『まどか☆マギカ』11話を解説

山田玲司氏(以下、山田):11話にとっとと行きますね。間に合わないと思うので、やれるところまで。(暁美)ほむらさんの家にまたキュゥべえがいます。ほむらさんがしゃべっている。(鹿目)まどかなるものが、なぜあれだけの力を得たのかわかった。種明かしが始まります。

それがさっき言っていた、何度も何度も救済を繰り返す、タイムループを繰り返して。ほむらっていう人が、ある1人の人を助ける思い、魔法がかかった思いですね。それがその人に力を与えて、要するに因果律、カルマってやつですね。

これけっこうおもしろくて、何度も出てくる椅子の意味がわかります。あのときのほむらさん、このときのほむらさん、パラレルワールドでいるわけですよ。たくさんのほむらさんに守られている。だからあの部屋にはたくさん椅子があったっていう。

さやかの部屋もそうなんだよ。何度も繰り返す。あの時のさやかを守ろうとしていたんだよ。何度もあるので、その際の椅子っていう。

これ1人の人間が生きていくためには、背後に誰かの悲しみがあると。愛とも慈悲ともいえるんですけど。この人が生きていてほしいといって、先に死んでいった人や、もしくはそう思っている願いみたいなものがあって、何度も輪廻を重ねていって、それでカルマってなっていくんだけど。

でも、これはループしているから一代において何度も救おうとするから、ここに溜まっていくという。本来なら輪廻の中で代替わりして行くけど、そうすると一番近いのは守護天使という話だよね。

だから、ご先祖様のおかげで生きている、ご先祖様を感じることができる。守護天使が逆転するんでね、後半に。これがまた泣かせる物語。これがいわゆるプラスの流れのなかで、守ってくれる人、守られる人。そして意識して感謝してっていう流れのなかで。

「君たちを家畜よりはマシな扱いをしているぜ」

山田:でも、マイナスの流れもあるんだよね。悲しみみたいなものが逆に憎悪に代わって呪いになってしまうこともあるわけだよね。だからうまくいかない人生だったお母さんお父さんがいて、それが娘に対して、「世の中なんてろくなもんじゃない」って言うやつ。

「あなたなんてどうせ何やっても無理なんだから、お父さんの子どもなんだから」って言う。親子関係で生まれた憎悪みたいなものを子どもに背負わせてしまうっていうのは、マイナスの方向のカルマ。2つのラインがあるんだけど、アニメの中でシレっとやっているわけ。

まどかが、ほむらの強すぎる愛ゆえに非常にめんどくさいしがらみを抱えてしまうんです。このパターンも現実にあるよね。「気合いだ!」とか言うおじさん(注:アニマル浜口)とかさ。いるじゃないですか。あれは大変です。あの愛は重いです。それはオリンピックも出ますよ。

だって、ほむら、すげーついているんだから。ほむらが「気合だ」って言っているから、頑張れってなっちゃうよ、でも(浜口)京子さんは大変だったと思いますよ。こんなこんなで、またひどいこと言いますね、キュゥべえは。まどかに向かって。「人類は家畜を飼うじゃないか。僕たちは君たちを家畜よりはマシな扱いをしているぜ」。本当に殺したい。

久世孝臣氏(以下、久世):「一応、知的生命体としては扱ってるからねー」って。

キュゥべえは悪いオタクの象徴

乙君氏(以下、乙君):声優さんにインタビューしたい。どういう気持ちであのセリフを言ったのか。

山田:あれは演出されてるよ。

乙君:そうやけど、俺が声優やったら立ち直れない、あの役やったら。

久世:そんなこと言うても、マンマ食わなアカンので何でもやりまっせですよ。

山田:飲み会とかでウケるぜ。「キュゥべえきた」って、めちゃくちゃモテる。「お前そんなこと言って、魔法少女にしてやるぞ」って。絶対やってるよ。

乙君:それ、えなり(かずき)くんじゃないですか。

山田:ではウテナだけどな。えなりくん、ちょくちょく来るな。

乙君:えなりくん、キュゥべえ説なのかな。

山田:やって。

乙君:できないできない。えなりくんじゃないし。

久世:「そんなこと言ったって仕方ないじゃないか、まどか。家畜のことなんて思ってないだろう」。

乙君:巧妙にだまそうとしてるのが腹立つんですよね。理論っぽく言うくせに、全く説明しないとか。

山田:これは悪いオタクの象徴でしょう。だから本当にブーメランになっているなと思うわけ。少女たちを「君たちのためだから」とか言って、「応援するよ」とか言いながら。

「お前何してるんだよ」みたいな。「お前がいるからこんなことになったんじゃねーか」。そういうプロデュースする側の人間っていうものにはこういうタイプが多くて、理詰めで進めていくみたいな。

後半からは日本アニメの伝統パターン

山田:それはともかく、古のクロニクルですよ。魔法少女クロニクルが始まって。古代から。急に話がデカくなってきました。これはパターンです。最後になると、世界スケールに話がポンと。宇宙スケールになってくるというのがパターンです。

最後、(『新世紀エヴァンゲリオン』の)綾波レイがどんなふうになっていたか覚えています? ブォーン、「デカい!」ってなるじゃん。話の後半は地球全体がみえるようになるのはパターンである。日本のアニメマナーです。伝統芸みたいな。

そうすると、過去にインキュベーターなるものが少女を使って、社会を新しいステージに導いていたんだ。そして上から「僕たちがいなかったら、君たちはまだ裸で、洞窟で暮らしていたかもね」みたいな。

乙君:ほんまアイツ腹立つわ。

久世:「これで『やめてよ』と言うんだったら、君たちは本質を何もわかってないね」。お前ちぎるぞ。

(一同笑)

乙君:でもまた新しいの出てくるから。「君に殺されるのは何回目だろうね」みたいな。(笑)

久世:やったるぞ。全面戦争やぞ、キュゥべえ。

乙君:確かにオタクというか、ああいう人いるよね。むかつくやつ。

山田:共感力は人間の象徴。いってみれば。

サイコパス・キュゥべえの存在

乙君:(ニコ生のコメントで)「岡田(斗司夫)か」って言ってますよ。

山田:岡田さんの解説を、俺あえて見ていないのよ。

久世:見るとしても映画版が終わった時にってことですよね。

山田:他の人の解説も見ていない。そんな涙の礎があって、今の暮らしがあるんだよみたいな感じで。卑弥呼もいて、ジャンヌダルクもいて。祈りで始まり、呪いで終わるみたいな歴史が。いいセリフですわ。それで外には雨が降っている。これは悲しみの雨だね。排水溝に吸い込まれる水のアップね。

そしてキュゥべえの長い影が映っていて、まどかは前にいて、祈りのポーズ。これもなかなか憎いね。ベッドの前で影になっている。祈っているみたいに見える。そしたらいきなりキュゥべえの影がデカくなって。全部絵で表現してしまおうという。

そこがまたなんかいいね。感情なるものがないという。「ここでかわいそうだと思わないの?」って言ったら、「数人の友達のためにそんな風に言うのはわからない。僕にはわからない」みたいな。

久世:「我々の世界は…」、なんでしたっけ。

山田:「感情はまれな精神疾患でしかない。感情持っているやつは病気だ」って言っている。すごいな。

久世:キュゥべえ、全アーティストを敵に回したぞ。せやろ? 感情がなかったらかけへんわ。

山田:本当にサイコパスの、共感力のない人が世の中で活躍する時代になっているじゃん。それの1種だよね。

まどマギには父性が不在

山田:その後、君の大好きなお母さんが出てきますね。お母さんね、ミケランジェロの前のバーカウンター、暗すぎるね、あの店。

乙君:なんであんな離れて座ってるねん。

山田:そんな小声じゃ聞こえねえよっていう話。

乙君:でもおそらく、昔の映画だったら男2人やったんですよね。それがクラスの担任と母親が昔友達でみたいな。これがまどマギか。

山田:お父さんはトマトを育てなきゃいけないからね。ベランダで。

久世:あと「おかわりのコーヒーいる?」ってやらなきゃいけないから。

乙君:そこまで徹底的なのが俺のすごいなっていう部分でもあるし、入り込めないなっていう。

山田:すごいと思う。あの世界ではおっさんなんて相手にされていないし。それから、かろうじて母と教師という上滑った感じではあるけど出てくる。だけど彼女たちが言っていることというのは、悪いことは言っていないけど、遠いなって。

「心を開いてくれなくなったのよ、情けないわね」なんて言っちゃってカッコつけている。でも、どれだけ住んでいるステージが違うかっていうこと。しっかり書いていてスゴいなって思うよね。