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日本再興戦略~広告業界が取るべき未来戦略とは(全4記事)

落合陽一氏が提示する、人口減少社会・日本の「撤退戦」に必要なもの

2018年5月14日~17日、「Advertising Week Asia2018」が開催されました。マーケティング、広告、テクノロジー、エンターテイメントなどの幅広い業界が集い、未来のソリューションを共に探索する、世界最大級のマーケティング&コミュニケーションのプレミアイベントです。本セッションでは、メディアアーティストの落合氏が登壇。さまざまなテクノロジーの進化がある一方で、少子高齢化や人口減少などの課題を抱える日本。今後、世界の中で日本が再興するにはどんな戦略が必要なのか。撤退戦の戦い方と、多様性を維持するための取り組みについて語りました。

情報伝達のプロセスは中央集権型から分散型へ

落合陽一氏(以下、落合):例えば、地方のテレビ局が情報伝達するのにマスコミを維持できない。そうなったときに、今は我々の社会にとっては、YouTuberのほうがフォロワーが多かったりするわけですよね。

でも、人口は増えていかないわけです。じゃあどうやって移行していくかって言ったら、その情報伝達のプロセスを分散型にする。中央で撮ったものをひたすら待つんじゃなくて、そこには独自の県があるわけです。そうやって社会全体をハッカブルにしていくことはすごく価値がある。

(スクリーンを指して)例えばこれは、うちの研究室で遠隔動作と協調動作の研究をしている車椅子ですけれども。こういったユーザーが設定できる(もの)。この車椅子は何に使うから、ユーザーがプログラムを書いて動かせるのかとか。

もしくは、それ自体をエンドユーザーがハック可能な状態にしておかない限りは、全部に対応するほどの人力リソースがないときに対応できなくなっていってしまうわけですよね。

そういったときに、例えばデジタルファブリケーションだとか、コンピューターを使った最適化技術は、おそらく身体性を補完する枠組みでも、もしくは情報を伝達する枠組みでも、もしくはインフラを維持する枠組みでも重要なわけです。

(スクリーンを指して)これは、うちの学生さんがカメラをスタビライズするのに必要な一人ひとりに最適化されたカメラを、3Dコンピューターで計算して作るという取り組みをやっていました。

腕が2本あったら合わせるのは楽なんですけど、腕が1本の人って合わせられなかったりするじゃないですか。もしくはお年寄りになって支える力がなくなってたりだとか。

お年寄りになってカメラ買ったはいいけど、手がブレちゃってカメラ(のピントを)合わせられないとかすごく悲しいですよね。でも、そういうのを最適化してやれば、きれいに合わせられるようになるよね、みたいなことをやってたりします。

そういったような情報、例えば今の身体情報だとか、老人ホームの周りの空間情報というのは、ある程度コンピューテーショナルに管理できるようになってくる。

これがつながっていって1つの大きなAIシステムを作るときに、どうやってセキュアにやっていくのかと言ったら、おそらくブロックチェーンになっていくと思うわけです。

コミュニケーションの力の重要性

つまり、なんでブロックチェーンが重要かと言うと、1個1個の中央のプラットフォームが効いてる状態では、ブロックチェーンってコストがかかるのでやってもしょうがないわけですよね。ネットワーク化されたノードの数がすごく多くなっちゃったら、ブロックチェーンは破綻するわけです。

例えば、ビットコインが昨年末にめっちゃ高騰したときに、送金するのに4日かかるし、手数料もものすごく高いという状況をみなさん体感したと思います。でも、あの状況下ではあれは機能しない。しかしながら、分散型になった通貨はユーザー数もすくないし、トランザクションも限られているから、今のテクノロジーではおそらくは機能する。

そういったようなものを例えばバーチャルリアリティに使ってみようとか、身体のシェアに使ってみようというようなことが、1つテクノロジーとしてキーワードになっているわけです。

これはコミュニケーションデザインの観点でも、中央から情報を待っているだけではなくて、分散型の情報をどうやったらセキュアに保つかというのが1つ大きな課題です。こういった社会問題を解決するうえで、技術と社会の両点から問題に向き合っていかないといけない。

つまり、マシンラーニングや多様性のためのハードルだけではなくて、どうやって人間の抱えている問題に対してビジネスとアカデミックの両面から取り組んでいくか。もしくは、コミュニティを作ること自体をどうやってやっていかないといけないか。

(スクリーンを指して)上の面だけだったら、アカデミックでものを作って、プラットフォームでやって、社会に出せばよかったんです。下の社会をどうやってコラボレーション可能にするかとか、社会を問題と向き合わせるには、おそらくコミュニケーションの力が大事です。

それは広告でもそうだし、マスメディアでもそうだし、例えば旧来のパーソナライゼーションもそうかもしれない。でも、そういった意味で、僕がふだんメディアに出てるのはそういうことなんですよ。

テレビに出ないと、おそらくご老人の方々に「テクノロジーを使ってどうやって生活が便利になるか」というような情報がリーチしないわけですよ。突然、車椅子が来たら怖いじゃないですか。だって、中を開けてもAIが入っていて、どうやって動いてるかわからないわけですよ。魔術化されたものが突然来たら怖いですよね。(だから)コミュニケーションを取らないといけない。

インフラを撤退させながら生産性を上げていく

コミュニケーションを取るには、あらゆるメディアにうまくリーチしていかないと、今の我々の社会はコンセンサスが取れない状態になっているわけです。でも、これは我々の撤退戦の社会にとっては必要不可欠です。

なぜなら発電所のことを考えてみてください。山の向こうにおじいちゃんが住んでいます。おじいちゃんの数は徐々に減っています。今おじいちゃんが5人住んでいたとして、おじいちゃん5人に送電するコストよりも、そのインフラを維持するコストのほうが高いとする。

そうしたときに「よし、じゃあ電力を切ろう」。(それで)おじいちゃんが死んだと。非常に悲しいですよね。そこを維持することができないとしたら、どうしたらいいかと言ったら、中央から出ている幹をどうやったら分散型に変えるかというのは1つ大きなファクターなわけです。

例えば、おじいちゃんがソーラーパネルを使っていて、そのソーラーパネルの電力を隣に売るためには、どういう通貨の仕組みや、どういうセキュリティの仕組みがあればいいかというのは考えていかないといけない。

ほかの社会は人口が伸びています。例えば、イギリスやアメリカは伸びています。しかし我々の社会は減っています。だから、インフラを撤退しながら生産性を上げていかないといけない。

これは、我々が今立っている1つの大きな技術的な岐路です。ここの分岐点をどうやって中央と非中央のバランスを保ちながら行っていけるかというのが、我々がオリジナリティを保てるかの1つのキーワードだと思っています。

そういったときにどんな問題があるでしょうか。例えば今までの(何かが)発明されるとか、社会にものが出てくる枠組みがあります。その中で、例えば僕が発明するとか、その発明を使って何の問題を解くかということを大学でやっています。それを実用化するとか、社会にスケールするようなことは自分の会社でやっています。

でも、身体多様性の問題というのは、おそらく問題がシンプルすぎてわからない。このあたりもたぶんあるんですよね。例えば目が見えない、耳が聞こえないとか。それはどういう意味かというと、問題がわからない。でも、問題の解決としてはシンプルである。

例えば、ものを掴んで持ち上げるということは、腕がない人にとってはなかなかわからないわけですね。しかも、これって人数が少ないから、デプロイスケール(スケールを展開)できないんです。

でも、問題があって、社会が取り組まないといけなくて。社会が取り組まないといけないということをみんなが認知していない限りは、我々は取り組めないわけです。そういった問題について、どうやったらコミュニケーションをとっていけるかということを、たぶん今やらないといけないわけです。

一人ひとりが抱える多様な問題を解決するためのアプローチ

なんでこんなことを思ったかと言うと、たまたま弊息子、うちの息子なんですけど、口唇口蓋裂っていう障害があって、生まれて2日後に歯科に行って型をとったんですね。歯科に行って型をとって、僕は「これはウェアラブルとファブリケーションの問題だ、コンピューターだ」と思ったんです。

そのあと、ビジュアルと外科デザインを手術でやるわけです。でも、これもコンピューターシミュレーションだと思うわけじゃないですか。言語療法をする、筋トレと発音の訓練をする。これも基本的にAIが持っている機能の1つですよね。

それを成長に応じてやっていく。人口減少社会でこんなことできるかというと、できない。できないというか、やるけど大変。それは明らかにテクノロジーを入れていかないといけないし。

はたまた、うちの子どもはたまたま疾患が多いからこんなことができるし、小学校に入る前に問題を解決できる。だけど、例えばもっと人数が少ない問題に関しては、明らかに限界費用を下げるソフトウェアで問題を解決しないと、たぶんできないんじゃないかと思ったわけです。

でも、それを我々の国が「GoogleやAppleがやってくれるからいいだろう」と思っているというのもたぶん違ってて。空間認識とか一般物体認識みたいなものは、全員が全員使える共通なハードウェアがあって、問題が解決できるものです。一人ひとり違った多様なものを解決するためには、ぜんぜん違うアプローチがある。それは個人に対応させるのは難しいし、多様性が低い。

ローカルはローカルで問題の解決や情報の伝達をやっていかなきゃいけないと思います。そのために例えばハードウェアを作ったりとか、非中央化された問題をやっていくと。そういった具体的な実例がポコポコ出てくるわけです。

アートとエンジニアリングの両輪がないと社会は成立しない

つまり、撤退戦を戦うためにどうやってICOなりブロックチェーンを使っていくのか、どうやってソフトデザインに変えていくのか。どうやって多様性を維持するのかというのが、たぶん僕が触れている僕の専門性があるオーディオビジュアル身体だけではなくて、あらゆる情報コミュニケーションや、あらゆるデバイス設計に入ってきているのが、今我々の国が瀕している問題だと思うわけです。

そういったときに、今まで広告やコミュニケーションが担っていたのは、どうやってデザインするかということだったと思います。デザインやマーケティングというエンジニアリングをどうやっていくかということだと思うんですが、そこにアート、サイエンス、エンジニアリング、デザインといったような大きな枠組みが入ってきて、プロダクトを作って売る。

例えば、卑近なんですけど、なっちゃんの例を出します。オレンジジュースを作ると、社会のみんながオレンジジュースの味を知るという意味でめちゃくちゃ価値がある。でも、1杯のオレンジジュースを何十万円もかかっていいから作ろうというのはアートの試みだし、そこに入っている物質を特定しろというのはサイエンスの問題だし。

そのアートとサイエンスが描いた最大の到達点を、どうやったらみんなに普及させられるかというデザイン、エンジニアリング。マスじゃなくなってくるということは、アートとサイエンス的になっていく。逆に言うとマスになってくるというのは、どうやって普及のメソドロジーを考えていくか(ということ)。

でも、この両輪のどちらが失われても、たぶん社会って成り立たないと思うんですよね。パーソナライゼーションされるのは当然だけど、それでマスが成り立たないかと言うと成り立つわけです。

この2つの拮抗こそが、今我々のクリエイティブの源泉になるべきことだと思います。全員に情報をどう伝達するか。もしくはそれを人類の時間結晶、例えば僕は年輪の木目を見るのが好きなんですけど、そういったものにあるような時間をかけないとできないようなもの。アートとかサイエンスが持っているようなものも、どうやって両輪を保ちながらやっていくかというのは1つキーワードです。

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