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マイクロ波化学・吉野巌氏(全1記事)

イノベーティブな組織は「サバンナ理論」から生まれる マイクロ波化学を起業した吉野巌氏の経営論

マイクロ波化学プロセスの研究開発やエンジニアリングを手がけるマイクロ波化学株式会社の吉野巌氏のインタビュー。転校が多かった幼少期の思い出から、大企業を辞めて現在の会社を起業するまでの苦労を語りました。※このログは(アマテラスの起業家対談の記事)を転載したものに、ログミー編集部で見出し等を追加して作成しています。

7回の小学校転校、そして、アメフト三昧の高校~大学時代

アマテラス藤岡清高氏(以下、藤岡):吉野氏さんの生い立ちや育った環境などについて教えていただけますか?

吉野巌氏(以下、吉野):生まれは大阪です。両親とも関西出身で、万博記念公園そばの千里ニュータウンに3歳までいました。

父が新聞記者だった関係で、その後はいろいろな場所に転居しました。小学校1~5年までは海外転勤で、オーストラリアとアメリカに行きました。英語もわからないまま現地校に入れられ、落第を経験するなど苦労しました。日本に戻った後も練馬から横浜に転居し、小学校だけで7校も経験しました。

横浜国立大学教育学部附属横浜中学校を経て、慶應義塾高校に進学しました。そこからアメフトを始めて、大学まで7年間やりました。大学ではゼミにも入らず、朝から夕方までアメフト漬け。絶対行かないといけない授業だけ出席し、あとはずっと練習という生活でした。

三井物産に就職し、化学品業界へ

吉野:バブル景気のピークだった1990年に大学を卒業しました。私は海外に行きたいという希望から商社を受けて、三井物産に入社しました。

入社後は化学品部門に営業として配属されました。入社して1ヶ月も経たないうちに勝手に1人でお客様のところに行き、先方の課長とワケもわからぬまま話して帰ってきて、「勝手に行くんじゃない!」と怒られた覚えがあります。

営業の他に、タンカーの手配等のロジスティクスやケミカルタンカーのプロジェクト、石油製品のトレーディングなど幅広い業務を経験しました。自由な雰囲気の中でさまざまな業務を経験し、とても恵まれた環境だったと思います。

藤岡:三井物産には何年ほどいらしたのでしょうか。

吉野:10年です。「そろそろ海外転勤に」という年齢になっていました。しかし、もともと海外に行きたいと思って三井物産に入ったものの、10年経つうちに海外に行きたくなくなっていました。

当時携わっていたトレーディングという仕事の中心が東京にあり、海外転勤に向いていなかったことや、それまであまり深く考えないまま30過ぎまで来てしまったものの、「自分のキャリアについて一度しっかり考えなければ」と思ったこともあり、転職活動を始めました。

そんな時に商社を辞めた先輩がビジネススクールに行ったという話を聞き、「そういう選択肢もあるのか」と思いました。

三井物産を退職。自費で海外MBAへ

藤岡:社費でなく、自費で行こうと考えたのですか?

吉野:はい。退社を決めていたので自費で行こうと思い、受かるかどうかもわからないまま先に退職してしまいました。今考えると、よくそんなリスクを取ったと思います。

10校ほどにアプリケーションを提出し、運よくカルフォルニア大学バークレー校など数校に合格しました。訪問した時の印象と、以前にアメリカに住んでいたこともあり、バークレーに2000年9月から通い始めました。

その頃のアメリカではGoogleが台頭していましたが、日本でインターンをやった際にGoogleの話をすると、周囲からは「それ何?」という反応でした。アリババなんかもありましたが、まだまだ小さかったです。

私自身もインターネットに興味を持ち、いろいろと首を突っ込んだりしていたのですが、途中からどうも違う気がしてきました。

エネルギー・環境分野に興味を抱き、アメリカで就職

吉野:他方で、エネルギーや環境に関心を抱き始めました。そこで、エネルギーのコースを選択してみました。有名なエネルギーの専門家の先生で、カリフォルニア州の電力の委員長などを歴任されていた方でした。

その頃から、「環境やエネルギーをビジネスの力で良い方向に持って行けたら、おもしろいのでは」と思い始めました。

バークレーは変わった学校で、ビジネススクールの割にカウンターカルチャーというか、反体制的な雰囲気もあり、就職先としてコンサルや投資銀行ではなくNPO等に行く人も多かった。そんな中で、私自身もエネルギーや環境ビジネスをアメリカでやってみたいと考えるようになりました。

藤岡:日本には戻ろうと思われなかったのですか?

吉野:はい。「アメリカで仕事をしたい」と思ってビジネススクールに来る日本人は多いものの、言葉の壁があったり、日本の方が良い仕事があったりで結局は帰国する人がほとんどです。

しかし、私は「とにかくここで試してみたい」と思い、現地で仕事を探し始めました。

自力での仕事を探しはなかなか難しかったですが、1年くらいビザが下りていたので、仕事がないなりに楽しもうと思い、ヨセミテやグランドキャニオンなどの国立公園に行ったりしました。車にテントを積んで国立公園巡りをする合間に、就職活動をしていた感じです。

藤岡:就職先はどのように決まったのですか?

吉野:国立公園巡りや、留守宅に住み込みながら家やペットの定期ケアをするハウスシッティング等をしながら就職活動をしているうちに、シアトルにあるリードグローバルという会社から話をいただきました。

日系企業出身のアメリカ人が立ち上げたエネルギー関連ベンチャー企業を支援する会社です。ベンチャー企業がファンドレイズするのを支援したり、数ミリオンくらいのファンドを持ち、投資を行ったりもしていました。

私は日米の事業開発を手伝いつつ、エネルギー関連ベンチャーの調査などをしていました。

「世界中の化学産業を変革しよう」と起業

吉野:その後、「バイオノール」というセルロースからエタノールを作る菌を開発している会社と懇意になり、同社の事業開発を手伝うようになりました。バイオノールの事業を手伝う中で、「自分でも何かやりたい」と思いネタを探し始めました。

そして、アメリカから帰国後の2006年、友人の紹介である男と出会います。 大阪大学大学院の工学研究科でマイクロ波化学の研究をしていた共同創業者の塚原です。

彼はそれまで出会ったどの研究者とも違いました。誰よりも一生懸命でした。もっと言うと「テクノロジーで世界を変えたい」と本気で考えていました。 その後の1年間、お互い密に連絡を取り合うようになりました。当時の電話代を思い出すと今でもぞっとします。

「世界中の化学産業を変革しよう」という2人の気持ちは揺るぎないものになり、翌年の2007年に会社を設立することになります。はじめは自宅マンションの一室からのスタートでした。

リーマンショックと重なり、資金調達に苦労

藤岡:2007年に起業をされて以降、さまざまな壁に突き当たったかと思いますが、中でも印象に残っていることや、吉野さんの葛藤とそのときに下した判断等を中心にお聞かせ下さい。創業後間もなくのリーマンショックで、資金面では大変なご苦労があったかと思います。

吉野:初めは自己資金と公的資金を元手に開発を進め、その後ベンチャーキャピタル(VC)を回り始めたのですが、リーマンショックもあり、全く資金が集まる状況ではありませんでした。VCからはほぼ相手にされず、途中でいったん回るのを止めたくらいです。

公的資金や助成金を得るため、徹夜でプレゼンの準備をしました。もちろん、資金調達をすれば開発の結果も出さないといけませんから、並行してできることがあれば何でも必死でやるという日々でした。

藤岡:当時はまだ売上がない状況でしたよね。

吉野:ゼロです。私自身は当然給料も取っていませんでしたし、別会社を経営して、そちらで食べていたような状況でした。

藤岡:大型の資金調達ができたのは、いつ頃でしたか?

吉野:公的資金で繋いでいましたが、工場建設を決意してVCや金融機関に相談する中、ようやく東京大学エッジキャピタルに技術力と将来性が評価され、出資してもらえることになりました。

その後、ジャフコや産業革新機構、大阪大学ベンチャーキャピタル等の出資者に恵まれ、一号ラインとなる工場建設が実現したのです。

起業後、最も苦労した「一号ラインの壁」

吉野:起業以来のさまざまの壁の中で一番大きかったのは、「一号ラインの壁」でした。

弊社はマイクロ波を使ったさまざまなビジネスモデルを売り込んでいたわけですが、営業先のマネジメントに「マイクロ波技術で消費エネルギーは3分の1、工場面積も5分の1に削減できる」と伝えると、最初は興味を持たれます。しかし、その「実績」がないために受注に至らない。これが「一号ラインの壁」です。

とくに化学産業は、多額の設備投資が必要な重厚長大産業であり、数十年使っている設備も普通にありレガシーシステムが非常に強い。

「実績がないのであれば、自分たちで工場を建設し、そこでマイクロ波化学の技術を証明して見せるしかない」と考えました。

資金もない中での無謀なチャレンジでしたが、初めに神戸に実証工場を建て、それでもまだ足りず、さらに規模を拡大したプラントを住之江に建設しました。

住之江のプラントが完成した後は、ものづくりに慣れていない我々がものを作る大変さを「これでもか」というほど味わいました。また、売り上げも思ったように上がらない状態が続きました。

藤岡:コストはどうだったのでしょうか?

吉野:初めは売れば売るほど赤字が膨らむという状況が続きました。そこで、現場の技術者を中心に、とにかくコストを下げる努力をして、1年ほどで何とか採算ベースに乗せることができました。

藤岡:最初に工場を作るとなると、技術開発等を一気に進める必要があり、技術者の方たちにとっては大きなプレッシャーや負担があったかと思います。

吉野:そこはパートナーの塚原の手腕が発揮されました。彼はプロセスが不完全な状態においても試行錯誤しながらプロジェクトを前進させるスピード感がありました。

他方で、経営側の人間として私からは「なぜこれほど赤字が出るのか」「なぜこんなに金がかかるのか」と言わざるを得えませんでした。現場には反発もあったと思います。

ただ、我々には化学産業や世界のものづくりを変えたいという目標や、そのために実績が必要だという共通認識がありました。新たなプロジェクトをどんどん仕込み、実績を重ね、認知度を上げていかなければならない。それを原動力に、共に乗り越えてきました。

そして、100%自分たちで建設して運営している1号工場なしでは、今の私たちは恐らくなかったと思います。

問題も多い工場建設でしたが、仕組みが整い成熟しているこの業界においては、大変なリスクをとり実績を作ったことは大きな意味がありました。また、その過程で、モノ作り企業としての安全・安定への意識や、1円単位のコスト感覚等が身につき、企業として大きく成長することもできたと思います。

「サバンナ理論」でイノベーティブな組織に

藤岡:そこは吉野さんの決断力によるところが大きかったかと思いますが、ご自身が技術者ではないことで難しさを感じるようなことはありましたか?

吉野:いいえ、塚原の活躍もありましたので。我々は本当に異分野融合の専門家集団なのですが、個人の力のみに頼らず、みんなで課題解決や技術開発に取り組むチームワークの良さでここまで来ることができました。また、必要な時に必要な人が現れる幸運にも恵まれてきたと思います。

藤岡:彼らが働きやすい環境作りのために、何か意識されていることはありますか?

吉野:よく冗談で「サバンナ理論」と呼んでいるのですが、我々は会社の組織をサバンナのようなものだと捉えています。組織は成長の過程で適者生存の法則が働き、自然と最適な状態に向かうという考えのもと、あまり手を加えないようにしています。

もちろん状況に応じて必要な人材は採用しますが、コントロールされたカオスに対して、上から「これだ」とやらないようにするという考え方です。

藤岡:そうされている理由は何ですか?

吉野:その方が間違いなくイノベーションが生まれると思うからです。思ってもいないところで思いがけない開発が生まれることや、あるいは開発者の「絶対にやりたい」という強い思いこそが重要だと考えているので、それらを実現できる環境づくりについて意識しています。

この会社を今後どこまで拡大できるかはまだわかりませんが、そういう自由さやイノベーティブな状態を維持しながら拡大していくというのは、ひとつのチャレンジになるかも知れませんね。

自由な働き方に対応し、優秀な人材を確保

藤岡:人材について教えて下さい。実績がない中で、先行投資をスタートさせるにおいて、どのように優秀な技術者を集めたのでしょうか?

吉野:どこも同じかと思いますが、我々も人集めには大変苦労しています。人が一番重要なのに、後手に回りがちというのは今でも実感しています。

人集めは、ホームページからエージェントまでありとあらゆる手段を使っています。また、子育てなどから復帰を目指す優秀な女性は多いので、積極的に雇用しています。社風と同様、働き方も自由なので、いろいろな働き方をしている人がいます。

藤岡:時短勤務や在宅勤務等に対応されているのですか?

吉野:実験は危険を伴うので在宅ではできませんが、出勤時間等で普通にはないような制度を取り入れています。

あらゆる産業を支える基盤となるような技術を作る

藤岡:それでは、今後のビジョンについて教えて下さい。まずは短期的なお話ですが、どのような壁を乗り越える必要があるとお考えですか?

吉野:短期的な課題としては、人です。我々は技術開発の会社ですが、その技術を作っているのは間違いなく人です。

我々はあらゆる産業を支える基盤となるような技術を作りたいと考えており、まだまだ発展途上の段階ですが、この技術の厚みを増すにはどれだけ良い人材を確保できるかにかかっていると思っています。

藤岡:ベンチャーにはある技術をもとに一点集中突破を図り、ニッチな分野で勝負するという企業が多いと思いますが、御社は少し違うポリシーをお持ちのように感じます。

吉野:そうですね、我々は一点集中ではなくあえて幅広くやっています。マイクロ波はエネルギーの伝達手段であり、これを用いた製造プロセスは極めて汎用性が高いと考えています。

現段階では、お客様からの引き合いに応じて、医薬から燃料まで幅広い分野で開発を進めています。これにより裾野を広げておいて、技術を積み上げて最終的には大きくて高い山に到達するイメージでしょうか。

ただし、多岐に渡る分野でさまざまな開発をしなくてはならないので、一つ一つの業界について調べる時間は十分にはありません。それよりもトライアンドエラーを重視しており、失敗をあまり責めない雰囲気があります。

藤岡:中長期的な課題についてもお聞かせいただけますか。

吉野:少し先の課題としては、現在あるスピード感や、先ほどお話ししたコントロールされたカオスのような状態を、今後会社が大きくなった時にどのように維持できるか、というのはあります。

藤岡:ベンチャーマインドを維持しながら発展できるか、ということですね。

吉野:例えば優秀な人、大手企業の出身者等を採用するようになった時に、彼らの良い文化を取り入れつつ、自分たちが持っているベンチャー的な部分をどうやって残して行こうかと考えます。

これは正解がないので、いろいろと試しながら進めていくしかありませんね。

マイクロ波化学から新たな産業の創造へ

藤岡:吉野さんが、今後成し遂げたいことについて教えて下さい。

吉野:私は、マイクロ波化学は電機と化学との間にできる新しい産業だと考えているので、そういう意味では新たな産業を立ち上げることです。実は、当社の社名も産業の名前だと考えており、いずれそういう存在になりたいですね。

藤岡:御社の「Make Wave, Make World.」というビジョンはすごく良い言葉だと思いますが、この言葉にはそんな思いが込められているのでしょうか。

吉野:はい。先ほども申し上げましたように、マイクロ波はエネルギーの伝達手段であり、あらゆることに使えるものでもあります。まだ我々にもわからない未知の世界があり、そこで「こんなものにも使えるのか」と取り組むうちに、新しい産業が出来ていくという未来に期待しています。

求めるのは、「やりたいこと、そして、こだわりのある人材」

藤岡:最後の質問になりますが、現在必要としている人材や人物像についてお聞かせいただけますか?

吉野:やりたいことがある。そして、こだわりがある人ですね。それが一番重要です。

藤岡:御社で働く魅力について教えて下さい。

吉野:弊社は10年かけて開発ステージから産業化・事業化のステージに入ったところです。研究者や技術者にとっては、自らが開発したことを形にできるステージになりましたし、小さなチームで大きな仕事ができるのも魅力かと思います。

しかも、年齢や性別等による差が全くないので、どんなに若くてもどんどんチャレンジが出来ます。現在合弁事業で立ち上げている四日市の工場を指揮しているのも30代前半の社員です。

藤岡:全体ではどのくらいの年代の方が多いのでしょうか。

吉野:30代が一番多いと思います。技術者・研究者のドクターを取った人は、新卒でもすでに20代後半になっていますしね。ただ、60・70代のシニアもいます。

恐れずにトライアンドエラーを繰り返すのが、最大の魅力

吉野:また、40名ほどの組織なので、経営陣との距離がすごく近いです。我々は必要に応じてアドホックでどんどんプロジェクトチームを作っていますが、それらのチームは基本的に経営直結でやっています。ですので、あっという間に物事が決まりますし、あっという間に変わることもあります。

藤岡:大手企業にいた人が御社に入ると何に驚きますか?

吉野:スピードに驚きます。意思決定の速さもありますし、それから見通しが不透明な中でもどんどん判断をして前に進む、開発や調査もある程度のところまで来たらとにかくトライアンドエラーを繰り返す、その前進のスピードもあります。

藤岡:ITベンチャーのようなやり方で、こういうビジネスをやっていらっしゃるのは確かに驚かれるかもしれませんね。

吉野:そうですね、そういう意味では、そもそも1号ライン自体がバカでかいトライアンドエラーでした。全社の命運を賭けたトライアンドエラー。それを恐れないところが我々の最大の魅力かもしれません。

藤岡:本日は素敵なお話をどうもありがとうございました。

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