『ブレードランナー』の最大の革命

山田玲司氏(以下、山田):だから、(『ブレードランナー』の)1作目はね、奥野さん。

乙君氏(以下、乙君):はい。

山田:原作は奥さんがうんざりしてる男の話だな。全部そういう、うざいからいらないって取っ払っちゃって、ちょっとハードボイルドに変えてしまったがこっちのブレードランナーで。

ブレードランナーの中の最大の革命があってね。ブレードランナーって革命についてSFのイメージが180度変わったっていうのがみんな言う。「誰だって知ってるわ、そんなこと」っていうのを未だに言ってるんだよ。

乙君:そうなんすか?

山田:そうなんだよ。だから今までは金ピカの社会だけどスラムみたいな、そこには近代的なカオスになってるビジュアルイメージになったのがブレードランナーなんで、それはとりあえず当たり前のことなんで。そこはいまさら言うことじゃないわけ。

だけど、本当に大きいのは監督のリドリー・スコットがやった最大の革命っていうのが原作にあったアンドロイドをレプリカントっていう名前に変えたってことっていうのが一番デカかった。

アンドロイドだと機械人形のイメージだから、あいつらのイメージなんだよ。あいつらだったら殺せるんだけど、レプリカントってなるとレプリカだからコピーロボットなんだよ。

乙君:あー。

山田:『ドラえもん』に出てきたコピーロボットを殺せるかって話じゃん。というよりはむしろ俺たち自身が全員コピーロボットじゃねーのっていう話なんだよ。そんなに特別なのかっていう。

こうなると、このコピーロボットって俺たちのことじゃねーかっていうのが疑問符として入るから、実はレイチェルに入れるんだよ。

冴えない男に感情移入したい時代

山田:そして今回の作品は主人公が『ラ・ラ・ランド』のレイチェルなんですよ、奥野さん。

山田:ああいう冴えない男に感情移入したい時代が到来するわけよ。今はこいつじゃないじゃん。ハリソンフォードにはなれなかった俺たちなんだよ。

乙君:あーなるほどね。ヒーローじゃなくて、どこにでもいるような、うらぶれたやつと。

山田:そうそうそう。どこにでもいる平凡なやつ。ザッツ平凡なレプリカントとしてKが登場してくる。この段階で俺たちみたいなレプリカントっていうか、Kが俺たちになっちゃってるんだよ。だから俺たちのための話。

しかもKが大好きな相手っていうのが、生身の人間ではなくバーチャルアイドル。だから実際には存在しないセーブデータで、だから彼が彼女が大好きで彼女を失うことで心が傷つくっていう状況はまさにジャパンじゃないじゃないですか奥野さん。

乙君:はー。

山田:要するに「なんでアニメキャラに恋しちゃいけねんだよ」って話でしょこれ。わかります? あとはAR、VRいろいろ流行ってますけれども、本当にこの時代に突入しちゃってるタイミングでぶつけてくるヴィルヌーヴのセンスっていうのが。

今はわかってるっていうか、俺たちのことを書こうとしてるんだとっていうのが、ここからこっちに移行っていうのが見事にあってるんだよ。

これだけしっかりとできあがってるのに、なんででみんな酷評かっていうと、悪く人が多いから。あなたもそうだけど3時間は長すぎる、そして退屈、そして説明が少なすぎるって。

『ブレードランナー2049』は美術館のよう

乙君:俺そんなこと別に言ってないですよ。普通におもしろかったですよ。ただなんか、玲司さんみたいにSFの蓄積ないから。その細かい……あるじゃん。多分あると思うんですよ。

山田:何が?

乙君:前作のオマージュたちが。

山田:それがそうなんだよ。

乙君:そういうの気づかないから、ただただそういう話なんだわーって。

山田:それを意識して「(アンドレイ・)タルコフスキー(「映像の詩人」と呼ばれた映画監督)入れてんだ」とか、いろいろと言い始めたらきりがない。

乙君:だから2の方が楽しめるから。

山田:でもそれはオタクたちがやっていればいいことで、オタクたち向けの大好きな人たち向けのサービスがそれが理由でそのサービスを批判するのは「ちょっとな」っていうのがあるんだよ。

あとは個人的に言わせていただければ、絵作りがすばらしいんで俺は美術館だと思って見ていただければいいんじゃないかなと。

乙君:動く美術館!

山田:美術館に行って1枚1枚絵を見るじゃん。

乙君:はい。

山田:あの大画面で動く絵を見るぐらいな絵力はあるなって、今作に関してとくに思うのね。しかも前回のリドリー・スコットの映画って、大戦後のヨーロッパ感があるんだよ。リーヴ監督はカナダなんだよ。

この違いはまた絵に出てておもしろいっていうか。最大のテーマっていうヒューマニズムっていう久しぶりに聞くやつが入ってる。

ブレランは神に逆らう猿の話

山田:戦争があって人間が非人間的なものになってしまった後に何が起こったかっていうと、後半(有料動画)です。じっくりやりたいんですけど、フランケンシュタインとピノキオっていうコンテンツ出てくるんだよね。

人間になりたいっていうピノキオっていうやつとフランケンシュタインていう死体をつなぎ合わせた人工物なんだよ。これが人間になりたいんだけど慣れないから反乱を起こすっていうテーマなんだよ。

この2つが戦争のせいで生まれてきてるって俺は思うし、恐らくそうなんだと思うんだよね。そっから80年代が来るまで、やたら人とはなんだっていうテーマで行くんだよ。ものすごい文学なんだっていうね。

これをもう1回このタイミングでやるっていうのは、なんか時代的にとても素晴らしいところを選んだなって思うっていうかさ。これってね、フランケンシュタインが創造主である人間に対する反乱なんだけどさ。

いわゆる神に逆らう猿の話でもあるわけ。俺たちが神のように思って作ったドールとかアンドロイドとか氾濫してくるみたいなことも、けっこう今の時代っていう感じがするっていうのと。

あと、もう1個、この作品が受けない部分で1つあるなって思うのが、このJOIっていうバーチャルアイドルに対する姿勢があまりにもシラフすぎる。

乙君:どういうことどういうこと。

山田:まともなんだよ。それってセーブデータじゃん。ヴィルヌーヴは 大人の突っ込みをしちゃうんだよ。「そんなことわかってるけど、夢を!」って、とくにこの国は思ってる時代。「そんなことわかってる」っていう思いっきり突き抜けてくるっていうのがヴィルヌーヴスタイル。

乙君:意外と覚醒コンテンツなんだ。

山田:かなりの覚醒コンテンツだね。

究極のミソジニー映画といえる

山田:あと押井守がものすごく影響を受けてるんだけど、押井守はJOIの中に魂があるって考える派になってるんだよね。

乙君:まあ日本人ですからね。

山田:『攻殻機動隊』がまさにそうだったから、あっち独自の進化してるんだけど、実はあっち深いね。こっちはここで止まってるからだから見てて辛いんだよ。

乙君:あー。

山田:終わっちゃうから。「あの死に方は辛いな」とかさ。もう1個。この映画、究極のミソジニーの映画ともいえる。

つまり「生身の女なんかいらねーよ」ってとこから始まってるんだよ。

このおっさんがそもそも奥さんが嫌でうんざりしてて、ドールであるレイチェルと逃げちゃうところから始まるから、レイチェルはここはもうそうなんだよ。

この男の妄想から始まったストーリーがこっちに繋がっていくんだけど、ここにいたって現実の女ってもはやいなくなっちゃってるんだよね。愛される対象ではないって。

ここで浮かび上がってる問題っていうのは俺、けっこうでかい問題だなって思うんだけど、これが出てくるんだよ。女って何かっていうのにはいっちゃう。女って何かっていうのをまともに考えたことってないじゃん。

でも、バーチャルになってしまって女がいなくなって、だから羊がいなくなって、いろんなもんがなくなった後にこの代わりのドールを持ってこられたときに失ったものに気がつくでしょ。本物の女はもはや本物の羊と一緒なんだよ。

乙君:電子書籍が出たことによって……。

山田:きたきたきたきた。

乙君:本とは何かという話ですよね。

山田:そうそうそうそう。

乙君:それはそうですよ。