研究室に閉じこもりがちな日本の大学生

稲蔭正彦氏(以下、稲蔭):みなさま、ありがとうございました。日本の大学には研究室という制度があることによって、1人の教授と、その下にいるたくさんの学生たちのユニットで、なかなかその箱から飛び出さない傾向があるんです。

私はかねてからこれが非常に大きな問題だと思っていて、KMD(慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科)では研究室制度を撤廃しているんです。

これまでは、どのように殻を破って他と連携するかが、意外と大学人は不得意でした。なのでSHIBUYA QWSのような出会いの場があったときに、我々はその出会いを有効活用できるかどうかという観点(があります)。

みなさんのこれまでのご経験を含めて、「いや、意外と自分の分野とまったく違う人と出会ったことで、こんなおもしろいことが起こったよ」ということはありますでしょうか。これを巷ではセレンディピティとも呼ぶのですが。偶然の出会いということです。

我々の身の回りのさまざまなクリエイティブでも、使っている製品やサービスが意外とそういった偶然の出会いから誕生しているものがあります。そういう観点から、どなたでもいいのですが、「そういえば、こういうような出会いから私のプロジェクトが動いた」など、「大学がこんなふうに活性化した」みたいなものは何かございますか? では田中先生、お願いいたします。

落書きがグラフィティアートに変わると、街も変わる

田中愛治氏(以下、田中):2つ申し上げます。1つは私の教え子なのですが、寺井元一くんという方がいます。政経学部で政治学を学んでいて、大学院で修士の1年までやったのですが、その頃から彼はいろんな活動をしていました。

彼はたぶん、渋谷に友だちがいたんですよね。それでけっこうここにも来ていました。当時渋谷のセンター街などでは落書きがすごくて、どんどん横行して各商店が困っていたんです。それを商店の方が一生懸命消していたんですね。

そこで寺井くんは、落書きしている人たちと相当コミュミケートをして、きれいな落書きを壁に描くことを始めました。ものすごくきれいなグレードの高い落書きを描くと、グレードの低い落書きを描く人は描けなくなるんです。

(一同笑)

それで街をどんどんきれいにしていくということをやるんですよね。それを商店の方と一緒に共同してやっていったんです。私は渋谷に近いところ、世田谷の松原町で生まれ育ったもので、渋谷はいつも買い物に来る町だったんです。

その後センター街がすごく有名になって、私が教え始めた頃には教え子たちがそういう渋谷に来るのですが、寺井くんがやったことはすごくインパクトがあったなと思いました。

たぶん彼も、渋谷でそういう出会いがあったんだと思います。今や彼は、いろんな町に行って、シャッター街ができているところを居住空間にするというプロジェクトを組んで、さまざまなボランティアの方や企業の支援を受けています。いろんなアイデアが出てくるんです。それが1つです。

文化的なものと科学は融合可能

田中:もう1つは、私自身の分野が政治学なので、ほとんど理数とは関係ないと思っていたんですね。昔は大型計算機を回していましたけれど、それは単にユーザとして使っていたんです。それがここ10年くらいでは、政治学・経済学でfMRIを使っているんです。

MRIで脳の動きを見ていきます。我々のやっていることでは、例えば、政党や政治家に100度から0度の感情移入を使っています。最もいいと思っているところには100度、中立な場合には50度、すごく嫌だと思うのは0度と、その点数をつけさせるんです。

fMRIでその点数つけてもらうのを合わせると、100点や80点をつけている場合には、脳の「心地良い」という部位が赤くなる。血液がそこに入るからです。そして0点とか20点とかをつけている場合には、脳の「嫌だ」という部分、不快な感情のところが赤くなります。

これは別に政治だけじゃないと思うんです。例えば渋谷でもそうですが、住んでいる人たちが、こういうものに関してはcomfortableだと思うことを、科学的な根拠でエビデンスを出して見れるということなんですね。

だからアメニティや文化、美術、comfortable(心地良さ)、そういう文化的なものでも政治でもそうですけれど、そういう文系なものと科学をくっつけることができると思うようになりました。

例えば、早稲田というとなんとなく渋谷じゃないイメージですが、早稲田の理工がある西早稲田は、副都心線で11分です。東大の駒場には敵わないですが、東京都市大学や慶応の三田よりは近いです。

稲蔭:もうちょっと乗っていただくと日吉キャンパスに着きますね(笑)。

(会場笑)

田中:そうですね(笑)。早稲田も日吉までもう一直線ですから、一緒にいろんなことができるようになると思います。

セレンディピティまでの道のりは、意外と泥臭い

稲蔭:ありがとうございます(笑)。先ほど野原先生は翻訳(のお話をされました)。翻訳はすごく大事だと思うんですよね。やはりこういった出会いをするときに、出会ったけれど相手の言っていることがよくわからない(ことがあります)。

同じ日本語を使って、同じ言葉を使っていても、分野によってまったく意味が違う点もけっこうあります。逆に出会ったことで誤解を招いてケンカになってしまうことも起こると思うんです。そういう観点から、翻訳と出会いについて、もう少しご説明いただけますか?

野原佳代子氏(以下、野原):はい。お話をうかがった中で、セレンディピティというととてもドラマティックですし、素敵ですよね。出会いからなにか素敵なことが起こることが期待されるわけですが、それまでの道のりは個人の力仕事の積み上げで、非常に泥臭いものがあると思うわけです。

とても日常的な例なのですが、私は言語学をやってきて、東工大に職を得た時点でセレンディピティが待っていたのだと思っています。例えば、私が入って2年目くらいに「情報社会とコミュニケーション」という学部生の授業を持って、90名近い学生を教えたことが何年かあるんです。

そのときに若い学生さんたちと知り合って、例えばキャンパスで朝すれ違いますよね。知っている学生だと思って、私が「おはようございます」と言うじゃないですか。そうすると「はい」って言うんですよ。

(一同笑)

「おはようございます」「はい」なんですね。「ん?」と最初は思ったんですけれど、これが1回や2回じゃないんです。割と起こるんですよ。

伝わらない経験から翻訳がはじまる

野原:私は不思議に思って、あるとき1人つかまえて、「『はい』はないだろう」と言ってみたんですよ。

(会場笑)

「おはようございます」と私が言ったら、普通「おはようございます」だろう、と言ったんです。言語学では、そういうものを隣接応答ペアというんですよ(笑)。

当たり前のようなんですけれど、「こう言ったら普通こうだよね」(と認識できる言葉がある)。それでお互いの危機はなく、「私たちのコミュニケーションは円滑だね」ということを確認し合って次へ行く機能があるわけです。なので「はい」と言われると、なんだかざわつくわけです。

そういうのがまさに社会言語の違いなんですね。これが東工大の中であっても、私が来た段階で起こる。ということは、東工大の学生が渋谷に来てアート系の学生と出会う、あるいはビジネス、彼らの技術に興味がある方と出会うと、こんなスキルではなく、いろいろな齟齬や誤解や「何言ってんだおまえ」ということがきっと起こるに違いないと、私は楽しみにしているわけです(笑)。

(会場笑)

それこそが、まさに翻訳を考えなくてはいけないことです。「この人を怒らせてしまった」「じゃあ次どうしようか」ですよね。伝わらなかった。じゃあどう言い換えてわかってもらおうか。あるいは怒らせそうだということがわかったら、最初から言い方を変える。あるいは「これは言わなくていいんじゃないか」こういった翻訳・社会翻訳・日常翻訳ですね。

そういう学生を引き取って育ててはまた出店に出す、というようなことが翻訳作業では必要なのかなと私は思っています。

文化の違いが数多くの“視点”を生み出す

稲蔭:ありがとうございます。みなさんのお手元にある岡山先生の資料を見ていただくと、世田谷区の教育会や地域運営学校委員とあり、そういう地域との接点がすごく強いように感じます。まさしく大学人が地域と接すると、今のような誤解を含むミスコミュニケーションが起こりやすいのですが、ご自身の経験でなにかありますでしょうか?

岡山理香氏(以下、岡山):地域とのことですか? 商店街が大学に行く道すがらにあるんですけれども、今その商店街とけっこう連携をしています。この間も「おやまちカフェ」(をやりました)。小山台の小山のカフェみたいなものです。

商店街の人たち、そこに住む人たちと、大学の教員などがお酒屋さんに集まって「ちょっと一杯」というプロジェクトをやっています。まさに進行中のことです。今はあまり問題はないのですが、今からそれをどんどんやっていこうという感じです。

稲蔭:今のお話のような、「おはようございます」「はい」みたいなカルチャーギャップ、カルチャーショックはなかったんですか?(笑)。

岡山:細かいところではあります(笑)。でも大きいところでは、やっぱり自分たちの地区を愛していますから、その思いで(やっています)。

稲蔭:愛が大事ということですね。

岡山:かな、と思います(笑)。

稲蔭:スプツニ子!さんはイギリス、アメリカ、特にボストン、グローバルな活動をされていますが、その中でとくにカルチャーコミュニケーションギャップは必ずあると思うんです。そういう観点から、出会いに至るところでそのギャップを感じたら、いかにそれを乗り越えておもしろいプロジェクトにしたというお話をたくさんお持ちだと思うんです。

スプツニ子!氏(以下、スプツニ子!):やっぱり文化が違うということは、より多くの視点でテクノロジーを見つめることができます。AIにせよ、ブロックチェーンにせよ、さまざまな用途を想像できるというのはすごい強みだと思うんですよね。

現状の大学は、イノベーションからもっとも遠い保守的な場所

スプツニ子!:それ以外にも1つ、例えば日本で、すごく大きな大企業さんやベンチャー、あと東京大学のように非常に歴史のある大学、そういう組織と関わってすごく感じることがあるんです。

やっぱり大学は歴史があるものなので、伝統と歴史がとても素晴らしいことがありながらも、それが生み出してしまうルールにがんじがらめになってしまう。全速力で走りたいのに、(組織が)大きいために動きづらいというのは大学だけじゃなく大企業にもあると思うんですよね。

逆に、スタートアップは非常に身軽なので全速力で走ることができる。例えば「こういう方が特任研究員で大学に来たらいいのに」と思っても、ルールをよく見ると「特任研究員になるには修士以上の学位が必要」とあるんです。(そういうものが)こまごまあるんですよ。

全速力で走りたいときにそれができないのがもったいないなと思うときがあります。もしかすると、こういうプラットフォームは、大学が全速力で動きたいとき、代わりに一緒に動ける、ある種のグレーゾーン……と言ったら怒られるのかもしれないですけど(笑)。やりたいことを実現するためのグレーゾーンになれたらいいなと思いますね。

稲蔭:なるほど。大学の総長がいらっしゃるところで。

(会場笑)

かなり勇気のあるご発言でありますが(笑)。私も同感です。大学はもっとも保守的で、もっともイノベーションだと言いながら一番イノベーションが遅れている状態だと思うんですよね。その頂点である東京大学に今回のテーマは、野城先生、どうですか? 

「出会い」までは普通で、そこから育てるのが大事だとおっしゃられていましたね。今の超保守的なグループである高等教育で、「出会い」を育てて、本当に社会と一緒になってやっていくプロセスを我々がつくれるんだろうか。それは、私自身も含めてすごくチャレンジだと思うのですが、どうでしょうか?

SHIBUYA QWSを「保健室」と呼んでみては?

野城智也氏(以下、野城):そうですね。大きな変化は中でだいぶ起きています。先ほどのお話にあったプログラムは典型的ですし、野原先生がされているプロジェクトもそうです。デザインという言葉を使って、なにか新しい教育をしていこうという動きもあります。

学生のほうも、「縦割り教育だとダメだよな」という漠然とした意識があるので、そういったプログラムをつくると非常に興味を示します。うっかりすると(講義が)満員御礼で、(履修したくても定員オーバーで)学生も大変になってしまう。

そういうことを中で抱えていらっしゃると思うんですよね。学生は今日から就職説明会が始まったみたいですけれども、実際にそういう方向へ行く学生が圧倒的に多いんです。

スタートアップ企業に加わる、あるいはスタートアップ企業をつくる学生の数が確実に増えていることがあるので、この渋谷という場所はいいはずなんですけれど。このSHIBUYA QWSという場所を「保健室」と呼んだら変でしょうか。

中学校で上靴を隠された子が保健室に行っていろいろ話をするような、そういうものでもいいなと思うんです。はじめは東大のキャンパスで(今日集まるのは)1人か2人かなと思っていたんですよ。

でも、早稲田や日吉から来てくれて、仲間ができていく。それはそれで社会全体ではとてもすばらしいことだと思います。そういうふうな場になっていってもいいのかなとは思いますね。

稲蔭:なるほど、保健室。キューズの担当の方は、保健室を次の説明会の資料にちょっと入れていただければ(笑)。