子役の経験で知った『優劣』や『競争』の存在

藤岡清高氏(以下、藤岡):まず、稲田さんの生い立ち、幼少時代のお話から聞かせて下さい

稲田武夫氏(以下、稲田):家族構成は父・母・姉と私の4人家族で、非常に一般的なサラリーマン家庭でした。幼少時の記憶としては、子役をやっていたことはよく覚えています。

沢山のオーディションを受けていましたが、とても辛かった記憶があります。「泣いてください」と言われても泣けなくて…。合格した年下の女の子が目の前で笑っていた情景を覚えています。

なので、小さい頃から「自分には苦手なことがあるのだ」という気付きや、競争の存在などはかなり冷静に見ていたように思います。

中高時代はハンドボールにうち込むも、病で運動制限に…

稲田:中学・高校は桐蔭学園という私立の学校に通っていました。ハンドボール部に所属して、基本的に体育会思想で育ちました。私の世代は他の部も強く、サッカーでは全国2位、ラグビーでは花園に出場したりしていました。

しかし、中高6年間の集大成となる最後の1年で心臓を悪くしてしまい、運動制限をかけられてしまいました。一番やりたいことができなくなり、元気なのが逆に辛く、勉強とのバランスが上手く取れなくなってしまったこともありました。

起業家に囲まれ、ビジネスの世界に魅了された大学時代

藤岡:大学では、どんな学生時代を過ごされたのでしょうか。

稲田:慶應大学に進学し、WAAVというビジネスコンテストなどをやるサークルに入りました。大学1・2年時はそのサークルで活動していました。サークルの1期上には株式会社スポットライトを起業した柴田陽さん、同期の友人にはラクスル株式会社の松本恭攝さんが所属していました。

起業が盛り上がっている時期で、周囲が起業する中で「自分もいつか」という感覚は持っていたので、大学3年生時に先輩が起業するというのでジョインしました。新卒採用のサポート事業でした。この時、会社経営やベンチャーの面白さを味わうことができました。渋谷のオフィスに寝泊まりして、議論をした日々もよい思い出になっています。

起業家を多く輩出するリクルートに入社

藤岡:その後、稲田さんはリクルートに入社されましたが、なぜリクルートを選ばれたのでしょうか。

稲田:大学3年の夏頃に「やはり1度就職をしよう」と決めました。色々もがいてみた結果、勢いだけでの勝負に限界を感じ、漠然とですが、大きな事業を作る経験が欲しいと考えました。そこで調べたところ、刺激を受けた経営者の何人かがリクルート出身だと分かり、リクルートに入社しました。

リクルートでは、まずは人事部にいましたが、リーマンショックの煽りで採用中止が決定し、程なくブライダル事業部に異動になりました。インターネットの企画部署で、大規模なシステムのリニューアルや、クライアント向けのシステム構築の新規事業に携わりました。

3年目には人事に戻り、新卒・中途のIT専門職の採用基準の策定や採用活動全般を行いました。当時のリクルートは営業中心の会社からITの会社への変革の最中で、そのフェーズの中でIT専門職の採用を進めるプロジェクトに関わっていました。

人事でのプロジェクトの目処が付いた後に、 (株)リクルートライフスタイルという子会社に移りました。そこから3年間はずっとインターネットの新規事業を創っていました。

「新しい事業を半期に1回立ち上げる」というのがミッションで、リクルートの経済圏を生かし、スケーラブルな事業であることが必須条件でした。いくつもの事業を検討し、本当に苦しみながら0→1を模索していましたが、数えきれない失敗と、事業家としての最初の成功体験を得られた、充実した3年間でした。

リクルートでの新規事業開発のかたわら、入社5年目に起業

藤岡:オクトの起業とリクルート在籍期間に2年ほど被っている期間がありますが、その間オクトの活動はされていたのでしょうか。

稲田:その頃、現在CTOの金近と、その他エンジニアで共同生活をしながら、色々なサービスを作っていました。当時はとにかく皆で色々なWEBサービスを創るのが楽しくて仕方がなかったです。多いときは10人くらいエンジニアが集まっていました。会社が終わって、帰宅すると誰かしらは黙々と作業している状態でした。

皆でいつかは独立すると薄々気が付きつつも、「やはりリクルートで新規事業をやり切らないと自信を持って起業できない」という意識があったので踏ん切りがつかず、両方並行してやっていました。

新規事業をやり切った上で、リクルートを退社

藤岡:リクルートライフスタイルからオクトには、どのような形でシフトされたのでしょうか。

稲田:リクルートで納得するまで新規事業を作ってから辞めたいと考えていました。その頃、フラッシュセールという販売手法が勃興してきて、ファミリーセールのサービスを立上げました。数千万円程度のコストでスタートしましたが、それから数年で数十億円規模の流通まで成長しています。

大企業の中では小さなサービスでしたが、自分たちが考えた事業が世の中に出て、組織ができ、その後も大きくなっていくのは本当に嬉しい時間でした。そして、その後すぐに退社することになりました。

藤岡:本当の意味で卒業という感じですね。

稲田:はい。「納得するまでやってから辞めろ」と言ってくれていた寛大な上司たちに本当に感謝しています。結局リクルートには6年ほど在籍し、2014年3月に卒業しました。

リフォームサイト運営をしながら、建設業界のいろはを学ぶ

藤岡:オクトの事業を考えたのは、どのような経緯だったのですか。

稲田:当初はリフォーム会社の検索サイトからスタートしました。起業前後で、創業者の金近と二人で事業検討している頃、私が実家をリフォームしたのですが、会社やプラン選定等が本当に不便だと感じたことから、「とりあえず、リフォームの検索サイトを作ってみよう」と考えました。

調べてみると、リフォーム産業は国も成長を期待する産業で、6~7兆円程の市場がありました。市場は取り組むに値するから、身近な課題解決から始めてみよう、というライトな意思決定でした。

藤岡:それが『みんなのリフォーム』ですね。

稲田:そうです。とはいえ、サイトで収益をたてる会社を目指すことはなく、サイト運営をしながら、業界の人たちと出会い、業界の課題と向き合う1年を過ごすことにしました。「みんなのリフォーム」に500社程加盟して頂いたので、全国訪問して「何か困っていることはないですか」と聞いて回っていました。

多くのリフォーム会社や不動産会社から集客や開発の仕事を頂き、飲みながら、家づくりやリフォームへの思いをたくさん聞きました。その中で、私とCTOが注目したペインポイントは、「現場の人々が電話とFAXと車移動に追われている日常をもう少し楽にできるのではないか?」という点でした。

肌に触れた課題を、マクロ観点で調べてみると、大きな構造問題を感じるようになりました。建設市場全体は50兆円を超える規模であり、日本のGDPへの影響も大きい。

一方で、労働生産性は著しく低い産業です。建設業就業者の高齢化は他産業と比べて最も高く、55歳以上の方が約33%を占めています。将来推計でも、人材不足が目に見えていました。

そこで、「IT業界にはプロジェクト管理ツールがたくさんある。建設の請負業向けのJIRAやSlackを創ったら課題解決になるかもしれない」と考えるようになりました。

『ANDPAD』リリースまで1年を要した事業開発の壁

藤岡:その後、現在に至るまで様々な困難があったかと思います。特にこの業界はITリテラシーの低いお客様も多いかと思いますが、どのような壁にぶち当たって、それをどのように乗り越えてきたか、意思決定プロセスを中心に教えて頂けますか。

稲田:サービス開発は、想像以上に時間がかかりました。テスト導入してもらっても業務にうまくはまらず、試行錯誤し、何度も修正を繰り返し、『ANDPAD』がリリースできるまでに結局1年かかりました。

施工と言っても、住宅/非住宅、金額規模、関わる業種の数によって、業務の流れも、経営が見たいKPIも異なります。

藤岡:施工の内容によって、工期も関わる人数も全く違いますからね。

稲田:その通りです。IT業界で使っていた手法や機能を、業界の人に分かり易いUIで作れば行けるだろうと思っていたのですが、最初は全くうまく行きませんでした。

藤岡:そこを、どのようにブレイクスルーしたのでしょうか。

稲田:業務規模ごとにプロダクトを全て分けるというのはやはりナンセンスですから、リフォームでも新築でも商業施工でも使える共通の機能や使い方はないか、という共通化に頭を絞りました。

紆余曲折はありましたが、最終的には業界出身者の3人目のメンバーと、エンジニアチーム、それから実証実験に参加いただいたクライアント3社で喧々諤々議論をして、納得いくプロダクトに仕立てたという感じです。

「奇跡的な出会い」による人材確保、そして、業績の向上

藤岡:そういう人材を探すのは大変だったと思います。どのように探されたのでしょうか。

稲田:奇跡的な出会いです。やはり縁というのはあると感じます。退職したばかりのリフォーム会社元役員にジョインしてもらえたことや、採用面で言えばプロダクトマネージャーの村田や営業マネージャーの田村などが、ベストなタイミングでジョインしてくれたのは大きかったです。

また、営業が軌道に乗らず悩んでいた頃には、経営企画室長の堀井や営業部長の藤井がジョインし、営業組織を作り上げてくれたことで業績がぐんと伸びました。これは本当に縁としか言いようがない。

藤岡:そうだったのですね。では、資金はどのように調達されたのでしょうか。

稲田:そんな前向きな機運の中で、具体的に活動するための資金も必要になり、資金調達もしました。資金調達は基本エンジェルから行いました。

初期の資金でサービスがマーケットフィットするところまで漕ぎ付け、その後、シリーズAでDraper Nexus Ventures、セールスフォースベンチャーズ、BEENEXT、個人投資家から、総額4億円の資金調達を実施しました。

現場のニーズを捉えた「ANDPAD」が信用の壁を突破する

藤岡:信用面ではいかがでしたか?

稲田:信用の壁も非常に大きかったです。商品が良くても、建設業出身ではないことで信頼を得られないことがありました。また、人間関係が密な業界ですので、他社との付き合いを理由に門前払いをされたりしました。

藤岡:そこをどうやってひっくり返したのですか?

稲田:特にとび技はありません。ただ、我々がリリース当初から信じていることがありました。それは、「最後はサービスが勝つ」ということでした。我々は常に「No1のプロダクトとサービスを提供することに集中しよう」と話していました。

すると、自然と、お客様の「ANDPADはいいよ」という口コミが徐々に広がり、紹介が増え、認知も浸透していった感じはあります。まだまだですが、頑張って拡げていきます。

一人一人の主体性が、会社の急成長と拡大する組織の成長に繋がる

藤岡:採用に関連するお話を伺いたいと思います。 現在オクトの社員数は50名程ですが、今後の拡大に向けて、今のオクトに加わる魅力を教えて下さい。

稲田:大きく3点あります。まず1つ目ですが、第2創業期を楽しめることだと考えています。現在のオクトはプロダクトがお客様に受け入れられ、成長フェーズに入っています。拡大する組織の中で、働く楽しさを感じされると思います。

まだカオスな状況の中だからこそ、一人一人の主体性がそのまま事業の成長や組織の成長に跳ね返ります。そのような機会は人生でそうそうないものだと思っています。

業界への価値貢献や、社会意義を実感しながら働ける現場

藤岡:2点目はどんなことでしょうか。

稲田:月並みかも知れませんが、間違いなく業界にダイレクトに価値貢献ができるので、社会意義というのを感じながら仕事ができると思います。

藤岡:どんなときに一番感じますか?

稲田:営業は経営者と話すシーンで感じることも多いですし、現場の職人の方向けの勉強会に参加して利用サポートをする機会もあります。

定期的なユーザー会もありますし、あらゆるお客様とお会いする機会があるので、プロダクトに対してダイレクトに感謝されることは多く、価値貢献できている実感があると思いますね。

エンジニアにおいても同様で、説明会や職人の方へのユーザインタビューなどに行ってもらうのですが、そういった場でユーザーの使用状況や業界への貢献を強く感じているようです。

藤岡:ダイレクトに感謝される機会があるわけですね。

稲田:はい。現在はこの業界で、現場施工アプリではナンバー1のシェアになりました。品質も信頼していただけるレベルになり、お客様にも期待していただけるサービスになりつつありますので、エキサイティングなのではないでしょうか。

経験値が高いメンバーによる秩序ある企業運営

稲田:3点目ですが、良い意味でベンチャーし過ぎていないというのも魅力の1つかと思います。

藤岡:それは、堀井さんをはじめとして経験値の高い方がいらっしゃるのが大きな要因になるのでしょうか。

稲田:そうですね。大企業とベンチャー企業の両方でマネジメント経験をもったメンバーが集まっていますので安心感はありますし、「良い会社にして行きたい」という思いも強いです。もちろんまだまだカオスではあるのですが、無秩序ではない。

藤岡:合理的に判断して、動ける人が揃っているということでしょうか。

稲田:そうですね。ビジョンは大きいので、社会課題にITでチャレンジしたい方はいつでもお待ちしています。

藤岡:本日は素敵なお話をありがとうございました。