中高時代はピカソにはまり、大学では哲学を専攻

アマテラス藤岡清高氏(以下、藤岡):まず、米倉さんが育った環境についてうかがえますか?

米倉千貴氏(以下、米倉):僕の家は両親が共働きだったこともあり、子ども天国のような環境で育ちました。

母はテレビCMでやっているような既製品のおもちゃではなく、粘土や画材のような創意工夫が必要な道具を買ってくる人でした。母はデザインに関わる仕事をしていたので、匠の技のようなものには心が動くけれど、大量生産される製品に共感ができなかったのかもしれません。

藤岡:米倉さんは小学生でプログラミングをスタートされたそうですね。

米倉:はい。オリジナルのゲームを作りたいと思い、プログラミングを始めました。絵が得意だったので、ゲーム内で自分の作ったキャラクターを動かしたかったのです。

そして、中高時代は絵画に取り組んでいました。主に油彩とデッサンをやっていて、高校時代はピカソにハマっていたくらいです。表現の力強さや幅の広さ、変化の激しさに惹かれていました。いま振り返ると、「自分を変化させていくことで、時代を変えていく」という時代の作り方を学ばせてもらった気がします。

大学も美大に行こうと考えていましたが、高校在学中に絵画の道に進むことは止め、縁あって推薦で合格した大学に進学しました。高校で美術と並行して哲学の勉強を始めていて、大学では哲学を専攻しました。大学ではハイデガーなどのドイツ系の哲学を学びましたが、あまりハマれなかった。むしろ麻雀にハマっていました(笑)。

兄と共に家出、そして、メディアドゥとの出会い

藤岡:この大学時代に、最初の勤務先であるメディアドゥとの関わりができたのですよね。

米倉:そうですね。ただ、メディアドゥとの出会いの前に自分の中で大きな転機がありました。

僕はみなさんに「家出」をよく勧めているのですが、僕自身も大学3年になった頃に兄と一緒に家出をした経験があります。

当時、実家の事業がうまくいかず、従業員の代わりに僕と兄がアルバイトのようなかたちで働いたのですが、給料はゼロの上に学校に行く時間も全く取れないという生活が半年くらい続きました。駄目になっていくものに対して自分の人生を浪費することに大きなストレスを感じました。

そこで、友達から現金9万円と引っ越し用トラックを調達し、兄と2人で親の留守を狙って家出を決行したのです。

名古屋に引っ越し、すぐに日払いのアルバイトを探しました。その1つがメディアドゥで、携帯電話の販売員からスタートしました。

ITビジネスを開拓し取締役になるも、「個の力」への思いから組織を出る

米倉:メディアドゥの社長がIT系のビジネスを開始する際に、アルバイトを含めたスタッフ全員に「こういう事業をやろうと考えているが、関心のある人はいますか」というメールがきました。僕も家でゲームを作ったりしていたので、「参加したい」と手を挙げたのがITビジネスに取り組むきっかけでした。

そして、メディアドゥが販売していた携帯電話のウェブサイト制作等からスタートし、徐々にコンテンツ制作に移行していきました。その頃からメディアドゥもIPOを目指すことになり、僕がその事業責任者で取締役にもなりました。当時、まだ23、24歳でしたね。

藤岡:23歳で事業責任者となり、そして、その後短期間で退職されました。どのような背景があったのでしょうか。

米倉:これはインターネットの存在なしでは考えられません。僕のような若者が取締役をやらせてもらえたのもネットの世界ならではだと思います。

ネットを利用することでそれまでの労力が一気に効率化する面白さに出会い、そこから個人の可能性を引き出すためにネットの力を活用することに魅かれ、さらには自分がそれを体現することで周囲に伝えたいと考えるようになりました。

しかし、当時の会社はIPOを目指して組織力強化の真っ最中でした。上場を果たすための組織論に関するコミュニケーションが増えるにつれ、自分の目指すところとのギャップを感じ、それが退職の理由になりました。

藤岡:組織力の強化を求める会社と、個の力を最大限にする米倉さんの考え方がぶつかってしまったということですね。

「1人で3億円の売上」を目標に再スタート

米倉:退職後、個人として再スタートを切りました。

そして、Yahoo!の社員一人当たり売上を超えることを目標にしました。それと、プロ野球選手の年俸ですね。当時、落合選手の年俸が3億円だったのですが、これは個人の可能性を最大限に引き出している1つのパターンだと考え、まずはそこを目指すことにしました。これは3年で達成できました。

藤岡:どのようなやり方で達成されたのですか?

米倉:まず、自分が1人でやれることを極限まで絞り込みました。僕の得意分野は企画でしたから、企画に集中して個の力を最大限に発揮するために、その他の業務を引き受けてもらえる提携先を探しました。具体的には、もともと僕のことを知っている比較的小規模な企業や、開発力はあるが何をすれば良いかわからない開発会社などを狙いました。

提携先に僕が自由に活動できるチームを作ってもらい、開発等のコストは提携先企業に持っていただく形でスタートしました。支出はすべて企業側に持っていただき、儲かったら僕に一部くださいというモデルです。

「僕が作りたいものを作る」をテーマに未来少年を起業

藤岡:個人として目標を達成し、そこから未来少年の起業に向かわれたのですか?

米倉:実は、未来少年の起業前、海外に移住していた時期があります。当時、僕の兄が既にバンクーバーに移住しており、僕もそこに合流しました。

バンクーバーはすごく田舎で、静かで充実した空間だったのですが、住んでいるうちに自分の中の「オタク魂」のようなものが弱まっていく気がしました。そんな中で、「多分僕はもっと仕事をしたいのだ」と感じるようになりました。そして、帰国して立ち上げたのが未来少年でした。

個人でやっていた時は他社と提携し、提携先のリソースで出来ることに絞って仕事をしていたのですが、未来少年は「僕が作りたいものを作る」というテーマで起業し、僕がもともと大好きだったマンガやゲームを作り始めました。