思考のあり方を変える2つの様式

中野信子氏(以下、中野):適応戦略が違う場所で育つと、遺伝情報の如何にかかわらず、個体は影響されるんじゃないか、という考え方があります。私たちの生得的な思考の癖を変える方法は2つ考えられます。1つは、ほかの人のやり方を認知的に学びとる、言語情報を介した方法。

もう1つはエピジェネティックな変化への期待です。そんなことが本当に起こるのかどうか、まだ研究途上ではあります。これは、もともとの塩基配列が違ったとしてもその環境に応じて化学修飾が変わり、読み取る位置が変わって、それまでにできなかったことができるようになっていくという可能性を示唆するものです。

それはまだまだわかっていないことだけれども、おそらく思考や性格傾向を決める遺伝子にもこういうことがあるだろうと考えるのは不自然ではないです。ラットのストレス耐性が後天的に、つまりエピジェネティックに母親との接触によって変化するという報告もあります。なので、「こういうふうにしたいな」という人の側にいるというのはすごく大事なことなのだろうと、私は思っています。

操られないようにするには、まず自分の傾向を知るということが大前提。で、その次に操られていなそうだな、と思える人の近くにいることがすごく大事だと思います。

佐渡島庸平氏(以下、佐渡島):そうですよね。僕もやっぱりホリエモンの側にいることは大きいなと思うんですよね。

中野:それはおもしろいですよね。

佐渡島:自分の傾向を知るためにやれることってどんなことがあるんですか?

中野:自分の傾向を知るためにやれることは、自分の観察はまずもちろんやらなければなりませんし、できれば遺伝子も見てみるといいんじゃないでしょうか(笑)。なかなか遺伝子を調べるサービスって……。

佐渡島:あれ、ほとんどよくわからない結果が来ましたよ。

中野:そうなんですよね。読み手の前提知識やリテラシーをかなり要求する部分もあるし、正確さがどれくらいなのか、信頼度がどれくらいなのか、妥当性がどれくらいなのか、まだまだブラッシュアップしなければならないところはあります。

遺伝子から自分の傾向を知る

佐渡島:僕は1回、DeNAのやつをやってみました。

中野:あ、やってみました?

佐渡島:でもなんかね、「ハゲるかハゲないか」がけっこう大きく表示されていて(笑)。

(会場笑)

「世間の興味ってそういうところなんだろうな」と思って(笑)。「ハゲるかハゲないか」と「ガンになるかどうか」みたいなところだけは大きかった気がする。

中野:肉体的なことですよね。サービスによりますけれど、あえて性格的なことや意思決定のあり方については控えめに表現しているような部分もあります。例えば、遵法精神があるかないかとか、知能とか。(DeNAの検査で)知能は出てきましたっけ?

佐渡島:出てこなかった気がするな。

中野:あんまりちゃんと明記はしない感じですよね。数学的能力とか、記憶力が良かどうか、なんていう形で書かれていると思います。一塩基多型なので1文字違うだけで記憶力が良くなったりするんですよ。たとえば人によっては「私、記憶力に自信がないわ、覚える根性がないのかしら」と思っている人がいるかもしれませんが、根性がないのではなくて、単に遺伝的に記憶力のいいタイプではない。

佐渡島:へぇ~。

中野:そういうものは自分の意思ではどうしようもないことがあるので。

調べられるサービスとしては、Googleが出資している「23andMe」とか。日本のサービスだと、DeNAさんや、高橋祥子ちゃんがやっている「Genequest」などがあります。

佐渡島:「Genequest」っていくらくらいですか?

中野:「Genequest」は数万円じゃないですかね?

佐渡島:へぇ~できるんですね。コルクラボのみんなでやって見せ合いっこしたいですね。

中野:おもしろいですね。

スタッフ:さらけ出しちゃうんですか(笑)?

佐渡島:さらけ出しちゃう(笑)。

中野:ただ気をつけないといけないのは、遺伝情報って自分だけのものではなくて親戚も共有しているので、そこは気をつけたほうがいい場合もあります。

佐渡島:なるほど、その個人情報の考え方はおもしろいですね。

中野:そうですね。お子さんとか、同じ遺伝子を半分は持っているので、気をつけないといけないですね。

日本で不安遺伝子を持つ人が増えたのはいつから?

佐渡島:さっきの集団の中での意思決定の話ってみんなも興味があるところだと思うから、そこをもう少し深く聞いてみたいんですけど。

中野:不安遺伝子のことをお話したかと思うんですけれども、それでは、どうして日本では不安遺伝子の人が多いのか。なぜ増えたのか。私はまずそこが気になりました。

そこで、数理社会学の先生とディスカッションをして、南アフリカとの比較じゃないんですけど、アメリカにおける不安遺伝子の持ち主の割合と比較して計算をしたことがあったんですね。

「最初は同じ集団からはじまって、何年経てばこんなに差ができるのか」を計算することができるんです。1世代を20年として、その一方の型の遺伝子を持っていると適応度が1パーセント低くなるという仮定をするのが数理社会学では一般的なようです。

例えば、不安遺伝子を持っていないほうが、日本では適応でないと考えられるので、こうした仮定をすれば、どれくらいの速さで不安遺伝子を持っている方が減っていくかが概算できる。今、不安遺伝子を持っていない人は、日本では3パーセントくらいしかいないんですよ。

佐渡島:へぇ~。

中野:どうすればこんなに減っちゃうのかというのを、アメリカとの比較で考えると。アメリカと日本が「よーいドン!」で分岐したと考えて、その「よーいドン!」がいつあったか。一番最近分岐した、最短を考えると、400年くらい前だろうと。

もっと前の可能性ももちろんありますよ。でもアメリカの成り立ちを考えると、400年以上前だと人種が違うので。だいたい400年ぐらいと考えると計算が合うんですね。もしかしたら400年よりも前は、日本にも不安遺伝子を持っている人がこんなに多くない社会があったかもしれないなと。

佐渡島:江戸時代に増えたかもしれない。

中野:かもしれないです。戦国時代の日本人たちはこんなふうじゃなかったかもしれないですね。確かに戦国武将たちの風体や言ってることをよくよく見てみると、シリコンバレーみたいですよね。ちょっと吹かしてみたり、自分をよく見せる努力をすごく惜しまなかったり。今ある日本人の姿とやや乖離があるなと。

集団からの排除を避ける社会の誕生

佐渡島:(スクリーン上のコメントを読み上げて)縄文とか、弥生とか。

中野:もちろんその可能性もあります。もし江戸時代にフォーカスを当てていいのであれば、そのときなにがあったかと言うと、私たちの社会はそれ以前の商業を推奨していた時代から、一気に重農主義になるんですよね。お米を税金として払うようになったり。

あとは戸籍制度。寺社仏閣を中心とした戸籍制度を作ったことによって、自分が所属する集団からなかなか抜けられないというシステムを作り、集団から排除されることは非常にリスキーだという社会が作られました。集団から排除された人がどうなるかと言うと、その人は子孫を残しにくくなるわけです。

その遺伝子は残りにくくなる一方、集団生活に向いた性格を形作る遺伝子が残りやすくなります。集団生活で排除されない形質となると、慎重でなるべく人から後ろ指をさされず、目立たない、そこそこの幸せを目指す、という感じでしょうか。そういう人が増えていくわけです。

災害発生時には“向社会性”が高まる

中野:日本人の付和雷同性をよく指摘されることがありますけれども、それはこうした環境圧力が長年強かったことによるのと、さらには災害が多いという要素がすごく大きいと考えられます。

佐渡島:それはなんでですか?

中野:東日本大震災の時が顕著だったのですが、災害が起こったとき、我々は助け合おうとか、絆とか、誰からともなく言い出しますよね。そしてそれを多くの人が自然に受け入れるような気分が社会に形成されていきます。

これは、「反社会性」の逆の働きで、「向社会性」というものです。向社会性が高くなるのは、オキシトシンという物質が分泌されるようになるのだと考えられています。これが高まって「みんなで一丸となって危機に対応しよう」「誰か困っている人を助けてあげたい」「仲間だったら助けてあげたい」という気持ちが高まります。

助け合いの気持ちが高まるとか、絆が強くなるとか、これ、すごくいいことのようでしょう? だけど、これは恐ろしいことでもあるんです。「助け合おう、みんなのために」という機運が高まっている時に、そうでない人がいたら、その人はどんな目に遭うか。

私が説明しなくてもやすやすと想像できてしまうと思いますが、たいへんなバッシングに遭うでしょう。何気ない笑顔の写真をアップロードしたり、楽しげなコメントをするだけで炎上してしまうという現象が起こります。

オキシトシンというのは、助け合いの気持ちを高めると同時に、自分の集団の中に原稿のルール似合わない異分子を検出して、「この人、ズルをしてるんじゃないか」「私たちの努力にタダ乗りしてるんじゃないか」という人だとみなし、その人を激しく攻撃する傾向を強めるものでもあるんです。

この現象がどうして起きるのか不思議に思って、攻撃する人を断罪する人も多いでしょう。でも「攻撃する人を断罪する」も構造的にはまったく同じなのです。この傾向が強いのは、日本の地理的な条件から、どうしても仕方がないことです。日本人がダメとかいうことではないんです。

この地理条件に適応して、こういう特性を備えることで生き延びてきたのが日本人ということです。日本が災害大国であり、地理的な条件を変えることができない以上、この性質はこの先長いこと変わることはないでしょう。逸脱者として生きるにはかなりの覚悟がいる風土であるということでしょうね。

ただ、もう日本に定住するというスタイルがなくなる未来がやってくるのであれば、こういう集団は崩壊していく可能性がある。

佐渡島:Google翻訳とかで言語の壁がどうなるのかって言うと、そんなに簡単になくならなさそうな気もしますからね。

中野:そうですね。10年、20年で変わるとは思いません。けれども、50世代、100世代という長い世代を経ていくうちには、変わる可能性があるのかもしれません。