ケガと療養について

記者5:個人会員のタムラレイコと申します。私はスケートのことも医学のこともわかりませんけど、たぶん今度のオリンピックがもっと先だったら今頃療養してたと思うんですね。だけど、お出になって金メダル取った。

それで、これから長い将来を考えたら、また1年ぐらい療養なさったほうが、足を徹底的に治したほうがいいんじゃないかと思うんですが、いかがですか?

羽生結弦氏(以下、羽生):間違いなく、おっしゃられたようにこれがオリンピックでなければ、僕は今すぐに痛み止めを飲んでこうやってピークを作ることはなかったと思っています。やっぱりなによりも治すことが大事だというのはすごく思っていますし、これからのスケート人生、なにが起きるかわからないので。うん、やっぱり休んでいたと思っています。

実はフィギュアスケーターはわりとオリンピックで金メダルをとったあと、若い選手であっても1年間休養したり、もしくはもうオリンピック以外いらないから3年間しっかり休んで、そのまた3年後にそのシーズンにだけ合わせて身体を作ってきたり絞ってきたりする選手もいるスポーツです。

そういったなかで、僕はソチオリンピックのあと金メダルをとってもうすぐに試合に出て、そのあとの試合を、金メダルをとってまた来シーズンすぐに試合を始めました。ただ、今回は足の状態があるので「治療に専念する」という気持ちは変わっていないです。

すいません、回りくどい言い方かもしれないけれども、まぁ言えることが限られているし、もしかしたら、自分のこれからのスケートが今はわかっていない状態なので、詳しくは言い切れない。自分もわかっていないので言い切れないんですけれども。

間違いなく言えることは、今の自分のこの金メダルをとってきたという気持ちだとか、自分のスケートだとか、そういうものをすごく待ち望んでいる方がいらっしゃるということはうれしいことだし。

またアイスショーにおいても、またこういったイベントだったりとか、いろんなところでしゃべる機会があったとしても、こうやってたくさんの方が待ってくださって、自分の声やスケートをお金を払ってでも見に来てくださる。

そういった方々のために、ちょっとでも自分のスケートを使えたら、ちょっとでも自分の体力とか気持ちとか気力とか、そういったものを使えたらなというふうには今思っています。

メリハリを大切に

記者6:経済キャスターをしております、個人会員のスズキと申します。2連覇おめでとうございます。そして日本中を幸せな気持ちにしてくださって、本当にありがとうございます。

羽生:ありがとうございます。

記者6:世界中の名だたる選手が「羽生選手のことを人間性を含めて尊敬している」というふうに発言されていますけれども、その羽生選手が挑戦し続ける力ですとか、自分を律する力、そしてまた奮起させる力、その原動力というのは一番どの部分にあるんでしょうか? 教えてください。

羽生:ええとまず、うーん、今みなさんと話しているこういう時間って自分の中ではスイッチが入りきってなくて。わりとゆっくり話しているし、「この人ふわふわしてるな」って思われるかもしれないですけど(笑)。

わりと自分の中で、スケートが始まったときだとか、スケート靴を履いて氷に乗った瞬間だとか、スケートのことを考えてアップをしてる時間とか、そういうときは本当に違う人間になってるんじゃないかというぐらい切り替えています。

それは自分の精神力であったりとか、「絶対に勝つんだ」とか「絶対に強くなるんだ」という原動力だと思っていますし、その切替がうまくいかないときももちろんあるんですけれども、その切替を絶対にやると決めてはいます。

それがたぶんここまで、とくにオリンピックですね、不安要素がいろいろあったし、やれないこともいろいろあったんですけれども、そのなかでやれたのは、そういう自分の中での切り替えやメリハリがあったからかなと思います。

「夢」を叶えるということ

記者7:毎日新聞のカガワと申します。連覇おめでとうございます。

羽生:ありがとうございます。

記者7:「小さい頃からの夢だった」というふうにおっしゃってたんですけれども、私にも2人子どもがいるんですけれども、なかなか小さい頃というのは、ちょっと失敗してへこんだりとか、やっぱりほかの誘惑があったりとかで、ちょっと夢から逸れてしまうようなこともあったかと思うんですけれども。羽生選手がずっと夢を継続されて掴み取ったっていうその原動力、それはどのような力だと思いますか?

羽生:うーんと、なんですかね。自分の中での今自分が持っている夢というものって、わりとかたちがしっかりしていて。それはたぶん昔の自分なんですよ。

昔、小さい頃に「ああ、これやりたい」「これで強くなりたい」「これで一番上に立ちたい」「こういう人になりたい」、そういうふうに憧れて、それを信じ切っていた自分がたぶん今もずっと心の中に残っていて。その自分の心の中で「絶対やってやるんだ!」と言っている昔の自分が、たぶん僕の夢というか、夢の原動力になっているんだと思います。

だから、もちろん誘惑とかたくさんあるし、僕もすごい野球がやりたかったんですけれど。先生も厳しくて毎日正座ばっかりしてたし、たぶんスケートをやっている時間のほうが短かったぐらい立ってました。ずっと。先生に怒られて(笑)。

でも、それでもスケートやめなかったのは、やっぱりやれていることに特別だという気持ちがあったからかなと思います。フィギュアスケートってやっぱり陸上ではできないですし、もちろん小さい頃から金銭面で大変だということは、自分は姉がいたので、そういうことも薄々気づきながらやっていました。

だからこそ、こうやって続けられることが特別だなと思ったし、なにより、先生方もすごく特別視してくれて、すごく面倒を見てくれて、こうやって育ててくださったので、そういうことに気づけたからここまで来れたのかなと思います。

ただ、夢って叶う人って本当に限られてて。はっきり言っちゃえば、自分の夢だって、叶ったのはこの金メダル……だけって言ったらおかしいけど、この金メダルが叶った夢だけであって、ほかの夢はたくさん捨ててきたので。

だから、いっぱいあっていいと思うんですよ、夢って。絶対適性があるし、高い目標じゃなくても、低い目標だって夢って言えると思うので。

これから、いろんな子どもたちが夢を持ちながらいろんなことにやっていって、少しでもなにかその夢が叶う瞬間を作ってあげられるような、その叶う瞬間になるきっかけのような言葉を出せたらなと、今、あらためて思いました。

辞めたいと思った時に気付いたこと

司会者:小学生の頃、スケートのトレーニングを始めて、先生について。でも、それが厳しくて、途中で「野球をやりたい!」と言ってご両親を困らせたというのは有名な話ですけれども。

羽生:いやー、ぜんぜん両親は困ってなかったですね。

司会者:そうですか?

羽生:はい。

司会者:「やめるならやめてもいいわよ」という?

羽生:いや、「やめたいの? じゃあやめなさい」という感じで、もうぜんぜん困ってなかったです。「覚悟がないんだったらやるな」という感じはありました。

ただ、先ほども言ったように、あまりにも特殊なスポーツだし、なによりも先生たちが本当に力をかけて面倒を見てくれてたので、自分の中でも絶対やり通さなきゃいけないという気持ちもあったし。

なにより、小さいながらにかもしれないんですけど、今ほどでもないかもしれないんですけど、例えば、9歳ぐらいの時に本当にやめたいと思ったことがあって。

「もうやめる」って言って「じゃあやめなさい。野球でもやりなさい」ってなった時に、ふと思い出したのが、9歳だからまだスケート始めて5年経ってないぐらいなんですけど、「こんなところでこれを終わらせちゃっていいのかな?」って思ったんですよ。たぶんその時に気づいたのが、「僕もうスケートに人生賭けてるな」って思ったんですよ(笑)。

司会者:9歳で?

羽生:だからこれをやめちゃったら、もしかしたらこれまでの生きていた意味がなくなっちゃうかもしれないとまで思っちゃって。だから、そういう覚悟はずっとあったのかなと思っています。

司会者:そうすると羽生さんは、フィギュアスケート以外では夢を見たことがない?

羽生:あります。いっぱいあります。「歌、唄いたいな」とか「うまくなりたいな」とか(笑)。いろんなことを想像して、「こうなりたいな」とか「これやってればよかったな」とかってすごい思いますけど。でも、すべてスケート関連ですかね。スケートがやっぱり一番賭けてきたものが多いです。

「ぜひ仙台でお金を落としてください」

司会者:はい。時間があとわずかになってきました。前の2列目の方。

羽生:サラッと答えられるようにがんばります。

司会者:(笑)。

記者8:河北新報のイワサキといいます。よろしくお願いします。

羽生:ありがとうございます。お願いします。

記者8:前回ソチのあと、仙台市内でパレードして、9万2,000人の方がいらっしゃいました。今回も仙台市のほうでパレードを検討しています。そのパレードへの期待、あと「こういったメッセージを伝えたい」とかあればお願いします。

羽生:ぜひ仙台でお金を落としてください。

(会場笑)

やっぱりパレードするにはたくさんの費用がかかって、そしてどれだけ特別な支援があってのことかということは非常にわかっています。

それを強くわかっているからこそ、ぜひ仙台に……。足繁くとは言わないんですけれども、仙台に通っていただいて、来ていただいて、ぜひ杜の都のよさ。そしてそこでなにかを買っていただいたり、そこでなにかを見ていただくことによって、ちょっとでも仙台の復興に、宮城の復興に携われたらいいなと思っています。