チャンスの「素晴らしきかな人生」

チャンス・ザ・ラッパー氏:みなさん、おはようございます! この場に来られて感謝しています。この美しい太陽の下で、まずはキンブロフ先生に感謝を申し上げたいと思います。ここでお話しさせていただきありがとうございます。前列に座っていらっしゃる卒業生の方にも感謝申し上げます。68年卒か、78年かもしれませんね。

全ての家族にも感謝を申し上げたいと思います。友人やゲストの方、ここに来てサポートしていただいている方々。お母さん、祖母の方々にも感謝申し上げます。

(会場歓声)

そして何より、2018年卒業生のみなさん。卒業おめでとうございます。

(会場歓声)

今日は「素晴らしい」とは何かということについてお話ししたいと思います。恐れずに素晴らしいことに向かって生きていくということについての話です。それをするために、今までに経験した最高のパフォーマンスについて話さなければなりません。つまりは最高のパフォーマーについてのことでもあります。

そのためには過去にも遡らなければいけません。少し昔のお話をしていいですか? 1997年は、みなさんが生まれた年です。私自身も高校卒業を体験しました。みなさんのように勉強したかどうかはわかりません。黒人が通う、歴史あるリベラルアーツの高校でした。

私は大学の卒業式にこれまで出席したことはありません。これが大学の卒業式に参加した初めての機会です。

(会場拍手)

1997年、高校で私にとって最も重要な出来事が訪れました。昨日のことのようにプログラムを鮮明に覚えています。国歌斉唱、先生による紹介、クラス全員で歌うアラジンの「I can show you the world~」(注:『A Whole New World』の一節)の歌。

そして僕がマイケル・ジャクソンの歌を歌います。先生が再生ボタンを押し、『Billie Jean』のドラムが流れます。ジーンズの下にはタンクスーツを着ていて、ポケットにはサングラスがありました。コーラスをバックに、自分のパフォーマンスと時間が始まりました。その卒業式ではこれが唯一のソロパフォーマンスでした。

サングラスをかけてパフォーマンスしていたこの瞬間、私はこのために生まれてきたと深く感じました。この瞬間こそが私のために生まれたと言ってもいいかもしれません。

普段、カリスマのようにはしゃぎ、マイケル・ジャクソンの真似をする私を見て、セレモニーで発散させるべきだと先生は考えたのですね。マイケル・ジャクソンになれるよう、私は一心不乱にパフォーマンスしました。

スピンし、ターンし、股間を掴み、ムーンウォークをしました。それも完璧にやりました。何週間も練習をして、その瞬間、私は完全にマイケル・ジャクソンでした。彼のやったことを完璧にコピーしたのです。しかしそれが今までで最高というわけではありませんでした。

マイケル・ジャクソンに憧れて

音楽のスタイルやパフォーマンスに関してだけでなく、人間としてもマイケル・ジャクソンに傾倒し、愛しています。作品や自分自身の可能性も、彼に導かれたようなところがあります。子ども時代に彼を見るということは自分にとっての勉強になりました。それがパフォーマーとしての現在にも受け継がれています。

一生懸命、観客を魅了する。そして何より自分の魅力に制限をかけない。彼は最高でした。何時間もスクリーン越しに彼を見ていました。製作者として、パフォーマーとして。それらは今まで見た何よりも最上のものでした。

マイケル・ジャクソンの動きは彼のみのものであり、製作者として、パフォーマーとして最上のものです。今同じ文章を2回言いましたね。スピーカー失格です。でも、このまま行きましょう。でも今のところまだいい感じです。

(会場歓声)

マイケル・ジャクソンの話に戻りましょう。マイケル・ジャクソンのスター性は彼のみのものです。ミュージックビデオ、パフォーマンス、彼が社会に与える影響。それらは世界に彼だけの場所を与えました。帽子やグローブのように物事を操る力、サングラスなどを操る魔法のような力。彼は超能力者のようです。

「Soul Train Music Awards」(注:1年に1度開催されるブラックミュージックの授賞式)で彼がパフォーマンスした時、足を怪我していて椅子に座らなければいけない状況でした。エジプトの王様の椅子とでもいいましょうか、パフォーマンスの時に観客を盛り上げて少しの動きでそこに新しい空間を作り出したのです。ただ立ち上がるだけでした。

私だけでなく黒人の子どもたちが、テレビの前で不可能を可能にしたマイケル・ジャクソンに魅了されたのです。そのうちの一人は、ものすごいスターになりました。彼女はマイケル・ジャクソンをコピーするだけでなく、超えるであろう存在になりました。

(会場歓声)

ビヨンセが披露した圧倒的パフォーマンス

そこで最高のパフォーマーによる最高のパフォーマンスについて紹介しましょう。ビヨンセです。たった一つのアクションでグラミー賞を総なめにしています。スーパーボウルのハーフショー、すべてが時代遅れになるような素晴らしい瞬間、それが「Coachella Valley Music and Arts Festiva」でした。

彼女もまた、すり減るような貧乏な生活を経験していました。バンドや子ども時代のスーパースターなどに関してもそうです。圧倒的なソロパフォーマンスを見て、彼女の下積み時代や過去の栄光がすべて霞んだように思いました。

でも誤解しないでください。『Love on top』や赤ちゃんの出産発表、『Single Ladies』のダンス、それらは革命的でした。これが「Coachella」につながっているわけですが、やはりこの時が一番最高のパフォーマンスでした。軍隊のような精密さでした。『Lift Every Voice and Sing』(注:アメリカの黒人における国歌のような歌)を歌い出した時なんて、これは「フェスティバルなどではない」と気づきました。これは儀式となったのです。

フェスティバルが始まる前、多くの人が足を運びました。ドラムや歌やバトンに人生をかけた、若者たちです。全ての人に最高のショーを見られるチャンスが与えられていたのです。今までの最高のパフォーマンスの一つです。彼女のショーは、アートやパフォーマンス、そして才能で輝くために人生をかけた、黒人の結晶のようなものです。この例え、わかりますか?

(会場笑)

オーディエンス、マーチングバンドの振り付け、音楽の変化、舞台の使い方。そして彼女の衣装。すべてが不可能を可能にする力を表現していました。多彩かつ圧倒的でした。私が振り返ってみると、ある女性がいたのですが、彼女は、ビヨンセを生んだティーナ・ノウルズでした。僕は、娘を誇らしく思う母親の姿に見とれてしまいました。

ティーナさんを見て、彼女がこれまで捧げてきた日々を思い浮かべました。この瞬間のために大変だったはずです。娘のために作ったコスチュームについても考えたでしょう。朝早く、そして夜遅くに 練習したりレッスンすることもあったでしょう。

お金のこともそうです。全ての人がそこで見たものに畏敬の念を感じました。まるで魔法を目撃しているかのようでした。ティーナさんは違う表情をしていました。満足といった表情です。達成し、そして満たされた完全な存在であるかのような表情でした。まるで捧げてきたことが報われた女性といった表情でした。

先人たちを超えていけ

そこで私は気づいたのです。私たちは、過去の人より素晴らしくなる責任があると。彼らと同じようになるのではなく、彼らを目指すのでもなく、彼らを超える責任があると感じたのです。恐怖を乗り越え、ロールモデルよりも偉大な存在になるべきなのです。

ビヨンセのパフォーマンスは、マイケル・ジャクソンの過去のパフォーマンスよりも素晴らしいものでした。あの黒人の女性は、マイケル・ジャクソンよりも素晴らしいのです。はい、言いました。不快に思う人も何人かいるかもしれません。

今日ここで話をした後、雑誌やブログがこの一言に集中することも想像できます。「ビヨンセはマイケル・ジャクソンよりも素晴らしい」という一言に。さあ、どうぞ書いてください。

私たちのヒーローを覆い隠してしまうことより、恐れや烙印というものを消し去る必要があります。これはマイケル・ジャクソンの素晴らしさや王冠を他人に譲るというようなことではありません。「Motown 25」(音楽レーベル「Motown」の25周年記念ライブ)、イングランドのウェンブリーでのパフォーマンス、「Bad Tour」「Live In Bucharest」「MTV 1995 Movie Awards」、1988年のグラミー賞、全て観てきました。ムーンウォーカーもそうです。この伝説は続きます。

マイケル・ジャクソンはアメリカの夢であり僕もこれに続きます。私は本当にファンですから。でもビヨンセが今までで最高のパフォーマンスをしたのです。カニエ・ウェストみたいなことを言うようですが。

実際にそうでしたからね。そしてそれによって、どんどん覆されて行く素晴らしいものを、もっと見たいと思うようになりました。素晴らしいものが淀むことはなく、それはブルースリーの名言「we must be like water」(注:水のようになれ)でもわかります。

つまり、「常に過去の人よりも優れたものになれ」ということなのです。人によってはこれをよく思わない人もいるかもしれません。しかしこれは真逆のことです。過去の人間や自分を犠牲に捧げた人たちへの最大の賛辞というのは、彼らより優れたことをすることなのです。いいこと言いますね。私が書いたんですよ。

(会場拍手)

両親、祖父母、そして私たちの先祖が捧げたものは、私たちが同じことをできるだけでなく、それ以上のことができるように、ということだったのです。ただコピーするだけでは、単純に彼らを批判していることにすらなります。

もし今ここで誰かが黒人のために「もっと活動しなければいけない」と言ったならば、キング牧師や多くの人は批判と取るかもしれませんね。

キング牧師の功績に敬意を払う

キング牧師の働きはムーブメントそのものでした。誰かを不滅と考えることは、その思想自体をも不滅と考えることなのです。 新しいムーブメントを考える必要があります。その高みに近づくことを恐れてしまうと、人を崇めることはできません。

祖先を目指して生きるのは迷惑に値します。 越えて行かなければなりません。キング牧師は王様になろうとはしていませんでした。彼は地域や黒人のつながりのために尽くしたかったのです。南部やシカゴそして彼の人々に。彼以上のことをしないことは、彼の努力と相反することにすらなります。

(NBAのスターが)レブロン・ジェームズかマイケル・ジョーダンかという話をすると、興奮がちにレブロンには厳しい意見を言いがちです。「レブロンはマイケル・ジョーダンになれない」と。でもそれこそがまさに話の重要なポイントなのです。

もし、レブロンがマイケル・ジョーダンのように毎日試合に出ればレブロンは負けます。彼の体はそこまで頑丈にできていません。過去の栄光を真似するためのものではなく、彼自身が彼の基準で最高になるべきだからです。

彼の肉体とプレースタイルでは、他人がシュートする時にパスしなければならないのです。地元でも勝たなければならない。彼は彼のベストを尽くさなければいけません。

試合で戦うだけでなく、人生でも戦わなければならないのです。NBAのライバルと、彼の関わる全てのものと戦うのです。それだけではなく彼にとってのアイドルや、アイドルの敵とも戦わなければいけません。

……あれ? あんまり伝わってないみたいですね。ちょっと落ち着いてみましょう(笑)。

レブロンとマイケル・ジョーダンの話をズルズルすることもいいですが、これについて考えてみて下さい。人々は過去現在の試合を比べたがります。「彼らは戦っていた相手が違った」などということです。でも、どんな人生でも、いつも新しい相手がいます。

マイケル・ジョーダンにはカール・マローンやクライド・ドレクスラー。レブロンにはラッセル・ウェストブルックというように。今までより良くなるのは敵も進歩していくことを知ることです。新しいツールやテクノロジーを使いながら進歩していきます。そして彼らもまた、過去から学んでいます。それはかつて自分たちを苦しめたシステムです。

ギリギリの舞台に立て

ジム・クロウ(注:人種差別的内容を含む、アメリカ南部の州法の総称)についてお話します。麻薬戦争や大量殺人などがなければ、象徴として廃止されることはなかったでしょう。世界は変化していて、敵もまた変化しています。ただ追いついて行くだけではなく、自分たちも変化しなければなりません。彼らより、早く、強く、賢くならなければなりません。彼らよりもベターになるのです。

こうしてあなたたちを見ていると素晴らしいことができる人がたくさんいるように思います。アーティスト、医者、弁護士、政治家、科学者。そういった道を進んでいくと恐怖を感じることがあるでしょう。その時まさに、かつてのヒーローたちが達成した時のようなギリギリの舞台にいます。

そしてこう考えてみてください。この先に何があるのか。その瞬間こそがまさにあなたが最高の状態である瞬間です。そしてまた止まってはいけない瞬間でもあります。ヒーローを見習うことは素晴らしいことですが最高ではありません。

良いことと素晴らしくあることの違いというのは、彼らの苦難に敬意を払うべく、そこを越えていくかどうかの違いであります。恐れないでください。

ビヨンセにはマイケルがいました。マイケルにはマイケルはいませんでしたがジェームス・ブラウンがいました。 ジェームス・ブラウンにはキャブ・キャロウェイがいました。こうやって連綿と続いてきたのです。

そして今、これからの最高のパフォーマーというのは今この観客の中にいる人かもしれません。そしてその人はビヨンセにはなかった何かを持っているのです。今、あなたたちにはビヨンセがいます。今までで最高のパフォーマンスを見て学ぶことができるのです。でもただ真似するだけというのはしないでください。越えてください。

2018年卒業生のみなさん。あなたたちが世界でどんな活躍をするか楽しみにしています。そして私まで卒業させていただきありがとうございます。私も博士になってしまいました。

(会場歓声)