会見冒頭、伊勢ケ浜親方から一言

司会者:それでは記者会見を始めさせていただきます。

伊勢ケ浜正也(以下、伊勢ケ浜):本日、横綱・日馬富士、引退届を提出いたしました。早くから、日馬富士が今回の責任を感じて引退したいということは本人から言われておりましたが、ファンのみなさまにいつも楽しんでいただく場所中の間、控えさせていただきました。

私は日馬富士横綱を、16歳という少年の頃から見てきておりますが、稽古で相撲に精進したのみならず、いろんな勉強もし、また難病救済など社会貢献にも目が届く、本当にめずらしいタイプのお相撲さんだと思ってました。

そして、およそ酒癖悪いとか乱暴するとか、そういったところは私自身、見たことも聞いたこともありませんでした。そのため、今回なぜこのようなことになったのか、ただただ不思議というか残念でなりません。

横綱の権威を汚すようなことをした本人が一番悪いんです。他人様のせいにするわけにはいきません。「本当に申し訳ありませんでした」と言うしかありません。ただただ、これまで支えていただいたファンのみなさま、相撲協会のみなさまに、心からお礼とお詫びを申し上げます。本当にすみませんでした。

国民、相撲ファンらに深く謝罪

日馬富士公平(以下、日馬富士):このたび、貴ノ岩関に怪我を負わせたことに対し、横綱としての責任を感じ、本日をもって引退をさせていただきます。

国民のみなさま、相撲ファンのみなさま、相撲協会、伊勢ヶ浜部屋の後援会のみなさま、親方やおかみさんに、大変迷惑をかけたことを心から深くお詫び申し上げます。

司会者:それでは、代表質問をよろしくお願いします。

記者1:それでは、まず代表して質問させていただきます。横綱、引退を決めて、今どんな心境でしょうか?

日馬富士:本当に国民のみなさまに、世間をこんなに騒がし、相撲協会や支えていただいた、いろんな方々に大変迷惑をかけたことを本当に心から申し訳ないなと思っているところです。

記者1:まだ今回の件について、警察の調査や協会の危機管理委員会の調査が進んでいるなかで引退を決めたわけですが、この時期にこの引退を決めたのはどうしてですか?

日馬富士:親方と話して、本当に横綱としてやってはいけないことを自分がやったことと言ったので。場所中だったので、場所をがんばっている力士たちに「最後までがんばっていただきたいな」ということで本日になりました。

記者1:今回の引退を決めるまで、いろんな心の中での動きがあったと思います。どのようなことを考えてこの引退を判断して、いつ最終的に引退を決められたんでしょうか?

日馬富士:このことがマスコミのみなさまに知られて、そのあと親方に事実を話して。横綱として、横綱の名前が傷つかずよう責任を持ちたいということを親方に伝えました。

横綱という名前を汚しちゃいけない

記者1:師匠におうかがいします。引退を決めるまで横綱とはどんな話をここまでされてきたんですか?

伊勢ケ浜:やった事実はあるわけですから、その責任は横綱としてしっかり取らなきゃいけないということで、いつもそういう話をしてきました。

記者1:今回の事件のこと、そしてこの引退ということを師匠としてはどういうふうに今受け止めていらっしゃるんでしょうか?

伊勢ケ浜:やはり先ほど言ったように、横綱という名前を汚しちゃいけない。やっぱりそれはあってはいけないことなので。その意味では本当に、私の指導不足もありますけど、本人ももっと反省して、これからまたそれを勉強しながら社会貢献なりなんなり、がんばっていければいいんじゃないかなと考えておりますけども。

記者1:横綱、今回のこの一連の事件について、いったいなにがあったのか、これまでの警察の聴取や協会の危機管理委員会の調査で横綱自身がどのようなことを話してこられたのか、言える範囲でけっこうですので、教えてもらえますか?

日馬富士:先輩横綱として、弟弟子が礼儀と礼節がなってないときには、それを正し、直し、教えてあげるのは先輩としての義務だと思っています。

弟弟子を思って叱ったことが、彼を傷つけ、そしてたいへん世間を騒がし、相撲ファン、相撲協会、後援会のみなさまにたいへん迷惑かけることになってしまいました。

日本と日本の国民も愛している

記者1:これまで相撲界のさまざまな不祥事がありました。もう2度とこういった不祥事を起こしてはいけないと横綱自身も思ってきたと思います。なぜ今回、このようなことが起きてしまったのでしょうか?

日馬富士:今も言いましたが、弟弟子を思って叱ったことが、彼にとって、礼儀と礼節をちゃんとしていけると考えながら、がんばっていけるんじゃないかなって思って、行き過ぎたことになってしまいました。

記者1:横綱は常々「お客さんを喜ばせる相撲を取りたい」と語ってきました。ファンに対してはどんな思いですか?

日馬富士:16歳で母船から離れて海を渡って父船である日本にやってきて、親方、おかみさんの下で、相撲、そして人様に迷惑かけぬように、人としてちゃんと生きる道を教えていただきながら育ちました。

相撲を通じて縁があった方々、そして私を支え、応援していただいたファンのおかげさまで第70代横綱になることができました。

私は日本を愛しています。日本の国民も愛しています。ファンのみなさまに心からお詫びを申し上げて、心から感謝を申し上げたいです。

印象に残っている一番は

記者1:16歳で日本に来て相撲界に入りました。横綱にとって相撲の世界というのはどんなところでしたか?

日馬富士:私は相撲を愛しています。大好きです。そして相撲取りというのは、ただ強いだけではなく、人として相撲を通じて国民のみなさまに感動と勇気、相撲を通じて社会になにかできることを一生懸命やっていくこと。

親方、女将さんから学びながら、相撲を通じてみんなに希望を与えることを考えて自分にできるだけのことをやってきました。そういう意味では私にとっての相撲は丸い土俵の中でただ戦って強いわけではなく、相撲を通じて人々に感動、勇気、希望を与えることが相撲なのかなと思います。

記者1:およそ17年間の相撲人生でしたが、どんな思い出がありますか?

日馬富士:相手がいての相撲なので今まで戦ってきたライバル、相手たちにも感謝ですし。相撲を通じて縁があって出会った方々の支えのもと、親方の教えのもとで、女将さんに支えていただいて今まで来たので素晴らしい17年間でした。

記者1:ちょうど5年前の九州場所で新横綱、横綱に昇進しました。横綱とはどういうものでしたか?

日馬富士:僕が上がったときにも言いましたが、横綱としてみんなの基本と見本になる。そして横綱の名前に傷がつかないように精進して一生懸命がんばりますと言いました。

一生懸命、横綱として土俵に上がり、そしてお客さんに楽しんでいただける喜んでいただける相撲だけを考えて横綱としての責任を果たしました。

記者1:たくさんの相撲を土俵上でとってきましたけれども、どの相撲が一番思い出に残っていますか?

日馬富士:たくさんの思い出があります。この場を通じて一緒に戦ってきた力士の仲間たちに本当に申し訳ないと伝えたいです。

今思い出に残っているたくさんの相撲の中では、初土俵で序ノ口で優勝したことが、初心を忘れちゃダメなのでそのことがいつも思い出の中にありながらその気持ちを忘れずに今までがんばってきました。