後継者に必要なのは“負債まで引き継ぐ”という覚悟
工具屋を継いだ元リクルート社員が、跡継ぎの苦労を語る

3代目の改革で激変した創業81年ベンチャー 〜変革の手段としての事業と管理のIT活用〜 #1/2

2018年10月25日、ベルサール六本木グランドコンファレンスセンターにて「事業承継のトップランナーが集結!『アトツギ』のリアルとテクノロジーがもたらす経営改革」が開催されました。これはfreee株式会社と株式会社セールスフォース・ドットコムの共催によるイベントで、事業継承をきっかけに経営改革を実施し、大きく事業を成長させているトップランナーが登壇。事業継承の実態や経営改革におけるテクノロジー活用の重要性など、幅広い観点による講演が行われました。本記事では、株式会社大都 代表取締役の山田岳人氏とfreee株式会社 代表取締役CEOの佐々木大輔氏によるセッション・前半の模様をお送りします。

事業変化のボトルネックになりやすい経理業務

佐々木大輔氏(以下、佐々木):みなさん、こんにちは。freeeの佐々木です。

今日は大都の山田さんをお迎えしましてお話しをさせていただこうと思います。先ほどのセッションも非常に盛り上がったので、それに負けずにがんばりたいと思います。

簡単に私の紹介をしますと、freeeというクラウド会計ソフトの会社を約6年前に立ち上げました。実家が祖父の代から美容業(美容院)をやっておりまして、本当は跡継ぎだったはずなんですが、跡を継がなかったという。今日このなかでは落ちこぼれにあたります(笑)。

ただ、なんとか認めていただきたいのですが、会計ソフトという業界は30年の間、ほぼ新規参入が成功せず、レガシー産業として残っていました。それを、会計帳簿を直接編集するのではなく、自動で帳簿が付いていく世界を作ろうと思い、取り組んできました。

創業当初である5年前は、個人事業主の方や中小企業の皆様に使っていただけるような会計ソフトを始めたわけなんですけれども、いまでは上場企業の皆様にも使っていただける内部統制の仕組みも整ってきています。

よく「freeeはなんで事業承継支援とか、そういったことを考えたりしたんですか?」って言われるのですが。実は「クラウド会計ソフト」という部分を変えていこうといろいろやっていくなかで、事業承継というのは非常に相性のいいタイミングだったんですね。

経理というのは、普通に事業をしていて、その事業が安定しているときにわざわざ変えようとは思わない部分なんです。でも事業を急激に変化させようとしたときに、この経理という部分がまず付いてこないと、事業ってそもそも変えにくいんです。そういうボトルネックになりやすい部分が経理なんです。

私たちもビジネスをしているなかで「上場準備しよう」とか、事業承継とか、あるいは事業再生といったときに、普段は目がいかないところっていうところのサービスを考えるのが、非常に重要な点になってくると思っています。

(導入いただいた)旅館さんで、一気にシステム化が進んで、リアルタイムに経理の数字が見られるようになったんで変革がしやすくなったというお話がありました。こういった事例をどんどん作っていきたいと思っております。

大阪市生野区生まれの「ジャック」とは?

佐々木:そんな文脈で今回は、freeeをご利用いただいている大都のジャックさんに……そうお呼びしていいんですか? みんな「ジャックさん」(と呼ばれるん)ですか?

山田:社員はみんなそうです。

佐々木:社員はみんな、山田さんを「ジャックさん」と呼んでいるということなので、今回は「ジャックさん」というかたちで呼びますけれども。実際どのような事業をやられていて、どんなきっかけでこういった事業を継ぐことになったか、まず今日の前段としてお話いただければと思います。

山田:はい。株式会社大都の山田といいます。

会社は大阪市生野区っていう、大阪のなかでも非常にファンキーな地域というかですね、そういうところにありまして。今年で創業81年になります。設立は昭和27年で、代でいうと私は3代目になるわけですけども。もともとは工具の卸をやっていた会社です。

大阪って工具の産地なんですね。日本で工具の産地っていうと、大阪と、兵庫県三木市、あと新潟の三条の3つしかないんですけど、そのなかでも大阪のメーカーの大半が占めていて。

創業は昭和13年ですが、設立は昭和27年なので戦前ですね。ビジネスは行商から始まったっていうところで、最初は金物屋さんに工具を卸すっていうビジネスでした。先代の2代目の時代にはお客さんがホームセンターになっていって、メーカーさんから仕入れた商品をホームセンターに卸すっていうビジネスをしていました。

リクルートから町の工具屋さんへ

山田:私で3代目になるんですけども、ひとつ手前(のセッション)で話されたお二方とは、後継者といっても勝手が違いまして。私の奥さんは先代の一人娘です。彼女と学生の頃に出会ってお付き合いをしていました。

大学を出た後にリクルートっていう会社に新卒で入社したんですけど、それから6年ぐらい経って「結婚しよう」っていう話になって、実家に「娘さんをください」って言いに行ったら、「娘はやるから会社継げ」って言われまして。

(会場笑)

1年後にリクルートを辞めて、いまの会社に入りました。僕が28のときなので、1998年。ちょうど20年ぐらい前ですね。

リクルートから、いわゆる町の工具問屋さんに。社員数は15人。僕は28歳で入りましたけども、その次に若い人は45歳。要は20代、30代が1人もいないっていう会社に入社をしたんですね。入社初日にスーツで会社に行ったら、「なんでスーツで来たんや!」なんてて言われて。

(会場笑)

「着替えろ」って言われて作業着に着替えて、「配達行くから運転しろ」って言われて、4トントラックのミッションに乗らされて。生まれてこの方、トラックなんて乗ったことないし、ミッション車なんて何年も乗ってないし……みたいなところからスタートして。エンストしては横のおっちゃんに「情けないやっちゃな」って言われたのが、28歳ぐらいのときですね。

Excelの集計結果を手計算し直す労働環境

本当にびっくりして、NewsPicksにコメントを書いたりもしたんですけど、リクルートから意気揚々と「よし! じゃあ、俺が3代目としてこの会社がんばろう!」って入ったら、伝票が全部手書きだったんです。納品書を書くわけですけど、それも全部手書きで。

問屋さんですから、お客さんごとに商品の価格が違ったりするわけですね。そのために帳面を全部見るわけです。帳面を見て、その値段を入れる。複数人で見られるように、机の真ん中にあるクルクル回る台の上に置いてあるんです。みんなでそれを囲んで、見ようと思ったら誰かが見てるみたいな。そんなことを普通にやってました。

しかも、経理のおばちゃんはそろばんで計算してたんですよ。びっくりしました。1998年ですよ? もうWindows 95とかのパソコンも出てたし。でも、そろばんで計算した結果がすごい合うらしいんですよね。「これで間違いない」って。

おばちゃんに……といっても、もうおばあちゃんですね。「Excelっていうのを教えてあげるよ」って言って教えてあげたら、Excelに入力した数字をそろばんで計算してるんですよ。

(会場笑)

「合うてるか確認してるねん」って言って。そんな感じのところからビジネスはスタートしてると。これ、なんか僕が最後まで1人でしゃべることになりそうですけど、いいんですか?(笑)。

佐々木:大丈夫です(笑)。

(会場笑)

リアルな物を売ることの難しさに気づく

佐々木:それがいまはどうなってるんですか?

山田:それは紆余曲折があってですね。最初にこの成り立ちを話しないと、この後の話がたぶんしっくりこないと思いますんで。ちょっと長いですけどお付き合いくださいね。

リクルートを辞めていまの会社に入りましたが、問屋業っていうのは儲からないんです。とにかくメーカーさんから物を仕入れてそれを小売店に売るんですけど、僕はリクルートにいるときに物を売ったことがなかったんで、「物を売るってこんなに難しいのか!」と思いましたね。

だって、僕以外にも同じ商品を納品する問屋さんは他にもいくらでもあるわけで。うちが1,000円で納品してるのに他所が950円で持ってきたら、その950円で仕入れるか、うちに「950円にしろ」って言うか、どっちかなんですよ。「いままでどおり1,000円でいいよ」とは絶対言わないんで。

当時もう本当にびっくりしましたけども、出荷するときって、値札を貼ってから出荷するんですね。普通は小売店が値札を貼るじゃないですか。それを問屋側が値札をちゃんと貼ってから出荷するっていう、そういうルールになってたりとか。

あとは、欠品したらペナルティとか。これはいまだにあるかもしれないですね。例えばテレビとかで紹介されたらバーンと売れたりするじゃないですか。そうすると売り場が空になるから発注くるんですけど、メーカーが品切れしちゃってるから、僕らはどうしようもないんですね。でも欠品したら「販売機会の損失だ」なんて言われて。「売価の◯パーセントを罰金として払え」って言ってくるんです。そんなルールがあったりとか。

人生ゲーム以外で初めて目にした約束手形

山田:あとは一番びっくりしたのは、約束手形。……約束手形って見たことある人います?

(会場挙手)

あ、いまだにいるんですね。大手で流通してるのはけっこうありますよね、掴まされるというか。僕たちもホームセンターが約束手形でした。180日の手形ですよ? 180日っていうことは、それをもらってキャッシュになるのは半年後ってことです。ホームセンターは現金ビジネスしてるのに、僕たちに対してはそういう支払いです。

なんか約束手形も電子化されたらしいですね。「そんなもん電子化せんでええ!」と思ったんですけども。

(会場笑)

リクルートでは手形なんてないですから、手形を初めて見たときに「人生ゲーム以外で、本当にあるんだ!」って思いました。それが普通に渡されて、裏見たらなんかハンコ押してあるし。回すんですよね、約束手形って。

もしかしたら『ミナミの帝王』とかで聞いたことあると思いますけども、1,000万の手形をもらったら、「割引する」っていうんですけど、銀行に持って行ったら950万で買ってくれるわけですよ。これを「割引」って言うんですけど、僕らもキャッシュがないから割引に回すじゃないですか。

そうすると、落ちなかった手形っていうのは、月末になったら銀行から電話がかかってきてですね。「手形落ちなかったんで、迎えに来てください」って言われるんですね。こんどはキャッシュを持って行って、その手形と交換しなきゃいけない。

僕は未だに落ちなかった手形の束を持ってますけども。建設業がとにかく飛ぶんです。飛んだっていうのは落ちなかった、つまり不渡りくらったっていうことですね。業界自体が古いから約束手形は普通にあるし、そういうところからスタートして。1998年に僕が入社して、「問屋業っていうのは厳しいなあ」と思って。

夢が持てなかったことが一番つらかった

僕ね、当時ほんまに辞めたくて仕方なかったんです。もうとにかく「なんでこの会社来たんやろう」っていうか。……なんでっていうのはわかってますよ? わかってますけど。

(会場笑)

とにかくもう帰りたかった。リクルートのほうが楽しかったし、給料も良かったし、若い子ばっかりやし、やりがいもあったし。物を仕入れて売っても、お客さんに「高い」とか、「もっと安くしろ」とか、なんか理不尽な要求ばっかりされてね。

なんかよくわからない昔からの商習慣みたいなものが業界にはあって、「手伝いに来い」とか、「何パーセント協賛しろ」とか。「ペナルティだ」「約束手形だ」みたいなことを散々言われて。

なおかつ問屋っていうのは、絶対に大きい会社が勝つルールになってるんですよ。僕らみたいな15人くらいの弱小問屋が仕入れる量と、売上何千億ってある問屋さんが現場では一緒に戦いますから、仕入れる金額が違うんで、当然原価も違うわけですよね。それが同じ場面で戦うんですから、勝てるはずがないんですよ。

結局、僕たちは利益をどんどん削って現場で戦いましたけども、やっぱり収益がぜんぜん出なくて。入社してすぐわかりましたね、「これは絶対儲かってないな」と。先代に入社してから初めて「決算書見せてくれ」って言ったんですが、案の定やっぱり厳しい状況で。

しんどいし、おもしろくないし、儲からない。じゃあ「何がええんだ?」と。夢も当然ないですから。一番つらかったのは「夢が持てなかった」っていうことですね。

eコマースで最初のお客さんは福島県の人

それがつらくて、2002年にはeコマースを始めました。要は、ホームセンターに卸すんじゃなくて、ホームセンターに来てるお客さんに直接売ってしまえということです。たまたま友人が「これからはネット通販がくるよ」みたいなことを教えてくれて。その翌日にパソコン買いに行ったんですね。2002年まで僕はパソコンも持ってなかったんですよ。

それからパソコン買いに行って、見よう見真似で商品ページをつくりました。楽天市場さんを使ってたんですけど、そしたら実際に売れまして。一番最初に来てくれたお客さんは福島の人で、3万円ぐらいのものを買ってくれました。

小売で3万って、めっちゃ利益あるんですよ。だいたいホームセンターの値入っていうのは50パーセントぐらいですから。ホームセンターは1,000円で仕入れたものを2,000円ぐらいで売ってるんですね、

でも、僕たちは500円で仕入れたものを530円とかでホームセンターに納品してるわけです。だいたい問屋1割って言われれてる業界なんです。たった10パーセント、取れて1割。それがネットだと50パーセントの利益が立つ。3万円の商品が売れたら「これで1万5,000円も儲かったんや!」みたいな。最初はそんなところからスタートしています。

それで「インターネットってすごい!」と思って。だって、福島県のお客さんなんて、いままで付き合ったことなかったので。福島の、どこの誰かもわからない人が、うちで物を買ったっていうのにすごいびっくりして。

そこからインターネットにハマっていって、どんどん商品ページをつくりました。昼間はトラックに乗らないといけないんで、配達行ってお客さんに「ボケ」「カス」「アホ」なんて言われてですね、もう業界そういう業界ですから。「オイ、コラ」っていう業界ですから。そうして昼間はトラックに乗って、夜にページ作って……っていうのをずっとやってきた。

問屋業からインターネットへの移行

そうすると、当然売上はどんどん増えてきて。ちょうどインターネットがこれからワーッて広がっていくタイミングだったんですね、2002年って。でも画面が出てくるのが、(右手を上から下にゆっくり下ろしながら)ビーッて。昔の人はよく経験があると思うけど、画像がなかなか出てこないんですよね。まだ「ADSLで夜はネットつなぎ放題」みたいな時代でしたから、もうとにかく夜やろうみたいなと。

楽天のクレジットカードのオーソリ(決済が可能かの確認)がFAXやったんですよ。2002年っていうのは。FAXでオーソリの確認を取って、カード会社からFAXが戻ってくるっていうのをやってたんです。いまそんなことをしてる会社ってないじゃないですか。カードのオーソリでFAX送るなんて(笑)。まあFAX自体がもうなくなっていってると思いますけど、2002年って本当そうだったんです。

そうしてネットのほうがどんどん増えてきて、問屋のほうはやっぱりどんどん厳しくなっていって。インターネットのほうは増えていったんですけど、人を雇う余力がなかったんで、ずっと1人でやってたんです。とにかく夜中、「自分が寝んとやればいい」っていう。

昼間はトラック運転、夜はネットでページ作って、送り状書いて出荷するみたいな。送り状もデジタルじゃなかったんで、全部手で書いてたんですよね。だからもう京都から注文が来るのがイヤでね。住所が長いんですよ。

(会場笑)

「上ル」とか「下ル」とかもうね。住所を間違えても二重線でビッてするわけにはいかないじゃないですか。最後のほうで間違えたら「ウワッ」て。で、もう1回最初から書き直すみたいな。

いまそんなことしてる人いないと思いますけど、当時はそういうの当たり前のように、みんな手で書いてたわけですよね。腱鞘炎なるぐらい書きました。でも、人を雇えなかった、余力がなかったから。

投資ではなくコストとしか考えていなかった採用業務

そのとき「売上100万円いったら1人採用しよう」って決めてたんです。100万円の売り上げが立ったら1人分ぐらいの人件費は十分出ますんで。1人でやって、そうなるのに1年半かかりました。自分のルールをクリアしたから、近所でパソコンが得意っていう女の子を採用して。今もその子はいるんです。間に2回ほど産休しましたけども。

僕が昼間トラック乗ってる間に、その子が僕のやりたいことを全部やってくれるんで、もうどんどん売上が上がっていったんです。お客さんへの対応も早いし、商品の登録もどんどん進むんで、ガーッと売上が上がっていって。そのときね、僕すっごい後悔したんですよ。もっと早く採用すればよかったって。

(会場笑)

要するに目的と手段が逆になってたんですよ。当時は「儲かったら人を入れよう」って考えてたんですね。そうじゃなくって、「儲けるために人を入れる」っていうことで。「採用は投資だ」っていう考え方がなかったんです。むしろ「採用はコストだ」って思ってたわけですね。

それですごい後手に回ったんですよ。それはいまでも後悔してます。ただ、そう気付けたので、そこからは逆に採用をバーッとするようになって売上も上がっていったんですね。

逆に問屋のほうはどんどん厳しくなっていって。さっき言ったように、どんどん不渡りくらったりして。不渡りくらうっていうのは、だいたい配達に行ったらシャッターが閉まってるとか、そういう話なんですよね。「シャッターが閉まってる」なんて連絡をもらうと、もう時効やからあれですけど、勝手にシャッター開けて、中から商品取ったりとかですね。……ここはカットしといてくださいよ?

(会場笑)

それに債権の取り立てに行かないといけないのです。その社長の自宅に行ってですね、ピンポン押して「金払えー!!」っていうようなことをしに行ったりとかですね。弁護士から電話がかかってきてね、「債権者の家に行ってはいけない」とかって言われたりして。

「あの人は家も取られてかわいそうなんですから、もう行かないでください」なんて言われるんですけど、「いや、『かわいそう』って言うけど、どっちがかわいそうやねん」と。「あなた、弁護士費用もらってないんですか?」って言ったら「もらってる」って言うから、「え、それって、『かわいそう』と思ったら、もらわんとやったげなさいよ」っていう話をしたことがあります。

(会場笑)

アナログなこともめちゃくちゃしました。その社長の息子が市役所に勤めてるっていうから、市役所まで「親父の金払え!!」って言いに行ったこともありますし。とにかくそういうことがイヤでね、ぜんぜん生産的じゃないし、それをやって誰も幸せにならないし。だから、インターネットのほうをやっていくことにしました。

やらないと決めた問屋業

インターネットのおもしろさって、どっかの誰かとどっかの誰かがつながるっていうことじゃないですか。それが、ネット通販っていうものをやっておもしろくなってきた。そっからスタートしていって、ネット通販はガーッと伸びていって、問屋事業はどんどん縮小していって。

ネット通販をやるって決めたときに、同時にやらないことも決めようって話をみんなとしまして。それで今後「問屋業はやらない」と決めて、2012年に問屋業はゼロになりました。

僕が会社に入ったとき、売上は数字でいうとだいたい3億から5億円ぐらいあったのかな。5億円ぐらいが100パーセント問屋業の売り上げっていうところから、現在は売上で40億ぐらいまで成長しています。小売がやっぱり伸びましたね。あとはインターネットを活用するっていうところ。

ただ、問屋業がやっぱり厳しかったなかで、これは組織の話になるんですけども。僕が一番苦労したのはやっぱり組織だったんですよ。

今日は跡取りの方がたくさん来てらっしゃると思うんですけども、跡取りのなにがつらいかって、1つは自分のやりたいことができないっていうことですよね。起業家が自分がやりたい会社をやるのは当たり前ですよね、全部自分で考えてやるんだから、でも後継者っていうのは、だいたいやりたくないことをやらないといけない。

僕は工具にまったく興味がなかったし、トラックにも乗りたくなかった。やりたくないことばかりをやりました。今は大好きですよ? もう次に生まれ変わっても工具屋やろうと思ってますから。

(会場笑)

資産と同時に負債も引き継ぐという覚悟

あとは「引き継ぐもの」っていうのがたくさんあって。1つは資産ですが、あともう1つの負債も引き継ぐんですよね。

中小企業っていうのは個人保証しなきゃいけないっていう日本のルールがありますから。さっきどこかの経営者が「そこの社員に継がせたらいいじゃない」って話があったけど、そう言ったって借入があったらですね、「◯億円の借入をおまえ保証せーよ」なんてイヤに決まってるじゃないですか。

(会場笑)

当然財産もありますよ。有形も、目に見えない無形の資産もありますから。お金とか財産は有形ですけど、無形の資産も。例えば取引口座とか、信頼とかですね、そういうものもたくさんあります。

だから、僕がリクルートを辞めて「工具のeコマースをやります」って言ったって、誰も業界の人は卸してくれません。なぜならそういう業界じゃないし。日本の流通っていうのはすごいきっちり決まってて、代理店制度とかもびっちり敷かれてて、ちゃんと流通がきめ細かく決められてるので。たぶん「どっかの問屋さんから仕入れてください」って言われますけど、うちはもう創業八十何年ですから、メーカーさんから直接仕入れる口座はありますよね。

この口座っていうのは、僕がリクルートを辞めても絶対に作ってくれませんので。そういう意味では、口座を持っててくれたっていうのは、直接仕入れて直接売るための最短ルートだったんですから。

だから、僕たちがeコマースやったときには業界からめちゃくちゃバッシングされました。問屋が小売をするっていうのはルール違反だって。「eコマースは全部ダメ」って言ってきたメーカーさんがいくつもありますね。

跡継ぎが苦労する組織づくり

一方で、「これからeコマースがくるよね」ってわかってた経営者は「応援するからがんばれ」と言ってくれました。これははっきり分かれましたね。「応援するからがんばれ」って言ってくれたメーカーの売上はめちゃくちゃ伸びました。

そうやって引き継ぎながら、バトンを受け取って。いるものもいらなものも、全部もらわないといけないですから。引き継ぎながらやるっていうのは、後継者の一番大変なところです。一番つらいなと思ったのは、僕がさっき言った「組織」なんですよね。

起業家なら全部自分が採用するんだから当たり前ですけど、僕たちの場合、自分が採用した人じゃない人とか、先代がずっと一緒にやってきたような人と一緒にやることになります。うちの場合はとくにそうですけど、28歳だった僕の次は45歳でしたからね。「もう何十年もいる」っていう人しかいない。

ただ、めちゃくちゃ歓迎されました。入社したときにすっごい歓迎されて、半年で専務になったんですよ。専務になったっていうよりは、みんなが「なれ」って言ったんですよ。僕は“山田”っていう名字ですけど、先代は“都築”っていう名字です。うちの嫁さんの旧姓ですね。

社長が都築で、配達に来てる男の子が山田っていう名字だったら、後継者ってわからないから「専務って肩書付けろ」と。僕が都築やったら、「あ、社長の息子やね」ってわかるけど、山田やったらわからないから、ちゃんとそういうふうに業界の人に見てもらえるように「専務って付けろ」って、周りのみんなが言ってくれたんです。

みんながなんで喜んでくれたのかっていうと、「廃業するんちゃうかな」と思ってたらしいんですよね。だって20代や30代が1人もいない会社なのに、いきなり20代の娘の旦那が入ってきた。ということは、「こいつ、めっちゃやる気あるやん!」っていう。

(会場笑)

そっからスタートして。だから、すごく喜んでくれました。

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1 後継者に必要なのは“負債まで引き継ぐ”という覚悟 工具屋を継いだ元リクルート社員が、跡継ぎの苦労を語る
2 社員を全員解雇し、生まれ変わった創業81年のベンチャー企業 工具屋の跡継ぎが痛感した“スクリーニング”の重要性

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