12歳で全盲になった大胡田氏が出会った本

西田陽光氏(以下、西田):私なんか、歯が抜けたり腰を痛めただけでも絶望しがちなんですけど、大胡田さんは12歳まではお見えになった目が、ある日突然、全盲になるということは、どんなお気持ちになられましたか?

大胡田誠氏(以下、大胡田):僕の場合は、まず不便ということはありましたよね。本も読めなくなったり、外を自由に歩くこともできなくなってしまって、いろんなことができなくなって、まず不便というのがありました。

当時の12歳というのはけっこう多感な時期ですので、いろんなことができなくなった自分を誰かに見られたくない、という思いがありました。「かわいそうに」と思われているんじゃないかなとか、あるいは「あんなこともできないのか」と笑われているんじゃないか。

そんなふうに思っていた頃、仲の良かった友達ともだんだん疎遠になってしまって、ちょっとした引きこもりのような状態になっちゃって。周りのみんなよりも劣った存在になってしまった。そんなコンプレックスを抱くようになったのが12歳の私だったんです。

西田:それを克服できたのは、どんなきっかけでした?

大胡田:いろんなことが複合的に作用したんだろうとは思うんですけれども、一番大きかったのは、やはり中学校に入って、点字の勉強をして図書館で本を探していたときです。中学校2年生の夏休みに、宿題で読書感想文を書く必要があって、本を探していたんですけれども。

たまたま、『ぶつかって、ぶつかって。』という本がみつかったんです。

ぶつかって、ぶつかって。

この当時は、目が見えなくなって、あまり時間が経っていませんでしたので、いろんなところに頭をぶつけたりして、たんこぶが絶えない状態でしたし、人生のいろんな可能性が閉ざされてしまった、人生の壁にぶつかってしまったというような思いでもあったんです。

なので、この『ぶつかって、ぶつかって。』という本が気になって。ページをめくってみますと、この本は私と同じように、全盲の障害を持っているけれども、日本で初めて、点字を使って司法試験に合格をした弁護士の書いた本でした。

竹下義樹という弁護士が書いた本だったんです。この本を読んで、とても驚いたわけです。全盲になってしまって、いろんな可能性が閉ざされた。そんなふうに思っていたけれども、それは自分の思い過ごしだったんじゃないか。

まだいろんな可能性が自分には残されていて、それを開花させることができれば、自分で人生を変えていけるんじゃないかな。そんなふうに思ったんです。この当時は、さっきも言ったように、周りのみんなに劣った存在になってしまったというコンプレックスを抱えていました。

けれども弁護士になって、もちろん弁護士というステータスのある仕事に就くということも、ひとつの意味があったと思いますけれども、それに留まらずに、なにか困っている人のために、働くことができる。

そうしたならば、今抱えているコンプレックスからも自由になれるんじゃなかろうか。そんなふうに思って、弁護士を目指すようになった。結局、弁護士になることができたのは29歳でしたので、憧れを持ってから15年間かかったんですけれども。

自分が目を悪くして、そんなコンプレックスを抱えている中から、最終的に立ち直ったのは、たぶん弁護士の試験に受かった瞬間だったかなと思うんです。

自分で人生を変えられるんだということを、確証をもって実証できた。だから、そういう意味では、長い長い戦いでしたよね。15年くらいずっとずっとコンプレックスと戦ってきたと思っています。

「凡人ではできなさそうなこと」への挑戦

西田:言うは易し、行うは難し、なんですけれども、この自存する(注:他の力に頼らず自らの力で生存していくこと)という感情は、わかっちゃいるけど大変ですよね。

そういう意味では、高橋さんすごいですよ。私は20年前から存じ上げているんですけど、親御さんは学校の先生、お母さまも幼稚園の先生で、どちらかというと公務員で、硬い家庭なんですけれども。

(高橋さんは)ヤンキーっぽいけれども、読書好きのヤンキーだし、親に心配をかけたくないから、夜中にバイクに乗ったりしながらも勉強をしたり、変わったヤンキーの在り方をしていたと思うんですけれども。

その上、普通はお金がなくて、学歴がなくて。そういう経験もないと、カクテルに憧れたからバーテンダーになって、お店持っちゃおう! って思わないですよ。(高橋さんは)思っちゃいましたね。

高橋歩氏(以下、高橋):意外と、もちろん、ショックの度合いはまったく同じというわけではないけど。だけど、俺も本当に親父は小学校の先生、おふくろは幼稚園の先生。大学行かなきゃ人生終わり。という家庭内の洗脳のもとで生きてきて、ちょっと尾崎豊とか、ブルーハーツとか、長渕剛を聞いて逆らってはみたものの、家族の縁は切られたくないから、一応受験勉強はするという感じで、ずっと20歳まで生きてきて。

二流だの三流だのの大学になんとか入ったけど、俺は夢とか持ってチャレンジしたいけど、そういうことで飯を食っていけるのは限られた人だけで。俺は親にはっきり、悪い意味じゃないけど「お前は凡人というか、特別な才能を持って生まれてないんだから、ちゃんと大学出て、良い会社入るということで十分でしょ」と。

そういう空気の中でずっと生きてきたけど、俺の人生そうなっちゃうのかなって。でも、夢を持ってがんばってる人かっこいいな、というぐらいだったけど。

さっきの弁護士への挑戦ということで言えば、俺はちょっと質があれかもしれないけど、トム・クルーズが主演した『カクテル』という映画を見て、バーテンダーになって自分のお店をもって、好きな音楽とか、好きなお酒に囲まれるというのに憧れて。

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仲間と借金して、初めて「凡人ではできなさそう」と言われてたことに挑戦してみて、店が繁盛したんです。さっきの(大胡田さんが)弁護士試験に受かったというところと、中身は違うけど。

何か1つ結果を出した瞬間に、周りが180度変わる

高橋:店が繁盛した瞬間に、バカにしてた人たちがみんな、急にワーッと180度変わって、「高橋くんって、俺が育てたんです」という人が十何人くらいできて。みんな、「素人が自己満足で飯食えたら誰も満員電車乗んねえよ」と言ってたのに、「昔から歩君は発想が独特だよね!」って。

同じことを言ってやってるのに、1個結果が出た瞬間に全員変わって、みんな味方になって応援団になるというような体験をした時に、なんか「世の中はこういうふうにできているのか」というか。

親も愛を持って言ってくれてたんだよね。だけど、俺を囲んでいた大人が言っていた、「一般の人は夢を叶えたり、好きなことで飯を食っていくことはできない」「ああいうことをできるのは特殊な人だけだ」というのは嘘じゃん。

そういうのは、自分のお店が成功したという体験で、開けたというか。そこからは完全に人間が変わったというか。もう「やりたい」って本気で思って「俺、成功するか失敗するか」というものの考え方ではなくて、「成功するまでやれば必ず成功するじゃん。だから絶対やめないよ」という感じ。

(俺は)センスがないから、けっこう遅いんだ。天才はいきなりうまくできる人。だいぶ学びが遅いんだけど、粘るから、結果うまくいくっていう。そうやってやっていけばいいんだって気づいたから、その後、本当にやりたいなということをやってきて。

出版社を作るとか、沖縄にビーチロックビレッジを作るとか、いろんなことをやってきたけど、全部同じパターンで。きっかけは、「あ、できるじゃん!」「大人の言うこと嘘じゃん」という。お店が1回成功するまでやったことは、(大胡田さんが)弁護士に合格した時に、「あっ」と思ったのと、たぶん感情としては近いところだったのかなという話で。

よく後輩たちに言っているのは、「一発がんばれ」「1個自信がつくところまでがんばれ」ということ。そしたらその後、やりたい放題な感じで、どんどんチャレンジできるようになる。失敗しなければ、ずっと一緒なんで。今話していて、そういうことを思いました。

生きづらくなりつつある世の中をどう変えるか

西田:竹井さんは経営のステージでクールな、非常に論理性があって、非常に仕組みとかさらさらとやってのけるように見えるんだけど、やっぱりすごい情熱の人だなって。

ちょっと繊細なことに触れさせていただくんですけれども、一生懸命、社会に貢献したいと思ってがんばっていたら、妹さんが亡くなってしまったっていうことを受けた時に、やっぱりいろんな衝撃を受けられたと思うし、今のがんばりにつながることは、どうお感じになって……。

竹井智宏氏(以下、竹井):そうですね。あんな仕事をしているので、あれなんですけど、ゼロイチが好きなんですね。だから高橋さんとすごく共感するところなんですけれども、学生時代からそんなことをいろいろやってきました。

その中で、東北の活性化にはベンチャーが必要だなっていうことで、ベンチャーで仕事をしていたんですが、突然に、妹が自殺してしまうっていう悲しい出来事がありまして、家族としては本当にどん底までいきまして。

ずっと家の中も、お通夜みたいな状態ですし、私としてはすごくショックだったのと、「なんで、こんなことが起こってしまったのだろう」っていうことをすごく考えさせられました。

ただ、翻ってみると、全国に2万人とか3万人とか自殺する人が年間にいるんだなっていうのを、そのとき初めて突きつけられて、こんなとんでもない悲惨な状況になっている家族が、逆にそんなにいるんだって思ったんです。

その中で考えたのが、「だんだん世の中って生きづらくなってるんじゃないかな」って。それが故に、自分なんか図太いので感じないんですけど、センシティブに感じる人が、先に亡くなっていって、ある種、警鐘を鳴らしてくれているんじゃないかなと思ったんです。

世の中が「このままだと大変なことになるぞ」という警鐘を鳴らしているのかなと思って。だとしたら「だんだん悪くなるっていうトレンドを変えないといけないんじゃないか」と考えている。そのためには、何をしたらいいのか。自分の力も限られているし、何人前もあるわけでもないし、何をどうすればいいんだろうという感じで悶々としていて。

ただその中でも、東北のベンチャー支援、私の前職の仕事をさせてもらっていたんですね。このままでも、もっと違うかたちをしなくちゃいけないんじゃないかって悶々としていたら、東日本大震災がどかんと2011年に起きまして、これは大変なことになったって。

東日本大震災の後の360度のがれきを見渡して

竹井:その時に私が所属していた会社は、あんまり震災復興支援とか積極的ではなかったのね。仙台が本社なのに、ぜんぜん積極的じゃなくて。

いや、「あんなことに関わったら会社がどうにかなっちゃう」「騒ぐな」と言うから、それは違うだろうと。この渦中にいる身として、自分たちが真っ先にそれをやらなくちゃいけないんじゃないかと思って。

それで、被災地のがれきの真ん中に立って見渡すと、(テレビなどで)見られた方もいらっしゃると思うんですけれども。360度のがれきという状態って、「これ誰が片づけるの?」という。テレビで見ているとまた違うんですよ。迫力……迫力っていうと陳腐ですけれども。すごく違って。「これを誰がやるんだ?」と思った時に、今まで自分はけっこう当事者になれてなかったなって思って。誰かが直していくんだろうって思った部分もあるんです。国がやってくれるだろうと思ったけど。

「いや、これ自分たち一人ひとりが率先してやらないと絶対」、もちろん「元通りにはならないし、その後の復興というのもないな」と思って、それで「自分でやらなきゃいけないんだ」って。

やれるかやれないかは別にして、やらなくちゃいけないんだって変な使命感がすごく強く起こって、それでその時勤めてた会社を飛び出して、今のMAKOTOを作ったんです。

西田:ちょっと家族の死に触れさせていただくんですけれども、家族の死が、身近な人が亡くなると、その時、自分は「なにかできたんじゃないか」って喪失感にすごく駆られたり、自分を責めることが往々にしてあるし、私の友人が世界の戦争の紛争地支援をしている時も、そのクラッシュがすごく大きくてもういいと。「生きる……別に」って。生きる希望というか、生きる力を失ってしまうんですけれども。

例えば、親御さんが死んでしまった子どもたち、孤児がいますよね。そのために靴下を編んであげてっていう、自分のためには生きる力を失うんですけれども、もっと大変な人のケアをすることによって、クラッシュした時の気持ちを蘇生させていく。究極のところ、自分のためにがんばるのはコントロールをしてしまうんですけど、誰かのためと思った時にすごい力が出る。