「人が進まない道こそチャンス」アスラボ社長が語る、不動産業界に賭けた理由

アスラボ片岡義隆氏 #1/2

アスラボ片岡義隆氏
に開催

横丁シャッター商店街をよみがえらせ街全体を活性する「エリア・イノベーション事業」で成果を上げている、株式会社アスラボ・片岡義隆氏のインタビュー。片岡氏は、自身の生い立ちや学生時代を振り返り、不動産業界に飛び込んだ理由を語りました。※このログは(アマテラスの起業家対談の記事)を転載したものに、ログミー編集部で見出し等を追加して作成しています。

「1番になることこそ偉い」商売人の父親の価値観の元で育った

アマテラス藤岡清高氏(以下、藤岡):片岡さんの生い立ちについて教えてください。

片岡義隆氏(以下、片岡):家族構成は、父、母、姉の4人家族です。不動産業を営んでいる父は、戦前生まれの商売人で1番になること、金儲けすることが偉いという価値観の持ち主でした。「とにかく1番になるんだ」と幼少期から常に言われて育ちました。

明確に記憶に残っているのが、全国優勝をするような大阪の少年野球チームに入っていたのですが、私はレギュラーになれるかなれないかの選手でした。父は私が1番ではないことが気に入らなく、早朝に叩き起こされて、それこそ星飛雄馬ではないですが、毎朝タイヤを引っ張って走らされていました。

努力の甲斐もあり5年生でなんとかレギュラーになれました。けれど父親から「もう辞めろ、お前は1番になれない」と言われ、あっさりと辞めさせられました。

「所詮少年野球なんて、4番でピッチャーじゃないやつはプロにはなれない。プロになれないなら意味がないから、もう辞めろ」というのが父の理論でした。そこから急に「勉強しろ」と言われ、5年生の冬から受験勉強を始めました。勉強をしてみると意外とすんなりできて、6年生の夏頃には塾で一番上の特進クラスに入っていました。

メンタルが弱く、実力を出し切れなかった中学受験

片岡:そのまま順調に中学受験を迎えるのですが、そこで人生最初の躓きを経験しました。成績も良かったので自信を持って迎えた中学受験。結果、実力的に十分受かるレベルの本命の学校に落ち、肩慣らしで受けた学校も補欠合格、大失敗をしました。

そこが私の最初の大きな挫折です。多分メンタルが弱かった。そこで岡山にある中高一貫の学校に行くことにしました。結果はその学校に行って良かったと思っています。

私の人生観として強くあるのが、「ベストを尽くしたら、結果は人生においてそれがベスト」という考えです。「人事を尽くして天命を待つ」ではないけれど、自分の人生50年100年を考えた時に、ベストさえ尽くしていれば神様が一番正しい方向を決めてくれると思っています。

「折れずに頑張ることの大切さ」を教えてくれた柔道

藤岡:中高生時代はどのような学生生活を送られましたか。柔道に没頭されていたようですね。

片岡:柔道との出会いはとても大きかったです。柔道部に入部した当時の私は、礼儀も知らないし体も弱い。よく朝礼で倒れる体の弱い生徒がいますが、それがまさしく私でした。

高校2年生までずっと1回戦負けをしていましたが、継続して努力が実り3年生でいきなり強くなり、中国大会にも出場し、最後は結果をしっかりと出しました。結果がなかなか出なかった時も、毎日練習とは別に腕立て伏せを300回位ずっと続けていました。

それが最終的に結果に結びついたと思っています。そこで「折れずに頑張る大切さ」を学んだことは私の人生にとって、とても大きなことです。柔道を通してメンタル・身体が強くなり、粘り強くもなりました。

「自分の中で納得感がないこと」は一切しない

片岡:最難関ではない進学校にありがちだと思いますが、自分の学校の教育理念は曖昧で「勉強をする事がいいこと、東大へ行くことがいい事」という風潮がありました。私はそれに納得できませんでした。

何のために勉強するかについて納得感がなかったので「もう一切勉強はしない」。そう決めました。高校2年生位からずっと成績はビリにいて、退学の危機にもさらされていました。そうなれば勉強をして成績を上げておこうと思うのが普通ですが、私はそれを一切しませんでした。

退学の危機になろうが、絶対自分の感情は曲げないという意志がそこで強く形作られたことが原体験としてあります。

柔道で鍛えた精神力・肉体的な強さ、自分の価値観に合わないことは絶対に譲らない頑固とも言える精神力は、岡山で過ごした中高生時代に形成されました。それが今、経営者としての基礎になっていると思っています。

「逃げるは恥」生き様を教えてくれた柔道の師

片岡:柔道の先生の教えが自分に大きな影響をもたらしていると思います。人としての正しさやあるべき姿を教えてくれました。後輩に何かをさせるとか、いじめとかを絶対に許さない先生で、「正々堂々男らしく生きろ」と常日頃言われていました。

試合でうまく逃げて勝った時にはすごく怒られ、逆に正々堂々と向かった結果一本投げされて負けた時にはまったく怒られませんでした。先生の背中や日々の言動を見ていて、男の生き様というか人の生き様みたいなのを多く学びました。だから今でも一番尊敬していて、一番感謝している先生です。勉強をしない自分にも理解を示してくれたのは柔道の先生でした。

「お金儲けだけでは満たされない心」そう気付き始めた大学時代

藤岡:その後大学に進学されますが、大学時代はどのように過ごされましたか。

片岡:大学には何のいい思い出もありません。もう一度行くかと聞かれたら、絶対に行きません(笑)。大学生で自由になり強制をされることがなくなった時、初めて自分の人生を考えました。考えた結果、まずはお金を稼ぐことにしました。しかもやるからには徹底的に稼ごうと思いました。

そこで運送業界で配達のアルバイトを始め、繁忙期には休みなく働き、月100万円位稼いでいました。親も商売人だったので「勉強をしないならもう好きにさせよう。勝手に自分で稼げ」と放任されていました。お金を稼いでも使い道がわからず贅沢といっても焼き肉くらいしかない。そうすると学生なりに「あんまりお金を持っていても意味ないな」「稼いでもあまり楽しくない」「お金と幸せは比例しないのではないか」と思い始めました。

つまり欲しい物は全部手に入るけど、本質的な満足感には繋がらない。最初はおもしろいけど何年か経ってくると、それが本質的な幸せではない事に気付き、そこから人生を悩み始め、「人の幸せって何なのだろう」そういう深いところに入っていきました。

大学時代は自分がこれからどのように生きていくのかと模索が続き、本当に苦しくてアル中みたいにお酒を飲んで日々考えていました。朝まで考えても眠れなく、夜からまたバイト行くような生活を延々と繰り返していました。

最終的に出た答えが「結局人に感謝されないと、本質的に人は幸せになれないのではないか。そこを突き詰めていくと、世界平和に自分が貢献できていないと究極の幸せを感じられないのではないか」ということでした。

例えば、お金が100兆円あったとしても使い切れません。けれど人に感謝をされる事は単純にうれしいし、それが100兆円分あったらとんでもなくうれしい。感謝されることが多ければ多いほど、人はうれしくなる。お金を否定しているわけではないし経営者として当然必要なのですが、お金儲けだけではどこかうれしさのカーブが低減する事を、学生時代に身をもって感じました。

お金を得るだけでは心は満たされない。やはり究極の幸せは世界平和に貢献する事なのではないかという思いが強くなっていきました。

「人が進まない道こそチャンス」その思いで不動産業界へ

藤岡:大学卒業後、不動産業界に入られましたが、その背景を教えて下さい。

片岡:私が就職する時期にはバブルが崩壊して、不動産会社衰退論みたいなことが騒がれていました。ただ不動産は人が生活をする上での必要インフラです。住む場所もいるし、働く場所もいる。輸入もできないし、絶対産業としてなくならない。みんなが批判しまくって不動産業界に行かないんだったら、逆に「ここはチャンスだ、絶対におもしろい」。そう思い、不動産の道に進むことに決めました。

通っていた大学はいわゆる有名大学ではなかったので、普通に就職活動をしてもいわゆる人気企業の内定は取れないと考え、不動産鑑定士の資格を取ることにしました。大学在学中の5年の春から勉強を始め、卒業後すぐに資格を取りました。勉強はやればできると思っていたので、資格は簡単に取ることができました。

入社面接も正攻法で行けば有名大学のライバルに絶対に勝てないと思い、ここは世界平和について語るしかないなと(笑)。不動産鑑定業界における民間最大手の谷澤総合鑑定所を受けたのですが、世界平和の話が創業メンバーにウケて、内定を勝ち取ることができました。

谷澤では、大阪オフィスに配属され徹底的にビジネスの基礎を叩き込まれました。もうめちゃめちゃ厳しかったです。新卒で何もわからない中、いきなり資料一式が入った封筒を渡されて一言「これやっといて」と。最初は「は? シュレッダーですか?」みたいな状態でした。気合と根性で乗り切りました。

自分で言うのもなんですが、猛烈に頑張ったので、徐々に「あいつ頑張っているよね」と、まわりが認めてくれるようになりました。

衝撃的を受けた同期の宇宙語

片岡:結局、谷澤総合鑑定所は1年半で辞めました。

東京勤務の谷澤の同期と話をした際に「DCF(Discounted Cash Flow)がなんとかかんとか……」と何を言っているのかわからず衝撃を受けました。大阪の鑑定業界は昭和時代から何も変わってない一方、同期はDCFとか訳の分からない宇宙人みたいなこと言っている。「このまま大阪にいたらまずい、絶対に今のタイミングで環境を変えなければいけない」と思い。東京に行くことを決めました。

藤岡:その後、東京の大手不動産会社に入りますね。

片岡:そうです。不動産鑑定の世界は当時まだ師弟関係の文化が残っており、先輩について教わる門下生のような感じでした。それ故に、同じ会社にいたまま東京へ行きたいとは言い辛く、とにかく師匠に迷惑かからずに東京に出る方法として、その会社に飛び込みました。大手かどうかということは、別にどうでもよかったです。

谷澤での1年半はかなり頑張ったこともありましたが普通の5年分の勤務に相当するくらいの密度で充実していて、基礎もしっかりと叩きこまれていたので、大手に行っても楽勝でした。部長だろうが何だろうが関係なく自分の意見はしっかり発言できました。

そこから2年くらいは外資系のファンドのデューデリジェンスばかりをしていていました。何となく感覚をつかんできたタイミングで、キャリアアップをしようと米系不動産投資会社のAIGグローバル・リアルエステイト(現インベストアセットメント)に転職をしました。

Occurred on , Published at

アマテラス起業家対談

アマテラス起業家対談に関するログをまとめています。コミュニティをフォローすることで、アマテラス起業家対談に関する新着ログが公開された際に、通知を受け取ることができます。

このログの連載記事

1 「人が進まない道こそチャンス」アスラボ社長が語る、不動産業界に賭けた理由
2 「創業以来ずっと黒字だったのに、倒産しかけた」アスラボ社長が振り返る、資金繰りの苦労

スピーカーをフォロー

関連タグ

人気ログ

人気スピーカー

人気コミュニティ

ピックアップ

編集部のオススメ

ログミーBizをフォローして最新情報をチェックしよう!

人気ログ

人気スピーカー

人気コミュニティ

ピックアップ

編集部のオススメ

そのイベント、ログしないなんて
もったいない!
苦労して企画や集客したイベント「その場限り」になっていませんか?