事業変化のボトルネックになりやすい経理業務

佐々木大輔氏(以下、佐々木):みなさん、こんにちは。freeeの佐々木です。

今日は大都の山田さんをお迎えしましてお話しをさせていただこうと思います。先ほどのセッションも非常に盛り上がったので、それに負けずにがんばりたいと思います。

簡単に私の紹介をしますと、freeeというクラウド会計ソフトの会社を約6年前に立ち上げました。実家が祖父の代から美容業(美容院)をやっておりまして、本当は跡継ぎだったはずなんですが、跡を継がなかったという。今日このなかでは落ちこぼれにあたります(笑)。

ただ、なんとか認めていただきたいのですが、会計ソフトという業界は30年の間、ほぼ新規参入が成功せず、レガシー産業として残っていました。それを、会計帳簿を直接編集するのではなく、自動で帳簿が付いていく世界を作ろうと思い、取り組んできました。

創業当初である5年前は、個人事業主の方や中小企業の皆様に使っていただけるような会計ソフトを始めたわけなんですけれども、いまでは上場企業の皆様にも使っていただける内部統制の仕組みも整ってきています。

よく「freeeはなんで事業承継支援とか、そういったことを考えたりしたんですか?」って言われるのですが。実は「クラウド会計ソフト」という部分を変えていこうといろいろやっていくなかで、事業承継というのは非常に相性のいいタイミングだったんですね。

経理というのは、普通に事業をしていて、その事業が安定しているときにわざわざ変えようとは思わない部分なんです。でも事業を急激に変化させようとしたときに、この経理という部分がまず付いてこないと、事業ってそもそも変えにくいんです。そういうボトルネックになりやすい部分が経理なんです。

私たちもビジネスをしているなかで「上場準備しよう」とか、事業承継とか、あるいは事業再生といったときに、普段は目がいかないところっていうところのサービスを考えるのが、非常に重要な点になってくると思っています。

(導入いただいた)旅館さんで、一気にシステム化が進んで、リアルタイムに経理の数字が見られるようになったんで変革がしやすくなったというお話がありました。こういった事例をどんどん作っていきたいと思っております。

大阪市生野区生まれの「ジャック」とは?

佐々木:そんな文脈で今回は、freeeをご利用いただいている大都のジャックさんに……そうお呼びしていいんですか? みんな「ジャックさん」(と呼ばれるん)ですか?

山田:社員はみんなそうです。

佐々木:社員はみんな、山田さんを「ジャックさん」と呼んでいるということなので、今回は「ジャックさん」というかたちで呼びますけれども。実際どのような事業をやられていて、どんなきっかけでこういった事業を継ぐことになったか、まず今日の前段としてお話いただければと思います。

山田:はい。株式会社大都の山田といいます。

会社は大阪市生野区っていう、大阪のなかでも非常にファンキーな地域というかですね、そういうところにありまして。今年で創業81年になります。設立は昭和27年で、代でいうと私は3代目になるわけですけども。もともとは工具の卸をやっていた会社です。

大阪って工具の産地なんですね。日本で工具の産地っていうと、大阪と、兵庫県三木市、あと新潟の三条の3つしかないんですけど、そのなかでも大阪のメーカーの大半が占めていて。

創業は昭和13年ですが、設立は昭和27年なので戦前ですね。ビジネスは行商から始まったっていうところで、最初は金物屋さんに工具を卸すっていうビジネスでした。先代の2代目の時代にはお客さんがホームセンターになっていって、メーカーさんから仕入れた商品をホームセンターに卸すっていうビジネスをしていました。

リクルートから町の工具屋さんへ

山田:私で3代目になるんですけども、ひとつ手前(のセッション)で話されたお二方とは、後継者といっても勝手が違いまして。私の奥さんは先代の一人娘です。彼女と学生の頃に出会ってお付き合いをしていました。

大学を出た後にリクルートっていう会社に新卒で入社したんですけど、それから6年ぐらい経って「結婚しよう」っていう話になって、実家に「娘さんをください」って言いに行ったら、「娘はやるから会社継げ」って言われまして。

(会場笑)

1年後にリクルートを辞めて、いまの会社に入りました。僕が28のときなので、1998年。ちょうど20年ぐらい前ですね。

リクルートから、いわゆる町の工具問屋さんに。社員数は15人。僕は28歳で入りましたけども、その次に若い人は45歳。要は20代、30代が1人もいないっていう会社に入社をしたんですね。入社初日にスーツで会社に行ったら、「なんでスーツで来たんや!」なんてて言われて。

(会場笑)

「着替えろ」って言われて作業着に着替えて、「配達行くから運転しろ」って言われて、4トントラックのミッションに乗らされて。生まれてこの方、トラックなんて乗ったことないし、ミッション車なんて何年も乗ってないし……みたいなところからスタートして。エンストしては横のおっちゃんに「情けないやっちゃな」って言われたのが、28歳ぐらいのときですね。

Excelの集計結果を手計算し直す労働環境

本当にびっくりして、NewsPicksにコメントを書いたりもしたんですけど、リクルートから意気揚々と「よし! じゃあ、俺が3代目としてこの会社がんばろう!」って入ったら、伝票が全部手書きだったんです。納品書を書くわけですけど、それも全部手書きで。

問屋さんですから、お客さんごとに商品の価格が違ったりするわけですね。そのために帳面を全部見るわけです。帳面を見て、その値段を入れる。複数人で見られるように、机の真ん中にあるクルクル回る台の上に置いてあるんです。みんなでそれを囲んで、見ようと思ったら誰かが見てるみたいな。そんなことを普通にやってました。

しかも、経理のおばちゃんはそろばんで計算してたんですよ。びっくりしました。1998年ですよ? もうWindows 95とかのパソコンも出てたし。でも、そろばんで計算した結果がすごい合うらしいんですよね。「これで間違いない」って。

おばちゃんに……といっても、もうおばあちゃんですね。「Excelっていうのを教えてあげるよ」って言って教えてあげたら、Excelに入力した数字をそろばんで計算してるんですよ。

(会場笑)

「合うてるか確認してるねん」って言って。そんな感じのところからビジネスはスタートしてると。これ、なんか僕が最後まで1人でしゃべることになりそうですけど、いいんですか?(笑)。

佐々木:大丈夫です(笑)。

(会場笑)

リアルな物を売ることの難しさに気づく

佐々木:それがいまはどうなってるんですか?

山田:それは紆余曲折があってですね。最初にこの成り立ちを話しないと、この後の話がたぶんしっくりこないと思いますんで。ちょっと長いですけどお付き合いくださいね。

リクルートを辞めていまの会社に入りましたが、問屋業っていうのは儲からないんです。とにかくメーカーさんから物を仕入れてそれを小売店に売るんですけど、僕はリクルートにいるときに物を売ったことがなかったんで、「物を売るってこんなに難しいのか!」と思いましたね。

だって、僕以外にも同じ商品を納品する問屋さんは他にもいくらでもあるわけで。うちが1,000円で納品してるのに他所が950円で持ってきたら、その950円で仕入れるか、うちに「950円にしろ」って言うか、どっちかなんですよ。「いままでどおり1,000円でいいよ」とは絶対言わないんで。

当時もう本当にびっくりしましたけども、出荷するときって、値札を貼ってから出荷するんですね。普通は小売店が値札を貼るじゃないですか。それを問屋側が値札をちゃんと貼ってから出荷するっていう、そういうルールになってたりとか。

あとは、欠品したらペナルティとか。これはいまだにあるかもしれないですね。例えばテレビとかで紹介されたらバーンと売れたりするじゃないですか。そうすると売り場が空になるから発注くるんですけど、メーカーが品切れしちゃってるから、僕らはどうしようもないんですね。でも欠品したら「販売機会の損失だ」なんて言われて。「売価の◯パーセントを罰金として払え」って言ってくるんです。そんなルールがあったりとか。