10代から少しずつ難聴が進行、4回の試験で弁護士へ

久保陽奈氏(以下、久保):みなさま、こんにちは。ただいま、ご紹介にあずかりました、久保陽奈と申します。30分ほどとごく短い時間ですけれども、情報アクセシビリティについてお話しさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

ちょっと滑舌に不安がありまして、音声認識の字幕が出ているのですけれども、もしこの字幕を頼りにしておられる方で、わからなかったということがありましたら、(私の話が)終わった後に声をかけてください。よろしくお願いします。

まず、みなさまに質問です。私は障害者です。なんの障害かわかりますか? もうご存知の方も多くいらっしゃるかもしれませんが、私は聴覚障害者です。もともとは普通に聞こえていて、とくに支障もなく過ごしていました。ただ「高い音が聞こえにくいな」と気付いたのが高校生のときで、大学生のころから少しずつ、感音性難聴の症状が進行してきました。

現在は、100デシベルを超える聴力です。どのくらいの聴力かというと、補聴器を外すと、もう人の話は聞こえません。補聴器を取っていても聞こえる音は、太鼓の音や飛行機の騒音、あるいは電車の音とか、その程度です。低くて大きな音は、まだ補聴器を外していても聞こえるというくらいの聴力です。

難聴が始まってから司法試験の勉強を始めまして、試験を4回受けてやっと合格して、2007年に弁護士登録しました。東京で12年間ほど弁護士をしています。

今日、みなさんにはあらかじめご了承いただきたいんですけれども、私は弁護士でありながら、情報アクセシビリティについて、とくに深く研究したり、勉強したりしてきたわけではないんです。ただ当事者としていろいろと体験していること、経験していることをみなさんと共有して、「これから、どうしていこうか?」ということを提案できればいいなと思っています。

また、情報アクセシビリティというと、視覚障害も関係してくるんですけれども、視覚障害に関する情報アクセシビリティについては、私は経験も知見もなく、今日お話できることがありません。その点、ご了承いただければと思います。

聴覚障害は“見た目ではわからない障害”

「聞こえない・聞こえにくいってどういう障害? どんな不便があるの?」ということで、(今日お越しの)みなさんは、聞こえる方が多いのかなと思うんですが、イメージは湧きますか? まず、これについてお話ししていきます。

聴覚障害は、「見えない障害」と言われています。「見えない」というのは「視覚障害」という意味ではなく、「周りから見て、なにに不自由しているのか、あの人に聴覚障害があるのかが、(見た目では)わからない」ということです。

いま、こうして普通に話していると、私が聴覚障害を持っていると気が付く人は、ほとんどおられません。なので、私がどんなことに不便しているか、みなさんはわからないと思います。今日は、最初にそれについて少しお話ししていきます。

また、周りから見えないというのは、結局、どんな不便があるかわからないということなので、バリアフリー対策でも、「ちょっと後回しにされがちかな」と思うときがあります。

(スライドを指して)こちらは、今日のイベントのリーフレットです。みなさん、お手元にあるかもしれないので見ていただけたらと思うんですけれども、この絵を見て、気付きますか? 車椅子の方がいて、杖を持って歩いているおばあさんがいて、盲導犬と一緒に歩いている視覚障害の方がいて、ベビーカーを押してる女性がいる。この中に聴覚障害者はいないですよね。

もしかしたら、一番後ろの女性は聞こえないかもしれない。でも、わかりませんよね。このイラストを見ただけではわからない。いずれにしても聴覚障害とは、「見えない障害」ということです。

いまから、どういう場面で不便をしているかをお話ししていきます。まず、電車です。電車に乗っている時に、急に止まったり、動かない時がありますよね。みなさん、思い出してほしいんですけれども、止まった原因が(車内の)電光掲示板などに流れていますか? 流れていないですよね。音声放送だけだと思うんです。なので、聴覚障害の人には聞こえなくて、なにが原因で止まっているのか、いつ動くのか、その見通しがわかりません。

日常生活や災害時に耳が聞こえない不便さ

私もたまに経験します。周りの人が放送を聞いていて、「あれ? なんか(電車から降りたりして)人が動き出したぞ」という一方で、ある人は(車内で)待っていたり。それが半々くらいだと、私はどうしたらいいかがわからないんです。

みんなが動き出せば、みんなの後をついていくんですけれども、それぞれ行動が違うと、私はどうすればいいかがわからない。「自分が降りた瞬間に、ドアが閉まって動き出したら嫌だなあ」と思って、ずっと(状況が)わからないまま待ち続ける。そういうときもあります。

次が、旅行です。(スライドを指して)こちらの写真は、バスのツアーです。着物を着ているスタッフの方が、なにかを話しています。参加者は地図を広げています。私は、(実際には)これに参加していないんですけれども、聞こえない立場からすると、このお姉さんがなにを言っているかわからないですし、地図のどこを見ればいいかもわかりません。

だから、本当はこういうバスツアーに参加したいなと思っても、聴覚障害者の方は、(参加するのが)聴覚障害者だけの場合は、参加を見合わせるとか控えるとか、そういう人、多いんじゃないかなと思います。

観光施設はどうでしょう。(スライドを指して)上の写真はどこかの観光施設で、説明の映像が流れているんです。でも、これも字幕がなく音声だけです。だから私はこれを見てもなにもわかりませんでした。

下は、沖縄の美ら海水族館のある公園で、琉球王国時代の庶民の暮らしを再現した設備なんですけれども、音声ガイドがありました。日本語・英語・中国語と選べるのですが、ここにも文字の案内はないんです。だから、試しに日本語を選択してみても、どんな話をしているかがわからない。(このように)ちょっと残念だなと思うことがあります。

次は、命に関わります。最近、大きな地震が多いですが、聴覚障害者も避難場所に行くことがあります。そのときに、「配給の案内が音声放送のみで、パンを1つももらえなかった」という記事が、BuzzFeedというネットメディアに掲載されていました。また、「行列があると思って並んでみたら、トイレだった」というものもありました。

「家族3人が誰も聞こえないから、パンを1つももらえなくて、町のコンビニに行くしかなかった」と書いてありました。たまたま手話ができる人がいて、その人がいろいろ教えてくれるようになったということで、この方たちは幸運だったわけですけれども、命が関わる場所で、運に任せてはいられないと考えます。

情報がないことが人の行動に与える影響

また、問い合わせでも、例えば旅行に行くときなどに、「(障害者)手帳割引があるかな?」と思って調べ、問い合わせをしようと思っても、電話番号しかない。あるいは、「障害者手帳割引の申請は、電話でのみ受け付けています」というバス会社もいまだにあります。そういう会社は、聞こえない人や話すことが難しい人がいることを、たぶんわかっていないんです。

わからないから、「電話のみ」と書いているのかなと思うんですけれども、「メールでの対応ができます」とか、そういうオプションも付けてもらいたいなと思っています。

いろいろと不便な場面をお話ししてきましたけれども、私たちは聞こえる、聞こえないにかかわらず、ふだんは情報を見たり聞いたりして、認知して、判断して行動しています。

実際に先日、友達と高速バスに乗ったときの例です。運転手さんが音声放送で、「談合坂でトイレ休憩を取ります」と言ったんです。聞こえない友達は、「どこかでトイレ休憩があるかな」とずっと気にしていました。その子はトイレが近いんです。

だから、水を飲んでトイレに行きたくなっても、行けなかったら困るということで、トイレ休憩があるのかすごく不安に思っていました。すると、聞こえる友達が「談合坂で休憩あるって」と教えてくれたんです。それを知って、その聞こえない友達がなんと言ったかというと、「安心して水が飲める」と言ったんです。

このときに、「やっぱり情報がないというのは、ものすごくその人の行動に影響を与えるんだな」と思ったんです。些細なことかもしれないんですけれども、すごく大事なことです。聞こえないと情報が届きません。なんと言っているかわからない。トイレ休憩があるかもわからない。「どうしよう」と思って、結局水を飲めない。こういうことは、よくあることなんです。

聴覚障害者は行動に制限がない。だから政治の場面では、自分の足で投票所に行って、自分の手で書いて、自分で入れることできます。でも、政見放送に手話通訳がいても、手話がわからない人は(候補者の主張が)わかりません。あと、街頭演説もよく聞こえません。他にもこういったイベントで、字幕もなく手話通訳もいなければ中身がわかりませんので、参加できません。

情報アクセシビリティとは、情報を望む形で簡単に入手できること

こういったことが、実際に私たち聞こえない人がふだん経験していることです。いままで話してきたことを整理すると、聴覚障害者は行動に制限はないんですが、行動の前提となる情報にアクセスできない。そういうふうにまとめることができると思います。やっと「情報」と「アクセス」という言葉が出てきました。これから、情報アクセシビリティについてお話ししていきます。

(スライドを指して)情報アクセシビリティとはこちらのことです。上の文字は、厚生労働省のホームページから持ってきました。「年齢や身体障害の有無に関係なく、誰でも必要とする情報に簡単にたどり着け、利用できること」。それを聴覚障害者の当事者の視点で言い換えると、「あらゆる情報を、私たちの望む形で、より分かりやすく・より簡単に入手することができること」と定義されています。ポイントは、情報を、望む形で簡単に入手できることです。

情報アクセシビリティについては、一応法律にも書いてあります。「障害者基本法」の第22条で、これは名宛人が、国及び地方公共団体です。「国とか地方公共団体は、障害者が情報を取得したり、利用したり、自分の意思を表明したり、意思疎通を図ることができるように、いろんな施策を取りなさい」と、書いてあります。

「障害者差別解消法」。こちらは2016年4月1日に施行されて、もうすぐ3年になります。こちらは行政機関だけではなく、事業者も対象になっています。だから、みなさんも他人事ではない法律です。こちらの法律で、(情報アクセシビリティが)どういう位置付けになるかをお話しします。まず、こちらの法律は大原則として、「不当な差別的取扱いの禁止」を定めています。

これはどういうことかと言うと、障害を理由として、正当な理由なく、サービスの提供を拒否したり、制限したり、条件を付けることを禁止するものです。つまり、「門前払いは駄目です」ということです。「あなたは聞こえないから、うちのサービスを提供できません」というのは駄目です。

2つ目が、合理的配慮の提供です。これは障害のある人から、「こういう対応をしてほしい」という意思表明があったときに、それを頼まれた事業者や行政機関は、負担が過重でない範囲で合理的配慮をして、その人が参加できるようにするということです。この2つが大きな柱として、よくセットで説明されていると思います。環境整備については、後でお話しします。

障害に対する考え方の変化

昨年の10月から、東京都でも「障害者差別解消条例」が施行されました。こちらも不当な差別的取扱いの禁止と、合理的配慮の提供について定めています。ポイントがあるんですけれども、合理的配慮の提供……これは法律では、民間の事業者は努力義務で、「そうするように努めなさい」というだけなんですけれども、東京都の場合は義務です。そうしないといけないんです。

この事業者には個人事業主も含まれます。だから、東京都内でなにか商売や事業をしている人……私も弁護士として、個人事業主として商売していますが、もし「配慮をお願いします」と言われたら、対応しなければいけない。だから、みなさんも他人事ではないということです。

いま見た法律と条例の根底にある考え方についてお話しします。「障害の社会モデル」という考え方です。私たち障害者は、聞こえなくて情報が得られないから参加できないといった不便を受けています。そうした、日常生活や社会生活の中で受ける制限は、見えないとか聞こえないといった機能の損傷のみではなく、社会の中にあるさまざまなバリア、社会的障壁によって生じているという考え方です。

ですので、私たちが感じている不便や、その解消に向けて取り組む責任は、社会の側にあるという考え方です。だから合理的配慮の提供も、企業の側がしなきゃいけないという発想になります。

いままではどうだったかを(スライドの)下に書きました。障害の医学モデルとか、個人モデルと言われます。「障害者が日常生活や社会生活の中で受ける制限は、見えないとか聞こえないといった、機能の損傷によってもたらされる」という考え方です。

なので、その制限を克服するには、もっぱら私個人の努力が必要という発想になります。医学モデルの場合、「障害を根拠に異なる取扱いをすることはOKです」という結論になりやすいです。「障害によって生じる困難は、自分自身で解決するべきものであるから、自分で解決しない以上、私たちは知りません」ということです。

この医学モデルは、社会の側がそうしてなにもしないことが、正当化されやすいです。でも、みなさんはどう思われますか? みなさんだって、もしかしたら明日、突発性難聴になって聴力を失うかもしれません。そういうときに、「もうあなたは聞こえないんだから仕方ありません」「もうこういうイベントにも参加できません」(と言われたら)受け入れることができるでしょうか?

情報が伝わらないのは伝える人に責任がある

(スライドを指して)図で確認したいと思います。「情報がわからないから行動できない」というのが、聴覚障害者でしたよね。医学モデルだと、「行動できないのは聞こえないあなたのせいである」となります。「耳が治らないなら、もう仕方ありません」「サービスも提供できません」「あなたが楽しめる範囲で楽しんでください」となります。

社会モデルでは違います。「聴覚障害者が行動できないのは、わかるように情報が提供されないから」と考えます。情報を提供する側に、「聞こえない人にわかるように伝えるために、どうにかしなさいよ」「会社の方がどうにかしなさいよ」という発想になります。私が先ほど冒頭で申し上げましたが、「もし字幕を頼りにしている方で、今日の私の滑舌が駄目で、(私が言いたいことが)わからない人がいれば言ってください」と。

これは私に伝える責任があるからです。本当は、話し手に責任があるんです。情報が伝わらないことに対する責任は、聞こえない人ではなく、情報を伝える側にあると私は考えます。

医学モデルの考えでいると、(スライドを指して)こういうことが起きるんです。みなさんも記憶にあるかもしれません。昨年の6月に、新聞に公表されたんですけれども、聴覚障害のある4人の入館を拒否した東京のレゴランドの事案です。聞こえないことを理由に、安全確保に不安があるということで、「聞こえる人が一緒じゃないと入れません」と言って、入館を拒否した事案です。

これは先ほど見た、「障害者差別解消法」の大原則にあった、「不当な差別的取扱いの禁止」に違反するものです。合理的配慮の提供をしなかったとか、そういう話ではないです。門前払いしていますから、一番やってはいけないことです。私は「法律が施行されて2年も過ぎているのに、こんなことがまだ起こるんだ」と、非常に落胆したというか、愕然とした記憶があります。

でも、これは医学モデルだと正当化されるんです。「あなたたちが聞こえないから、安全確保ができないんですよ」となります。「こちらは(それに対応)する理由がないです」という発想になりやすいんです。社会モデルだと、例えば非常時には非常灯を点灯させるとか、「(何かあれば)ここに来てください」といったかたちで、あらかじめルールを作っておくような仕組みを考えるという発想になります。

国民の3人に1人が聴覚に不安

ですので、今日はみなさんに社会モデルという考え方を持ち帰っていただきたいなと思っています。いまだに医学モデル的な発想で考えてしまう例は、この他にもまだまだあります。例えば、飲食店に聴覚障害者だけで行ったら(入店を)断られたということで、ニュースになるときがあります。そして、これは、実は、聞こえるみなさんも、決して他人事ではないんです。

あれこれ資料を見ていたら、ちょっと衝撃的な数字を目にしましたのでご紹介します。(スライドを指して)まず、上に書いたのは、いま身体障害者手帳を持っている聴覚・言語障害者の数で、34万1,000人とのことです。これは平成28年の数字らしいです。その下の総務省の調査で、テレビCMの字幕の付与に関する調査らしいんですけれども、電通の出した報告書によると、難聴自覚者数がものすごい数でした。

難聴自覚者とは、私たちみたいに聞こえない、あるいは難聴の人のほか、手帳を持っていなくても聞き取りに不安を持っている人(の数です)。例えば、片耳難聴の人や、年を取って聞こえなくなってきている人とかです。

いずれにしても、ちょっと聞き取りに不安を感じている人を含みます。15歳から79歳までアンケートを取って、それに基づき推計した数字が3,386万人。これ、すごい数だと思いませんか? 国民の3人に1人が(聴覚に)不安を持っているということになり、ちょっとびっくりしました。

(スライドに)「障害は老いの先取り」と書きました。これは、私が言った言葉なのか、どこかで見た言葉なのか思い出せないんですけれども、なるほどなと思ったので紹介します。

みなさんはいま、普通に歩けて、見えて、聞こえるかもしれないですけれども、年を取れば(どうなるかは)わかりません。どこか具合が悪くなってきます。私だって将来、車椅子を使うことになるかもしれないですし、明日、事故に遭うかもしれないです。

高齢化社会には難聴を実感する人が増えていく

そのときに、「ここには車椅子対応のトイレはないので、諦めて家にこもっていてください」「今日のイベントは字幕も通訳もないので、残念ですが家にこもっていてください」となったら、みなさん、そういう生活を受け入れられるかということです。

先ほども申し上げましたが、嫌ですよね。これから増えるであろう難聴自覚者数……高齢社会になっていけば、耳の聞こえにくくなる人が増えていく。そこにどう対応していくか(が重要です)。

(スライドを指して)右側の図ですが、不当な差別的取扱いの禁止は、もう大原則です。門前払いをしないということを、ルールとして決めます。その上に合理的配慮や福祉と書いたんですけれども、例えば、私が「字幕を付けてください」という合理的配慮をお願いする。他の人は「手話通訳」という合理的配慮をお願いする。あるいは「字幕じゃ文字が多すぎてわからないから、要約したものが欲しいです」と福祉制度を利用する……。

いろんな要望があるわけで、それを図に表してみました。あとは、合理的配慮も福祉も、申し込みや事業者との交渉が必要になってきます。だから「面倒くさいわ」と言って、なにも言わないとか、参加しない人も一定数いると思います。なにも言わずに参加して、結局(その内容が)わからなかったという人も、たくさんいると思います。

私は、そこの部分は環境整備として賄っていくのがいいんじゃないかと思います。環境整備は一応、「障害者差別解消法」にも努力義務としてあります。「不特定多数の障害者を対象として行われる事前的改善措置」です。

例えば、今日は頼まなくても、字幕があったり手話通訳がいる。これは環境整備です。例えばこういう(今日の会場のように)字幕のための設備を導入したり、あるいは施設をバリアフリー化する。それも、頼まれなくても対応していることが、環境整備となります。

もしも明日難聴になっても大丈夫な社会を

設備は、準備したらOKというものではありません。職員の研修も必要です。環境整備が整うと、合理的配慮や福祉制度を使うのと違って、それが当たり前になるんです。合理的配慮はオーダーメイドと考えてください。

頼んでみて、対話を重ねて、自分に合ったものを用意してもらうのが合理的配慮です。だけど、環境整備はもう仕組みとして準備してあるんです。だから当たり前になります。よって、「明日聞こえなくなっても大丈夫」という社会に近づくんです。

また、交渉も必要ありません。聞こえない人が参加することをあらかじめ言っておけば、企業側が準備できます。それが環境整備です。そして、これは、実は障害者でなくても、みなさんにとっても便利なんです。

(たまには)聞き漏らすこともありますよね。そのときに文字として残っていると、目で見ることができて、後で知ることもできる。すごく便利です。実は、障害者にやさしい社会とは、障害のないみなさんにもやさしいんです。

これは運用が大事で、準備しただけで満足してはいけません。準備しても使い方を知らなくて、宝の持ち腐れということもけっこうあります。ちょっと時間もないので(急ぎますが)、「情報保障の推進」として、「障害者だけでなく、都民及び事業者にとっても必要である」と条例にも書いてあります。

では、事例の紹介です。まず、字幕や手話通訳ですが、これを頼んで準備してもらうのは、合理的配慮と言えますけれども、今日のイベントみたいに主催者側が準備するのは、環境整備になります。

そして、「ヒアリングループ」です。聴覚障害の事例の紹介ですけれども、ヒアリングループとは(聞こえを支援する設備で)、こういう会場でループをぐるっと巻いて、補聴器の設定を変えると、聞こえやすくなるというものです。これは、バスやタクシーでも導入されている例があります。

設備を用意するだけでなく、実際に使えるようにすることが重要

次に、案内掲示です。(スライドを指して)右側に写真を載せましたが、これは先日、JAL(の飛行機)に乗ったときのものです。飛行機に搭乗するとき、順番を待つじゃないですか。「今は何番までの人を案内しています」といったものですが、(その声が)聞こえないので、「行っていいのかな?」と、いつもまごつくんです。聴覚障害者は、本当に地味なことで行動できなくて悩んでいます。

でも、これ(写真の案内掲示)があると安心です。「今は何番の方を案内しています」ということも掲示板で出されていました。「何時から」ということも出されているので、ずっとそこに張り付いていなくても大丈夫でした。

(スライドを指して)左側の写真は「UDCast」というもので、自動で音声放送が端末にぽんぽんと出てくるのですが、こういうものを導入するのもいいかなと思っています。

そして、筆談ボードです。よく窓口に耳マークを付けて、「筆談で対応しています」と(しているところがありますが)、あれも環境整備です。筆談できる準備をしているという意味で、環境整備ですね。

呼び出しブザーは、フードコートとかで(料理を)待つときに渡されますよね。ブルブルと震えるので、聞こえなくても取りに行くことができる。そういう仕組みを作ることが環境整備です。

「UDCast」は先ほど言いました。「UDトーク」は、みなさんはご存知かわからないんですけれども、音声認識で話し声が字幕になるというアプリです。誰でも使えるんですけれども、役所の窓口とかでも使われているんです。そういう設備を準備するのも環境整備ですね。

何度も言いますが、準備するだけではなく、運用が大事です。そこに(用意して)あるだけで満足しちゃ駄目なんです。ちゃんと使えるようにしないと駄目です。

運用が大事だと繰り返し言うのは、結局使えないことがよくあるからなんです。「聴覚障害者の方のために、こういう設備を準備しています」と言われて、それを私が「あ、使えるんだ」と思って問い合わせると、「それを使えるような会議ではない」とか、マイクを使わないといけない設備なので、「その会議、みなさんマイクを使うんですか?」と聞くと、「みなさん使いません」とか「部屋が防音ではないので使いません」とか言うんです。

じゃあ、いつ使うために準備しているんですか、というやりとりもあるんです。職員も、聴覚障害者のための設備であるとしか知らず、使い方はよく分かっていない。正しい説明ができず、設備も使われない。だから、運用が大事なんです。

バリアフリーは、仕組み化・ルール化で実現する

(スライドを指して)これは、私がツアーに参加したときに、「UDトーク」を使った事例です。添乗員の方が話しているのを文字にしています。これ(スライド)くらい認識すれば、ゼロよりもぜんぜんマシで、(ツアーを)ものすごく楽しめました。

北海道(へのツアー)だったんですが、スタッフの方が、「昔、自分が北海道に来たときに、こういうことがありました」みたいな話もしてくれたんです。ふだんだと、そういうことはぜんぜんわからず、いたたまれない気持ちになってくるんです。「私、ここにいていいのかな」と。だけどこれを見て、すごく楽しむことができました。

(スライドを指して)最後にまとめです。私は、心のバリアフリーという言葉を最近よく聞くんですけれども、実際は、「あんまり意味ないんじゃないかな」と思っているんです。こんなことを言うと、身も蓋もないという感じなんですけれども。

みなさんみたいに(今日、この会場に)来てくれるような人は、もう心のバリアフリーの準備ができているんです。でも、世の中には、そうでない人が大半なんです。

「聞こえない人? 見えない人? うん、知らない」という感じです。だから、どう対応していいかもわからないんですね。だから、私は心のバリアフリーよりも、環境整備を進めてほしい。「すごい機械を導入してください」というのではなく、ルールと仕組みにするんです。

例えば「『UDトーク』を使ってこのツアーに参加したい」と言われたら、それに対応するというルールでもいいんです。あるいは、「『UDトーク』を準備しています」というのも環境整備です。だから、仕組み化・ルール化をしてほしいです。

先ほどの高速バスの例で言えば、「談合坂でトイレ休憩を15分とります」ということを、バスの左上の掲示できるスペースに書いてくれるだけでいいんです。それをルール化してほしい。それも環境整備です。すごく優しい人や手話ができる人など、そういう個人に、聴覚障害者への対応の負担を課すのではありません。そうやって少しずつバリアを除去していきたいです。

大切な人が難聴になっても、絶望しない社会を作りたい

あとは、聞こえない人や障害を持っている人に負担や制限を課すのではなく、誰もが参加できる社会になってほしいと思っています。そして聞こえなくなっても絶望しない社会にしたいと思っています。

交渉して、「お金がないから字幕は無理です」と言われることもある。イベントに参加できないときは、やっぱりすごく悔しいです。私は絶望しました。だけど、大切な人や友達が明日聞こえなくなっても、絶望しない社会を作りたいなと思って、みなさんにこうして話をしています。

ちょっと駆け足になってしまったんですけれども、これで私の話は終わります。どうもありがとうございました。

(会場拍手)

司会者:久保さん、どうもありがとうございました。質問を受け付けてもよろしいですか?

久保:はい、大丈夫です。

司会者:では、質問のある方は挙手をお願いいたします。せっかくの機会ですので、ぜひおうかがいしたいなということがあれば、質問をお願いします。

自分の言いたいことややってほしいことは率直に言うほうがいい

質問者1:有益なお話をありがとうございます。お尋ねしますけれども、自ら難聴である、障害があるということをアピールすることに躊躇する、あるいは恥じらいがあるといったように……積極的に「私は、ここが難しいの」ということを、いろんな社会の出会いの場でアピールすることに抵抗はあるんですか?

久保:抵抗のある方もいると思いますし、私もいまはこうしてしゃべっていますけれども、6年くらい前までは(そうしたことが)言えませんでした。なんとなく、劣っているというふうに考えてしまって、言いにくい。でも、そうすると仕事もできないんです。なので、もし言えない方いらっしゃったら、自分の言いたいこと、やってほしいことは、率直に相手に言ってみるのがいいかなと考えています。

質問者1:避難所の運営に関わったことがあります。障害がわかった段階で、健常者を1人添えるという仕組みを作ったことがあるんですが、旅行の場でも、シンポジウムの場でも、なにかの出会いの場でも、それを応用した対応が可能じゃないかと思います。そういう意味では、あまりヘジテイトしない(ためらわない)で、共生できるように、積極的にますます奮闘されるようお願いして、私の質問を終わります。

久保:ありがとうございます。

司会者:どうもありがとうございます。では、あと1つ、お受けしたいと思います。いかがでしょうか?

質問者2:お話をありがとうございます。手話には2つくらい種類があって、手話の種類によってはわかりづらい方がいたり……また手話が中心の方は文字が表示されていても、それを理解するのがちょっと難しい人もいるということを聞いたことがあります。いまのお話の中で、こういった場でのサポートとなる「UDトーク」などは、文字が中心かと思います。

文字と手話、また2種類の手話のうち、全部できたらいいけれども、その中で汎用性が一番高いのはどれでしょうか?

手話には2種類あり、難聴でも手話がわかるとは限らない

久保:ちょっと難しいご質問だと思うんですけれども(笑)。どうやって情報を保障すればいいのか、というところですよね。「手話だけでいいのか、字幕だけでいいのか」という問題がまずありますが、どっちかだけでは駄目なんです。両方ないと本当は駄目ですね。「今日は手話通訳がありますから来てください」と言われても、私は、手話を見てもあまりわからないんです。

だから、文字と手話の両方が必要ということが、まず1つあります。いま、お話があったように、手話には2つの種類があるといわれています。日本語に対応した手話……私が話している言葉の順番に合わせて手話で表すという「日本語対応手話」と、「日本手話」といって、生まれつき聞こえないろう者の方々が使っている、言語としての手話があるんです。

それは、日本語とは文法もぜんぜん違うんです。だから、「日本語対応手話」でろう者の方に表現しても、「ん? わかんない」となることもあるんです。例えば、NHKで流れる官邸での記者会見とかで、手話通訳をする方がいるじゃないですか。聞こえない人の中には、あれを見てもわからないという人もいると聞いたこともあります。なので、そこはどっちがいいとか、悪いという話ではありません。

私は手話ユーザーではないので、どっちであるべきとかをここで申し上げることはできないんですけれども、通訳の方は、知る限りでは「日本語対応手話」を勉強されている方が多いのかなと思います。

司会者:どうもありがとうございます。よろしいでしょうか? では以上をもちまして、質問は終わりとさせていただきます。どうもありがとうございました。

(会場拍手)