科学をテーマに気軽に話せるサイエンスカフェ

元村有希子氏(以下、元村):みなさん、こんばんは。ようこそいらっしゃいました。元村有希子と申します。毎日新聞社では科学環境部という部署で部長をしています。記者として科学分野を15年ぐらい取材してきた関係で、いろんな研究者の方と知り合うことがたくさんあります。

その中で、例えばタイムリーな、あるいはすごくおもしろい人をこうやってお招きして、とことんお話を聞く。しかも、私が聞くだけではなくて、みなさんからもわからないことをなんでも聞いてもらう。そういった気のおけない場が、私が主催しているサイエンスカフェです。

このように、会場がこぢんまりとしているので、みなさんあまり恥ずかしがらずに手を挙げて質問することができると思います。

手を挙げなくても質問が届く距離ですので、今日は1時間ぐらい遠藤さんのお話、そして私との掛け合いの後、7時半をめどにみなさんからの質問・コメントなどもいただければと思います。だいたい8時をめどに終了となります。

いろいろな興味・関心の方向があると思うので、いろんな関心からの見方があるのだということにも気づいていただければと思います。

義足エンジニア・遠藤謙氏が語るロボット義足の未来

元村:こちら、本日来ていただいているのは、遠藤謙さんです。1978年生まれ、私と同じ午年ですね。

遠藤謙氏(以下、遠藤):本当ですか? 午年です。

元村:ひとまわり違うんですが(笑)。

遠藤:ははは(笑)。

(会場笑)

元村:言わなくてもいいか(笑)。

遠藤さんと初めて会ったのは3年ぐらい前だと思いますが、あるサイエンスカフェで知り合いました。そのあと山中伸弥さんをお招きして神戸でシンポジウムを開かせていただいた時に、スピーカーのお1人としてお招きしました。

こうして1対1でちゃんとセッションをするのは初めてですね。今日は私も遠藤さんの研究についていろいろ聞くことができるのをすごく楽しみにしています。よろしくお願いします。

さっそく遠藤さんに、今のお仕事について、この研究を始めたきっかけなど、ご自由にお話しいただきたいと思います。それではよろしくお願いします。

遠藤:ありがとうございます。今回のタイトルとして「義足エンジニア」と名乗らせてもらっているんですが、遠藤謙といいます。

義足エンジニアと言いまして、説明が難しいんですが、いろいろなことをやっています。

研究をやっていますし、モノも作っていますし、またベンチャーの社長として、こうしたトークイベントにもたまに出させていただいたり、たまにテレビでも仕事があります。

しかし、基本的にはモノを作る人間だと思っているので、エンジニアと呼んでもらいたくて、自らエンジニアと名乗っています。

僕は大学の修士2年生まで、ロボットの研究をしていました。そのとき「ASIMO」やソニーの「QRIO」といった2足歩行ロボットが登場していて、当時から僕はロボットが大好きで将来こういった研究がしたいと思っていたため、大学時代はずっとその勉強をしていました。

スライド上側に3つあるのがヒューマノイドロボットで、デザイナーの松井龍哉さんという方がデザインしたものですね。下の3つが山中さん。iPSの山中教授ではなく、山中俊治さんというデザイナーの方がいらっしゃいます。その方がデザインしたロボットです。

これらを、学生の身分ながらこういった機会をいただき勉強させていただいたんですが、あるとき、僕の高校時代の後輩に、ある病気が見つかったんです。それが左側にいる吉川和博くんという、僕の後輩です。骨肉腫という病気のため、切断して義足ユーザーになりました。

僕は、当時やっていた2足歩行ロボットが人の足の代わりになるなど、もっともっと人間の役に立つのではないかと思っていたのに、そうした当事者を目の前にして「このロボットがあるよ」と胸を張って言えない。実際には本当に人のために研究をしているという意識がなかったんだとものすごく感じました。

MITメディアラボ教授ヒュー・ハー氏との出会い

遠藤:そして、本当にこの同時期に、左側のヒュー・ハーという先生。MITのメディアラボの先生でヒュー・ハー先生と知り合うことになりまして、この写真からちょっと明るくて見にくいんですが、両足下腿、両足の膝はあるけれども足首の部分が義足です。

彼は当時有名なロッククライマーだったんですが、17歳のときに凍傷で足を切断することになったんです。それで「もう競技は続けられないよ」と病院の先生から言われたそうです。でも、彼はそんな言葉は聞かずに、自分で義足を作って競技を続けた結果、元どおり競技に復帰することができただけではなくて、足があるときよりもいい記録が出たこともあったそうです。

よくよく考えてみると、足を切ったので体重が軽くなったとか、あとは義足が足を長くするので、届かないところも届くようになったとか、斜面や岩肌に合わせて足の形状を変えられるなどなど。

もちろんデメリットがあるけれども、テクノロジーと組み合わせることによってメリットもあると言っていて、ものすごく僕はそれにインスパイアされて、彼の元で研究したいと思いました。

元村さんからのメールのやり取りでもありましたが、2014年の時のTEDのトークで、ボストンマラソンでテロがあった時に足を失った女性の方が社交ダンスをするために、彼が協力して義足を作った。

義足自体は彼が履いているようなロボットの義足なんですが、これは僕がまさに学生時代研究所にいたときに、チームの中で作っていたもんです。それをたぶん社交ダンスに合わせて作って、こういった舞台の上で彼女が踊るようなデモンストレーションをしたということで、とても話題になりました。

もしみなさん興味がありましたら、今年のTED、彼はスピーカーとして名前が出ていたので、何を話すのか、僕も楽しみですし、みなさんも楽しみにしていただきたいと思います。

義足は身体の努力に依存する未熟なツール?

遠藤:僕が当時アメリカに行ったときは、障害者というものに対してそんなに接点がなかったので、エンジニア・研究者として何ができるかということに関してはそこまで深入りするつもりはなかったというのが正直なところです。けれども、行って、本当に180度自分の考えが変わったと思っています。それについてお話ししたいんですが。

アメリカでもそうなんですが、日本では「五体満足」という言葉があるとおり、両手、両足、頭があって満足という認識が実は昔からありまして、例えば身体の一部を、機能的にも物理的にも失われたときに、すぐに「障害者」というようになって、障害者手帳が配られるんです。それで社会保障を受けるという仕組みになっています。

何ができるとか、できないとか云々ではなくて、身体の状況に応じてそれが診断されるということが今の日本の決まりですね。ですから、僕の先生は、ヒュー・ハーという障害者です。

今の現時点でのテクノロジーでは、義足というものがあります。車椅子という手段を選ぶ方もいるんですが、まず歩行機能の回復の見込みがある方は練習する方が多い。そのときに使われるのが、棒切れにカーボンの板がついているようなものが多いです。

これが一見、普通に歩いているように見られる、見えるんですが、実はけっこう疲れるんです。例えばヒュー・ハーと僕が同時に歩いていると、すごく汗だくになるんですね。

なので、一見普通の暮らしをしている、普通に我々と同じような運動をしているように見えても、実は中でものすごくがんばっているという状況です。技術的にはまだまだ未熟ですし、実は身体の努力に依存しているということが言えるのではないかと思います。

メガネは障害を矯正して社会性もあるテクノロジーの代表

遠藤:一方で、義足と一言で言っても、見た目的にも機能的にも、もし人間の足のように完璧に動くものがあるとしたら、どのように我々はその人の身体を認識するのだろうと思うようになりました。これが、我々の業界というか研究者の中でいうと、メガネの事例がものすごく出てきます。

メガネというのは、テクノロジーとしては、基本的には視力が悪い人の視力を元どおりに戻す、視力を上げることです。これが普通の見方なんですが、今この部屋の中でもたぶんメガネをかけている方は少なくないですし、たぶんコンタクトやレーシックをされている方がいるとしたら、ほとんどマジョリティにあたるんですよね。

そういった「視力が悪い」という現象は、実は障害者であるというか、目が悪いという、社会的弱者になり得るような原因を消しているテクノロジーの一つと言えるのではないかと思います。

昔は、僕も小学校の頃はメガネをかけている人がクラスの中にいて、たぶん極度に視力が悪かったのだろうと思うんですが、牛乳瓶の底のようなメガネをかけていて、あだ名が「博士」だったんです。

元村:そうそう(笑)。

遠藤:だから、目が悪いということが、ある意味コンプレックスになり得た時代だったと思うんですが。今はレンズの圧縮技術であったり、デザイン性が高まったりしたこともあって、メガネをかけていることがコンプレックスになり得ない状況になってきたということが、このメガネのすばらしさですよね。

ですからメガネというのは、視力を元通りに戻すということ以上に、社会に受け入れられていて、我々がその人の裸眼視力をまったく気にしなくても実は生活ができているような、すばらしいものだと思っています。

障害者を特殊能力者に変えるような義足を作りたい

遠藤:義足の場合も、実は足がない状況が裸眼視力にあたり、矯正された身体能力で普段我々が生活をしているようなことができているとしたら、もしかすると障害者と呼ばれなくなる日が来るのかもしれないということをヒュー・ハーとずっと話していて、すごく未来のある技術だと感じたことから、この世界にどっぷり浸かることになりました。

さらに、やっぱり義足というのは物理的な、身体から外へ、非線形な物質でできているものなので、人間の体に寄り添うというか、近づける以上に、もっと違うこともできると言われています。

例えば、すごく足が長くなることで、めちゃくちゃ速く走れるような世界が来るとしたら、足がないということが、実は走る業界においては障害者ではないのかもしれない。むしろ、特殊能力者にあたるのではないかというような考え方ですよね。だから、こうした世界がいまだないというのは、やっぱりまだまだ技術が未熟であると。

我々研究者やエンジニアは、こうしたことを日々研究していって、「社会的弱者」と今言われている人たちがどんどんどんどん減っていくようなものを作っていけたら社会変革につながるね、ということをすごくモチベーションにして、日々研究をしていました。

留学した当時は、空白の部分……。ものすごく僕は、後輩のこともありましたし、ガンなので、足がない以上に、死ぬかもしれないという状況だったんですね。

もっと詳しく言うと、彼は肺に2回転移しているんです。原発巣じゃないところに転移するのは、かなりステージ的には高くて、生存確率が50パーセントを切るような中で、治療をしていたんです。

彼のお母さんとも話したことがあるんですが、ものすごく悲壮感が漂う雰囲気だったんです。

その中で留学していて、義足を作ってなんとか彼を歩かせたいという思いではあったんですが、彼も幸い生き延びまして、すごく元気なので、もうちょっと明るい領域なんだということもわかってきました。今では僕もすごく余白に関してワクワクするような気持ちも実はあるんですね。

ですから、切断というのは、もちろん悲しいストーリーもある一方で、実は技術的にはまだまだポテンシャルもあって、人間という今まで枠組みが閉じられた中のものを、突破するような領域も実はあるのではないか。今まで人間がこれぐらいだよねと思っていたものが、実はこっちにもあったよねという領域がたぶんこの先にあるのではないかということを考えながら研究をしております。