ぶっつけ本番に対応できる人しかゲストに呼ばない

司会者:「日本財団ソーシャルイノベーションフォーラム2018」分科会のフィロソフィー2『生きづらさの正体〜挫折は人生のスパイス〜』。みなさん、ようこそお越しいただきました。世の中いろいろ変化が激しい中で、なにかしら不安を抱える人たちが、若い人たちから年配の方たちまで、世代を超えてたくさんいらっしゃいますが、実際、強く逞しく生きておられる方たちもいます。

ということで、今日はとびっきりのゲストたちをお招きしております。最初に、ファシリテーターをしていただく西田陽光さんには、私はいつも仕事でお世話になっておりまして。とにかく実践、アクションということをとても大事にしておられる方です。

西田さんに今日のゲストのみなさんをお選びいただいて、おもしろいトークを披露していただくことになっています。このあと、始まりましてすぐ自己紹介の時間に入りますので、ここで登壇者のみなさんを壇上にお迎えしたいと思います。ではみなさん、拍手をお願いいたします。

(会場拍手)

ここからは、マイクを西田さんにお渡ししまして……これから2時間、よろしくお願いいたします。

西田陽光氏(以下、西田):西田陽光と申します。データで見ると西田陽光(という名前は)、太陽の陽に光(ということで)、ほとんど男子の名前と間違われるんですね……というようなもの(資料)もそちらに配っています。今日は最後までお付き合いください。

それから、今日ゲストの(みなさんが)おいでになられてビックリされたんですが、なんの打ち合わせも、なんの段取りも、どういうふうに進めるか(というのが)一切ない。……というので、(登壇者、各人)唖然としておられたんです。生きづらさを感じていらっしゃる最中でございます。

(会場笑)

というお話で。弁護士の大胡田(おおごだ)さんは、引きながら、すごく言い訳みたいな顔をしていらっしゃったんです。本当にそうだと思いますが、20年間こういった企画をしながら、ぶっつけ本番で対応できる人しかゲストに呼ばない、というのが私のやり方ですので、今日は大いに楽しんでください。

全盲の弁護士・大胡田氏が登壇

西田:それでは、まずは自己紹介というかたちで進めていきたいと思います。今日はぜひ、みなさんが感じたこと、それから、ストーリーではなく、「自分だったら〜」という自己の感情を、ぜひメモして持ち帰っていただきたいんですね。

日本人は学ぶことが大好き過ぎて、人の話の内容を記録したり、どういうことを言っていたかというのを要点整理しがちなんです。でも、そうではなくて、今日は一人ひとりのあなたのために、あなたが感じたことを。これが、「あなたを」「明日を」勇気づける言葉・感情だと思いますので、そちらのほうを大事にしていただきたいと思います。

では、大胡田先生から。まずは1番手となります。(バックスクリーンに映っている書籍を指して)もうすでに、たくさんの方が読んでいらっしゃるし、それからドラマにもなった。テレビの番組でご覧になった方はいらっしゃいます? 

(会場挙手)

ありがとうございます。今日は新しい本もお持ちなのでご紹介いただいて……では大胡田先生から自己紹介をお願いいたします。

大胡田誠氏(以下、大胡田):ご紹介をいただきました、弁護士の大胡田誠と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします。西田さんが名前のことをおっしゃっていましたけれども、私も大胡田という名前はけっこう珍しい名前で、なかなか耳で聞いて伝わらない名前で困るんですよね。

「大胡田です」(と言うと)「あ、おおだこですか?」なんて言われたりして。たこ焼き屋じゃないんだけどな(笑)。珍しいケースでは、「弁護士の大胡田です」と電話しますと、「おおぼら弁護士さんですか?」なんて言われましてね(笑)。おおぼら弁護士……悪徳弁護士というような感じがしますけれども(笑)、悪徳ではないな、と思っておりまして(笑)。

正しくは大小の「大」に、胡麻の「胡」、田んぼの「田」。これで大胡田と申します。今は弁護士になりまして、11年目を迎えました。弁護士と一言で言いましても、いろんな得意分野を持っている弁護士がおりますよね。

香水の匂いで浮気が見破れる?

大胡田:例えば、よくテレビドラマになっていたりするのは、刑事裁判、刑事事件です。殺人事件や障害事件を起こしてしまった犯人や犯人だと疑われている方の弁護をしていて、裁判所では裁判官に向かって「異議あり!」なんて弁護士がやっている。そんなシーンが出てきたりしますね。

ドラマと言えば、西田さんからご紹介いただきました、私の書いた『全盲の僕が弁護士になった理由』という本が、4年ほど前にドラマになったんですが、この本自体は、ぜんぜんサスペンスではないんですね。人も死なないし、なにか犯罪が出てくることもないんだけれども、サスペンスドラマになったんです。本当にテレビはいろんなことがあるなと思います。

全盲の僕が弁護士になった理由

全盲の弁護士が、ある殺人事件の真犯人を突き止めていく、というドラマになりました。俳優の松坂桃李さんが、全盲の弁護士を熱演してくださって。そのドラマの中で、松坂さん扮する全盲の弁護士が、ある女性の香水の匂いで浮気を見破る、というシーンがありました。

ですが、これはフィクションでございまして、まだ私は誰かの香水の匂いで、浮気を見破った経験はありません(笑)。

(会場笑)

でも、テレビの影響力は相当なものがありまして、このドラマが放映されてしばらくは「ちょっと大胡田くん、匂いを嗅いで」と言われることはよくありました(笑)。「浮気がわかる人なのではないか?」ということが一部で広まったわけですが、あれはフィクションなので、今日みなさんは、匂いを嗅がせないでいただきたい、と思うわけでございます(笑)。

そんな刑事事件をたくさん取り扱っている弁護士がいる(か)と思いますと、一方で、大きな会社の顧問弁護士、なんていうのもいますよね。こういった顧問弁護士には、毎日何千万円とか何億円という大きな取引のお手伝いをする仕事があります。

また、数はそれほど多くはないけれどもテレビのワイドショーのコメンテーターになったり、『行列のできる法律相談所』のような番組に出演してお茶の間の人気者になる、という弁護士もいますよね。こんな弁護士のことを業界的には、若干やっかみを込めて「タレ弁」と呼んでおります。これはタレント弁護士の略で「タレ弁」なんですね。

全盲の弁護士はどんなふうに仕事をしているか

大胡田:じゃあ、私はどんな弁護士なのかと言いますと、私の場合には「マチ弁」という言葉がぴったりだと思います。「マチ弁」というのは、おそらく町医者からきている言葉ですかね。町医者と言うと、町角に小さな病院を作って、市民のみなさんが病気になったり、怪我をしたりしたときに駆け込んでいく身近なお医者さんですが、私の場合には、その弁護士版と言うことができるのではないかと思います。

ですので、ふだん私のところに来てくださるお客さんの多くは、一般市民のみなさん。一般市民の方が直面する法律的なトラブルにはどんなものがあるかと言うと、例えば、離婚や相続なんていう家族間・親族間のトラブル。お金を貸した・お金を借りたという借金に関係したトラブル。あとは交通事故を起こしてしまった・交通事故に遭ってしまったという交通事故に関係したトラブル。

このような、身近だけれども、その当事者にとっては人生を大きく左右するような法律的なトラブルを取り扱っている、「マチ弁」としての私でございます。

また、私自身が全盲の障害を持っていますので、視覚障害に限らず、聴覚障害の方や知的障害の方といったさまざまな障害を持った方からのご相談というのも、かなり多く受けているのかなと思っております。では、そんな全盲の障害を持っている私がどうやって弁護士の仕事をしているのか。ちょっとだけそんなお話もしてみたいと思います。

目の見えない私には、目の見える弁護士とは違う工夫が2つあるんですね。それはさまざまなIT機器……目の見えない我々のために開発された、さまざまな便利な道具を使いこなすということ。それから、目の見えるアシスタントと、うまく二人三脚で仕事をする。こういった2つの工夫をしています。

例えば、ちょっと手元にある道具をご紹介しましょう。この小さな箱は何かと言うと、点字でメモを取ったり、そのメモの内容を、指先で点字で確認することができる電子手帳のようなものです。この中にはだいたい文庫本1冊分くらいの点字のデータが入りますので、毎日のスケジュールや仕事の裁判の資料などを、これに入れて持ち歩いております。

あとは、iPhone。 iPhoneの表面はツルツルで、手で触ってみても、どこにボタンがあるのかがわからないですよね? ですが、画面の文字を声で読み上げる機能がかなり充実していまして、ちょっと声を聞いてみますね。

(iPhoneによる読み上げ)

だいぶ早口ですが、こんな声で、例えばメールの文章やインターネットの画面などを読み上げることができたりします。あとは、この腕時計が変わっていて。アナログ式の時計で、時間の針のあるところで振動して時刻を教えてくれる、振動で時間がわかる、という時計を使っておりました。

物の色を音声で教えてくれる機械

大胡田:この筆箱くらいの箱ですが、これは何かと言うと、物の色を声で教えてくれる機械ですね。例えば私のシャツの色を聞いてみますね。

機械:「白」

大胡田:白ということですね。

高橋歩氏(以下、高橋)仕込みじゃないの?

(会場笑)

大胡田:あはは(笑)。いやいや、仕込みはないですね(笑)。ネクタイはどうでしょうね。今日は柄物ですが。

機械:「紫」

大胡田:紫ね。もう一つちょっとこの(お腹の)辺。

機械:「黒」

大胡田:黒と言いましたが、これは何かと言うと私のお腹の色ですね(笑)。

(会場笑)

大胡田:腹黒いということまでわかる!……わけはないですね(笑)。最後のは、ちょっとした冗談でしたが、こんな便利な道具がありまして。これまで視覚障害者ができなかったことが、いろいろできるようになった現代なわけでございます。

もっとも、こんな便利な道具がさまざまに開発されてきましましたけれども、やはり目の見えるアシスタントの手助けがとても大切で、私の法律事務所にも目の見えるアシスタントが2名おります。この2名のアシスタントが日々、私の目の代わりとなって、さまざまな資料を読んだり、裁判の証拠写真を代わりに見てくれたり。そんなふうにしてサポートをしてもらっている私でございました。

じゃあ、今日はどんな会話ができるのか、コミュニケーションができるのか、とても楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。

(会場拍手)

西田:では、今、いっぱい質問したいでしょうけれど、ちょっと待ってくださいね。

高橋:その前に1個だけ。この「色がわかる」というのは、簡単に言うとどういうことなんですか?

大胡田:僕も知りませんが、赤外線を出して、その反射の反射率を読み取っている機械のようですね。

高橋:そういうのがあるんだ。

大胡田:そうなんですよ。

高橋:今日、一番の感動になる可能性がある。

(会場笑)

「0から1」をつくるフェチ

高橋:どうも、よろしくお願いいたします! 高橋歩といいます。

(会場拍手)

高橋:僕は、いつもトークライブという講演をして2時間なので、今日は(自己紹介だけで)終わる可能性があるから、簡単に言います。僕は今46歳で、家族は19~20歳から付き合っている、さやかという信じられないくらい美人の……もう1回言いますね、これもお約束なので(笑)。さやかという奥さんがいて、16歳と14歳の子どもがいて。

今、住んでいるのがハワイ島のコナというところで……最近、溶岩でちょっと有名になったかな? 野生のイルカと泳げたり、星空が世界で1番きれいと言われたりするような、自然の中で暮らしています。

ご飯はなにで食っているかと言うと、基本的には僕は本を書いていて。6歳、4歳の子どもを連れてキャンピングカーで4〜5年世界を1周して、というような。そういう旅をしていたので、本を書いたりしていて。

日本、韓国、台湾で出版社を経営していたり。旅をしていて友達になる手段が僕はだいたいお酒なので、世界中を旅して気に入った場所……ニューヨーク、インドネシア、バリ島、ジャマイカといった至るところにレストランをオープンして。

もう1個、NPOの代表をやっています。昔、僕はヤンキーというか、金髪ボーンというような人で、バイクに乗っていて。その頃、ヤンキー仲間にコンビニの前に座り込んで、『マザー・テレサ あふれる愛』を読んでいるような、ちょっと不思議なマサテルさんという人がいました。

その人に憧れて、インドのバラナシというガンジス川の流れている街で……簡単に言うと、お金を払わないと学校に行けないスラムの子が無料で通える学校をやっていたり。

あともう1人、Bob Marleyというミュージシャンに憧れて、ジャマイカのキングストンのスラムで音楽学校をやっていたり。とにかく、なんら一貫性はありません。一応、父ちゃんとして子どもを食わせていく分だけ金を稼いでいればオッケーということで、そんなにお金は儲かっていないですが(笑)。

その父ちゃんとしての責任を果たしながら、とにかく「やりたいな」と思っていること……自分の言葉・感覚で言うと脳みそがスパークしたことというか。それを仲間を誘って「やろうぜ!」と言って、1個実現して、ちょっと軌道に乗ったら辞めるという。

軌道に乗ったことを維持することに興味がなくて。「0から1っていうことフェチ」というか(笑)。だからお金持ちになれないんですが、そういうことを繰り返しながら。震災があったときも……日本財団さんとはそういうところで繋がっていると思いますが、「僕ができること」ということで宮城県石巻に入って、ボランティアで道を作ってみんなで活動したり。

「戦争反対!」ではなく「友達を殺すなよ」

高橋:最後に、今やっていることのなかで一番燃えているのは、子どもたち。世界を旅したときに、世界中で心が嫌になってしまうくらい、いろんな問題が起きていて。よく言われるように5秒に1人子どもが飢えて死んでいる横で、俺たちはガンガン飯を残しているわけじゃないですか。

そういうリアルがいっぱいあるのも見つつ、でも1個、希望の光があって。自分の子どもたちが世界中で「◯◯人」というのは関係なくガンガン友達になっていくというのを見た。大人が友達になれば世界が平和になる、というのはわかるけれど、正直、簡単ではないですよね? 俺もいきなり「◯◯人と友達になろう」と思っても簡単ではなかった。

でも、子どもたちはまったく先入観がないというか。相手が「◯◯人」かも考えていないというか。一度、ブラジル人の子どもとうちの子どもが1時間楽しそうに過ごしていて、「君たち、何語で話しているんですか?」という感じじゃないですか。帰りに本当にけっこう仲良くなって離れていくのを見たときに、単純だけど世界中の子どもたちが、子ども時代に友達になったら、みんなそのまま大人になったら……。

震災のときに思ったけれど「震災支援」なんて言うから大袈裟で、福島に困っている友達がいたら「何か送るわ」って普通に送るよね。自分の国が戦争しようとしたら「戦争反対!」とかじゃなくて、友達のいる国に爆弾を落とそうとしたら「友達を殺すなよ」と言って勝手に止めるというか。

世界中の子どもがちゃんと子ども時代に友達になる機会を作ってあげて、友達になっていったら、今、世界で起こっている問題はほとんど……国と国ではなくて、人と人として、「友達だから」ということで、みんなが助け合っていけば、ほぼ解決するんじゃないか? とけっこう真面目に考えていて。

こんな能書きばかりたれていてもしょうがないので、今ハワイ島でやっているのは、世界200ヶ国の子どもたちが一緒に自給自足をしながら、学んだり遊んだり勉強したり……そして友達になる学校を(つくろうとしています)。校舎が全部、木の上のツリーハウスで、まだできていません。今作っているところで、そういう学校を作るプロジェクトをやっています。

あと、世界中で子どもたちが友達になるためのサマーキャンプみたいなものをやったり、そんなことを今いろいろやっていて、1人でも(仲間が増えて)……みんなが得意なことを活かして(なにかできたら)。学校と言ったって、僕1人ではなにもできないので。

このあと、一緒にやれる人が増えたらと思って、今日は来ました。過去に体験したことをいろいろ話すこともあると思うんですが、いい時間になればなと思います。よろしくお願いします。

(会場拍手)

プロフィール動画みたいなものがあって。

西田:今から流します。

(動画終了)

ありがとうございます。

高橋:先に流してから話せばよかったね。

(会場笑)

西田:いえいえ。あとでいろいろと……ニューヨークのお店がどれだけ注目を浴びて儲かっているのか、といったいろんなことを突っ込んでいきたいと思います。では、竹井さんお願いします。

震災後の「次の東北」を作る起業家を生み出す

竹井智宏氏(以下、竹井):竹井と申します。私もなにか動画を作ってくればよかったなぁと思うんですけれども(笑)。私は東北の仙台から来ておりまして、簡単に言うとベンチャー企業を応援する会社を作ってやっています。私自身、2011年の東日本大震災を仙台で経験しまして……街なかは大した被害はなく、家の中の食器が半分ぐらい割れてしまう程度で済んでいるんですが、翻ってみると沿岸部が大変なことになっていたり、福島の問題もあります。

そのときに、すでにベンチャーキャピタルというベンチャーに投資をする会社に勤めていたんですが、これは大変なことになったなと。もちろん瓦礫の撤去も、人命救助も大事ですけれども、そのあと必ず経済復興のフェーズがきて、東北は本当に大変な状態になってしまうんじゃないかと。

自分の得意な分野と言うと、ベンチャーを応援したりというところです。次の東北を作っていくときにはベンチャーが必ず中核になるし、その力が非常に必要だろうと考えまして、みんなに瓦礫撤去をやっていただいている間に、私はもう次のフェーズの準備をする、それが自分の役割だと思って、こういった活動をやっていました。

(震災から)7、8年経って、初め1人だった会社も、今は16人になりました。やっていることは、ファンドを作って投資をしたり、起業家が生まれやすい、そして育ちやすい環境を作る、ということだったり。それから自治体と組んで、いろいろな地域での起業家支援をやっていったり。あとは大学と組んで、大学発ベンチャーやハイテク技術を使ったベンチャーを作っていったり、ということをいろいろとやっています。

スライドが多くて、あんまり細かく説明してもアレなんですけれども……場作りやコミュニティー作りというところも、かなりたくさんやってきましたし、東北各地域でこういった支援プログラム、それから銀行ともガツッと組んだり、東北中の自治体と提携したりということをしています。

今、仙台市さんと動いているのは、東北から本当にリーダーになるような起業家を……しかも、ビジネス的にも大きく成長するようなものを育てていこうというプログラムも展開しています。

失敗した人だけに投資するファンドが10億円調達

竹井:それから、やっぱり地域の大学は、地域の経済を作っていく上でも非常に重要だと思っています。ここには世界と戦えるネタがあるんですね。これを事業に置き換えていく、繋げていくということが大事なので、大学の中に拠点を作らせていただいて、「起業したい!」という学生たちがたくさん来ています。

今、セミナーをやると、席が足りない超満員という状態になってしまって、床に座り込んで見るという熱い学生もたくさんいて、そういう人たちがやっぱり次の時代を作っていくな、というところでサポートをしていく。

ファンドを作って投資をやっているんですが、変わったところでは、再チャレンジに特化したファンドがあります。つまり、起業するのは良いですが、「起業して失敗したらどうしよう?」と思うじゃないですか。失敗したときは手のひらを返して、社会から抹殺されてしまうんじゃないか? ということをみんなが恐れていると思うんです。だから、「むしろそこに投資するよ」と言って「失敗した人だけに投資する」というファンドを作ったんですよ(笑)。

これは、銀行さんに話を持っていくと「絶対に無理だよ」と言われるところなんですけれども、福島銀行さんだけが「それは素晴らしいね! その話、乗った!」と言って、10億円出してくださったんです。すごかったですね。これはある種、日本の風土に風穴を開けてやろう! という取り組みなんですが、これができれば逆に、起業することも恐くないという世の中になるんじゃないかなと思ってやっています。

みなさん、失敗したときにぜひ来てください。

(会場笑)

その他、実験的なファンドをいろいろやっていて……あとは、投資したところも、順調に成長していただいています、というところです。私たちのミッションとしては、人が本当に幸せに生きられる社会を作りたいと思っていまして。

今日登壇している他の方とも、そこについて非常に共通する部分があるんじゃないかなと思っていますが、私たちは、「ベンチャーを支援する」「起業家・チャレンジャーを応援する」というところを通じて、そこの目標に近づきたいな、ということでやっています。

今日(の他の登壇者)は非常に個性的なお二人で、西田さんも含めるとアウェー感が半端ないのですが(笑)、良い議論ができるのをすごく楽しみにしています。ありがとうございます。

(会場拍手)

大切な人を亡くすこと以上に、人が奈落の底に落とされる経験はない

西田:なにも打ち合わせをしていませんしね。大胡田さんは、法律の世界と人生論だけで人生を拓いたという、本当にご想像どおりですが、高橋さんと私はちょっと自由人なところがあって、思ったことを言ってしまっているというところで、楽屋では楽しい話ばっかりで打ち合わせがないので……。

竹井さんとしては、経営において銀行との関わりや、起業家を育てるというきちんとした段取りを重視されているので、「う〜ん……いいんですか?」という感じだったんですけれども、「大丈夫です。そういう危機に強い人しか呼んでいませんから」なんて言うので、「う〜ん……」という納得のいかない(ところがあって)……早めにおいでいただいたわりには(笑)。

竹井:そんなことはないですよ(笑)。さっきは触れていなかったんですが、私は、十数年前に妹が自殺しまして、1年前に息子を事故で亡くしたんですね。ですので、そういった意味では「生きづらさの正体」と言ったら語りづらくてしょうがないというところで(苦笑)。必ずそんな話になるだろうなと思って、ちょっと心の準備が欲しかったというところでした。

西田:たいへん人生のセンシティブなところを呼びながら、明るくバカ笑いをしているし、この人たちの生きづらさはなんなのさぁ? というような。去年のちょうど夏ですよね? 私もFacebookでお仕事中にご子息が亡くなった(というのを知った)ので、「わからないけれど、とにかく戻らなくちゃ」という……思い出しても………私自身もショックでした。かわいい盛りですからね。

2人目のお坊ちゃんだから、お母さまもだいぶ(子育てに)慣れているだろうし、というので(竹井さんは)仕事に邁進していらしたときに……。友達であっても、親であっても、子どもであっても、命を失うことは、もう理屈を超えたどうしようもない……人間が、こんなに失望というか、奈落の底に落とされるという経験は、ないと思うんですね。

この会場でもそういうご経験をされた方も来ておられると思うし、生きているとそれに遭遇していく。その中でも、また次を目指して生きていくときに、私たちは元気というか、諦めというか、納得というか、そういうものを自分に見つけながら進んでいく、ということがあると思うんですね。

(竹井さんの中には)「私を呼びましたか!?」というニュアンスが、たぶんあったと思うんですが、そこに触れないで「来てね」という時間だけで、なんの説明もないまま今日を迎えたんですよね。でも、そういうことは知っていた上で、お声をかけさせていただいたという経緯がありました。