少人数での過酷な撮影

梅村直承氏(以下、梅村):そして(リオ五輪の)事前取材が終わる日が来ます。

開幕の朝、8時ぐらいにリオで一番有名な丘、コルコバードというのがあり、そこにキリスト像があります。そこに朝の8時ぐらいに聖火が来て、それが一番の聖火のピークです。

日本とは12時間違うので、今日開幕と日本の朝刊に間に合わせるためにこの8時の聖火リレーを入れたいということで、3時にこの丘に来てくれと言われ、開幕式の日の3時に行きました。3時間ぐらい待たされるんです。ブラジルの人が「来い」といった時間から3、4時間待たされることが平気であって、寒い中ずっと待っていた。

ここに行くと、80人ぐらいの現地のカメラマンが(身を震わせるジェスチャーをしながら)こんなんになりながら、寒かったんですけど、最後は汗だくになりながら撮って、最後やっと聖火の人が来て、「これでやっと一面ができる」と思いました。3時に起きて8時だったのがこの時点です。これで朝刊ができたので、今日の夕方18時から開会式が始まる。それで、日本の夕刊のための1面を撮るために、寝ずにこのまま移動して開会式に向かいます。

いよいよ開会式です。みなさんに、五輪のカメラマンというのはどういう格好をしているのか見ていただこうと思います。

五輪のカメラマンは必ずこのベストを最初に渡されます。そしてこのカードとベストがないと撮影ポジションには入れないんです。ちょっとおじさんっぽいといいますか、これをカメラマンはみんな着て現場に入ります。これがない人は排除されていく。

そして、五輪を撮るカメラマンは3台持って移動します。この格好がだいたい五輪の取材先の格好ですね。(カメラを指して)これがワイドといって近くのものを撮影します。(カメラを指して)これが70×200といって、(会場内を指して)ここからあのカメラぐらいまで撮るものです。これは競技をしている人たちを撮るための超望遠レンズです。だいたいこの格好でずっと撮影になります。ちょっとこれで取材しているイメージで話を聞いていただければと思います。

けっこう重いんです、これ。もしあとから持ちたい方がいらっしゃったら来てください。

さきほどのこれを朝3時に行って、4時間ほど待たされて撮った後に、開会式が始まります。端折るんですけど、開会式の撮影ポジションが4箇所ぐらいあります。それがこのカードがなければ入れなくて、このカードがある上にチケットをIOC、JOCから配られます。そのチケットの枚数がうちの会社は3枚でした。

3ポジションということで、3人がそれぞれ日本の競技団が入ってくる場面をなんとか撮りたいんですね。これを夕刊の一面になんとか載せたい。どんなふうに入ってくるのか普通は事前にわからないんですけれども、今回リオ五輪は、中でリハーサルした人が平気で動画をSNSで上げてわかっちゃったんです。2人で撮れそうなところ、1人は少し後ろになっちゃったんですけど、3人の配置をしました。

24時間稼働の開幕初日

梅村:事前取材をしていたキャップは、代々このポジションでとにかくこれを撮って、必ず送らなければいけないという重責があるんです。ここで外してはいけないというポジションに入るんです。そしたら、撮影ポジションの前に一般の人がどんどん入ってきちゃうんですね。

「俺チケット持ってんだから、当たり前だろ」って入ってくるんですけど、そんな五輪は見たことながなくて。さすがブラジルの人たちです。どんどん前に入って来て、係りの人たちが排除をするんですけど、途中から係りの人たちが見だしちゃうんです。排除しないんです。

だから、カメラマンたちはどんどん後ろに行って、階段の上に登ってなんとか撮れないかということで、なんとか撮れました。実は下の女性の下にお客さんがいっぱいいて、それを切って送ってます。

もう1つ怖いのが、たくさんの人が入ると、通信状態が悪くなるんです。だから写真が送れない。だけど撮ったらすぐ送らないと、けっこう締め切りぎりぎりの時間にこういうものがやってくる。なぜか知らないが、送りたいけど送れない。全く送れなかった。このときは本当にランナーです。走るんですね。技術の長岡さんという方が隣にいてくれて、「梅村さん、早く」と言ってパソコンを渡してそのまま走って、送ってくれて、夕刊の1面に間に合いました。

帰って来て、「フェンスのそばで送ると良いんですよ、梅村さん」と言って、金属のフェンスが電波を拾うのか、よくわからないんですけど、フェンスまで走るみたいなことを2人で話し合いながら開会式を終えたのが、夜の3時。10時に終えて、撤収できたのが夜の3時ですね。24時間開会式の日は起きていました。

4つのポジションから、たった1枚を探る

梅村:開会式が終わって、競技の初日です。実は私は今回のリオ五輪では競泳を担当していました。陸上ではなく競泳を担当していたんですけれども、初日に4年間撮り続けた萩野(公介)選手の、400メートル個人メドレーでの瀬戸(大也)選手との決勝がありました。競泳の撮影者にとって初日がピークなんですね。24時間寝ずに、帰っても寝ずに現場に行った初日が400メートルメドレーです。

初日にピークがきたのでみんなで、4人ぐらいで撮ろうということで、ポジション1、これがスタートとゴールを撮れる場所です。ここも、身分証明書のカードがあるだけでは入れなくて、チケットが配られたんです。そのチケットの争奪戦もあります。なんとかチケットもゲットできました。この位置に僕が入って、スタートとゴール、泳ぎと、最後の喜びや悲しみなどが撮れる場所に陣取りました。

ポジション2に仲間が入って、そこも正面から喜びが撮れる場所です。僕のポジションの上の高い位置に、もう1人が入って、ポジション2の左の正面に見えるところにもう1人いて、4人で撮りました。そして見事に萩野選手が勝つんです。4年間撮り続けて、勝った瞬間が壁に向かってガッツポーズ。

「4年間ダメだ」「使われない」「4年間、頑張ったけど」という1枚目がこれですね。そして次に上を見て喜ぶ。「上を見ちゃったよ」みたいな、「ダメだ、4年間終わった」とまた思いました。

ところが最後の最後に、こっちを向いてくれるんですね。これ、隣にいる読売と朝日のカメラマンと思わず握手をして、「よかったよね、初日でもう終わった」みたいな。「見えない、見えない」「あ、見えた!」という、本当にうれしかった1枚です。

五輪は決められた場所から撮らないといけないので、こっちを向くかどうかがすごく大きな要素になります。この写真が僕の中では本当に、初日に、撮れて良かったという瞬間です。

4つの競技場を4人ですべてカバー

梅村:競技が始まると僕は朝、競泳の予選を撮って、夜の決勝までの間、昼に柔道とか、今回リオは4つの会場に入ったんです。けれど同じ会場で近くのところを転々と移動しながら写真を撮っています。この時も、朝、競泳の予選を撮って、柔道に行きました。

柔道の大野(将平)選手が金メダルを取った瞬間です。小内刈りなんですけど、この写真を撮りに行ったとき、和田くんが柔道やレスリングなどの担当だったんですが、今回ちょっとアップじゃなく、広めが撮れるレンズで行ったんですよ。「まさかそれは使わんよな」と思いながら、長いレンズを構えていた。

そしたら、もう少し上に顔があるんですけど、ぎりぎりの写真で、目の前で決まってですね、若いカメラマンに大丈夫といった手前、なんとか撮れて良かったという場面です。目の前で技が決まりました。

ベイカー(茉秋)さんが金メダルを取った日は、実は日本の体操の総合の金が決まりそうなときで、とにかくそっちに3人投入して、もう柔道は重量級でメダルを取れないんじゃないか予想していたので、「じゃあ、梅ちゃんはとにかく競泳、柔道を1人でやって」ということで行きました。

この時間帯は1人でやっていて、体操の団体が金を取って、すごく盛りがっている横でベイカー選手が重量級の金を取っている場面で、これは面白いんですけれど、IOCが用意してくれた普通の人が入れない、普通のカメラマンが入れない代表撮影というポジションがあります。

日本のカメラマンたちは各社に順番に回していくんですけれど、そんな忙しい体操の日に代表ポジションが当たったんです。代表ポジションの後ろにベイカー選手のお母さんがいて、こっち向いてしかガッツポーズをしていないという場面で、良かったという。すいません、良かったという話ばかりなんですけど、今日は。

競泳はもう1人、金メダルを取った金藤(理絵)選手というのは非常に実力者だったんです。8年間、鈴木(聡美)選手とかですね、華々しい結果を残した選手の裏でをずっと努力していました。競泳では萩野選手でもう一人金メダルを取ったのは金藤選手で、金藤選手の喜びみたいなのは4年間撮っていると、一緒にみんな、カメラマンも喜んで、「金藤さん、(メダル)取れてよかったー」みたいな、ガッツポーズです。これもこっちを向いてくれています。

バイクで撮りながら日本に写真を送る

梅村:競泳が終わった日に女子のマラソンがありまして。これも今までなかったことなんですけれど、伴走で写真を撮れるんですね、みなさんの努力のおかげで。伴走に一人入れず、代表撮影に入れず、というところにまた当たりまして、僕は競泳が終わったんで、じゃあ梅ちゃん行ってくれ、他は忙しいんでということで、僕が行くことになりました。

これも書いてるんですけど、午前5時に集合しろと言われて、もうマジかと思って行ったら誰もいなくて、バイクが来たのは8時15分で、ずっと膝を抱えて待っているみたいな感じだったんです。けれど、今までバイクで伴走で代表というのはなかったことなので、すごく経験として良かったですし、このうれしそうな顔をしています。忘れられない取材になりました。

バイクで伴走しながら、もう1つ車の伴走があります。それが正式な伴走車で、日本から2社入れることになって。ただ先頭だと今マラソンではどうしても前のほうで日本の選手は走れないので、すぐに撮れなくなります。僕がバイクなので、後ろに下がった日本の選手たちを横からずっと撮ります。

これも午前中にやっていました。代表撮影なので記者のみなさんに、「朝刊になんとか写真を間に合わせたいから、レース途中に送れ」という無理なことを、言われるんです。仕方がないので、撮って、バイクでバァーっと走っていって、広場のところで止めてもらって、その広場で送って、走り去っているのを見て、また送ったあとバイクに乗って追いかけていくことを何度も繰り返していました。

代表撮影になると、いろんな会社の締め切りに間に合わせないといけないので、かなり無茶な要求をみんながします。さっきのベイカー選手のような無茶な要求もあります。

活躍する日本人が増えるにつれ…

梅村:その間に僕は競泳が終わったので、次にシンクロナイズドスイミングに行きます。それ以外にも競技は、いつもは柔道とか、かつては五輪で撮るものが決まっていました。今はバトミントンとか、テニスとかいろんな競技で日本の選手が活躍するようになって、競技が終わってから転戦するのが多くなりました。

これも錦織選手が96年ぶりの銅メダルを取った瞬間で、試合が終わった後、ガッツポーズをして、その後コーチのところにガッーと錦織選手が駆け寄ってきました。各社みんなコーチとの二人のショットを撮るのに寄るんですけれど、寄ってもあまりいい絵じゃないなと、遠くから撮っていたんですね。

日の丸をもらって、真ん中まできて、寄らなかったカメラマンの方を向いてガッツポーズしたんです。だから僕と数社のカメラマンが撮れて、行った人たちは背中になるという場面で、近づくか、待つかという撮影の状況もあります。これも本当にたまたま待っていたから良かった、という場面でした。

ボルト選手のラストラン

やはり五輪の1番のピークになるのは男子の100メートルです。見ていただいたらわかるように、ゴールを撮れるところに、これぐらいのカメラマンが入ってきます。ボルト選手の最後の五輪ということもありまして、すごい報道陣の数でした。

中南米のジャマイカの選手なんで、ブラジルではすごく人気があるんですね。競技場にいちばん人が入った日だったように思います。100メートルも、僕は北京五輪でボルト選手のスタートを撮ったので、最後を撮りたいということで、全ての競技が終わってから急いで、すぐに行きました。

走っている瞬間を、北京五輪のときは正面から撮りました。そのときはさっき話した平田さんが横から撮ってくれて、砂土が投げた瞬間を写真にしたんですけれど、正面よりも横からというのがなかなか難しくて、そこは説明をするためにも、しっかり抑えなければいけないポジションです。

そこで、横でゴールを駆け抜ける写真を撮ったんですが、このときもボルト選手は中盤で抜け出た瞬間に、何かを見ていたんです。掲示板のタイムを見ていたんでしょうか? ボルト選手はこういう、宙を浮くように走って何かを見ている瞬間みたいな、写真だと写っているんですが、全然気が付かなかったなと思いながらこの写真を撮りました。ボルト選手の最後の走りで、さっきの三浦くんのように穏やかな表情で、指を立てていたと思いますが。

僕は競泳が終わったあと、いろんなものを撮りながら、担当のシンクロナイズドスイミングをしっかり撮りました。それでシンクロナイズドスイミングに行きだすと、とても話しかけてくれる男性の方がいるんですね。それがこの右の乾選手のお父さんなんです。お父さんがカメラ屋さんをやられていて、すごく話ができてだんだん仲良くなってきて、最後の方に「写真を送ってきてね」とお願いされて、「わかりました送ります」と。

(会場笑)

たまたまシンクロナイズドスイミングの井村(雅代)コーチが、親族への取材はダメだと言っていたところに、そのお父さんと仲良くなって、仲間の記者に、お父さんと話ができる人ということで、お父さんに話を聞くチャンスと言われまして、紙面にそれも反映してもらったんです。写真をちゃんと送って、仲良くなれて良かったなと、それが記事に反映できた瞬間です。

シンクロナイズドスイミングは2大会ぶりに銅メダルを取りました。「風神雷神」という演技で、撮っていて本当にワクワクする演技でした。