「校長の右腕」という公職に就いた理由

中原健聡氏:中原と申します、今日はよろしくお願いします。キャリアは、大阪体育大学というところを出て、プロサッカー選手になったことから始まります。スペインに行って3年ほどプロサッカー選手をしていたんですが、プロになった過程が面白いということから、キャリア教育の一環で講演に呼ばれて、こうやって話をさせてもらう機会が増えました。

そうしていくうちに、僕自身、教育に対してすごく思いを持つようになって、学校を建てようと思ったんですね。学校を建てるためにサッカー選手をしていて、ある程度整ったということで2014年に帰国し、学校を建てる準備をはじめました。なので職歴を見ていただくとだいたいこういう感じですね。

パッと見たら、ただ単に職歴が荒れているやつなんですね(笑)。サッカー選手をやったあと、大学で働いて、小学校の先生を2年間して、そのあと札幌に移って。すごく職歴が荒れているやつです。

でも、なんのためにこういったことをずっとやっているかというのは、2011年から実は変わっていなくて。教育の発展のために、サッカー選手をツールとして使って、学校を建てようと思っています。それで学校を建てる最後のキャリアとして、校長の右腕になりました。これ、本当の役職なんです。「校長の右腕」という役職なんですよ。ネタみたいなんですけど(笑)。

2016年に僕が小学校の教員をしているときに、インターネットで全国に公募があったんですよ。この新陽高校に縁もゆかりもなかったですし、荒井校長先生とも知り合いでもなかったです。

それに応募した理由は業務内容ですね。業務内容は白紙で、条件はなにかに本気で挑戦したことがある人。そのときに「これだ」と。僕は今、本気で学校を建てることに挑戦しているし、業務内容が白紙ってことは、たぶんやりたいことをやらしてくれるんだろうなと、そういう思いで応募しました。面接時にも学校を建てる話をしました。

選手当時の監督が、今ではスペイン代表の監督に

続いてサッカー選手のときの話です。一番上とその下の記事は、インターネット上で読めます。ちょっとびっくりしたのは、僕が当時練習生として参加していたチームの監督だった人が、この前スペイン代表の監督に就いたんですね。ルイス・エンリケという方で、サッカーに対してすごく情熱があって、僕にサッカーには原理・原則・現象があることを教えてくれました。そして、生き方にも気づかせてくれました。彼はいつも「サッカーは生き方だ」ってずっと言っていたんです。そんな彼がスペイン代表の監督になったのを知ってうれしく思いました。

(スライドを指して)小林さやかさんという方がたまたまブログに僕のことを書いてくれたことがあって。僕のことはここに一番わかりやすく書いてあります。ほかの記事は長いんですけど、この記事は、すごく短いんです。

(会場笑)

すごくわかりやすいので、これを読んでもらったら「中原ってこんなやつなんだな」というのがすぐにわかると思います。ぜひ読んでください。宣伝しておきました!

小林さやか氏:ありがとうございます(笑)。

(会場笑)

廃校直前の新陽高校に赴任

中原:それでは、新陽高校についてお話しさせていただきます。新陽高校について知っている方は、手を挙げてもらえますか? 札幌にあるんですけど。

(会場挙手)

ありがとうございます。

この新陽高校、実はもう潰れる寸前だったんですね。僕が2017年に赴任した時も、まだまだ厳しい状態でした。ここで踏ん張らないと本当に終わるという感じでした。

(スライドを指して)全国的に見ると平成26年度にはこのぐらいの学校が統廃合しています。今後もこの数は増えていきます。そして小・中・高の統廃合率のダントツトップが北海道です。続く2位が東京なんですよ。少子高齢化のあおりを受けていることもありますし、いろんな要因が僕はあると思います。新陽高校はこういった状況にありました。

(スライドを指して)この2016年2月に、今の校長である荒井優さんが着任しています。入った当初、生徒は過去最低の人数でした。今は一応、1学年の定員が280人のところ、だいたい300人います。なので、3学年が全部入れば900人いるはずなんですね。それが当時は500人弱の状態でした。それから2年くらいで、今はなんとか経営回復して、過去最高の人数にまで増えました。

僕が入ったのが、この2017年度。ちょうど今の2年生が入るのと同じタイミングです。

学校改革 2つのキーワード

その改革といいますか、学校をさらに発展させていくのに、2つのキーワードがあるかなと僕は思っています。1つが「教育のリノベーション」、もう1つが「学校の価値」です。

まず1つめとして、校長の荒井優さんと学校のことについて話をするなかで、僕らは「なんのために学校は存在しているのか」とよく話します。あと手段と目的を間違わないことを意識しています。例えば、なんのためにICTを入れるのかなどですね。ICTを導入することが目的になってはいけない。

どうしても、みんなが一番見えるところを聞くんですよ。「これ、なにしているんですか?」って。

正直、「なにをしているか」というのは、どうでもいいです。ぜんぜん重要ではない。重要なのは「なんのためにやっているか」。この「なんのためにやっているか」というところが、学校でも、ICTでも、または人生においてもすごく重要だと思っています。

(荒井)優さんは、最初にビジョンを話すんですよ。どういうところを目指そうか。学校は潰れかけていたし、もうどえらいことになっている。でも、そんなことはどうでもいいと。これからどうなりたいか。子どもたちにどうなってほしいか。そのビジョンを見つけよう、と。

新陽高校のビジョン

この3つのうちのどれかが本校のビジョンです。1.日本一に本気で挑戦する人の母校。2.世界的視野を持った市民的エリート。3.世界の課題解決に貢献する。

どれだと思いますか?正解は1番です。もともとは「本気で挑戦する人の母校」だったんですよ。それを今年度から修正して、「日本一に」というのを入れましたね。日本一に本気で挑戦する。

日本一をイメージするなら、例えば甲子園ですね。でも、僕たちが目指すのはそういうことではありません。それぞれがなんの日本一に挑戦するのかということです。ビジョンは一人ひとりが持つべきだと思うんですね。

部活動でとか、国公立や海外大学への進学率で日本一とかではなく、個人としてビジョンを持てる人を育てよう。それが最終的には、自分の人生について意味を持つ力になると思っているので。

例えば、去年僕が来たときの学校の雰囲気は今とは全く違うモノでした。職員室も静か……というか、シーンとしすぎて怖いぐらいでした。みんなもまだ本当に学校として生き返るのか疑心暗鬼だったのだと思います。「本当に経営回復できるのか?」「どうなるんだろう?」という、雰囲気が伝わる職員室でした。

なので、まず学校というものが変わるには大人が変化しないといけない。組織が変わるためには、「なにをする」かじゃなくて、「なにのために」を共有する必要がある。ビジョンに向かってまずカルチャーを作らないといけない。文化を作らないといけない。

それから、人が成長するマネジメントを考えて、僕らの得意不得意を理解して、特徴となる武器を作る。なので、去年1年間取り組んだのは、そのカルチャーづくりですね。学校としてのカルチャーを作る。

マネジメントは管理と勘違いしてしまいますけど、これってぜんぜん違うんですね。マネジメントは人や組織の成長を支援すること。植物の場合成長を施すためには土を耕さないといけない。人が育つのも同じで、管理されるのではなく人が育つ土壌を耕さなければいけない。こういったことをまずしっかりとしましょうと。

まずは教員から、本気で挑戦してもらう

学校で育つのは子どもだけではなくて僕ら教員も含めてです。成長するために必要なのは、先ほどもちょっとあったんですけど、本気で挑戦するということ。そして失敗を認めることです。失敗から学習する習慣をつけるために、挑戦させなければいけない。それはちょっとしたことでもいいんですよね。それをまず教員が行う。

なので、昨年に僕が提案した「探究コース」を作らせてほしいというアイデアも、最初職員会議に出したときは、みんなポカーンとしてましたよ。「本当に頭がぶっ飛んでいるやつが来た」「関西弁で変なことを話しているし、ネタなのかな? 本気なのかな?」というような。でも、僕は大まじめに言ったんです。そうやって、実際にチャレンジする姿をしっかりと見せることが大事だと思います。

有名な方もこうやって言っているように、管理ではなく、ちゃんと一人ひとりを伸ばすということがマネジメントなんですね。各分掌部長や管理職、教育委員会の方は、若手だけでなく現場の人たちがどんどん挑戦するために、その人たちの失敗を認めて、責任を負うことを恐れてはいけません。本校の管理職に関しては、本当にそういったことをすぐにやってくれる人たちです。

子どもたちも含めて、組織が変化するということを心から望む。変化を前向きに捉えて、一人ひとりがビジョンを持つ。それに本気で挑戦している。こういったことを支援するのが、学校におけるリーダーシップとしてすごく大事なんだなと思います。

学校はイノベーションが起きやすい場所

学校は気をつけないとリスクヘッジばかりするんですね。「〇〇したらどうしよう」なんて考えてもしょうがない。なにも起きなければ、なにも考えない。なにも考えなければ成長しない。変化のない現状維持は後退の始まりですから、しっかりと先を見ましょう。

昔は同じことを効率よくどんどん生産していこうというのが、1つのマネジメントだというイメージはあったかもしれません。

ただ、それも今は低コスト化していって、価格で勝負ができなくなってきたら、新しいものを作らなきゃいけない。同じことを繰り返し作るんじゃなくて、新しいものを作る。価値がないと思われていたものが、実は価値があるとみんなに思わせる力が必要です。

それには失敗から学ぶ組織じゃないといけない。そう改革していきたい。これは学校で起こせると思っているんですね。よく起業でイノベーションという言葉を使います。それは学校でも必要です。人がいっぱいいますから、学校が一番起きるんです。

なのでまず、学習するための組織に我々がなろうということです。

過去ではなく、描きたい未来から考える

次にプロセスです。よくいろんな企画書や事業計画書で、年号だけ変えて前年と一緒のものが出てくることってあると思うんですね。これはもう、本校ではありえません。基本的に去年と同じものは出せないようにしていますね、意味がないから。目の前の子どもたちは年々変化しているから、内容も変化させないといけないんですね。

例えば、運動会も含めて、やる必要がないと思えばやめるべきです。なんのためにするのかが明確じゃないなら、やめるべきです。やめるという力もつけないといけない。新学習指導要領で新たな教科が入ってくるとか、新しく始めることが出てくるんですね。でも、それでは溜まっていくだけなんですよ。だから捨てるという勇気も必要です。

今はどこの学校へ行っても、基本的には再現性が高いと思います。ある程度のルールがある。とくに公立なら、転勤したとしても、その学校にアダプトするまでそんなに時間がかかりません。だって、再現性が高く作られていますから。

でも、その必要はありません。その学校が育てた文化、土地柄、地域性には、それぞれの子どもたちの特徴がしっかりと表れています。だから、その子たちを見ながら作り直す必要があります。なので、再現性を求める必要はないということです。

一番大事なのは、先ほどの前例踏襲じゃないけど、なにかをやろうとするときに、過去のことからやるんじゃなくて、この先どうなりたいかを前提として話して、物事を作っていくことです。未来志向で、しっかりと先のことを見ようということです。

もちろん過去の失敗とかをいろんな経験から学んで、それを糧にしますよ。でも、基本的にはどうなりたいかです。子どもたちにどうなってほしいかということを思って学校を作っています。

事実から逃げずに向き合うことの大事さ

未来の学校って、いろんな機械があるとかそういった見た目にとらわれやすいんですけど、そうじゃないんですよね。

昔からの学校の姿が悪いわけじゃない。見た目じゃないです。

まずは子どもたちがどういった時代に生きているのかということ。僕らもそうですね。僕は今年、ちょうど30歳になります。15年前や20年前、自分が小学生のときに、こういう時代になるなんて、例えばスマートフォンが出てくるなんて、思ってもみませんでした。

僕が小学生のとき、スマートフォンどころか携帯電話だって持っていなかった。インターネットに常時接続するなんて思ってもいなかった。発想すらなかった。

今から20年後、どんな時代が待っているのか? 20年後、僕らはまだ生きてますよね。人生100年時代と言われている。僕たちも、それはしっかりと理解しなきゃいけない。

1つ、人口というのが大きなヒントになると思います。0歳からしか人は生まれないから計算がしやすい。だから、人口の予測はほぼズレない。

なので、世界的には人口は増えるけど日本は逆ですね。どんどん減ってきてしまう。でも、これはネガティブな話じゃない。予測ができているんだから、どうするかは我々に任されています。

例えば日本で僕の年代(30歳)から5年ごとに20万人ずつ減っています。でも、海外からの実習生を含めて労働力者は5年ごとに40万人増なんです。

ということは、子どもたちが社会で協働する瞬間、あとは面接とかで競う相手は、必ずしも日本人ということはありません。今すでにそうですけどいろんな人と協働しなきゃいけない。いろんな人と競う瞬間もある。だから、こういった事実をしっかりと把握しないといけないと思います。

ビジネスのパラダイムシフト

人口で言うなら、おもしろいのはやっぱりSNSですね。ユーザーは一つの国の人口を超えています。SNSでつながろうと思えばパスポートなしで人とつながれるんですね。もう国境という概念を超えてつながることができる。

このDellという会社はおもしろくて、カスタマーサポートセンターに電話すると、つながるのはフィリピンだそうです。ここがカスタマーセンターで、英語でサポートをしてくれる。アウトソーシングしているんですね。こういったこともできる時代になりました。

1992年代には、世界のTop50に日本の企業がいっぱい入っています。でも、今はもうTop50までに入っている日本の企業はトヨタだけです。しかも35位。会社・企業の価値というのも変わっている。これからもどんどん変化します。どう変化するかを自分たちが想像しなければいけないし、どう変化させるかを考えないといけない。これは、たった24年間のできごとです。

こういった時代だからこそ、今までの専門的な知識だけで生きていくことはまずないです。今後、どういう力が子どもたちに必要なのか、我々が未来を見据えようとしているかがすごく重要になります。

価値観はいとも簡単にひっくり返る

学歴なんていうものも、もう通用しない。現時点でもう通用しないですね。僕は学歴が高いかというと、ぜんぜん高くありません。僕が行った大阪体育大学は、偏差値45ぐらいです。偏差値45の学校に、僕は浪人して入りました。

僕は高校3年生まで部活だけ行っていたので、偏差値45のところに浪人してしか入れないぐらいのレベルだったんですよ。だからこそ、自分の実体験から思うんですね。最終学歴で仕事ができるという勘違いはひっくり返せると思っています。子どもたちにも、可能性を信じてほしい。

このような価値の変化はあまりにも激しいから、変化を捉えにくくなっていますが、この変化というのを捉えないといけない。

今後子どもたちが生きていく時代に、公務員が本当に安泰か。 僕はそうは思わない。そういう概念がなくなると思います。僕らが聞いていた仕事についてのイメージを子どもに押し付けないことがすごく大事です。

この写真は2005年です。携帯電話の数はどれだけ確認できますか? 8年後にはこうなるんですよ。

たった8年でこうなるんです。8年経ったらこれだけ変わる。テクノロジーが一般化するまでが圧倒的に速い。だからこそ、僕らはしっかりこの変化を捉えないといけない。

子どもたちは価値観の変化に気づいている

少子高齢化で、子どもがすごく減っているんですよね。統廃合もどんどん起きています。この学校、すごいですよ。2016年から開校3年で、今はもう7,000人超えました。テクノロジーの変化が、学習の方法もニーズも変えていること。この変化に気づかない学校はもちろん潰れる側になる。

だからこそ、しっかりと価値を変えないといけない。入試のために考査して、考査のために演習して、演習のために授業して。このサイクルを回すだけの学校に存在価値はあるのか? スタディサプリなどは低価格で、有名な講師の授業が見放題ですよ。

価値を変えていないのは、子どもたちじゃないんです。子どもたちはYouTubeを見ているし、気づいている。気づいていないのは、大人です。気づいていないわけじゃないかな。認めたくない。そこが1つの課題になります。

そのなかから今回はICTについての話をするなら、なんのために入れるかですね。すごいテクノロジーを学校に入れて、機械だらけの学校にすることがすばらしいことじゃない。なんのために入れるのか、です。

テクノロジーは自分たちの本来の力や可能性を最大化させるツール。イコール、子どもたちの学びを最大化させるためのツールとしてあると思います。

ICTについては先生たちの好き嫌いで判断をしがちなんですね。自分が扱い方を知らない物は導入したくないし、そういう知らないものに好奇心を持てなくなっている。子どもたちには「チャレンジしろ」「分からないといって諦めるな」と言いながら、自分たちは一切チャレンジしない。

これはよくないですよね。学校自身がチャレンジ、変化をしようとしているか?自分の好き嫌いじゃなくて、子どもたちのことを本当に想っているかどうか。先生がプロアクティブなマインドになれるかが重要になると思います。

「就職したい」のは、なんのため?

学校の価値ってなんなんですかね。先ほどの通信制のところは、3年間で7,000人を超えているんですね。世界を転々としながら、キャンパスを持たないミネルバ大学も同じですね。ハーバードやMITよりそちらに入るという人も出てきました。

学校という場には、人の可能性を最大化させる価値があると思っています。僕はこれを信じています。だからやっているんですよ。

その可能性に挑戦したのが今年度スタートした「探究コース」です。これを提案したときは現場の先生から「よく分からないことを言っているな」と思われましたが、先生たちは今、これを僕と走りながら創ってくれています。すららネットさんもそうです。

コース設立の背景としては、子どもたちがどのような状態かを知ったことがきっかけです。大人の声じゃなくて、子どもの声をまずちゃんと確認することから始めました。

高校や大学で講演会をしたときの一番の回答率はなにかというと「就職したい」というものでした。将来なにしたいですかって(聞いた答えが)「就職したい」です。

僕はなんのためにしたいかを聞きたいんですよ。でも、なにをしたいかすらも答えられないんですよ。「この原因ってなんなんだろう?」って考えたら、人が育つ環境に問題があるんじゃないかと。どういう大人と会ってきたんだろう? どういう言葉をかけられてきたんだろう? どんな影響を受けてきたんだろう? ここが1つのキーだと思いました。

進学率だけを追うと、目的と手段を間違え

実際こういった社会・時代を作っているのは、日本というこれだけの就学率を誇る国の教育機関を出た大人です。

「社会課題」と言いますけど、会社、学校、社会というのは人がいてはじめて成り立つので、社会課題じゃなくて「人の課題」なんですよ。

人の課題を解決するには、人が育つ環境そのものが変わらないと僕はループすると思うんですね。だからこそ学校を建てようと思いました。それで、今チャレンジしているのがこの「探究コース」です。

この「探究コース」の話を教育関係者にすると、「出口はどうするんですか?」ってよく言われるんです。「出口ってどこの話をしているんですか?」と聞くと、「大学入試ですよ」と答えられます。「大学入試? 別に教育のゴールじゃないでしょ。なんで教育のゴールが大学入試になるんですか?」と聞き直します。

進学率の高い学校っていっぱいありますよね。「〇〇の国公立へ行った」って。でも、その数字だけを考えていると、目的と手段を間違うと思うんですね。その先の人生……25歳、30歳、35歳のその人が、いきいきと人生を生きているかどうかが大切です。それを目指した結果の数字の話だと思います。でも、残念ながら多くの学校は数字を出すことが目的になっている。生徒の人生にフォーカスしていない。

偏差値よりも経験値を重視する「探究コース」

教育効果は人生を豊かに生きるスキルとマインドを持つことなので、僕にとっては国公立の大学に行くこと、海外の大学に進学することは、ゴールでもなんでもないという話はします。

目指しているのはこれです。日本の現状を解決して、世界の課題解決につながる。いろんな人がいきいきしている社会、そんな世界を実現する。学校を出てから、その人たちがいろんな場所でいきいきとしている世界を目指している。

だから、探究コースでは中間考査・期末考査をやっていません。偏差値じゃなくて経験値を重視している。子どもたちが生きていくための経験値を積み重ねてほしい。たった3年間しかないですから。3年間って本当に短い。だからこそ、本当の経験値を積む。

アナログとデジタルの融合を考えたときに、本来あるべきこと、人が集まっているのにすべきことってなんだろう? 黙って座ることかな。まるで個人事業主のように1人で机に向かう。僕はそうじゃないと思いますね。人が集まる意味がちゃんとある。

ゴールは人生そのものです。子どもが生きたいように生き続ける。その力を学校で育てたい。だから、教育、学校の場の価値というのを人生に置いているというのがあります。

「最後にどこで学んだか」なんてどうでもいい

僕らが持っているiPhoneもそうですけど、アップデートしたら中身がガラッと変わりますよね。その瞬間のニーズに合わせてアダプトしてきますよね。

人間はどうか。「最後にあなたがどこで学びましたか」なんて、どうでもいいんですよ。学び続けなければいけない。子どもの状況を見て、時代の変化を捉えて、僕らが時代を作っていかないといけない。最新学習歴をどんどん更新し続ける力が必要になる。

人生において、学校にいる時間はこの色が付いているところだけです。縦軸が1日。横軸は100年です。たったこれだけですね。

でも、ほとんどの人が与えられることに習慣化してしまうんですよ。テストを与えられて、問題を与えられて。なにか与えられたことをこなすことに慣れてしまう。

白いところを本当に自分で色を塗れるのかどうかが重要なんです。与えられるんじゃない。自分で色を塗る力ですよね。しかも、自分が好きな色を塗る。だから僕は教育効果は人生にフォーカスすべきだと話しています。

知識を得るだけではなく、身をもって経験することの大事さ

出会いとか原体験ってすごく大事だなと思っているんですね。自分自身の解釈ではなかなか物事を広げることはできない。だからこそ、いろんな方と出会って、いろんな方の生き方を知って、いろんな方の経験を吸収することで、少しずつ自分自身の視野、考え方、思考、可能性が広がると思います。

あとはいろんなことを経験するということ。机に向かって知識を覚えるだけじゃなくて、本当に経験する。だからこそ得意・不得意を理解するし、好き・嫌いを理解する。自分自身の特徴を理解することが、自分がどうしたら活き活きとなれるかを考えるきっかけになるんですね。だから、この原体験というのも大事。

なにが起きるかわからないんです。だからこそ、学校でリスクヘッジして、なにも起こらないという事実を作るのは間違っている。ちゃんと考えさせなければならない。いろんなつまずきがあっていい。それをサポートするのが僕ら教員であり、人ができることだから。それは機械にはできないでしょ。