好きだからこそ「余人をもって代え難い人」になれる

楠木建氏(以下、楠木):そう言いますと、相田みつを系の話に聞こえるらしいですね。オンリーワンで良いんだよといったように。僕はまったくそういうつもりはなくて、けっこう世の中を厳しめに見ております。そんな甘いものじゃないだろう、仕事は。

だいたい、他の人ができることが普通にできるというのは、いろんな代案や他の人もいるわけで。それでは、プロの世界ではゼロと同じだと思います。これができる、あれができると言っているうちはまだまだ素人で、余人をもって代え難いというのが本当の仕事なのです。

今の良し悪しは、インセンティブ。スキルがそうなのですが、こういうことをやると良いんだよという。インセンティブがあると「よし、じゃあ英語を勉強するぞ」と、努力が強制されるのですね。そうすると、英語が上手くなる。プレゼンテーションが上手くなる。

そうすると、昇進や報酬などの良いことがあります。そうすると、ますますよーしと言って努力が強制されて、こうした構図になってくる。担当者の世界ではこれが大切なのですね。スキルですから。

ところが、振り返ってみますと、僕の場合は、努力しなきゃいけないなと思ったことで、これまで本当に上手くいったことはただのひとつもないわけです。まだ53歳なのですが、少なくともこれまではなかった。

こう思った時点で僕は、極論すれば、(努力が必要なことは)もう向いていないということだと思うのです。これは「お前はすでに死んでいる」という面がありまして、結局のところ僕が行き着いた仕事の原則があります。これをぜひご紹介したいのです。

がんばらない「無努力主義」

無努力主義。これ、相田みつをさんも、「がんばらなくてもいいから具体的に動くことだね」というけっこう厳しい人だったということが後で分かったのですが。がんばらないということが大切だと思うのです。

つまり、努力の娯楽化というロジックなのですが、先ほどのドライブ(動因)ですね。起点にそれがすごく好きであるということがある。ここがポイントなのですが、端から見ると、その人はものすごく努力しているように見えるのですよ。ただ、本人には努力という意識がない。好きでやっているので、娯楽に等しい。

例えば、僕で言うと、文章を書くことが大好きなのです。本当に大好きなので、例えば、本当に調子が出てくると、僕は朝早めに仕事場に入るのですが、7時くらいには始めるのですが、よーし書くぞと調子にのって書き始めると、時計を見ると10時なのです。もう3時間もやっていたのかと思って、ふと外を見ると真っ暗なのですよね。夜の10時だったのです。15時間もやっていたの? と。もうトリップしちゃっているのですね。

これ、文章を書くのが嫌いな人から見たら、ずいぶん努力してるねぇ。本人には娯楽に等しいのですね。これを努力の娯楽化と呼んでいます。

端から見ると努力と言えるものが、自然と継続します。これで上手になって、余人をもって代え難いレベルまで行く。そうすると、人の役に立てる。頼りにされる。人間はけっこう単純なもので、そういうことになるとさらに好きになるという。

これを、頭(好き)と尻尾(成果)を取っていうと「好きこそものの上手なれ」という話です。僕は、このロジックでなければ、申し訳ないけどセンスが出てこないのですよ。

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