高円寺の銭湯からはじまる物語

平松佑介氏(以下、平松):みなさん、こんばんは。平松と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

本日12月20日という思いっきり忘年会シーズンのど真ん中に、ほかのいろんな予定もあったとは思うんですけれども、僕らに貴重な時間を使っていただいて、本当にありがとうございます。

(イベント)告知が予定していたよりもちょっと遅れてしまって、けっこうビビっていたんですけれども、結果的に定員40名から増席をさせていただいて60名満席でおくらせていただきます。本当に感謝をしております。

改めてになるんですけれども、僕は杉並区高円寺の「小杉湯」という銭湯の3代目にあたります。

今日の全体のファシリテーションをさせていただくんですけど、簡単なタイムテーブルとしては、5名のプレゼンテーターが1人15分ずつ、21時までお話をさせていただきます。その後質疑応答やみなさんとの歓談の時間を設けていきたいと思っています。

ちょっとプレゼンテーターが多いんですが、なるべくみなさんと双方向でインタラクティブに行えたらなと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

トップセールスや起業家を経て、銭湯の3代目へ

ちょっと僕の説明と、銭湯の話をさせていただければと思います。小杉湯という銭湯は昭和8年に創業している銭湯です。

そしてこの銭湯の横に建っている築35年ちょっとの風呂なしアパートを起点に行っているのが、今回お話しさせていただく「銭湯ぐらし」というプロジェクトになります。

詳しくはいろいろ追って話をしていければと思います。

僕の自己紹介も簡単にさせていただくと、まさに銭湯で生まれ育ちました。

幼い頃から銭湯が遊び場で、地域のおじいちゃんおばあちゃんが遊び相手で、両親が非常に楽しく銭湯を経営していて、自分は長男でもあったので「将来、銭湯をやるんだな」という思いを自然とずっと持っていました。

就職活動の時点で僕のキャリアとして描いていたのは、将来は銭湯をやるんだろうと。ただ、だったら社会でやれることをやろうと。1社にずっと勤めるというキャリアを描けなかったので、なるべく早くいろいろ実力が試せて結果が出せる仕事に就きたいと。

僕は文系だったので、それだったら営業をやるしかないな、営業をやって成果を出そうと。営業をやって一番成長できるのが何かといったら、大きなものを売るのが一番成長するだろうということで、住宅(メーカー)や不動産(業界)で働きたいと思いました。いろんな雑誌や住宅展示場を見に行って、一番(住宅を)建てたいと思ったのがスウェーデンハウスという会社だったので、ここに就職をすることにしました。

将来は銭湯をやるから、本当に社会人としてのキャリアは短いと思っていたので、だったらトップになってやろうと目指していて、入社4年目でトップになりました。すごく仕事は充実していたのですが、30歳になった時にもっと挑戦したいという思いが強くなり、31歳の時に3名で株式会社ウィルフォワードという会社を創業して、5年間やっていました。

ここでは主に人事や採用のコンサルティングをやっていて、クライアントさんは大手のタクシー・ハイヤー会社や美容外科ナンバー1の会社、最近CMで有名な会社さんなどがクライアントさんとしてお仕事をさせていただいて、去年(2016年)の10月10日(注:銭湯の日)から小杉湯で働き始めたという経歴です。そして、小杉湯をこの2年〜3年で父親から事業継承していこうと話しています。

銭湯は、関東大震災の復興のシンボルだった!?

小杉湯の話でいくと、昭和8年創業になりまして、これが当時の写真になりますね。

実は東京都にはこの時期に創業している銭湯が多くて。それは関東大震災で町が焼けてしまって、復興として新たな町を建てていくシンボルとして銭湯を建てたとも言われています。

実は東京都の銭湯の数のピークは、第2次世界大戦前の2,900軒でした。それが戦争で400軒まで減ってしまうんですね。

そのあと戦後の復興、高度経済成長があって、戦後のピークは2,687軒になります。そしてその後、徐々に減っていって、ご存じのように銭湯は東京都からも全国からもどんどん数を少なくしていて、今は561軒というのが最新のデータになっています。

戦後のピークの2,687軒がどれぐらいあったかをGoogle Mapに落としてみると、これだけあります。

(会場笑)

今の東京都のセブン−イレブンとほぼ同じ数です。セブン−イレブンはどこに行ってもあるじゃないですか。当時はその感覚で銭湯があったということですね。

そしてこれを人口のグラフと照らし合わせてみたときに、この青(のグラフ)が東京都の人口の推移になるんですが、関東大震災後に400万弱だった人口が、東京都は一気に20年弱ぐらいで300万人ぐらい増えて700万人になります。

この時が1つの銭湯の数のピークで、2,900軒軒ぐらいです。

そして、第二次世界大戦の時に人口は一気に減り、銭湯の数も400軒まで落ちました。そのあと、戦後の復興、高度経済成長を迎えて、20年弱ぐらいで東京都は700万人ぐらい人口が増えています。この時期に銭湯の数も一気に増えていて、2,687軒のピークを迎えます。

この時代の銭湯は、東京都の人口が関東大震災後、戦後と増えていくなかで、(銭湯は)建物としてのハードの役割でした。家にお風呂がない時代だったので、その人々の衛生を保つ公衆浴場の役割で銭湯があったということになります。

それがバブルに突入していくとともに一気に減っていくんですね。これが高度経済成長後の銭湯の推移になります。

ピークから数えたときに、だいたいバブルがこのあたりなんですけど、一気に減っていくかたちになります。

これは単純で、家にお風呂ができたからですね。高度経済成長が終わり、どんどん建物が建て替わり、風呂付きの共同住宅やアパートやマンションが建った。そのことによって銭湯は一気に激減し、平均の利用者数も下がっていきます。それは結局、家風呂が普及したからということになります。

“現代の銭湯”の4つの価値

その中で小杉湯はどうかというと、現在、平日で300~400名ぐらい、土日祝日で500~600名ぐらいの方々に来ていただいております。年齢構成比は20~30代が30パーセント、40~50代が30パーセント、60~70代が30パーセント。最近は外国人が増えていて、子どもと外国人合わせて10パーセントぐらいで、男女の構成比が約6:4の割合になります。

なぜ小杉湯にこれだけ人が来てくださっているのかと、僕なりにいろいろ考えてきたんですけれども、銭湯の価値が、かつての公衆浴場から再定義されていると思っています。

4つ感じていて、Wellness、Relaxation、Leisure、Communityです。

簡単に説明すると、Wellnessは健康です。みなさんやっぱり疲れているので、健康のためにやってくる。あとは大きいお風呂に入ることが健康にいいという医学的なエビデンスが何個も出ているので、肉体的な健康を求めてやってくる。Relaxationは精神的な健康。

Communityはすごくおもしろくて、東北の震災のあとにコミュニティを作りましょうという動きがすごく盛んになっているなかで、来ている方がみなさん言うのは、銭湯でコミュニティを作っていきましょうということではなくて、銭湯にはすでにコミュニティがあるので、それを銭湯に確認しに来るんだと。「自分は地域とつながっているんだと思う」と言う人が非常に多いです。

そしてLeisureは、若者に多い傾向ですが、飲み会の代わりとか、友達と遊びに来るような感覚で2~3人、3~4人の大学生、20代の男女が非常に多いですね。それはここ最近の銭湯の特徴だと思っています。

そういうかたちで銭湯の価値は再定義されていて、小杉湯はそれをやっているんじゃないかなと感じています。

「銭湯ぐらし」プロジェクトのはじまり

そのなかで始めたのが「銭湯ぐらし」というプロジェクトになります。

「銭湯ぐらし」は、一言で言うと「銭湯と人との色とりどりな物語を生み出すプロジェクト」としています。

なんのこっちゃって感じなんですけれども、非常にいろんなところに注目していただいて、取材を受けたり、東京新聞の夕刊では一面で取り上げていただいたりというかたちで、メディアにも紹介していただきました。

その拠点となっているのは、小杉湯の隣に建っている築30年ちょっとの風呂なしアパートです。僕はこの風呂なしアパートを拠点に、オープンイノベーションを展開していると思っています。小杉湯は、銭湯の枠組みを超えて、広く知識・技術の結集を図っていると。

それが「銭湯ぐらし」というプロジェクトになりまして、簡単に紹介させていただくと、杉並区高円寺の銭湯「小杉湯」の隣には1軒の風呂なしアパートが建っています。このアパートは2018年2月に解体が決まっていて(注:現在は解体済み)、期間限定で多彩な仲間がひとつ屋根の下で暮らすことになりました。

ミュージシャン、建築家、編集者、イラストレーター、プロモーションプロデューサー、デザイナー、アートディレクター、主婦、マーケター、ウェブデザイナー。職種も性格もまったく違う彼らの「銭湯ぐらし」はどうやらさまざまな化学反応を起こしながら、銭湯と人との新しい物語を紡ぎ出していくことになりそうです。というのが「銭湯ぐらし」のコンセプトになっています。

きっかけは、この風呂なしアパートを3年ぐらい前に建て替えようと。実は僕の自宅をスウェーデンハウスで建てようというところと、新たな施設を建てようという計画を3年ぐらい前からしていて。

その計画を練っていくなかで、アパートに住んでいらっしゃる方がいたので、その方たちの引っ越しの手続きを2年計画で立てたんですね。そしたら思ってたよりもうまくいって、2年だったのが1年で終わり、もういよいよ新たな計画を立てようと。

自宅はスウェーデンハウスで建てるんですけど、もう一方の新しい施設は銭湯の新たな価値を高める施設にしたいと考えたので、僕の周りの建築家とかコミュニティの仕事をしている人たちに話を聞きに行きました。

「どういうふうにできたらいいかね」という話を相談したところ、けっこう言われたのが、「そもそも、今アパートが1年空いてるのってもったいないよね」「なにかそこでおもしろいことができるんじゃないの?」ということで「銭湯ぐらし」という企画が生まれて、今日最後に話してくれる加藤君が企画を立ててくれて「これをやろう」と決めました。

クリエイターに銭湯でやりたいことをやってもらう

結果的にすごく大きかった決断がありまして、たまたま1年間(アパートが)空くとなったので、ここは割り切ろうということで、アパートに関しては家賃を無料で貸すことにしました。アパートは無料で貸す代わりに、クリエイターだったりアーティストだったりおもしろい人たちに住んでもらい、彼らには価値を提供してもらう。間に報酬や貨幣を挟まずに、価値を等価交換するというやり方でやりました。

僕からお願いしたのは、僕の組織論も込めているのですが、みんなに対して、価値の交換というものを描く上で、小杉湯とアパートとコミュニティのつながりを利用して、とにかくやりたいことをやってほしいと。

結果、「クリエイター×〇〇×銭湯」というプロジェクトがすごく生まれて、これは実際にイメージになるんですけれども、11部屋使って、みんなの集会室を作ったり、このあと説明する「アーティストin銭湯」をやったり。あと1ヶ月限定で「〇〇×銭湯」というかたちで銭湯ぐらしの体験を。

あとは伝えるとか、繋ぐとか、描く、起す、編む、起す、歌う。泊まるは、民泊してる外国人に銭湯のある暮らしをしてもらっています。そういうプロジェクトを10ヶ月ぐらいやってきたかたちになります。

あとはよく「メンバーは何人ぐらいいるんですか?」って聞かれるんですけど、現状のコアメンバーとして、月に2回定例会議を集会所でやっていまして、それに集まってきているのが17名になります。実際アパートに住んでいる人もいれば、価値観に共感していただいて、住んでないけどプロジェクトのメンバーとして価値を提供してくれている人もいます。

あとはライターとしてメディアを立ち上げまして、今、専属でフリーライターをやってる方とか、編集の仕事をしている人とか、広告代理店で働いている人とか、ライター6名でやっているのが「銭湯ぐらし」というプロジェクトになります。

気軽に立ち寄れる銭湯ならではの新しい関係

ざっと説明させていただきましたが、概要としてはこういうイメージになります。最終的に、これからみんなの話を聞いていただいて、みなさんに感じていただきたいなと思うんですけれども、僕がこれをやってすごくよかったなと思うのは、暮らしに紐づいたプロジェクトになったというところですね。

けっこうみんなハードワークをしている人たちで、なかなか忙しいんですけれども、結局家には帰ってくるし、家(アパート)に風呂はないので風呂(小杉湯)に入りに来るわけですよ。僕は毎日23時半から番台をやっていて、みんなだいたい終電で帰ってくるので、僕が番台にいるときにお風呂に入りに来てくれます。

そこで何の目的なしのコミュニケーションが取れたり、メンバー同士がお風呂で出会って、そこでコミュニケーションが生まれて「こういうことやろうね」みたいなかたちで、暮らしに紐付けたことによって、あえて時間や集合場所を設定しなくても、仲間が集えてコミュニケーションが発生してプロジェクトが生まれていくという、自然発生的に組織が育っていくことが経験できたのがすごくおもしろかったなと思っています。

今日はそんな銭湯のある暮らしをした、とくに個性的で、本当に仕事でも成果を出していて、実力のあるメンバー5人に、彼らなりに銭湯のある暮らしをしてみて感じたことや得たことなどを、みなさんに伝えられることを話してもらいたいなと思っています。

僕からのお話は以上になります。続いて、メディアも含めて「銭湯ぐらし」を代表するプロジェクトになっている「創る銭湯」を担当してくれている大黒君にバトンタッチをして、引き続きお話をさせていただきたいと思います。まずは僕のパートは終わらせていただきます。どうもありがとうございました。

(会場拍手)