AI時代に経営層に求められること

谷本有香氏(以下、谷本):AI時代、もしくはシンギュラリティ時代に、組織がこれからしていかなければいけないこと、もしくは人の価値を上げていくためにできること。例えば、人の行動データを1個1個取っていくとか、今からどういったことができますか?

落合陽一氏(以下、落合):人の価値って、どこの、誰にとっての、何の価値ですか?

谷本:企業にとって、企業の生産性や利益を上げるための、人それぞれの価値かな。

落合:「企業の利益を上げるためには、人が一人ひとりの価値をつくらないといけない」という定義が間違っていると思う。

谷本:おお、なるほど!

落合:企業が利潤を追究するときに、別にそれが人間に即したかたちである必要はまるでない。限界費用を下げることは、人がなるべくいなくても働けるように企業体を回すような経営が必要なわけで。「一人ひとりが働きやすい会社をつくろう!」みたいなことを言ってる限り、おそらくなにも始まらないと思うんですよね。

そこまで考えたとき、「それはそうなんだけど、じゃあどうすんだよ?」という話になったときに、「じゃあコスト削減しましょう」ということで、コストを削減する会社はいっぱいあるし、今、世の中で進んでいると。逆にいうと、ソフトウェアプラットフォームを導入して意思決定のスピードを速くしましょうと、おそらくみんな速くしてると。

それによって、最終的にイノベーションを起こして、それが市場に出てくると価値があるかと言われたら、その価値づくりにはたぶんもうちょっといい仕組みがあるんじゃないかなと思っていて。

つまり、プロダクトを内製しようとしたらうまくいかないから、オープンイノベーションだとか言ってやるんですけど、なんかオープンイノベーションの半分ぐらいは僕は巧妙な罠だと思っています。

オープンイノベーションと言っているコンサルタントに払うお金のほうが高いんですよね。もしくはオープンイノベーションと言っているやつを食わせる金のほうが高くて。そんなことをする必要はまるでないと思うんですけど。

そうなったときに、どういう事業体をちゃんと構想できるかというところが、経営層にはたぶん求められているんじゃないですかね。

人間は自らイノベーションを阻害している

谷本:いつになるかはわかりませんが、シンギュラリティ時代が到来したとき、どういった基準というか、KPIのようなものが必要になってくるのでしょうね? 例えば、いま、いわゆる世界共通の判断基準として、経済的な成長性をGDPで測ったりしていますよね。

落合:なるほどね。でも、これは難しいですよね。社会の中でなにが幸福かとかいう議論になると、これはまた成立しないような問題になってくるし。

谷本:そうですよね。

落合:お金で測れるところはやっぱり非常にわかりやすい指標ではあると思いますけど。ただ、ここでポイントなのは、対象をお金に換算できないような問題が起こるわけですね。いや、根拠があれば別に価値算定する方法はいくらでもあるから。

谷本:なるほど。そこで、次のQ3にいってみたいと思うんですが、ハンナ・アーレントが『人間の条件』でいう「労働」「仕事」「活動」の3条件を満たせなくなったときに、新しい価値観が求められる時代がやってくると。そのとき、どのような人間が人間らしく楽しめるのか? と。

落合:ああ。これはおそらくハンナ・アーレントの『人間の条件』が言うところの人間という定義が違っていると思うんですけど。なんでかというと、人間はこの社会にとって、手段であって目的ではないんですよ。これはなかなか攻撃的な意見かもしれないですけど。

谷本:ええ、そうですね。

落合:我々は社会を成り立たせるために人間の定義を成立させてきたという、ヨーロッパの歴史があるわけじゃないですか。だって、人権の定義なんて社会をつくるために定義を作っているわけですから。

それを考えたときに、人間が人間らしいということ自体が目的になっている状態が間違っている。これは、我々が受けてきた近代教育においては、たぶん価値観が丸っきり違うわけですよね。つまり、この「労働」「仕事」「活動」みたいなものが出てきたと。「ワーク」と「ライフ」と、あとなんだ? あれ、「労働」と「仕事」って一緒じゃないのか。

谷本:確かにそうですね。

落合:ワークとライフがあったときに、(そもそも)ワークとライフって話じゃないだろうというようなときとか。あと「Work as Life」って僕はよく言ってますけれども、そういった価値観が求められるというよりは、人間の定義を守ろうとするような価値観自体がもう瓦解しているということだと思います。

それは限界費用が0にはならない人間というのがいて、0にならないということを規定しているおかげで、我々はイノベーションを阻害しているところももちろんある。

ベーシックインカムと社会保障

落合:よくベーシックインカムという話になってますけど、我々の社会において、今ベーシックインカムが成立していない感じでいるのは、一見そう見えているだけで、例えば、どこに住んでいるかによって我々は社会として恩恵を受けている。

例えば、税金の割り振りがだいぶ違うわけですよね。僕が山奥に住んでいたら、そこでかかる生活コストは、おそらく僕が払う税金よりはるかに高い。これはどこかの誰かが負担しているわけですよ。例えば人口密集地域で容積率の高い東京とかね。

そういうところを考えたら、僕らって実はなにもしないでも、ある1個の国民国家の枠組みの中で生きている以上、明文化されていないだけで、ほぼベーシックインカム状態になっているわけですよ。それは「どこでも我々は同様の国民国家としてのサービスが得られる」という規定の下、過ごしてきたわけです。でも、そのサービスは人口が増加していくか、人口が急激に減少しない条件の下で成り立っていた。

つまり、我々の社会が今迎えているのは、山の向こうにおじいちゃんたちが1,000人ぐらい住んでいると。あと5年したら500人ぐらいになってる。でも、その生活インフラをカットしたらおじいちゃんたちが困るから、カットできないわけじゃないですか。

その人たちはベーシックインカムはもらってないにしろ、我々の負担している額は非常に多いわけですよね。それをどうやって、中央集権型の配電システムやインフラシステムではなくて、非中央集権型で回していくかというようなチャレンジが、今我々が人口減少社会において向かっている自動化や機械化の本質的な側面であるし。

あと、我々の持っている社会保障をどう考え直さないといけないのかというところは、人間が人間らしいという話をするときにはもちろんすごく重要です。だって、今は定額で治したい放題ですからね。病院に行けば行くだけ治せるわけですよね。

谷本:そうですね。

手遅れになる前に決めるべきことが山積している

落合:でも、それが今の人口が減っていく社会において成り立たなくなっているのは間違いないと思います。それはふわっとした話じゃなくて、おそらく具体的なプロセスに落とせる。

「負担がいつ増えるの・減るの」というのを、もう決める必要があるんですよ。もしくは、そこで「インフラをカットするの・しないの」ということを決める必要がある。それを決められないのは、おそらくもう前提条件が間違っていて、手遅れになる前に決めないといけないことは決めないといけないんですね。

「やっぱり人間だからそうやって言うわけにはいかないじゃないですか?」とか言っている間に、船が沈んでしまったら、成立しなくなるわけなので。やらないといけないことはものすごくたくさんあって、それはできる範囲で片っ端からやっていくしかないんじゃないでしょうか。

谷本:落合さんのご著書『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』に、AI×BI(ベーシック・インカム)と、AI×……。

デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

落合:VC。

谷本:VCですよね。今後、そういった二極化が進んでいかざるをえないということですか?

落合:AI×BIとAI×VCって、最初に言ってたのとまったく同じ話で、給与所得とエクイティインセンティブって話ですよね。

谷本:そうですよね。

落合:つまり、給与所得として労働対価が固定給で払われるというような考え方と、それが金融商材もしくは有価証券みたいなものになるという考え方があったときに、その2つが同一の場所で成立しうるかというところが僕は最近よく考えている問題なんです。あんまりしないんじゃないかなと思ってはいて。

そういったときに、なんでAI×BIなのかといったら、人が働くということを規定するのはプラットフォーム側にあるから(という考え方が1つあります)。もしくは、人が新しい価値を生み出すときにプラットフォームによって限界費用を下げるか、という2つの考え方がありますと。

前者はなんだったかといったら、みなさんたぶん『Pokémon GO』って1回ぐらい遊んだことあると思うんですけど、『Pokémon GO』とUberはやっていることは本質的には一緒ですよね。

『Pokémon GO』でポケモンをピックアップするのとお客をピックしておくのは、やっているタスクはほぼ一緒です。車に乗っているか乗っていないかの違いでしかないです。片方はお金が使われて、片方はお金がもらえるわけですよね。そんなに大した問題じゃない。

二極化する社会で個人はどうバランスを取っていくか

落合:逆にいうと、そういうサービスが生み出される枠組みを作るほうには、おそらく投資は必要です。それによって得られる価値をエクイティインセンティブによって獲得するための仕組みは、もちろんAIがなければ限界費用が低い状態でものをつくるのはけっこう厳しいですから、そういったものがどんどん出てくる社会になってくると、だいぶ二極化すると。

二極化するなかで、単純に「二極化する」という言葉だけじゃなくて、動かす職能が違うわけですよね。片方は、機械が言うとおりに動いて、ストレスを感じずに毎日が楽しく生きられるマインドセットを作らないといけないし、片方はすごいストレスフルか、もしくは働いているときにストレスを感じないような、プレッシャーに強い人材がリスクを取って動ける社会を作らないといけない。

その両者のどっちが悪いかといったら、悪いわけじゃないじゃないですか。だって、僕だって昔はたぶんポケモンをやってるときがあって。ポケモンをやっているときは、僕はAI×BI型の人間だし、逆にいうと、自分で会社をやったり研究してるときはAI×VC型の人間なんですよね。そういうバランスを個人がどう取っていくかが本質的な問題だと思います。

谷本:いずれにしても、これからAIや機械との共存ということになっていくと、今よりもストレスフリーな生き方ができるようになると思うんですが、そもそもそういった安定性や幸福感、満足感に常に満たされている状態というのが、本当に人間の最良の状態であるかということも議論をしなければいけないと思うんですよね。

また、医療技術が進み、病気がなくなって健康になっていくとか、人から「苦労」や「辛さ」という要素がなっていくというのは、人間がこれから生き延びていく上で良いのかどうかというところが、私は気になっていて。

落合:どういうことですか?

谷本:人間って苦労をしたり、プレッシャーを受けたり、それに対して、耐え忍ぶということが、意外に人間のDNAを保存していく上ですごく重要な役割を果たすような気がしているんです。

落合:適度な負荷ってことですか?

谷本:そうそう。

落合:いや、適度な負荷はかかりますよね。

谷本:かかるかしら?