、いわゆる事件や事故、あるいは社会問題を扱う部署にいて、警察を担当したり、大事故・大災害の取材に行ったりしていました。そのときに、新聞記者というのは、いったい社会になにを報じるのかというところで、みんな悩み続けたんですね。

僕は80年代の終わりくらい、昭和がちょうど終わるときに新聞記者になりました。80年代の昭和が終わる頃の日本というのは平和で、みんなが中流だと思っていました。国民の世論調査をすると、人口の9割くらいが自分は中流だと答えるんですね。

平和で穏やかな中流社会。それだけを見ていても、日本の社会の歪みは見えてこないわけです。そこで我々新聞記者がなにを見るのかといったら「この社会のどこに歪みがあるのか」です。それをきちんと発掘して届けないといけない。だから少数派の取材をしましょうと、そう言われていたんですね。

それが具体的にどういうものかというと、在日韓国人や身体障害者、そして女性といったものです。あるいは、犯罪者や更生できない受刑囚という人たちです。こういう人たちを取材することによって我々の社会の歪みが見えてくるから、マイノリティの取材によってその歪みを逆照射するということは、当時かなり言われていたんです。

つまり、社会の相対面をどう捉えるかというときに、すごく悩み続けて、逆にそういう立ち位置に落ち着いていったのが、昭和の終わりから平成にかけての新聞だったんですね。高度経済成長によって、日本の豊かさがある程度確立してしまって、その先にだんだん希望が見えなくなってくる。近代は、そういう時代です。

初任給20万円、年収400万円もらえる時代の「断裂」とは

近代って、もともとは「抑圧からの解放」でスタートして、みんなで豊かになるんだとがんばってきた時代です。貧しさから解放されて、権力からも解放されて、徐々に進んでいくような時代が近代だった。しかし、いったん解放されてしまうと、その先の目標を見失うわけです。

もはや抑圧はされていなくて、ある程度みんなが豊かになりました。初任給で20万円もらえるようになりました。年収も400万円もらえるようになりました。じゃあ、その先どうするのか。

まだこの社会には、目に見えないいろいろな歪みや断裂があるから、そこをどう取材するかというのが、80年代終わりから90年代、そして2000年にかけての新聞社のテーマだったんですね。これはいま振り返ると、ちょっとやりすぎだったんじゃないかなと思います。

なんでやりすぎだったと思うのか……2000年代に入ったくらいで、新聞記者になりたてのときに、ある新聞が生活保護家庭の記事を書いていたんです。「生活保護家庭は、非常に生活が大変である。なので支給額が減らされたりすると、生活が成り立たなくて悲鳴があがる」。

もちろんそうなんですけど、そのときにある新聞が、その生活保護家庭の毎月の収益みたいなものを表にして出したんです。

家族4人で支給額が20数万円。両親と子どもの3人で、支払う額が、例えば食費がこれだけで、携帯電話代がこれだけかかる。それを見ると、携帯電話代が1万5,000円と書いてあったり、週に1度は回転寿司に行きたくて、それが1万円と書いてあったりするんです。