『世界から猫が消えたなら』における発見と発明

川村元気氏:ここまでは、「発見」というものが、原作があったりとか、監督がいたりとかっていう発見作業は、どこか外から持ってくる、というものづくりが映画なんですが、僕の場合小説も書いていまして。小説の場合は、自分でなにかを見つける。そこで発明を掛け合わせる、という作業を繰り返しています。

『世界から猫が消えたなら』という小説における、発見と発明についてお話ししたいと思います。

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

まず、2つの発見がありました。「携帯電話を落とした時の出来事」が1つ目でした。

5年前ぐらいですかね、僕が携帯電話を電車の中に落としたんですよ。慌てて公衆電話に駆け込んで、電話を親にかけようと思ったんですが、親の携帯電話番号も覚えてないんです。

友達の携帯番号も覚えてない。「あぁ、使い始めて10年ぐらいのものに、自分の記憶を全部預けてるんだ」って、もうすごく怖いと思って。

そして家に帰ろうと思って電車に乗る。そして、普段は電車に乗るとすぐ携帯電話を見る。もう携帯中毒みたいになってますよね。それで、携帯電話見て……と思ったら携帯ないんで、窓の外見たんですね。そしたら、すごい虹が出てたんですよ。四谷だったんですけど、偶然虹が出てて。

「あっ、虹出てる。珍しいな」と思って電車の中を見たら、僕以外の全員がスマホを見てて、虹に気付かない。「これはすごい体験だな」と思ったんですね。

つまり「なにかを得るためにはなにかを失わなきゃならない」っていうのが僕の人生のメインテーマでもあるんですが、「携帯電話をなくしたことで虹が見れた」って、これは不思議なことだし、実はこういうことはたくさん起きてるんじゃないかと思いました。

自分の葬式を想像する

もう1つ。ちょうど災害とかテロ、3.11とか9.11がありまして、なにか「死が近い気分」というのを僕はすごく感じていました。いつ自分が被害者になって死んでしまってもおかしくないんだな、っていうことは、みんな潜在的に思っていたと思います。

その時にまず真っ先に思うのは、「もし自分がこの世界から消えてしまったら、この世界はどうなってしまうんだろう」ということだと思います。僕は週に1回ぐらい、自分の葬式を想像するんですね。自分が死んで、葬式が開催されます。その葬式に誰が来るんだろうと。

けっこうこれ、想像してみてもらうと怖いですよ。まず葬式に呼んで、「あいつの葬式とか微妙にめんどくさいな」みたいな人もいるわけですよ、きっとね?(笑)。

(会場笑)

いるじゃないですか。結婚式とか葬式とか、たぶんこれからあると思うんですけど、その微妙な人たちと、意外と毎日仕事で会ってたりするわけですよね。

でももっと言うと、自分が死んで葬式が開かれて、来てくれて、本気で泣いてくれる人が何人いるんだろうと思って。怖くなるわけですよね。それはひょっとしたら仕事で毎日会っている人ではなく、もう10年ぐらい会ってないけど、中学校時代の親友だったりするんじゃないかな、みたいなことを考える。

そうすると、急に自分の人間関係の優先順位とか、やらなきゃいけないことの順番とか、クリアになるな、ってその時思うんですよね。

そういうものを物語にしたいな、と思って「発見」の2つを持ちました。ここはさっきまさに言っていた、「集合的無意識」。僕が言ったこの話、今みなさんにお話ししましたけど、「まったく意味わからん」って人はあんまりいないんですよね。

この会場の7割~8割ぐらいの人は、「その気分、なんとなくわかる」と思ってもらえると思います。

映画の人間にしかできない小説の書き方

僕は「みんながなんとなく感じているけど、なぜか言葉にしていない、表現されていない」ところを見つけたいと思ってます。じゃあ、その発見をどうやって物語にしていこう、小説にしていこう、というときに、発明作業も無数に掛け合わせていくわけです。

どういう縦軸にしよう、と思った時に『創世記』という聖書の最初の章ですね。神様が6日間かけて世界を創造して、7日目、日曜日にお休みする、っていう話なんですが。

この話は、6日間かけて男が世界からものを1つずつ消していって、7日目に死ぬと。逆回転の物語を作ろうと決めました。

さらに、自分が映画をやっています、と。映画をやっている人間が小説を書くって言ったときに、「どうせヒットを出した映画プロデューサーが調子乗って小説書いたんだろ」みたいになるわけですよね(笑)。もう、みんな「コケろ」みたいなオーラが出てるのをびりびり感じながらやってたわけです。

たしかに僕は映画の人間で、「じゃあ、映画の人間しかできない小説の書き方ってなんだろう」って考えた時に、「小説でしか表現できない世界ってなんだろう」って思ったんですね。

「世界から猫が消えた」って文章で書いて、それを読むと、読者は「猫が消えた世界」を頭の中で想像することができます。ラジオももしかしたらそうかもしれないですね、声で「世界から猫が消えた」って言ったら、その世界を人は頭の中で作ることができる。

でも、映画の人間が「はい、じゃあ今から『猫が消えた世界』をシーンにしてください」って言われた時に、「あれ? 何をどう撮ったら『猫が消えた世界』になるんだろう」って、わからなくなったんですよね。

ここだ、と思ったんです。なにかブラックボックスというか、微妙なエアポケットみたいなところ。映像が苦手な表現で、小説ならば描けるものを書こう、というコンセプトで、さっきの「発見」に対して「発明」を掛け合わせて作っていったのが、この小説です。

結果この小説は、2016年に映画化されまして、今140万部までいっています。フランス、ドイツ、中国など、世界10カ国での翻訳・出版が決まっています。つい一昨日かな? アメリカとイギリスでの出版も決まって、今ハリウッドでの映画化が進行していると。

だからさっき言った、僕が感じていた集合的無意識ってものは、世界中の人も「わかるよね」と思ってくれたっていうことだと思います。

『億男』で発見したこと

2作目の『億男』も、発見と発明がありました。

億男

この発見、何かというと、僕は本屋さんに行くんです。さっきは電車だったんですが、次は本屋です。本屋に行くと、お金持ちになる本がめちゃくちゃ並んでるじゃないですか。

でも「みんなそんなにお金持ちになりたいんだっけ?」ってふと思ったんですね。なんでかっていうと、お金持ちになったのに、刑務所入った有名な人とかいるじゃないですか(笑)。

(会場笑)

お金持ちになったのに家族がボロボロになっちゃう人とかも、いっぱいいるじゃないですか。だから、知りたいのって「お金持ちになること」よりも、「幸せになる方法」なんじゃないの? って思うんですよね。お金を使って、どうやって幸せになるか、とか。

そこの、微妙なお金と幸せとのバランスに興味があるのに、単純にお金持ちになる本しかない。これが「気持ち悪くていいな」って思いました。

人間がコントロールできない3つのもの

もう1つ、「人間がコントロールできないもの」が3つだけあるな、ってある時気付いたんです。それは「死ぬこと」と「恋愛感情」と「お金」です。この3つは、どんなに人間が学んで賢くなっても、絶対にコントロールできないもの。

だから、「お金」だけがほかの2つと違うってことに気付いたんですね。これはちょっとネタバレになっちゃうからアレなんですが、小説にこれを書いています。

人工知能とか出てきます。人工知能学者、松尾さんといつも話していて気付いたことなんですが、結局、人工知能を作ってる人たちって何をしたいかっていうと、人間を作りたいんですよね。

人間を創造したいんですよ。創世記じゃないですけど。だから、人間を作る時に彼らが何をやっているか、っていうのをブレイクダウンして聞くと、「記憶」させてるんですよね。

例えば将棋だったら将棋の棋譜を暗記させている。いろんなものを記憶させていく。結果、それが人工知能として人間に近づいていく……というメカニズムだと思うんですが。

仮に人工知能が本当に人間を超えたとしても、きっとこの3つは乗り越えられないというか、答えを出せないだろうな、と思いましたし、この3つが一番人間らしいなと思ったので。僕の中で小説を書くときは、この3つが基本的にテーマになっています。

お金=汚いと思うのはなぜか

じゃあ、その発見をどうやって発明に変えていくか。「お金を見る」ってことは、「人間を見る」ってことなんだと気付きました。

例えば「お金があったら何する?」って聞いてもあんまり明確な答えは出ないんですが、「100万円あったら何買う?」って言ったら、急にみんな具体的に「なに欲しい」とか「これ欲しい」とか言って、それがその人の価値観なんだな、ということがはっきりわかります。

あと、お金について言うと、いつも「気持ち悪いな」と思ってることがあって。「お金を触ったら手を洗いなさい」みたいな。これも集合的無意識の話なんですが、よく言われてきたと思うんです。僕はお金よりも、電車のつり革とかエスカレーターの手すりのほうがよっぽど汚いと思うんですよね。なのにお金の時だけ殊更に神経質に、「汚い」みたいな感覚がある。

これは、物理的に汚いことよりも、「精神的に、お金に対して人間が感じているものがあるんじゃないの」と思って、これを描こうと思いました。

お金の名言が生まれた背景を考える

もう1つなんですが、本当にいろんな人がお金に対して、いいことを言ってるんですよね。ソクラテスから始まって、ドストエフスキー、アダム・スミス、ロックフェラー。

それこそドナルド・トランプ、ビートルズ、チャップリン、ビル・ゲイツ……ありとあらゆる人が、お金についていいことを言ってる。いいこと言ってるけど、未だに人間はお金の問題を解決できない。お金で人生を破壊される。なんでなんだ。

僕が知りたかったのは、彼らの名言よりも、その名言を言った裏側の気持ちを知りたいな、と。なんでこの人はこんなこと言ったんだろう。

例えば、この小説の冒頭はチャップリンのセリフから始まるんですが、「人間に必要なもの、それは勇気と想像力と、ほんの少しのお金だ」っていうセリフがあるんですね。

すごくいいセリフだなと思うんですが、よくよく調べてみると、このセリフを書く数年前にチャップリンは、年間9億円の契約金を手にしてるんですね。それで、あまりにも巨額のお金を手にしてしまったせいで、どうやって生きていったらいいかわかんなくなって、混乱した。

という人が数年後にそのセリフを書くって、このあいだになにがあったんだろう。そういうことを考えると物語が見えてくるな、と思って作っていきました。この小説も本屋大賞にノミネートされまして、16万部を突破して、今中国で映画化が進んでいます。

「恋愛」を描こうとしてわかったこと

最新小説の『四月になれば彼女は』も、このような発見と発明がありました。

四月になれば彼女は (集英社文庫)

発見なんですが、「人工知能に恋愛ができるか」という話は、本当に絶えず興味の的になっています。ですがそもそもそれ以前に、「恋愛小説が最近売れない」って編集者に言われたんですよね。

僕は恋愛小説を書くということを決めてスタートしました。なぜかというと、さっき言った「死」は『世界から猫が消えたなら』で描いて、「お金」は『億男』で描いたので、「恋愛」を描きたい、と言ったら「最近ぜんぜん、大人の恋愛小説売れないよ」と。

昔は『ノルウェイの森』とか『冷静と情熱のあいだ』がヒットしていたんだけど、最近売れなくなった。なんでなんだろう。

たしかに映画の世界を見ても、最近の恋愛映画って人工知能と恋愛する映画『her』っていう映画があったりとか、『エターナル・サンシャイン』っていう、恋愛の記憶を逆回転してく映画だったりとか。描き方が非常に特殊になっている。なんでなんだろう。

それで、取材してみたんですね。単純に「今、恋愛してますか?」って、いろんな人に聞いて回ったんです。そうしたら驚くことに、ほとんどの人が熱烈な恋愛をしていない。

例えば「好きな人ができないんだよね」みたいなことをけっこうケラッと言う。「結婚すると、愛っていうか、もう家族になっているから情だよね」みたいなことをみんな当たり前に言うんですけど、「これは不気味だな」と思ったんですよね。

「みんなこんなに恋愛してないんだ」と思って。そこで、気付いたんです。恋愛の前提が変わってしまったんだと。それこそ『anan』が一番売れていた時代は、たぶん「男女が恋愛する」っていうのが前提だったんですよね。

でも今は、男女がなかなか恋愛できない。大学生とかに聞くと、半分以上彼氏・彼女がいない、みたいな状態で。

「これは本当なんだな」と。だから「男女が恋愛できない」ということが前提になった物語を書けばいいんだな、と思ったんです。

恋愛しない時代の恋愛を描く

ただ、「恋愛感情は本当に消えたのか?」というのが僕の中で残っていました。では、それをどうストーリーにしていくかってことなんですが「ラブレスなラブストーリー」というコンセプトをまず立てました。

つまり、「恋愛している人たちを描く」のが恋愛小説、という前提があったと思いますが、「恋愛ができない人たち」「恋愛感情を失っちゃった人たち」。その人たちが「恋愛ってなんだったんだろう」ともがく。それが、恋愛小説になるんじゃないかな、と思いました。

恋愛をしなくなってしまった今、そういう人たちも、10年前、20年前にさかのぼるとけっこう激しい恋愛をして、嫉妬心に苦しんだりしていたわけですよね。その間になにが起こってしまったのか。「恋愛をしていた時」と「恋愛しなくなった今」の交互に描くことで、その差分が「恋愛」になるんじゃないか、と思いました。

もう1つ、これは映画の人間として小説を書いていく時に、「カット割りを決めて書く」という手法を取りました。

向田邦子さんという直木賞も取られているドラマの脚本家がいるんですが、その方の小説を読んで、映像の人間として気付いたことがあって。「この人、完全にカット割り決めて書いてるな」と思ったんですね。

だから僕は今回、カメラアングルとカット割、あとここからここまで音楽が流れる、ここはツーショットでカメラを撮ってる、ワンショットで撮って……って、全部決めて文章で起こしていくことで、新しい表現を作れないかと思いました。

最終的に行き着くのは「どうしたら幸せになれるか」

そして3番目。ここまできて結局、「自分が何をやってきたのか」ということに気付いたんですが、僕は絶えず「幸福論」を描きたいと思っているんですね。「恋愛」というフィルターを通すと、人間にとって何が幸せなのか、ということが急に見えてくる。さっき言った「お金」もそうですし、「死ぬ」ということもそうです。

松尾さんと人工知能について話したときも、絶えずその話題になったんですが……結局、最終的なゴールには「人間を幸せにする」というところにみんな行くんですよね。テクノロジーの人も医療の人も、みんな「何をしたら人間が幸せになるのか」に行きつく。

だから、人工知能を作っている人たちも、人間をなるべく、より幸せにしたい、って思ってやるわけですよね。男女関係もそうだし、お金もそうだし、いろんなものが人間が幸せになるために発明されてきているし、インプットされてるわけですが、それが人間を破壊もしてしまう、というのがとてもおもしろいなと。

エンターテインメントの人間なので、それをおもしろさとして描きたいなと思っています。結果、この小説も12万部を突破して、海外で多数出版されています。

簡単に話してきましたが、僕は集合的無意識からアイデアを拾って、どうやってそれを物語にしていくか、ということをずっと繰り返していて。

なんというか、自分がインスピレーションを受けるものが、きっと自分と同じように100万人、200万人、もしかしたら世界中の誰かにつながってるんじゃないか、という前提で、なにかを掴んで描こうとしています。

詳細についてはこれから質疑応答をもって話していきたいと思いますので、挙手で質問していただければと思います。