アウトサイダー・アートをどう捉える?

茂木:僕は科学者ですけど、たまたまクオリアを研究してるんで、クリエイティブについてはどうしても重大な関心を持たざるを得なくて。

今日は、『Nature & Science』『H(エイチ)』のタジリさんのご紹介でここに立っています。一人の科学者としてということもあるんだけど、クリエイティブにすごく愛を持ってる一人の人間として、みなさんとこうやってお話してきたところです。ということで、鳥取からの飛行機に間に合って良かった(笑)。もしよかったらご質問を。

タジリ:そうですね、ありがとうございました。じゃあ時間があるので、どんどんご質問いただければ、マイクをお渡しするので。

茂木:なんでもいいよ。なにかないですか。みなさんが現場で感じてらっしゃることもいろいろあるでしょうし。じゃあそちらの方。

質問者1:今日はおもしろいお話をありがとうございました。後半お話しされたことに多少関係してくるのかなと思うんですが、クリエイティブのあり方うんぬんの前にセンスというか、まず目指す方向性が必要だとおっしゃいました。

世の中一般で最近言われてるのがあって、言葉として「アウトサイダー・アート」ってあると思うんです。茂木さんは、ああいうものをどう捉えるんですか。あの人たちが持っているセンスみたいなものを含めて、周りが評価して初めて存在しているような気がするんですけど、そこに関してどう思われてるのかを聞きたいです。

他人に見せることを想定していないアート

茂木:これはすごく難しい問題になっちゃうんですけど。僕、アウトサイダー・アートはもちろんたくさん見てますし、福山にある鞆の津ミュージアムなんかの展覧会に何回も行ってるし、それに3331 Arts Chiyodaでアウトサイダー・アートのポコラート全国公募展やってましたよね。

僕がこの前、新潮社の小林秀雄の編集者としゃべっていた時に聞いた話なんですけど。小林秀雄の講演って素晴らしいですよね。まだお聞きになってない方は、ぜひ聞いていただきたいと思うんです。

小林秀雄の講演って、実は本人が録音を厳禁してたんです。その編集者が言ってたんですけど、録音してるってことがばれると、しゃべるのをやめて帰っちゃうような人だったらしいんですよ。だから今、小林秀雄の講演として残っているのは、すべて隠し撮りしたものを本人が亡くなったあとにご遺族の了解を得て、ご本人の意思に反するかたちで出したものなんですね。

その話を聞いたときに改めて、表現として世に問う予定ではなかったものが出ることが、時として最良の結果をもたらす場合があると。(ヘンリー・)ダーガーは、自分の家の部屋の中で、少女たちが戦い傷つく空想の物語とか絵を描いていた。

ずーっと清掃人とか図書館で働いていて、ぜんぜん誰にも発表する予定はなくて、ダーガーが死んだあとに、大家さんが発見して、それで今やアウトサイダー・アートの一番重要な作家の一人と見なされました。あのダーガーの作品も発表する予定はなかったわけですよね。

あと、ツタンカーメンのお墓の黄金のマスクは有名ですけど、エジプトの博物館に行くと、当時ツタンカーメンをミイラにするために内臓などを入れる器がありました。それは、若くして亡くなった美しい王様に対する当時の人々の愛が込められていて、本当に美しい器なんです。でもそれも、作って埋めた後、掘り出されることは予定されてないわけじゃないですか。

僕はどうも、他人に見せることを本人が想定していないところに、我々がアウトサイダー・アートに惹きつけられる本質的な理由がある気がするんですよ。今すごく気になるんです。

クリエイティブの方向性という意味においては、残された人に表現として提示される予定がなかったものが、たまたまなにかの理由で残ったことが、かえって強い表現として存在する理由になる。アウトサイダー・アートには、どうもそういうものがある気がして。それはなかなか他にないですよね。

ピカソが見出したアンリ・ルソー

茂木:だから逆に、今はアウトサイダー・アートが1つのビジネスになってきちゃってて、ギャラリーなんかも作家を抱え込んでやってるでしょう。そうなってくると、ちょっとまた違ったものになっていってしまう感じもするんです。

例えばアンリ・ルソーの絵って、すごい出したじゃないですか。あれはもうアウトサイダー・アートというか、ナイーブ・アート。だけど、なんでルソーの絵が見つかったのかというところは半ば伝説化しています。

ルソーが絵を描いていた当時はキャンバスが高かったので、描いた絵の上を白く塗って、絵を描き直すために中古のキャンバスとして売っていた。ルソーの絵はぜんぜん売れなくて、中古のキャンバス屋さんに出てたのをたまたまピカソが見つけて「この絵すごいじゃないか」って評価したことからルソーは知られるようになったという。

伝説というか事実には基づいてるんでしょうけど、少し誇張とか偏見が入ってるかもしれないですが、つまりアンリ・ルソーの絵も、ピカソが見つけなかったら闇に消えていたわけじゃないですか。そのあたりがどうも、我々がアウトサイダー・アートに惹きつけられる理由なのかという感じがします。いかがでしょうか。どうでしたか、どんなことを考えてらっしゃいます?

質問者1:今の話って、アウトサイダー・アートそのものが評価されてるというか、その枠の外に存在してるから、アウトサイダーという枠で逆にまたそれを評価してるということですか。

茂木:文脈的に言うとそうですね。ただ、もちろん、アウトサイダー・アートということを知らないで見て、純粋に感じることもあるかもしれないんだけど。

おそらくアート関係者やクリエイティブ関連の人がアウトサイダー・アートに惹きつけられるのは、独特の表現者のマグネットというか、無意識性にあるのかなという感じはするんです。少なくともそれが非常に大きな要素の一つなのかなって。

人間の感情はどのように変化していくのか?

茂木:逆にいうと、ダミアン・ハーストにしても、マーケティングに近いかたちでドットペインティングを構想していた。ただ、ヴェネチア・ビエンナーレで昨年出した、海の中の遺跡で発掘された彫像の体の展示って、かなりすごかったらしいです。

でもあれは、やはりダミアン・ハーストがすごいですよね。コンセプトを作って、実際に海の中に像をしばらく沈めて貝殻とかついたのを持ってきたらしいです。

でもそれって、明らかにアーティストが意図したものじゃないですか。アウトサイダー・アートって、そういう賢い振る舞いにもとづくものじゃないですよね。子どもの無心な落書きに近い。

子どもの落書きの価値を認めるのは親で、子ども自身は興味がないですよね。クリエイティブの流れとして、そこらへんがなにかあるんだと思うんです。いろんなものを見てきたり書いたりして、そういうのが僕の感想ですけどよろしいですか? またなにか機会がありましたら(笑)。

質問者1:ありがとうございます。

茂木:ありがとうございます。他にいらっしゃいます? じゃあそちらの方ですか。なんかいきなりレベルの高い質問でした。次の方もきっとすごくいい質問を(笑)。

質問者2:今日はありがとうございます。大変興味深く聞かせていただきました。広告のクリエイティブをやってる者なんですけど、テクノロジーが進化する中で、さっきの子どものアニメの話、直木賞作家の話、そして感情がこの先どういったかたちに変化していくのか。

簡単に言うと、我々の世代のわびさびも含め、いろんなことが適正化される中で、人の感情はどういうふうに変わっていくのか。それは進化なのか退化なのか、そのあたりをお聞きしたいなと。

茂木:僕が彼らと接していて一番感じるのは、フェアな競争をしているものを意外と高く評価する感じがするんですよ。『エデンの東』で、ポール・ニューマンとジェームズ・ディーンが最後にオーディションをしている有名な動画があります。ネットに載ってるんですけど。

ジェームズ・ディーンとポール・ニューマンは、どちらも大俳優ですけど、ジェームズ・ディーンがスターで『エデンの東』の配役がもう約束されてる、という世界じゃなくて、一人の俳優同士として必死にオーディションしてるんです。

広告とアンダーグラウンドなものは繋がっている

茂木:世の中って、例えば一度名前が決まっちゃうと、その名前でずっといける世界もあると思うんです。だけど、意外とアニメの声優さんとかアニメーターの世界って大変ですし、サッカー選手が日本代表選手に残り続けるも大変じゃないですか。今回のロシア(W杯)だって、今まで行けてた人が行けない可能性もあるじゃないですか。それと似たような世界を、中高生はアニメとかゲームの世界で見てるみたいで、彼らはおそらくそこで一番のメッセージ性を受け取ってるみたいなんです。

逆にいうと、実社会は必ずしも実力主義ではなくて、一度名前が出てビッグネームになるとそれで生きていけちゃうような大人の世界があるらしい、ってことはなんとなく感じてるみたいです。それは、彼らがアニメとかに惹きつけられてる理由の一つなんですけど。

今おっしゃった、その世界がどう進化していくのかということは、例えば『君の名は。』とか『この世界の片隅に』というのは、アニメの世界からメインの世界へ出ていきますよね。それはスタジオジブリもそうですけど、ああいうかたちでメインカルチャーと接続するような作品が出てくるわけです。

その向こうにはもちろん、いろんなものがあるわけじゃないですか。人間の生き方として見たときに「ちょっとこれはどうなの」みたいないろんな表現もあるんですけど、そこはもうエコロジカルシステムっていうか、おそらく全部必要なんじゃないですかね。

広告っていうと、クライアントもいらっしゃいますし、常識的な表現を求められるんだと思うんです。だから、その裏のちょっとドロドロしたものだとか倫理的にどうなのかというような表現は、広告の世界では絶対に出せないじゃないですか。

広告の世界って、政治的に正しくて倫理的にもOKなものを求められるんですけど、僕はそれとアンダーグラウンドは繋がってる気がするんですよね。そこに補助線を引けるのが、やっぱり今一番優れているクリエイティブなのかなって感じがしています。

いかがですか、周りにいませんでした? 絶対そのままでは表には出せないんですけど、なんか繋がるとヤバいやつら。