コンピュータに関心を寄せるきっかけとなった「HAL9000」との出会い

服部桂氏(以下、服部):みなさん、暑い中をよくぞ、多数お集まりいただきましてありがとうございます。今日は「人間とロボットが協働する世界」という、なんだかよくわからないセッションに来ていただきありがとうございます。

今日は、Googleの日本本社の社長をされていた村上憲郎さんに来ていただいて、私、服部が茶々を入れながら適当にやろうという話になっています(笑)。村上さんを知らない人はいないと思うんですけれども、村上さんがGoogleでどういうお仕事をされていたか、自己紹介的に一言お願いします。

村上憲郎氏(以下、村上):はい、ありがとうございます。村上です、よろしくお願いします。Googleでという話なんですが、こういうお題をいただくと、今からちょうど50年前の1968年という年をどうしても思い出してしまいます。

当時、私は大学生でしたが、極左暴力学生をしておりまして、すでに逮捕されておりました。その1968年という年をなぜ思い出すかというと、ご覧になった方いらっしゃると思いますけれども、「2001年宇宙の旅」という映画があったんですね。「スペースオデッセイ」なんですかね、英語の題名が。HAL9000という人工知能型のコンピュータが登場しました。それを見て、いつまでもお巡りさんとチャンバラしたり、モロトフ・カクテルを投げつけたりしていても仕方がないかなと思いました。

負け戦なのは以前からわかり始めていましたので、「コンピュータの仕事に就けるかどうかわからないけれど、少しかじってみようか」みたいなことを思ったのが50年前です。その後、日立に行って、DEC(ディジタル・イクイップメント・コーポレーション)というボストンにある会社の日本法人に勤めだしました。

わかったふりができるから社長を引き受けた

村上:今回は人工知能の第3次ブームなんですが、第2次ブームのとき、経産省の第五世代コンピュータプロジェクトをお手伝いすることがきっかけになって、最終的にボストン郊外のハドソンという町にありましたディジタル・イクイップメント・コーポレーションのアーティフィシャル・インテリジェンス・テクノロジーセンターというところで、5年お仕事をさせていただく機会がありました。

その時、服部さんは朝日新聞からMITのメディアラボに来られて、たまたま以前から存じ上げてはいたんですけれども、ボストンでしばらくお付き合いをさせていただく、というようなことがありました。日本に帰ってきて、米国のIT企業の日本法人のトップをやらせていただいた結果として、2003年の4月からGoogle米国本社の副社長と日本法人の代表取締役社長を、8年間やらせていただいたということであります。

当時CEOだったエリック・シュミットに「なんで私なんですか?」って聞いたら「あんた、人工知能を少しかじってるから」みたいなことでした。もうその時には、現代のマシンラーニングやディープラーニングのはしりがささやかかれておりました。今日のような隆盛に至るかどうかというのはわかりませんでしたが、「いや、最近のはわからないよ」というふうに言いました。

エリック・シュミットも「俺もちょっと、どこまでわかってるかっていうと、わかってないんだ。あんたを面接したやつに聞いたら、憲郎だったらわかったふりができるっていうふうに聞いたんで、お前にやってもらおうと思う」という話で、「あ、ふりぐらいだったらできるわ」ということで引き受けました。

けっこう乱暴な会社ですから、現在に至るまで世の中とのさまざまな軋轢を引き起こすわけでありますけれども。Googleでの仕事はわかったふりをして、白髪頭というかグレイヘアーの人間が出ていってご説明をすると、少しは納得していただけるのかなということをもっぱらやっていた、というのが正直なところです。

デパートメントからパーソナルなものへ変化したコンピュータ

服部:私が最初にお会いしたのは、村上さんがDECにいる頃です。DECというのは、ミニコン……って今はないですかね。IBMの大型機ではなくて、ミニコンという小さいコンピュータが1960年代くらいに出始めて、それは大型コンピュータの10分の1とか100分の1とかの大きさでした。ミニコンは最初「デパートメントコンピュータ」と言われて、大型機がこの部屋くらいの大きさで1台しかなかった時代に、部門(デパートメント)ごとに買えて使えるようになったことが革新的でした。それが部門ごとに使うようになっていました。

80年代くらいに一番売れていたのは、まさに村上さんにAIを教えていただいた頃の時代にあたりますが、AI研究で一番使われているDEC社のモデルでした。当時の他の一般的なコンピュータではAIがまだ扱えなかったんですけれども、日本では「次世代のコンピュータは、自由に言葉をしゃべって理解する」という夢がちょうど語られていた頃ですよね。

私も言いたかったんですけど、村上さんがおっしゃっていた1968年という、今年から50年前に「2001年宇宙の旅」がありましたし、もっと重要なことは、パーソナルコンピュータという概念が、50年前のその頃に明らかになったとうことなんです。

それまでは大きなコンピュータだったのが、「個人が使えて自分を中心にやらなきゃいけないよ」というのをアラン・ケイという人が考えて「ダイナブック」と言ったんです。それはどういうものかと言うと、本来コンピュータはでっかい事務処理をする、パンチカードを入れるといっぱい打ち出してくれるやつだったのに、彼が考えたパーソナルコンピュータは、自分が質問して自分が中心になる、今のiPadみたいなやつが21世紀にできるよって考えたんですね。

当時はまだ、具体的にiPadのようなものを作る技術がなかったので、ビジョンだったんですけれど。まさにその頃「2001年宇宙の旅」という未来を指向する映画があり、そこでパーソナルコンピュータが発想されました。私はVRの本をちょっとかじってたんですけど、VRの最初のシステムができたのはその時なんです。ユタ大学で、HMDを使って3Dのモデルを空間に表示して、手で操作できるようにする研究が始まったのが50年前のことですよね。

そういう意味で、今年は半世紀のとても大事な年です。最近は、村上さんが非常にお得意なAI、ディープラーニング、IoT、シンギュラリティというのがあって「このまま行くと、コンピュータに負けちゃいそう」という話でビビったりしている人も多いと思うんです。「AIが人類を滅ぼすか?」という本がいっぱい売れていて、僕らはちょっと「けしからん。本当にそうなんですかね?」って思うんですけど。

村上さんや僕は、もう仕事がどうなろうと、関係ないわけです(笑)。仕事をしていないし。でも今日ここに来ておられるみなさまは、「毎日スマホやネットワークを使い、AIともコンピュートしていかないといけない」ということで、そういう場面において、まさに今日の主題である「RPA」が非常に大きいキーワードになってくる。

豊かさを感じられない日本の閉塞感

服部:今日は、みなさんのご関心にどれくらいお答えできるかわかりませんけれども、一番ご存知の村上さんに僕が質問する形で進めていきたいと思います。仕事とコンピューター、情報化ということで言いますと、最近、なんとかミクスというのは、ぜんぜん上手くいってない。数字ばかり上がるんだけど「豊かになった気がしない」と。

「コンピュータを使うことによって、SNSがどんどん増えて良くなってるようだけど、仕事増えちゃって困ってるよね」と。その一方で、全く先が見えない閉塞感がありますよね。村上さん、今の産業とか生産性、仕事のコンピューティングに対して、どういうご感想をお持ちですか?

村上:そうですね、この質問を読ませていただくと、2つのことが混じっているような気がします。よく言われる「失われた20年」という話の中で、日本全体のGDP……最近は国内総生産と言うんですか? 各国とも引き続き右肩上がりで、上昇中にもかかわらず、日本は底ばっていると。でも、そうでもないよという話と、生産性の話がこの質問には混ざっているような気がするんです。

最初の、日本全体のGDPというところは、もちろん生産性×人数=GDPというところがあるんで、あまりストレートに分けられないと思うんですけれども、パラメーターとして、やはり日本の人口が減少中であることはかなり大きいんじゃないかなと思います。

もう1つは、その点に引っ掛けて、みなさんが気にしている「お隣の中国にどんどん負けていってるよ」ということです。いろんな意味合いがあるわけですけれども、単純にGDPでいうと、日本が第3位。最近は第4位なんですか。お隣の国は日本の10倍の人口をお持ちなわけですから、そこはそれで問題を抱え込みつつあると思いますけれども、単純に比較してそう言うのは違うんじゃないかな、というのが1つです。

2つ目は、差はありながらも一人ひとりの生産性というところで、やはり少し問題があると。私は経済学の専門家ではありませんが、例えば先進国では基本的にサービス産業の比重が大きくなって、どうしても生産性で見劣りがすると。今日の他のセッションでは、真面目にRPAのお話をされていらっしゃったんだろうと思います。

それは清くて正しい、今日的なテーマだと思うんですけれども。「ソフトウェアが典型的な業務プロセスをやらざるを得ないんじゃないの?」というあたりは、会社という括りの中で計算すると、生産性が著しく改善するわけです。

2020年の東京オリンピックでの「おもてなし」みたいな流れの中で言うと、それこそソフトウェアロボットには任せきれない。対人的なサービス業とサービス産業に限定すると、すぐに特効薬のように効くものを編み出しているかどうか。それには、まだひと工夫もふた工夫もいるのかなという感想を持っております。

日本とアメリカ、それぞれの国家プロジェクトの結末

服部:最近びっくりするのは、80年代の僕がMITにいた頃はバブルで、日本企業のほとんどはニューヨークの土地を買ったりしていましたし、世界の時価総額のトップ10のうち、6つか7つくらいは日本の銀行とかが占めていたんですよね。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とあんなに言っていたのに、今はGAFA(Google, Amazon, Facebook, Apple)ですから。

それに中国の企業が持っている時価総額は桁違いになっていて、トヨタでさえ20位とか30位みたいな状況になっています。ゲームのルールが違ってきていて、昔の金融の自由化というころに情報化が進んでいる頃から、さらにそれが進んでしまった。

世界全体が情報ベースに動いているので、昔のような資本主義とか働き方では比較できなくなった。「新しいサービス化の波に乗れているか乗れていないかで、こんなに差がついちゃうんだ」ということだと思うんですけれども、やはりショッキングですよね。

村上:そうですね。私は日立の後、アメリカの手先をしていたんで「お前に言われたくないよ」というところがあるかとは思いますが(笑)。当時のことを思い出すと、第五世代コンピュータプロジェクトに試作機まではこぎつけるんですけれども、商用機まで持ち込めなかった。一応失敗ということになるんですが、アメリカから「日本の産業政策はアンフェアだ」という茶々が入り始めます。

つまり、第五世代コンピュータプロジェクトという民間企業のある産業について、「大型プロジェクトと称して国が資金を要求し、一気に技術革新を果たそうとするということはやってはならない」みたいな圧力が、日本に対してかかります。

基本的に第五世代コンピュータプロジェクト以降は、大型プロジェクトというのはないわけですけれども。一方で、アメリカのDECに勤めていてわかるのは、今回の第3次ブームに対して最も影響力を与えたのはどこかと言うと、アメリカのDARPAといわれる組織なんです。

これはDefense Advanced Research Projects Agencyというアメリカの国防総省、Department of Defenseの一部門で、高等研究や先端的な研究に対して、国防総省の予算を分配するという組織です。例えば、当時のAIの主導的な大学というと、MIT、カーネギーメロン、ラッツガー、ピッツバーグ、スタンフォードみたいなところで、私も仕事で何度か訪問させていただきました。

そこでは、みんなDECのコンピュータを使っているわけですけれども、ほとんどすべてアメリカの4軍から寄付されている。ネイビー、アーミー、エアフォース、マリン、つまり、陸軍、海軍、空軍、海兵隊というところから寄付されたんです。コンピュータルームに行って「ああ、ぜんぶDECのコンピュータだな」と思いながら見ていました。

ですから、日本には「大型プロジェクトをやめなさい」と圧力をかけながら、アメリカはしっかりと国防総省の予算をつぎ込んでいた。何につぎ込んでいたかと言うと、ARPANETという、現代のインターネットと人工知能なんです。人工知能といっても、当然、国防総省が一番興味を持っているのは戦闘ロボットなんですけれども、今、花開いているとしたら自動走行車ですね。

オートノマス・ビークルあるいはドライバーレスビークルというかたちで登場しつつあるものも、DARPAのコンペでいろんな大学が参加しています。例えば、スタンフォード大学のチームは何度か優勝していますけれども、そのチームは今、GoogleのWaymoというところの、かなりのメンバーを占めているといったあたりで、アメリカはかなりしたたかに物事を準備してきている、ということは否めないと思います。