編集を社会に適応できるよう構造化した「編集工学」という技術

安藤昭子氏(以下、安藤):あらためまして、こんばんは。編集工学研究所の安藤と申します。先ほどご紹介いただいたように、今日で編集工学シリーズの3回目なんですね。

今日のテーマは、「アイデア発想の鍵を握る思考技術『アブダクション』とは」です。

「アブダクションってなんですか?」という方も多いかと思いますが、今日は少しずつ、アブダクションという思考方法についてみなさんと解き明かしていきたいと思います。

編集工学というのは、私たちを取り囲んでいるものはすべて情報からできていると考えて、その情報を取り扱う営みをすべて編集と見なす考え方です。

その編集というのが、どういうふうになっているのかなという仕組みを明らかにしていって、社会に適応できる技術として構造化したものを編集工学と言っています。

編集工学研究所は、この編集工学という考え方を元に、日頃はさまざまな企業、自治体、学校等のいろいろなご相談をうかがったり、一緒にプロジェクトを起こしたりといったことで、編集工学に基づいた活動をしているんですね。

この編集工学という方法論のエッセンスをいくつかみなさんと共有するという目的で、ドコモさんの会場をお借りして「編集工学シリーズ」ということで送らせていただいています。

手段としての読書術

今日は3回目なんですけれども、ざっと1回目と2回目、どんなことをしたのかということを、そちらにいらしてくださった方はおさらいのつもりで、初めての方は「こんなことをしたのね」という感じで聞いていただければと思います。

1回目は「ビジネス思考力を鍛える『探求型読書』のすすめ」でした。ひと言で言えば、「読書術」ですね。

「Quest Reading」と呼んでいますが、「物事を深く思考して、自分の考えを組み立てて、事の本質を追究し続けるための、手段としての読書」ということです。

「手段としての読書」というところがポイントで。本を読むこと自体はみなさんそれぞれのご趣味や関心の中で読めばいいんですけれども、なにか自分の考えを深めたり、事の本質をもっと追究したいな、というときに、本というのは非常に優秀なツールになるんですよね。

その優秀なツールとして本を扱う方法論を、2時間かけてみなさんと一緒に、ワイワイやらせていただいたという時間でした。

そしてこの「Quest Reading」というのは、頭の中のLinking Networkをつくっていく上で非常に有効だというお話をしました。アナロジカルに本を読むことによって、頭の中のバラバラだった情報同士がつながってネットワークをつくっていく、その知識や知恵のネットワーク状態が知性の正体です、というお話でした。

この中で出た「アナロジカル・シンキング」という言葉について、みなさんの中から「アナロジカル・シンキングってどういうことですか?」というご質問が出たんですね。

毎回お送りしながら、次になにやろうかなって考えつつやっているんですけども。「じゃあ!」ということで2回目は「アナロジカル・シンキング」をテーマにやらせていただきました。

既知から未知へ向かうアナロジー

「企画力・発想力を引き出すアナロジカル・シンキング」というタイトルで、まずはアナロジーってなんですかね? というようなお話から始めました。

アナロジーっていうのは、一言で言えば類推、「既知の領域」つまりなにか知っていることから、「未知の領域」、知らないこと、もしくは知りたいことへ、なにかしらを当てはめて、想像すること。

なにかとなにかが似ているなーと思う思考の動きって、すべてアナロジーって言っていいと思うんです。そのアナロジーをどう使っていくか、どう自分自身の思考に意図的に活かしていくかというようなことを、この日は2時間かけてみなさんとワークショップいたしました。

このアナロジーを含む方法論として「柔らかな思考エンジン『3A』」として、「編集工学ではよくこの3Aというのを大事にしているんですよ」というお話を最後に添えたんですね。

一つ目が、みなさんと2時間通して体験したアナロジー。類推して連想する能力ですね。もう一つがアフォーダンス。これは、もしかしたらあまり耳馴染みのない言葉かもしれないですけれども、「対象から与えられている行動の可能性に気づく能力」というものです。

例えばですね、私がこうしてマイクを持っています。マイクを持つときに、このマイクの太さとか形とかを、ことさら綿密に計算しなくても、手が自然とマイクの形に吸い寄せられますね。これは私自身がマイクから「こういう握り方をすべし」だという情報を受け取っているわけですね。

環境から与えられている情報、そして、それを察知する力というのをアフォーダンスと言っているんです。なんでこれを大事にしているかというと、私たちはいろんなことを考えるんですけれども、自分の頭の中で起こっていることだけで世の中に対する理解を組み立てられるわけではないんですね。

常になにかの文脈の上にあって、常になにかから情報が送られていて、その相互作用の中で、私たちはいろいろなことを感じたり考えたりしていると。そういう相互作用的な生き物であるという前提に立つという意味で、このアフォーダンスという考え方を非常に大事にしています。

まだあまり使われていないアブダクションという思考法

そしてもう一つ重要なのがアブダクションです、というお話をしたんですね。ただこれはちょっとややこしくて、「一言で言えません」ということを言ったと思うんですけども。これもやはり終わったあと「アブダクションについて詳しく知りたい」という声をいただきました。

それで今日なんですが、「じゃあ」ということで、アブダクションをテーマにお送りしていこうと思います。さらに今日はゲストをお迎えしておりまして、後半1時間はゲストの方と対談形式で進めていきたいなと思っています。

ということで、前置きが長くなりましたが、さっそく今日の本題にまいりましょう。アブダクションを知ってる、という方、手を挙げていただけますか?

(会場挙手)

あ、お二人ほど手が上がりましたね。そうなんですよね、ほとんどの方、聞いたことがない言葉ですよね? まだまだ使われてないかもしれないです。

ただ、あと1、2年のうちには、相当知られる考え方になるんじゃないかなと思っています。なので、みなさん一足先駆けて、ぜひ今日はアブダクションの骨法を持って帰ってください。

アブダクションとは、仮説をつくる方法論

まず、このアブダクション、なにをさす言葉か? ぐらいは念頭に置いてお話を進めたいんですけれども。ざっくり言うと、いわゆる推論の方法なんですね。

帰納法とか演繹法とかって、聞いたことありますよね。演繹的に考えるとか、帰納的なアプローチとか。

長らく推論、もしくは論理学というのは、帰納と演繹の行ったり来たりで成り立つと捉えられてきたんですが、ある時にアメリカの哲学者のチャールズ・パースという人が、第三の推論の方法としてこのアブダクションを提唱したんですね。

アブダクションというのは、一言で言うと、仮説をつくる方法論なんですね。仮説型思考に使われる方法論なんですが、「想像力が発揮される余地の大きい推論方法」とパースは説明しています。これが、このところあらためてじわじわと注目され始めているというところですね。

インダクションは帰納法、ディダクションは演繹法とちゃんと日本語になっているのに、アブダクションだけなぜかいまだにアブダクションで通ってるのがちょっと不思議なんですがね(笑)。あえて日本語にするとすれば「仮説型推論」とか「仮説的推論」とかというふうな言い方をします。

アブダクションのお話に入っていく前に、そもそも「推論」ということ自体がなんなのか? というお話をします。

演繹と帰納とアブダクション

さっきのアナロジーのところでも似たような図式がでてきましたが、既に自分が知っている知識、既知の前提から、なにかまだわかってないこと、未知の結論を導き出すための、論理的に統制された思考過程のことを推論と言います。

先程のアナロジーは、この過程がイマジナティブというか連想的・直感的なものですが、推論に関しては、既知の前提から未知の結論に向かうという構造はアナロジーと一緒なんですけれども、その間に統制されたプロセスがある、ということですね。

演繹と帰納とアブダクション、3つとも推論の方法なんですが、これを根っこのところから分けてみると、推論の中でも、分析的な推論と、拡張的な推論というふうに、先ほどのチャールズ・パースという人は分けて考えました。

分析的な推論は演繹法ですね。ある大前提があって、それを分析していく方向に考えていく推論方法。拡張的推論というのは、ある前提を広げていく推論の方法です。

帰納法というのは「こういう現象がある」「こういう現象もある」「こういう現象もある」「ということは、こういうことが言えるんじゃないか?」ということを推論していく方法です。

それに加えて、じゃあアブダクションというのはなにをするのか? という話です。まず、この3つの推論方法があって、分析的、拡張的と分かれているんだなーということだけ、頭に置いておいてください。

deductionとinduction

さっそく今の推論の3つの違いを、みなさんに簡単に感じていただこうかなーということで、簡単な例をご案内します。

「雨が降ると花が散る」と書いてあります。Aに「雨が降る」という現象、Bに「庭の花が散る」という現象があったとします。AからB、雨が降ると庭の花が散るんだね、ということを説明するための、3つの推論の違いというのを、ちょっと見てみてください。

まず、演繹、deductionですが、演繹は大前提があって、小前提があって、結論がある。いわゆる三段論法ですね。「雨が降ると花が散る」という大前提があります。小前提は、今目の前に見えている現象「今日は雨が降っています」。ということは、「今日は庭の花は散りますね」というのが、演繹的な物の考え方です。

有名なところで言うと、「人間はやがて死ぬ」「ソクラテスは人間である」「よって、ソクラテスはやがて死ぬ」というような三段論法が、演繹の代表格としてよく言われます。 こういった形で、ある大前提があった状態で、それを推論していく方法を演繹といいます。

一方で帰納法、inductionですが、これはいろいろな現象を見ていって、その部分的なサンプルから全体を推論するという方法です。

例えば、「この前、雨が降ったときに花が散った」「そういえば、その前のときも雨が降ったら花が散った」「その前の前も、雨が降ったら花が散った」「ということは、雨が降ると花が散るんだね」と。

これはどちらかというと、経験的な積み重ねから推論したり、もしくは、こういう現象、こういう現象、こういう現象、それらから考えると全体もこうだと言っていいんじゃないか? という方法の推論です。

お仕事の中でも、例えば100人のサンプルにアンケートを取って「この商品どう思いますか?」といって、まあ8割の人が好きですと言っていると。ということは、マーケット全体の8割は、これを好きでいてくれるんじゃないか? というような推論というのは、日常的にすると思うんですけれども。その方法は帰納法のinductionになりますね。

アブダクションの推論形式

じゃあ3つ目のアブダクションはなにか? これはまず最初に「庭の花が散っているな」という現象があります。で、一般論として「雨が降ると花って散るよね」という知識や経験があります。「ということは、きっと、雨が降ったんだろうな」と、ここで仮説が生まれます。これがアブダクションなんですね。

このアブダクションの推論形式を、チャールズ・パースは公式のような形で説明しました。

ある一つの「驚くべき事実C」というのがまずあります。でもある説明仮説を考えるんであれば、このCというのは当然だよな。よって、説明仮説が成り立つ。ちょっとややこしいんですけども。これがチャールズ・パースが言ったアブダクションという推論形式ということなんですね。

これだけだとちょっと理解しにくいので、下に少しわかりやすくしてみます。どういうことかというと、なにか現象を見て、「あれ?」って思う。「あれ?」「なんだろうな?」、これを驚くべき事実だとします。

「あれ?」っと思う。でも、「それはホニャララだからだろう」と考えれば、「あれ?」と思ったことも、「そりゃそうだよな」と頷ける。ということは、「ホニャララだ」と考えたという仮説は成り立つだろう、と考えるのがアブダクションなんですね。

いまのを見ていただいた上で、さっきのアブダクションの例、「雨が降ると花が散る」のところに戻ってくると。「庭の花が散っている」と。花が散ってるということ自体、家を出かけるとき、普通であれあ見過ごしてしまうような小さなことかもしれないですけれども、そこで、「あれ?」と思う。「なんで花が散ってるんだろうなー?」って。そのときに一般的な自分の知識として、「雨が降ると花って散るんだよなー」と思い出す。

もしくは、「雨が降ると花って散るものだろうな」と思うと。その上で「ということは、きっと昨夜雨が降ったんだろうな」というような説明仮説が成り立つ、というのがアブダクションなんですね。

目の前に見えていないことを新しく発見する力

この3つの違いをもう1回ここに整理をしたんですけれども。先ほど、分析的推論と拡張的推論とを分けているとお話しましたけれども、演繹のことは「論証の論理学」とも言われます。一方で、このアブダクションは「探求の論理学」というふうに言われるんですね。

この一番大きな違いはなにかというと、演繹では最初の大前提の中に、もう結論が含まれているということです。

例えば、先ほどのソクラテスの例で言ったら、「人間はやがて死ぬ」と。なので、「ソクラテスはやがて死ぬ」という結論になるんですけれども。新しい知識とか、新しい見方というのは、そこからは出てこないですね。ある前提を辿っていくと、当然ながらこういう結論が導けるということなので。

私たちがビジネスの中でふだん使っているロジカルシンキングでは、この考え方は絶必だと思います。大前提があって、その範囲の中で推論していくとこういう結論が導き出せると。

アブダクションというのは、現象としては現れていない仮説をイマジネーションの中で構築する作業なので、今目の前に見えていないことを新しく発見するってことが大きな違いなんですね。なので、探求の論理学と言われています。

アブダクションと同様に「拡張的推論」と位置づけられる帰納法については、ある現象が複数あるということを見ながら、推論を立ち上げていきますよね。例えば「あの女の子はK-POPが好き」「BちゃんもK-POPが好き」「CちゃんもK-POPが好き」、「ということは、若い女の子はみんなK-POPが好きなんだろう」というふうに推論するのが帰納法なんですね。

おなじ「拡張的推論」の中でも「正当化の文脈」と言われるわけですが、「Aちゃんもそうだった」し、「Bちゃんもそうだった」「Cちゃんもそうだった」から、「若い子はみんなK-POPが好きなんだ」というふうに、同様の事象が集まることで推論の正当性が強化されていくわけです。

これに対してアブダクションというのは、まだ誰も考えてないかもしれないことも含めて発見をする、「発見の文脈」と言われます。

科学的な発明や発見には、たいていアブダクションが関与している

これ、なかなか難しくてわかりにくいので、もう1回戻るんですけれども。これですね。この「驚くべき事実C」があって、じゃあ、説明仮説Hが成り立つんであればCは当然だよな。よって、説明仮説は成り立つな、というこの公式ですが。

万有引力を発見したニュートンは、リンゴが木からポトっと落ちたのを見たのをきっかけに、「地球には引力というものが働いているんじゃないか?」と仮説していったわけですね。

ニュートンが見た、リンゴがポトッと落ちること自体は、普通の人から見たら、何も驚くことではないじゃないですか。驚くことではないんだけれども、そのときニュートンは、「あれ?」と思ったんですね。「なんでリンゴって落ちるんだろう?」って。

そこから仮説をつくっていくわけですけれども、「じゃあ、地面と物体の間でなにか引き合う力が働いているんじゃないか?」「だとしたら、あのリンゴも、このリンゴも、それ以外の物体も全部地面に落ちるという説明がつくんじゃないか?」とニュートンは思ったわけですね。

それでその「『引き合う力』が働いているという仮説が成り立つのであればすべてのリンゴは落ちて当然だ。」そこから二歩も三歩も推論を進めて「ということは、この世界全体になにか、惑星同士すら引き合うような力が働いているんじゃないか?」と仮説を組み立てていって、万有引力という新しいアイデアを打ち出したわけですね。

言わずもがな私たちにとっては当然の摂理ではありますが、当時は万有引力というコンセプト自体なかったわけですよね。考え方自体がなかった。このことを、説明仮説という形で、「これが説明できるんであれば、こういう普遍的な真理というのがあるのでは?」と仮説を形成していったのがニュートンでした。

科学的な発明とか発見には、たいていこのアブダクションが関わっていると思います。とくに大きなパラダイムシフトになったような、なにかしら価値観の転換に関わるような発見には、アブダクションという推論の方法が関与していると言えると思います。

探究と想像のプロセス

例えば、「回っているのは地球のほうだ」と言ったコペルニクスも、当時にしてみればクレイジーな発想だったことでしょう。それもやっぱりなにか、「あれ?」って思ったんですよね、最初。だけれども、もしも地球が太陽のまわりを回っていると思えば、「『あれ?』って思うこと全部説明つくよなー」と。じゃあそのつもりでいろんな現象を見ていくと、どれを見ても、もう地球が回ってるとしか思えないとなってくる。

そこから、一つの科学的な推論というのができていくわけですね。いまはニュートンだとかコペルニクスだとかの、ちょっと大きな話になってますけども、私たちの身の周りでも、こういう推論方法というのは、いろんなとこで働いていると思います。とくに、「なんだその手があったか!」と思うようなジャンプのあるアイデアには、途中で「ピョン」と飛んだ仮説の形成というのがどこかで働いていると思うんですね。

日常の中でも、そういった思考を働かせていることは多かれ少なかれあると思いますが、これを統制のとれた推論の方法だと思うことによって、例えばみなさんが、この「驚くべき事実C」にあたるものとして「あれ?」と思うところから、「あ、これはなにかの発見につながるかもしれない」と推論を進めることがしやすくなると思います。

なので、今までだったら見過ごしてしまっていたかもしれないことを、今日アブダクションという考え方を持って帰っていただくことで、「あ、これアブダクションしてみるとどうなるかな」というのが一つみなさんの中に入るだけで、明日からなにか風景が変わるかもしれない。

基本的に、さっきお話したロジカルシンキングって、演繹と帰納を行ったり来たりしているはずなんです。ある大前提があって、それを論証していく。

もしくはさっきのアンケートの例のように、いろんな事象があって、「ということはこういうことが言えるんじゃないかなー」と帰納的に考えて行ったり来たりしているはずなんですが、より創造的に、よりクリエイティブに物を考えたり、事を進めていくためには、最初にアブダクションをするのがいいでしょうというのが、このチャールズ・パースの言う「探究と想像のプロセス」です。

仮説を強化し、論理を前に進めていく力

仮説を具体論にしていくのが演繹、仮説を検証していくのが帰納だとして、仮説を創出するのがアブダクション。それで、ここをグルグル回していくことによって、仮説が強化されて、論理が前に進んでいく。

ここでまずは、なにか世の中の現象を観察しています。それで驚くべき事実に、「あれ?」と思ったんです。この、「あれ?」というのを、「こういうことが真理であれば説明がつくなあ」ということを思います。そうすると1個の仮説ができるわけですよね。

さっきのニュートンでいえば、「物質同士が引き合う力が働いているんじゃないか?」という仮説があったとします。そうすると今度は演繹のところで、その大前提のところに仮説を入れちゃうんですね、物質同士は常に引き合う力が働いてる、「ということは……」ということで論証を進めていく。

最終的には帰納のところで、「ああ、あのリンゴも落ちた」「この物質も落ちた」「あの洗濯物も落ちた」というふうに見ていくことで検証をしていくと。これをグルグルグルグル回すというのが、探究とか想像のプロセスとして非常に強力ですよ、ということをチャールズ・パースは言ったということですね。

実際に私たち編集工学研究所も、基本的にはこのプロセスで仕事をしていますね。最初にアブダクションから始めないと、みんなが考えることしか考えられない。編集工学研究所にご相談いただくことは大抵「みんなが考えないようなことを考えてください」ということが多いので、まずアブダクションが強力に働かないとお仕事にならないというのもあります。そのプロセスは、パースが言ってるとおりで、私たちがやっていることも同じです。

ちょっと理屈が続いちゃったので、みなさんにも少し頭をほぐす感じで考えていただきたいんですけれども。先ほどもお話したように、アブダクションって、別にことさら難しいことではないはずで、身の回りにいろいろあると思うんですよね。

今日は「驚くべき事実C」だとか、少し難しそうな言い方をしていますが、ちょっと考えてみれば「あ、なんだ、こういうことだよな」と思っていただけるはずです。