日本発のイノベーションを起こしたい

木村和貴氏(以下、木村):本日はキーワードを用意していますが、中身は何も決まっていないので、そのトークテーマのキーワードに沿ってガンガン話すというようにやっていきたいと思います。

キーワードは5つあるのですが、1つ目のキーワードは「仕事で目指すもの」。漠然としていますが、仕事をやっていく中で、どんなことを目指してやっているのか。仕事の位置づけや、自分にとっての仕事とは何だろうと。そういったところになると思いますが、まずは井上さんにおうかがいしたいです。

井上一鷹氏(以下、井上):先ほど言ったこととほぼ重なりますが、まずは前提として、こうした話をしたほうが良いと思います。まず、僕自身、趣味はまったくありません。消極的選択から仕事を趣味にしているタイプなんですね。

そうなると、「仕事がおもしろい」ということも表現したいですし。自分の中で目指していることのイメージとしては、例えば大学のときの友達が、ホームワークで僕がやっている仕事を見て「何かわからないけど、井上はおもしろそうなことをしているなあ」。これが基本的なゴールです。

その「おもしろい」という観点の中でも、フォーカスを当てたいと思っているものが大きく2つあって。これは興味があるかどうかはわかりませんが、1つは僕、今35歳なんですが。高校生ぐらいのときって、SONY製は普通に格好良かったし……誰か怒ったらごめんなさいね。SAMSUNGのMDを持っていたヤツは、ちょっと格好悪かったんですよ。

そうした時代に普通に育っていて。今は姪っ子が高校生なのですが、普通に話していると、SONYが日本のメーカーだということ自体をわかっていない。

普通に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を少しだけ感じ取っていた世代なので、「手触りのある、手に乗っかるもので、日本人が負けてほしくない」という感覚が昔からなんとなくある中で、メガネに注力したのは、やっぱり手に取れるハードウエアで日本人が負けていくのが辛いということ。

日本発のイノベーションをしたいというのが、1つのベクトルです。そんなことを言えば、みんなが応援してくれるということもあって、それが1つです。

「メガネ」が認知症を防ぐウェアラブルデバイスになる

井上:もう1つは、急にナーバスな話に入らせていただきます。JINS MEMEをやっている背景なのですが、僕の母方の祖父母が認知症で、僕が高2ぐらいのときに、母はずっとその介護に行っていました。僕が北海道に帰って来るたびに、ずっと言っていたのが「医者になってくれ」ということ。

「医者になって、自分がああなったら安楽死させてくれ」というように、ずっと刷り込まれていたんです。しかし、そういうわけにもいかないので、僕としては「認知症の研究医になりたい」と思っていたのが高3の頃でした。

忘れもしない、御茶ノ水のある医大でのことです。面接で僕は「こういう研究医になりたい」という話をしたのですが「あれは病気ではない」と言われてしまった。「あれは医者の研究対象ではない」とバッサリ切られてしまったんですね。

それに対して違和感がありました。振り返ってみると、彼が言っていたことは間違ってはいなくて、当時は痴呆と呼ばれていたんです。認知症ではなくて痴呆と呼ばれていて、痴呆が痴呆症になり、痴呆症が認知症になり、初めて病気と認定されて研究対象になったんです。

ですから、最近はやっと少しずつ研究が進んでいますが、なんとなく認知症というものに苦しんでいるし、僕は母親が認知症になってほしくないので、そういったことを思っていたのですが。医学部には結局行けず、理工系の学問をやって、コンサル経由でうちの会社に入って、このJINS MEMEのアイデアをもらいました。

このアイデアの一番の発端は、東北大学の川島隆太さんという、任天堂DSの『脳トレ』の先生がきっかけです。

彼は「メガネというのは、パンツの次に着けている時間が長い」と。まあ確かにそうだと。パンツの次に着けている時間が長くて、かつパンツは毎日替えますが、メガネは替えない。ですから、その人のことを一番よく知ることができる可能性のあるデバイスは、メガネであると。

認知症になってしまった方は、目の動きのスピードと重心バランスに違いがあるのだそうです。例えば、徘徊をされてしまうような老人は、ちょっと後傾に歩くんですね。

こうしたデータが医者からすれば、「どう考えても、ああいった状態になれば認知症の傾向だ」というように暗黙知でわかっているけれど、誰も計ったことがないため、計ったことがないものについては研究が進まないと。

ですから、「これ(JINS MEME)を作ってくれ」と言って渡されたのが7年前なんですよ。高3のときに、すごくそういった思いを持っていたけれど、結局忸怩たる思いを持つことになり、その10年後ぐらいに、そういう人と出会ってこれを渡されたので、ハードウエアのイノベーションを起こしたいという話です。

エモーショナルな言い方をすると、うちの母が認知症にならないように、このメガネを開発したい。これが、僕の中で目指していることなんですね。

心が折れそうでも踏ん張れるのは、自分のストーリーがあるから

井上:ここでお伝えしたかったのは、7年前にこれを渡されたときに、僕は同じ夢を語っていたかというとそうじゃないんですよ。いろんなところでこうした機会をいただいて、「何を目指しているのか?」「仕事は何なのか?」ということを質問されることが多くて、プレゼン癖がついて、人様にこうやって話すのですが。

そうすると、「自分は何で仕事をしているのか?」ということをどうしても言葉にしなければいけないので、いろんなストーリーを話した結果、今の話をするのが一番、みんなが神妙な顔をして「井上さんを応援しよう」という空気感が出てくるじゃないですか。こういったことが、僕はすごく大事だと思っています。

嘘じゃありませんよ。まったく嘘はついていませんが、自分の中で「なんとなく正しい」と思って仕事をしていたものを、後付けでストーリーを付けることによって、誰もが応援してくれるようになる。僕は本当に、毎日のように経営者に怒られたりするので、新規事業が辛いのですが……でも、なんとか踏ん張れるのは、今のストーリーを見つけてからなんです。

だから、こうしたものを見つけて、目指すものは何でもいいから、みなさんもこうしたエモーショナルな、みんなが応援してくれる素敵なものを探すといいんじゃないかと。勝手にテーマと違うことを言いました(笑)。

木村:いえいえいえ(笑)。

井上:そんなことを思って仕事をしています。ですから、イノベーションと認知症の対策というのが、僕の目指していること。その結果、喫緊な話をすると、Facebookで大学の友達が騒いでくれる。これが直近の目標ですね。

木村:なるほど。聞いていて、自分の意志だけではなく、周りがどう思うかというところも、すごく意識をされているところが印象的でしたね。

では、中郡さんにも聞いてみたいと思います。どうですか?

仕事を「自分ごと」として考えられる共通点は何か?

中郡暖菜氏(以下、中郡):具体的に自分が作っている本でも、雑誌で目指していることと、自分自身が仕事で目指していることは、微妙に違うということがあります。

基本的に私は、自分のためにやっていて。雑誌というのも、若い子向けのものをずっとやっているのですが、自分が20歳や18歳の頃に、「こうした雑誌があればよかったのに」と思うようなものを作っているんですね。

そう言うと、めちゃくちゃわがままな人間っぽい感じなのですが、その頃に悩んでいたことや救いを求めていたことは、きっと読んでくれている人もあまり変わらないと思うし、自分を「一番の読者だ」と思って作ると、本質的なものが作れると思っています。

私は、あまりビジネス的な視点でものを考えたりすることはできなくて、すごく感覚的なタイプなので。本当に感情移入をしたり、そういったことでしかクリエイトできないタイプなのですが、すべての選択を「自分であればどうだろう?」という視点で考えています。自分と仕事との共通点を見つけることが、すごく大事だと思っています。

まったく共通点がないことに対しては、あまりがんばれないじゃないですか。まったく自分と関係ないことに集中するということは、なかなかできないことだと思いますが、何かしら自分との共通点を見つけられたら、自分ごととして考えられることだと思うし、継続できるポイントになりますよね。

私は子どもの頃から、学校の授業にちゃんと出られないタイプでして、ずっと本を読んでいて大人になったという生活をしていたから、周りがどうというよりも当時の自分でも受け入れられるかどうかを一番考えていたりします。それが結局は特技になるのだと思うのですが、常に「自分を通じて良いものを作る」ということを、仕事では目指しています。

木村:なるほど。自分の感覚を一番大事にしていて、自分が良いと思うことをひたすらやっていくという感じですかね。例えば、自分がこういうものを作りたいというときに、上の人や横の人から「今はこういう本が売れそうだから、こういうのでよろしく」ときた場合の葛藤が起きた瞬間というのは?

妥協できる仕事はよくない

中郡:そう、その話をしたかったのですが、一番嫌いな言葉は「しょうがない」なんですよ。「しょうがない」という言葉は、最悪じゃないですか。

雑誌を作っていると締切がありますし、予算の関係でできないことなども、もちろんめちゃくちゃたくさんあります。女優さんのキャスティングがどうの、コンテがどうの、パパラッチされたからどうの。すごくいっぱいあるんですよ。

(モデルさんが)ものもらいができちゃったとか。いろんなことが起きる中でも、ベストを尽くしてやっていれば「しょうがない」という言葉は出ないはずなんですよね。

すぐに「しょうがない」と言う人はそれが口癖になっているじゃないですか。「しょうがないから」「しょうがなかったので」と言われると、すごく腹が立つんです。そういうことを言ってしまえるような仕事を自分はしたくないし、「しょうがない」という言葉を言うぐらいであれば、その仕事はしないほうがいいと思います。

木村:なるほどなるほど。自分の意志を大事にして崩さず、崩してやるぐらいだったらやらないほうがましという。妥協して。

中郡:そうですね。妥協できる仕事はよくないと思っています。

木村:よい言葉ですね。「妥協できる仕事はよくない」。

井上:そのために、フリーランスというスタンスなんですか?

中郡:そうですね。一度正社員になったこともあるんですが。編集長というのは、普通は正社員ですよね。

木村:そうですね。そういうイメージです。

会社と対等の立場になるために、社員ではなくフリーランスを選択

中郡:フリーの編集長というのは、ほぼいないと思います。私も会社から、「編集長がフリーランスというのは会社的に問題があるから、正社員になってくれ」と言われてなりましたが、そうするとやっぱり会社都合の話が、増えてきてしまうんですよ。「会社的にはこうしないといけないからこれをやって」「正社員なんだからこれを受け入れて」と。

木村:そうですね。どの企業も正社員であればそういったことがありますよね(笑)。

中郡:自分でも「会社のためにがんばろう、これだったら受け入れよう」と思えることはやっていたのですが、どうしてもOKと言えないことであったり、会社の判断と自分の判断が、まったく意思疎通のできないこともあって。

それについて、会社側に文句を言ったんですね。そうしたら「正社員なんだから、会社に従うのが当たり前」というような感じに言われたので「ああ、それだったら辞めます」と。

木村:格好いいですね。

中郡:そこですぐにフリーランスに戻りました。私の場合、フリーランスは「自由な時間に仕事ができて、ゆとりのあるライフスタイル」ということではまったくなく、会社に使う切り札なので。

木村:言いなりにならずに、意見を言い合うために。

中郡:そうですね。対等な立場でちゃんと戦ったり、意見をぶつけ合ったりするためにフリーランスになりました。

木村:フリーランスという手法をとっていると。井上さんは、今自分が目指しているというものができていると思いますが、そこに至るまでには?

正誤や善悪よりも「好き嫌い」のほうが人の心を動かす

井上:日々、やっぱり仕事上は3割ぐらい合わせていますよ。それは絶対にありますね。でも、企業選びというのをもし想像する方がいらっしゃったら……という意味で言うのですが、うちはオーナー企業なので、先ほどおっしゃった話で僕的に大事なのは、一人独裁者がいるんですよ。

こういう言い方をするとまた問題があるのですが、最終意思決定者を一人に集約していると、やっぱり平均的な答えを求めずに「俺が好きだから、これ」と言える人が一人いるだけで、その感性とあまりズレなければ幸せなんですよ。

これが、むちゃくちゃ大事で。今、データ分析のツールやAIがガンガン出てくると、平均的なプロダクトのあり方のようなものがすぐ出せてしまうので、他社と同じようなものを作るまではすごく速い。

けれども、差別化をするとなると、共和制ではなくて独裁者がいないと新しいものは生まれないので、そういう組織に入らないとやっぱりすごく苦しい思いをすると思ったのが、今の会社にいる理由ですね。

木村:なるほど。

井上:自分的にはそれなりに、独裁者と感性が合うので。

木村:それじゃないと信頼関係が(築けない)。

中郡:それも大事ですよね。

井上:ですよね。「何で?」と言われたら「いやいや、好きだから」と言える人がいるというのが、すごく大事。今の時代は、好き嫌いで判断したほうが正しいと思うんですよ。正誤とか善悪とかで考えるよりも、美しいか醜いかだけで判断されたほうが、やっぱり尖ったものになりますし、そのほうがちゃんとしたお客さんを捕まえられる。それは間違いないと思います。

木村:なるほど。いろんな人の意見を混ぜて言ってしまうと、誰のためでもない答えが出てしまうという。日本人はそれが得意なんです。

忘れもしない「父の日事件」

木村:では、スピーカー兼ファシリテーターということで、僕も少し話すと、仕事で目指しているのは、二つのものが重なる部分だと思っています。

自分がやっていて楽しいこと、やりたいことというか、あとは求められていること。ビジョン的なものと、実際に物理的にやっていて楽しいことが混ざったところだと思っています。ビジョン的なところでいくと、かなり意識の高い家系に育っていまして。

井上:自分でおっしゃるというのはすごいですね。

木村:祖父も「社会のため」というような感じで起業した経営者なので、父親もそれについていろいろと言っていました。忘れもしない、「父の日事件」というものがありまして。僕が小4か小5のときに、友達がみんな、父の日のプレゼントを買っていて。僕は今まで買ったことがなかったのですが、お小遣いをもらっていたので、買って渡してみようと思ったんです。父はサザンが好きなので、サザンのCDを買ってプレゼントしたら、まさかの「要らない」と。「えっ?」と驚愕なんですよ。

小学生にして「えっ?」となったのですが、その続きがあって「これは自分で買える」と言われた。つまり「育てて、お金を渡してこれが返ってきたら、自分で買っているようなものだよと。ここにお前がいる価値がないだろ」と。

井上:小学……いくつですか?

木村:小4か小5ですね。

井上:しんどいですね。

木村:なかなかへこむのですが、その後に「何のためにお前を育てて、お小遣いをあげたり、教育をしたりしているのかというと、こういうもので返してほしいからではなくて。お前が社会で活躍して、社会で貢献して、その姿を見るのが一番の恩返しなんだ」と言われました。そのときは確かに衝撃的だったのですが、「はっ!」として。気がつけば「社会のために」というような、すごく意識の高い人間になっていて。

ただやっぱり思うのは、井上さんの実体験や身近な方のことといったように、自分の実体験でこの課題を解決したいというのが、一番強い動機になると思っています。僕の場合はやっぱり入り口が違うと思うんですよね。

ですから、今はずっと、自分は何のためにがんばるのかということを模索中なのですが、見つけたときに100パーセントできるように自分磨きをしなければいけないので、いろんな目の前にある興味があることを、まずはがんばるというのが今のスタンスなんですよね。ですから、「目指し中」という感じで、まだ実現はできていませんが……という状態です。