スポーツの世界の感動は消費に近い
森川亮氏(以下、森川):みなさんこんにちは。さっそく第3部分科会を始めたいと思います。今回はG1カレッジということで学生の方が中心ですから、まずは学生時代どうだったのかなというところから入っていきたいと思います。テーマが「リーダーとして文化・スポーツを通して感動を生み出すには?」なので、為末さんから。そもそも感動させたかったんですか? どうだったんですか?
為末大氏(以下、為末):僕らの職業は、感動させたかったというのは大きいですね。オリンピックに出るぐらいのときがちょうど22歳・大学4年生だったので、「自分がオリンピックに出て活躍したら感動するだろうな」という思いと、「それを見てうれしいと思ってくれたり、感動する人がいるだろうな」という2つですかね。
森川:とはいえ、そんな感動させようなんて余裕はあったんですか?
為末:いや、ありましたよ(笑)。
森川:前にちょっと為末さんの話を聞いたときに、空港に着いたときにメダルを獲った人が乗るバスと、獲ってない人が乗るバス(に分かれている)みたいな。(メダルを)獲ってない人が乗るバスのときのいろんな思いとか、地元に帰った話のときに、そういう(人を感動させる)余裕ってどうだったのかなみたいな。
為末:方向性としては、スポーツの場合、自分のパフォーマンスが出ると、結果的に感動させてしまうんですね。なので、そういう意味では、あんまり考えなくてよかったのかなという気もするのですが。
今おっしゃっていただいたように、オリンピックの選手って、今、行きは全部エコノミーなんです。帰りはメダルを獲った人だけがビジネス(クラス)で帰ってくるというルールになっていて、帰りの成田に着いてからも別のバスに乗るという格差社会なんですよ。前に、(森川さんに)そのときの寂しい気持ちの話をしたので。
確かにそういう括りでいくと、スポーツの場合、僕の最初のオリンピックはシドニーなんですけど、10年経つと、高橋尚子と井上康生(が金メダルで)、もう極端に言うと、井上康生君のメダルしかみんな覚えてないんです。一応僕も出ていて、日本の男子の短距離も出るんです。たぶん、みなさんの世代は、誰も知らないと思うんですね。
だから、我々の世界の感動というのはかなり消費に近くて、オリンピック中、各国1人ぐらいが記憶に残っていて、あとの人はその時代の人だけは覚えているんだけど、あとは忘れ去られていく。ほかの業界もそうかもしれないですけど、スポーツはちょっとそれが強いなというのはあります。そういう意味でも、外に向けてというよりかは、やっぱり自分の感動に向かいがちな側面がある気がします。
森川:でも為末さん、そもそもハードルじゃないときもありましたよね。400メートルなどで記録を出されたとき。ハードルに移ったのも感動させたかったからですか?
為末:今日、僕の話ばっかでいいですか?(笑)。
森川:順番に突っ込んでいきますから大丈夫ですよ。
為末:僕はもともと短距離をやっていたんですけど、18歳のときに短距離の100メートルが厳しくなって、ハードルに転向したんです。ただ100メートルは速くて、中学校のときに10秒6ぐらいで走ってたんですよ。中学チャンピオンで、15歳の時点では(現日本記録保持者の)桐生君より速かったんですよ。
森川:いろんな記録を出されて。
為末:ええ。だから「いつか9秒出るだろうな」と思ってたんですけど、早熟型で身長がそこで止まっちゃって伸びなくなりました。
「でも陸上は好きだし、どうしようかな?」と思っているときに、たまたま海外の選手が出ている試合を見て、ジャマイカの選手がハードルを跳んでいて、(バーに)ぶつけて転倒したんですね。
それを見たときに、「この世界に引きずり込めれば、なんとかなるかもしれない」と。100(メートル)でのびのび走られたら厳しいけど、まあちょっと複雑なので、この世界に来れば勝てるかもしれないと思ってやったのが18歳のときですね。
森川:じゃあ、そこは感動はあまり?
為末:あんまり考えてないですね。すいません(笑)。
遠山正道氏の学生時代
森川:そうですよね。じゃあ次、遠山さんは、大学時代に水上スキーをやりながらイラストレーターをやっていたと思うんですけど、そのときは感動って考えてたんですか?
遠山正道氏(以下、遠山):学生時代ですよね。感動(させる)というか、自分が感動しました。絵を描いたら、『POPEYE』の編集の人が見つけてくれて、ポップアイに紹介してもらって、『POPEYE』でイラストの連載をするようになったんですね。だから、場当たり的というか。
森川:そこからアーティストとしての活動も?