2代目社長の苦悩

辻庸介氏(以下、辻):いやー、おもしろいです、ありがとうございます。2つ目のご質問で、まあこういったお考えになられているお二方ですけど、経営者として当然しんどいときも多々あると思うんです。今までで一番しんどかったこととか、そのときに決断して良かったこととか、失敗したこととか。よろしければお聞かせいただければと思うんですけども。では富山社長から。

富山浩樹氏(以下、富山):私はいわゆる2代目社長ということで、父が創業者で今は会長をしています。今はある程度、社内でも1つの方向に向かっていけているかなと思うんですけど、私は途中から入社したので、入ったときに自分の中で「会社をこうしていきたい」と思ったときに、やはり独りぼっちのような状況で。

社内に人脈だとか、共有できる仲間がまだまだ少なかったときに、会長ですとか既存の社員の方とか考え方にギャップがあって、ぶつかったことが非常に多かったんですね。今はもう楽しくやっているので、課題というのも前に進むためのものになってるんですけど。最初のほうはどちらかというと、社内でのチームだとか、共有のあり方だとか、既存の組織との核っていうんですかね。いま思えば、そこがけっこう一番の壁だったかなと思います。

:二代目って、まわりから見ると「ボンボンが来た」みたいな雰囲気に見られてしまうこともあったりするじゃないですか。二代目社長ってどのような感覚で見られているかなと思って。

富山:どう見られてたんでしょうね。よそ者じゃないですけど、よそ者みたいな。

:そんな感じなんですか。しかも先代が会長にいらっしゃって。富山さんの場合は先代がいらっしゃいますが、今は引退されているのですか?

富山:いやいや、まだ元気いっぱい。

:あ、元気いっぱい。

富山:元気いっぱいですけど、主に経営以外のところで元気いっぱいです。

ニトリに倣う、固有名詞でのブランディング

:なるほど。けっこう驚いたのが、リアルで店舗を持っている方が、テクノロジーでこの先変わっていくことを見据えて、新たな決済方法を取り入れたり、AI企業をグループ会社化されたりと、様々なことに取り組まれているじゃないですか。あのような取り組みは、ギャップがあるなかでどうやって進められたんですか?

富山:ドラッグストアとして変わるというのが第1弾のギャップでして、今は第2弾のギャップというか。今はもう組織作りに入ってまして、グループ化してITの会社も入ったりですとか、さっきのマーケティングの会社もあったりして、やっぱり既存の小売業とは違う組織にどんどんなっているんですね。

一応、多様性のある組織作りを掲げてるんですけれども。新しい事業を始めると、新しい価値観の人が入ってくるので、それはすごくいいことだなと思ってまして。そのとき組織上には、わざとじゃないんですけれども、既存の社員と新しく入った方を同じチームにして、交わっていくようなことを繰り返しやっていますね。

:サツドラさんってリブランドされたと思うんですども、あれは、ステップ1、ステップ2と……どういう位置付けでやられてたんですか?

富山:サツドラはもともと「サッポロドラッグストアー」っていう名前だったんです。愛称としてサツドラと呼ばれていたんですけど、そこから改めてサツドラと名前を変えたんですね。それはみなさんご存じのとおりです。

今は本当に、小売業もドラッグストアもコンビニもスーパーマーケットもホームセンターも、全部垣根を超えた競争になってきています。もう業態論で語れなくなってくるだろうなとはすごく感じていて。創業のときは、札幌で一番のドラッグストアってそのまんまなので、ドラッグストアと名乗ることが有利だったと思うんですけれども、ドラッグストアと名乗り続けているともう変われないんじゃないか、ということでこういう名称になりました。

ニトリさんなんかも、創業したときっていうのは「家具卸センター似鳥」でしたし、そのあとホームファッションを日本に持ってくるということで「ホームファッションニトリ」になりましたよね。今はもうニトリとしか書いてないんですよね。我々はまだまだかもしれないですけど、そんなかたちで固有名詞でブランディングをして、それが伝わるようになりたいなという思いを込めて。まあ、ここでも会長の一言二言はあったんですけど(笑)。

:はいはいはい(笑)。ドラッグストアの業態を超えてデジタライゼーションしていく、次のステップに行くって、これからのリアルがテクノロジーによってどう変わるかだと思うんですよ。バーチャルなマーケットの規模が小さくても、リアルはとても大きいので。リアルを変革したほうが、世の中はすごく変わっていきますね。

社内での地道な草の根活動が、会社の土台を作る

:そういう意味で、リアルに軸足があってテクノロジーに詳しい経営者が一番強いんですよ。だから僕、たまに富山社長はずるいなと思うんですよ(笑)。

富山:ありがとうございます(笑)。でも、そういう意味ではけっこうお得だなって言ったら変ですけど。リアルな資産がありながら、確実にテクノロジーがキーの時代が来る。大きな市場なのにも関わらず、入ってくる方々はまだまだ少ない。そこに合わせていけるっていうのは、すごく有利だなって思いますね。

:年齢が上の方で、そういったデジタライゼーションとかが腑に落ちていない経営層とかもいると思うんですけれど、社内のドラッグストアをこれまで牽引されていた方々に「これからはこう変わっていくんですよ」と、これまでを否定するわけではなく、塗り替えていこうとするなかで工夫されたことはありますか?

富山:幸いうちはオーナー企業だったので、「(上が)進むと言ったら進む」っていう部分はあったと思うんですけれども。やっぱり社内説明だとか、そういうのはしつこく繰り返していますし、世の中のテクノロジーの出来事だとかを含めて時事ニュースで起こったことは、毎週自分が解説を入れて発信していっているような感じで。地道な作業かなとは思います。

:なるほど、説明するために全国まわってますよね? 

富山:そうですね、経営方針も年に1回2回は全道まわってやってるかたちで。社内の草の根運動です。

:そうですよね、そういう考え方は言い続けていかないと本当に土台ってできてこないですよね、ありがとうございます。

社長就任後、3期連続の売上低迷

:では、山井さんお願いします。

山井太氏(以下、山井):はい。僕が86年にスノーピークに入って、88年にいま本業になっているオートキャンプの事業を始めていったんですけれども、入社したときの売り上げはすごく小さくて、社員が15人くらいで売り上げ5億円くらい。

:へー。

山井:社内起業みたいなかたちでオートキャンプを立ち上げて、88年から5年後の93年には25.5億円くらい売り上げがあって、そこまででもなかったんですけど年率30パーセントくらい。オートキャンプを成立させたら、日本という社会が要求していた潜在ニーズを満たしたのか、キャンプのブームがきたんですね。さっき850万人とか言いましたけど、当時は1,500万人キャンパーがいました。

主に団塊の世代のお父さんお母さんと、団塊ジュニアのお子さんたち。今日お越しの方々の中にも団塊ジュニアの方たくさんいらっしゃるかなと思って拝見してたんですけど。なので、そこまでは空前のブームだったんで良かったんですけど、そのあと94年から99年まで、6Q(にわたって)売り上げ落としました。

:それは山井社長が社長だったときですか?

山井:ええ、社長ですね。96年に社長になってるので、正確に言うと3年。3期売り上げが落ちている時に社長になり、自分が社長になってから3期売り上げ落としてますね。

:ああーキツイですね……。

山井:ガーッと落ちてる途中で社長になって。ボトムが99年だったんですけども、そこの6年っていうのは売り上げが落ちるだけじゃないですか。今思えば、キャンプってファミリーキャンプが90パーセントくらいを占めるので、お子さんが中学校に上がると行かなくなっちゃうんですね。

一回目ブームになったときは団塊の世代・団塊ジュニアのファミリーだったので、当然次の方々は人口が少しくびれて、絶対数が減ってきます。マーケットも一緒にしぼみました。人口構成比としてはすごく当然のことだと思うんですけど、一回目のブームが激しかったんで、そのあとのリバウンドがすごく大きかったんですね。25.5億円と、まあそれも大した売り上げじゃないんですけど、そこから14.6億くらいまで落ちて。

:うわ……。

山井:キャンプはブームになったけど一過性で、もしかしたら我々スノーピークにも存在理由がないのかしら、みたいな。ぼくも社員も相当能天気なんですけども、そのときはみんなで「俺たちって存在意義があるのかしら」みたいなところまで少し思ってしまって。

ヘビーユーザーも口を揃えて言う「スノーピークは高い」

:そのときの社内の雰囲気ってどんな感じになるんですか?

山井:そうですね、まあ自分たちのできることはとりあえずやってたんですね、マーケットがシュリンクしているので新製品をたくさん開発するとか。当時落ちてるときに作った商品って今だにすごくて、定番になって残ってるんですけど。「新製品を出しても落ちる」って状況だったと思います。開発、新製品を作るってことは10万円でできたんで、そこをやれたのは良かったですね。

富山:やっぱり社内は暗い雰囲気だったんですか?

山井:えー、今が100だとすると、85くらいな感じ。

富山:そんなに暗くないですね。

(一同笑)

:それはあれですね、山井社長がだからそう思っているだけで(笑)。社員とか従業員は(笑)。

山井:まあみんなキャンパーなんで明るい人が多かったけど、もしキャンパーじゃなかったらもっとやばかったかもしれないですね。

実は98年からV字回復をすることになるんですけども、その礎を作ってくれたのがキャンプのイベントです。98年の10月に初めてユーザーさんと一緒にキャンプをさせてもらったんですね。で、『BE-PAL』という全国誌にスノーピークでキャンプをしましょうっていうイベントの広告打ったんですけど、30組しか集まらなくて(笑)。

:30組?(笑)

山井:今は(当選率が)2.5倍くらいの人気のイベントで、応募する人もすごく増えてきてて。年間10回やっても抽選になっちゃったりとか。1回目の『Snow Peak Way』は30組しか集まらなくて、そのときにユーザーさんと初めてご一緒して、直接焚き火を囲んでフィードバックを得たんですけど、30組のみなさん全員が同じことおっしゃいました。1個は、スノーピークの製品はめっちゃ高いってこと。

:めっちゃ高い。

山井:高い。テントはその当時実売で8万円くらいで販売されてました。こんなときに30組集まってる人たちなんで、もう本当にスノーピーク愛のかたまりみたいな人たちなんですけども。そんな実際に買っている人たちが高いっておっしゃったんですね。すごいショックでした。