常識とは、18歳までに身につけた「偏見のコレクション」

野水克也氏:ただ、我々はそう簡単に変わることはできない。「さあ、どうしよう」という悩みの旅が始まるわけでございます。

でも、アインシュタインは良いことを言いますよね。「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクションのことを言う」。要するに、18歳までに身につけたことはだいたい無駄だと。だいたい偏見であると。それがあなたの成長を邪魔すると言っているわけです。きっついですよね。

僕の18歳はこれ(ヤンキー)ですから。このメンタリティをどうやって今に合わせるかということを講じていかなきゃいけない。そういう長い旅が始まるんです。とはいえ、考えている時間はないです。人生の後半は、だいたい突然やってきます。人生の転機は本当に突然やってくるわけです。

一番感じるのは自分の体力です。徹夜ができなくなる。18時を過ぎると思考力が急速に落ちてくる。それから病気がちになったり、健康診断で黄色信号や赤信号がいっぱい出て、ダイエットで走らなきゃいけないということになってしまったりする。そういうことがあるんですけれども、実は下り坂の恐怖というのはここじゃないんですよ。

本当に怖いのは……人生オーナス期と書いてありますけれども、ボーナス期が上に上がるとして、オーナス期は下がるということです。下がることで一番怖いのは、1個目はビジネスモデルが変わる恐怖なんです。

例えばそれまでは、ストックよりイニシャルで最初に儲けて、欲しかったらサービスでもいいや、という売り方でやっていたのも、ぜんぜん違うものになる。例えばサイボウズでは、いままでそうやってパッケージソフトで食っているわけです。「来年からクラウドへ行く」「ク、クラウド?……クラウド??」というわけです。

そんなに大げさには驚いていないですけれども、年額というか「ずっと継続する」というのと、「最初に(儲けを)取る」というのは、けっこう違いがあるわけですよね。そこのところでまず、自分が適応できないんじゃないか。この先も適応し続けられないんじゃないかという恐怖。

もう1つが、支援者が消えていくんです。自分の能力が劣ってくるわけではなくて、自分1人で仕事をしているわけではないから、いろいろな方に支えられて今まで生きてきたわけです。ここまで支えているのは、だいたい年上なわけです。

上の方がレールを敷いてくれて、先輩方に教わって、年上の取引先に仕事をもらって、自分は仕事ができている。でもそれは、上のせいじゃなくて俺の実力だと思い込んでいるわけですよ。ところが、ここでわかるわけです。糸を引くように、上の世代の人がみんな引退するわけですよ。

40代、50代がどうしても避けられない人生の転機

(同世代が)引退すると、「さて、どうしよう」というところになってきます。「自分もか?」という感じです。(スライドにある)こんな感じのものが頭に浮かんだりはしますけれども、そんなわけにはいかないわけですよ。

子ども(もいますし、妻は専業主婦)、みんなそうですよね。今さら言うまでもない。この当時は、サイボウズの給料も安くて、生活がカツカツです。この中で我々が「こう生きていこう」ということをやって。事実上、初めて自分の力で自分の人生を考えなきゃいけないというところが、たぶん40代の転機。

業界で言ったら50代が転機のところもあるとは思いますけれども、だいたいそういうところになってくるわけです。

部長をやったあとでどうなったかと言うと、1個SaaS事業をやりました。今で言うクラウド事業です。「俺もやってみよう、できるはずだ」とやったんですけれども、見事なくらいに大ゴケしました。

kintoneが出ていない頃で、(敗因の1つには)時代が早すぎたということ。(そして)「いまの消費者」……要するに「自分より10個以上も年下の世代(30代)が、なにに食いつくか」ということを理解していないわけです。

僕らは今まで「自分と同世代の人がこうやったら食いつくだろう」という勘でやってきて、ことごとく当たってきたのに、それが大外れするわけです。結果的にそういうことなんです。

それで、ここに至ってさすがに人生の選択肢を考えざるを得なくなったんです。選択肢はいっぱいあります。1個目は転職、移っちゃう。一応、その頃のサイボウズはそこそこ大きい会社になっていて、そこで「マーケティング部長を5年やりました」と言ったら、いろいろなところで「いけるな」というのはありました。実際に誘いの声もいろいろかかりました。

2つ目は、組織の中でもう1回ピラミッドを駆け上がるという手があります。駆け上がれるかどうかということです。3つ目が、組織の中にいるけど、それとは別の道を歩む、という道があります。

それで、もう1つはあきらめてぶら下がる。若い方が聞いたらたぶん、「ふざけるなよ」と思うでしょうけれども、実際には選択肢として「あり」です。なぜかと言ったら、ぶら下がらなかったら妻子が食えないですから。

会社のみんなも当然大事です。大事ですけれども、自分の家族がなにより大事ですから。逆に年下の方には、要するに逃げるに逃げられない方々がいるんだということを若干ご理解いただけるとうれしいなと思います。

40歳を過ぎて、嫌いなこと・苦手なことをやっている時間はない

セカンドステージの選び方講座です。そもそも体力が落ちている方が、「自分の稼ぎやキャリアを伸ばしていこう」というのは、なかなか大変なことであります。まず、好き軸と得意軸の2つにわけます。1つ目は、「好きだけど得意じゃない」。ありますよね。

僕はたまにパソコンゲームをやるんです。やり過ぎると仕事に差し障るのでやめるんですけど、下手くそなんですよ、ぜんぜん点数が上がらないんですよね。これは、儲からない。非常に楽しいんだけど、儲からないと妻子を食わせられないです。これは困りますね。

2番目は、「好きで得意」。これはバッチリですよ。人生そんなことばかりじゃないんですけども。「苦手で好きじゃない」。これは最初からやっちゃだめです。こんなところは絶対に選択しちゃだめです。これを選択してしまう人が、まれにいるんです。自分が苦手な配置転換を受け入れて、しかも好きじゃない仕事をやり続ける。「あと20年、これでいいんですか?」という感じになるんです。周りも自分も不幸です。

もう1つは、「得意だけれど好きじゃない」という仕事も、いっぱいあるんです。要するに、言われたらやるし、みんなから「すごいね!」と言われるけど、やっている本人はモチベーションが上がらないという仕事が世の中にあるんです。これは長続きしないです。どうやってここ(楽しい)に寄せていくかというところなんです。

ここ(得意で好きじゃない)の仕事がベースとして頼まれるからやるけど、最低限にしておきながら、ここ(好きで得意)の仕事をどう食えるように持っていくか。そういうところにキャリアをもっていかなきゃいけない。それで、左下の(苦手で好きじゃない)仕事は明らかに断るんです。

「今はそれしか道がない」と言っても、5年後・10年後の自分を考えた場合に、(今が)45歳だったら、昔は55歳で引退すればよかったんですけど、今は70歳まで働かなきゃいけないんです。「70歳までそれでいいんですか?」という話になってしまうわけです。

それで、「40歳を過ぎて、嫌いなこと・苦手なことをやっている時間は、俺にはないな」と思って、「好きなことだけやろう」と決心しました。当然いろいろなところと調整は必要になってきます。

職業は「プロデューサー」と「職人」の2種類に分けられる

職業には大きく2種類あると思っています。人間の特性と言ってもいいんですけれども、1つにはプロデューサーという人です。プロデューサーは、基本的には「誰かになにかをやってもらう人」です。

この人たちは、何によって生計を立てるかと言うと、人と人とをつなぐのが仕事なわけですよ。この人たちは、わりと上のキャリアのほうが楽です。だって、年をとったらこういう仕事のほうがぜんぜん重宝されますから。でも、残念ながら僕は反対側だったんです。職人なんです。

残念ながら人と人とを結ぶのがそんなに得意ではないし、なにかあったら自分でやりたがる人なんです。誰もやってくれないから自分で発信するのが仕事なわけですよね。マーケッターの場合は、自分で発信すると。自分でなにかを作ることが仕事になってきて。要するに「好きで得意」ということです。

僕はこっち(職人)が好きだし、得意だったんです。でも、マネージャーの道というのは、本当はここ(プロデューサー)なんですよね。要するに、向いていなかったということですよ。今でもそこそこやる自信はあるけど、やっぱり長くは続かなかったと思うんです。

それで、自分の特性を考えました。

職業をいっぱいやっているから、器用貧乏なんです……後ろの(貧乏の)2文字はいらないんですけど。残念ながら「どこかの分野に飛びぬけているものがない」ということは、必然的に「金が儲からない」ということになりますので、どうしても貧乏になっていくと。これをどう生かすかということで、次を考えるわけです。

それで、自分の仕事として「これをやります」と会社に言ったのは、フェローという肩書きです。だいたい名刺交換で、「サイボウズの社長室でフェローをしております、野水と申します」と言うと、向こうの目が「お前、偉いのか偉くないのかどっちやねん」というように泳いでいるわけです。

「放っておいてくれ」と思うんですけれども、逆に言うとこの肩書き(フェロー)のステータスを上げるか下げるかは自分次第ということを自分で選択しました。本当は「◯◯部長ってつけるか?」「エバンジェリストってつけるか?」とか、いろいろ言われたんですけれども、それらの仕事はもう確立されているわけです。

確立されていると色眼鏡で見られるので、逆に(フェローは)けっこうあいまいになんでも使えるというところがあって、自分のキャリアが自分で作れると。逆に言えば、日本で一番有名なフェローにはなれないと思いますけれど、IT業界で相当有名なフェローにはなれるかもしれないと思って、自分で自分の道を選択してみたというわけです。

「干されている」と思われていたときになにをしていたか

それからやってきたことです。僕自身は必死でやっていたので、よく覚えていなかったりするんですけど、後輩からは、「ブログとかを始めていろいろ発信している人だな」と思われていました。

いきなり社会に発信し出すわけです。「バブル世代もクラウドへGO!」って、自分の対象範囲はここだという得意範囲を絞って、書き始めたというところがありました。最近はぜんぜんサボっているんですけど、当時はランキングはけっこういいところにいっていました。

「若い人の依頼で、小さいセミナーなどによく出ていく人だな」と思われていたみたいです。それから、「事例取材を無料でやってくれる人」。このへんからカメラの仕事をもう1回始めて、「便利な人だな」と思われていました。それで、「ぜんぜん社内にいない人だな」と思われていました。はっきり言えば、干されていると思われている。

誰に聞いても「干されている」と言われているんですよ。僕自身は今まで仕事が絶えたことないので、一度も「干されている」という感覚はないわけです。

それで、僕がどう考えていたかと言うと、こう考えていました。

まず、不足している社外価値(を上げていく)。今までマネージャーをしていたわけで、そうするとあまり外に出ていかないので、自分の社外の評判はぜんぜんない状態です。

まず、これを上げなければいけないから、外に対しての発信力ということで。僕はそんなに外交的なほうではないので、そうなるとブログということになって……さっきの部下Oのことを言えなくなったんですけど、おしゃべりキーボードというような活動を新たにやることが1つです。

次がセミナー。小さい現場でも行く。べつに「小さい現場でも仕方ない」と言っていたわけではなくて、僕はどんなに小さい現場でも(依頼を)取りに行きました。なんでかと言うと、数をこなさないと実力がつかないから。セミナーなんて、正直やった回数の分だけうまくなるんです。ダラダラやっていたらだめです。

毎回違う内容……昨日と違うセミナーを今日はやる。明日は今日と違うセミナーをやる。明後日は明日と違うセミナーをやる。それぞれ、お客さまに合わせたことを毎日考えていく。そこだけに集中するんです。

そこだけに集中すれば、人数が少なくてもそんなに気にならないですよね。さすがに九州まで行ったセミナーで1回7人という時があって、「もう勘弁してくれ」と言った時はありますけれども。そこまでいかなかったら、そんなに気にならないです。

予定調和の世界の外で見つけた自分の存在価値

あとは、お客さまのところへよく行く人(と思われていました)。事例取材に行く人。だって、事例取材が一番勉強になりますよね。しかも事例取材に行くくらいですから、いいお客さまなわけです。そんないいお客さまのところに、営業として行くと、「アイツ、横取りに来た」というふうに嫌われます。でも、事例取材のカメラマンとして行く分には、まったくオーケーなわけです。

そうやって今の知り合いというか、サイボウズに出ている有名なユーザーさんとどんどん知り合いになっていくことができました。

もう1つ、社内にいなかったというのは、どのみちマネージャーをやめてからしばらくの間は、会社側もどうしてもそいつの影響力を排除しようと思うわけです。だって、次の人もやりにくくてしょうがないですから。

これはもう、仕方がないと受け入れるしかないです。受け入れた時に自分は何をするのかと言うと、社内にいないほうがいいです。いたら言いたくなりますから、見たら言いたくなりますから、いないほうがいい。そういうわけで、しばらくはこの活動を延々と続けていました。

それで、いろいろな活動をしていくわけです。例えば、愛媛の山の中でセンサーの配線をしたり。電気工事士(の資格を)一応持っていますから。元建設業ですから、こういう時に特技が生きるんですけど、本当にミカン畑の上でいろいろなことをやっていたりとか、泊まり込んでそういうことをしているわけです。楽しかったですよ。僕は、こういうことがけっこう好きなんです。

あとは、業界トップに行きそうな人に飛び込み営業。本当に業界のトップにいる人に営業をすることは無理です。無理なので、若手の中で次に行く人。例えば、医療の学会などに出て、2日間ずっと講義を聞き続けるわけです。

いろいろなセッションをぜんぶ聞いて学ぶわけなんですけど、その中から、「この人イケそう」という自分の勘です。そう思った人に対して、どんどんアプローチして、そこに入れてもらうということをやっていくわけです。それから、業界団体の委員や国会議員にヒアリングなど。見てのとおり、僕にはまったく似つかわしくない仕事だと思います。

なぜ(かと言うと)、彼らはだいたい東大を出ています。それでエリートコースをひた走っている人。僕なんか元ヤンキーですから、「話が合わないな」とは思うんですけど、なぜ(ヒアリングに)行ったかと言うと好奇心です。すでに自分が苦手だとわかっている仕事は捨てればいいんですけれども、例えば、現実としてやったことのない仕事をやってみる。

そうすると、新しい発見があります。こういうところで、「僕の存在価値があるな」と思ってこられました。みんな予定調和の世界でやっているので、それこそ、さっきも言った某Y副社長じゃないですけど、「そもそもこの補助金っているんですか? いらないんじゃないですか?」と(言ってみる)。みんな「えええ⁉」という感じで、有識者会議で言えてしまうわけですよね。こういう役割が俺にあったんだというわけです。

社内の顔色は見ずに、自分自身と戦う

あと、イベントでのカメラマンとか。こういう有識者会議に出ていったあとに、イベントに行ってカメラマンをしたり。会社の代表カメラ(マン)がいないから、「お前やれ」とか言われてやるんですけど、うしろで見ていると同世代のカメラマンがいっぱいいらっしゃいます。テレビ業界とか本職の方々です。見ていると、昔からなんの変化もないわけです。

「俺、ひょっとしたらもう1回カメラで食べられるんじゃないか」と思って。

副業を始めようと思ったのは、実はこれ(イベントでのカメラマン)がきっかけだったりしたんです。あとはUstreamという動画配信があったので、そういうところにも挑戦しました。とにかく、やれることはなんでもやってみたわけです。

それで、今はなんとなく「エバンジェリストの方で、なんとなく先端を知っているけれども、とくに地方や中小企業の持続可能性に強い」というところで僕は認知されていて、そういうお題でセミナーとかのタイトルをいただくことが多くなる。なんとか今の立場に来ることができたということです。

ここから先、「似たような境遇のみなさまへ」、もしくは若い方で「これから似たような境遇になるかもしれない方々へ」ということで、いくつか自分が学んだことを伝えたいと思います。

一番先に戦う相手は自分自身です。

それまでは上の人が引っ張り上げてくれるので、上の顔色を見ているのは当たり前なんです。ところが、40歳を過ぎると、顔色を見たってしょうがないじゃないですか。自分に仕事をくれる人は自分より下なんですから。だから、もう顔色を見てもしょうがないので、戦う相手は自分自身です。

あとは時代の変化。「昔と違って、今は時代の変化が激しくて、俺ついていけないわ」。(こういうのは)絶対に言い訳ですから。

証拠をお見せしますね。(トヨタクラウンの1987年モデルの写真を指して)これは、トヨタクラウン。30年前です。

(トヨタクラウンの2018年モデルの写真を指して)今、かっこよくはなりました。でも、車の基本形はそんなに変わっていないです。

飛行機にして(時代の変化を)見ましょう。ライト兄弟が初めて空を飛んだのは1903年でございます。(1903年に初飛行したライトフライヤー号の写真を指して)最大高度9メートル。航続距離0.26キロメートルだったんです。30年後どうなったか。

(1935年に初飛行したダグラスDC-3の写真を指して)これですよ。ダグラスDC-3で、最大高度約7,100メートル、航続距離2,420キロメートルです。ここまで30年で進歩するんですよ。これでも、発明してから30年だから発達するのは当たり前だと思うかもしれない。では、この30年後どうだったか。

(1969年に打ち上げられたアポロ11号の写真を指して)この30年後、月に行きました。60年の間にこれだけ変化しているわけです。これだけ、相当違いますよね。

それに対して、コンピューターは確かに発達しました。1982年にPC9801が発売されました。

37年後、ハードはそんなに変わっていないですよ。CPUなどが速くなっただけ、というところがあります。

もう1個いきましょうか。カメラです。デジカメ革命がありました。(1987年に発売されたキャノンEOS650の写真を指して)これはデジカメになる前のフィルムの初めてのEOSです。

30年後にどうなったか。(2016年に発売されたキャノンEOS 5D MARK Ⅳを指して)形は一緒です。裏側が変わっただけです。

人生で一番大事なものは「好奇心」

本当に、僕らの生活は変わっていないんですよ。この30年間、世界的にも稀有な戦争もなければ革命もないわけです。大正時代とかに生まれたら大変ですよ。恐慌があって、不景気があって、戦争があって、価値観が変わって、占領されるわけですよね。そんな30年に比べたら今の30年って、「なんですか、この変わらない時代は」ということになります。

だから、デジタル化されたからといって、我々の生活がとくに変わったわけではなくて、実は僕らは、江戸時代以来、もっとも変化の少ない30年を過ごしてきているんですよ。だから、変わらないのは時代についていけないのではなくて、我々が怠けているだけなんです。

それで、もう1つ、年下から学びましょうという話です。1つには先生としてです。自分のセンスがわからなかったら、年下のセンスに頼るしかないわけです。時代遅れですから。我々にとって同年代の人もだんだん購買層から退いていくと、時代遅れになっていますから、若い人に聞くしかないんです。

もう1つは、仕事をくれるのは年下しかいません。だって、自分の上にいるもっと偉い人が、そんな年長の社員に仕事をくれることがありますか? という話です。これは絶対にありえないわけです。年下にもらうか、外から取ってくるかの2つしかないです。発注権というのはだいたい(年下に)あります。ある日、ラインのマネージャーから仕事がくることはまずないです。待ってもしょうがないです。

それで、もう1つ大事なものは好奇心。人生で一番大切なものだと思っています。好奇心というのは物事を探求する根源です。動物でも多くの種にそれがあると言われているわけです。年をとると好奇心がなくなったってたくさん聞きますよね。これは不自然なんです。それで、なぜ不自然になるかということが問題です。

その前に、「なぜ好奇心が大事か?」という話なんですけれども、まず、昔は効率性重視の組織でした。効率性を重視すると、外的動機によって行動を変える。例えば給料が高いとか、地位が上がったとか、あなたの場合は◯◯というところで、人は動くようになるわけです。ところが、自分の付加価値を増やそうと思ったら、今度は内的動機が大事になってきます。

今はこちら(付加価値重視の組織)の時代です。こちらの時代になってくると、内的動機によって行動を変えるしかないんです。この内的動機の源泉は好奇心です。だから、好きなことしかやっちゃいけないということになるんです。

それで、苦手なことを永遠にやってうまくなるのはこっち(外的動機)です。こっちの世界にいてもしょうがないんです。こっち(内的動機)の世界に行かなきゃいけない。でも、「俺は好奇心が出ないんだ、どうしたらいい?」ということになるわけです。

自分の好奇心を制約するものと生み出すもの

好奇心をなくさせる原因は制約です。職場の制約、家庭、時間、お金、自分の心、それから健康というものがあります。これらの制約がいろいろと引っかかってきてしまうわけですけれども、(このグラフの)中間くらいが一番好奇心が強い。

要するに、自分の予想と自分の現実がかけ離れていると(好奇心が)薄くなって、近づいていくと濃くなるんです。真ん中くらいが一番いいとは言われているんです。ところが、制約が多くなってくると、ここ(スライドを指して)がぎゅーっとなってきて、好奇心が減るわけです。

じゃあ、どうすればいいかと言うと、「制約を外す作業をしましょう」ということになります。一番わかりやすい制約の外し方は時間です。残業をやめればいいんです。残業をやめたら少なくとも18時から20時くらいの間は、みなさま自由になるはずです。土日も自由になるはずです。

それから職場のしがらみ。例えば飲み会をやめる。僕は飲み会をやめました。今はほとんど出ていないです。その時間を他の活動に対してやっていくと。

そうすると自分の可能性を、もうちょっと広げることができますから、好奇心がもう1回湧き上がってきます。自分で環境を変えて、自分で自分の好奇心を生み出す作業をする必要があるんじゃないかなと思います。

今の職業はサイボウズのフェローと、フリーランスのビデオグラファー、それから、金沢の会社のパートナーというコンサルタントみたいなことをやっていて、団体の役員もやらせていただいています。給料はあの曲線に反して、重力に反して、うれしいことにまだ1回も落ちていません。それプラス何百万というところで、ちょっと上乗せしてもらってます。

おかげさまでいろいろやっていると、本(『変われる会社の条件 変われない会社の弱点 (ワークスタイル変革実践講座)』も書けて。日本で有名な西脇(資哲)さんと並べていただいているのもありがたい話なんですけど、エバンジェリストと呼ばれるようになって。

(スライドを指して)これとか、キャリアマネジメントの本(『キャリア・マネジメントの未来図』)を書いたんですけれども。元厚生労働省の有名な次官の村木厚子さんや、全日空の中で最初に役員になった女性の河本(宏子)さんと一緒に、僕が書いているんです。

びっくりですよ。「こんな時代が来るとは……!」というところで、本当によかったなという感じです。ほかに(スライドを指して)こういう記事が出たり、ドローンを飛ばしたり、あとは団体の役員の仕事などをさせていただいています。

40歳は、本当の意味で自分のキャリアを作るべき時代

まとめになります。めずらしく変化のない時代に我々は生きていたので、今(の時代の変化)が早いのではなくて、今が普通だということです。そして、人生のオーナス期は体力も含めて一斉に自分を支えてくれているものが全部去っていきます。

そこで自分が生きてゆくためには、好奇心が必要で、好奇心は制約によって制限されます。だから、キャリアは自分で作って、自分で好きなことをやったほうがいい。そういうことです。だって40歳だったら、あと40年生きなきゃいけないんですよ。そのうち30年くらいは、残念ながら仕事をしなきゃいけないわけです。

最後に、(映像を流しながら)僕が撮った映像などを見ていただいています……すみません。自慢で。結果的には、たぶん楽しいことしかやっていないです。楽しい仕事しか僕も受けないようにしていますから。

ただ、1つだけ本当にみなさまに言いたいのは、40歳を過ぎると本当の意味での自分の選択でキャリアを作っていかなきゃいけない時代がきたということなんです。今までは、上の人がだいたい与えてくれます。

お客さまがくれたり、上司がくれたり、先輩がくれたりするわけなんですけれど、それがなくなっていくわけなんです。それで、本当に自分の力で立つというのがたぶん40代以降であって、そうしないと70歳まで持たないなということをつくづく思うわけでございます。

我々はそうやって生きていかなきゃいけない。我々以外の人もです。今日は若い人がたくさんいますから、最後に若い人に一言だけ。

思いっきり追い抜いていってください。次の時代を作るのはみなさまで、やっぱり次に違う感覚が必要になって、それが会社を作るわけですから、本当に思いっきり抜き去っていってほしいと思います。

ただ、上にいた者としては、抜き去ったあとにブレーキランプを5回くらい踏んで、ちょっとお礼を言ってほしいんですよ。「愛してる」とかまではいらないです。「ありがとう」くらいでいいので。そういうふうに言ってくれると、うまい具合に協力して働けるんじゃないかなと思います。

「多様性あふれる新しいチームワークを」ということで、当然世代間も含まれるわけでございます。70代も60代も50代も40代も20代も共に働けて、それぞれの役割の中で自分らしく生きられるチームができるように、それを目標に、若い人も40代の方も50代の方も今から一緒にがんばっていければと思っております。

私の話は以上になります。ご清聴どうもありがとうございました。

(会場拍手)