今の時代、ご恩と奉公のマネジメントはワークしない

西村創一朗氏(以下、西村):(新人研修などで徹底的に厳しく、時々優しくする)そういった洗脳プロセスを経るとどんないいことがあるかと言うと、シンプルに上司あるいは上層部がやれと言ったことを「はい、わかりました!」とやるようになります。

コマンド・アンド・コントロールのマネジメントが効いていた時代、とくに人口ボーナス期で人口がどんどん増えていき、上が決めたことをやり続けるということが生産性を生む、GDPを生むという時代においては、ある意味すごく合理的なマネジメント方法だったじゃないですか。でも、今はもう違いますよね?

大室正志氏(以下、大室):家、車、家電など作るプロダクトがあって、「それをみんなで世界を含めて売ってこい」というね。やり方としては確かにそういうやり方が、ある種の合理性はあったのかもしれませんね。

西村:ただそれがもう違っているというか、もっと言うと昔の時代、僕が生まれたころにはもうバブルが崩壊していたわけですが。

昔は御恩と奉公の関係性が企業と個人の間に成り立っていて、長時間文字通り滅私奉公で土日もなく平日は終電までひたすら働く。副業も禁止でとにかく会社に尽くします。

その代わり終身雇用年俸賃金というご恩が得られます。ある意味、幸せな関係が築かれていた。だからきっと80年代90年代までの会社員はそういうかたちで働いていてもとくに苦にはならなかった。なぜなら会社が人生を保証してくれるから。

ただ、今はもうご恩がなくなってしまっていて、滅私奉公が奉公じゃなくてただの搾取になってしまっているという構造において、「昔と同じようにコマンド・アンド・コントロールでやれと言われたことをやるのが新人だろう」みたいな働かせ方ではワークしないというのにもかかわらず、そこにみんなが気づいていない。いまだに高度経済成長の御恩と奉公の時代のマネジメントを若手にしちゃっている。

その結果として起きたのが電通の事件なのではないかと。

時代の変化に、人間の中身や文化は遅れをとりやすい

西村:そんな話を実はもう辞められた電通の元役員の方とも話をしていたのですよね。僕らの時代はもっと長時間だったけど、それは不利にならなかった。なぜなら……という話をしていたのですが。

そのあたりをどう感じますか? 中にいらっしゃる立場から。

大室:やっぱり人間には、いまだに方言があるじゃないですか。これだけテレビでみんなが標準語をしゃべっているのに、山形などに行くと「ん?」とたまに聞き返すことがあるじゃないですか。

どうしてかと言うと、要するに駅前のパルコのようなハード面はけっこう簡単に変わるのですが、人間のソフト面はそんなに簡単には変わらないのです。これだけ標準語をテレビで聞いてる人でも、方言というのはなかなか治らない。ソフト面、文化面を変えるというのは、かなり大変なのです。

今、環境自体は変わっているわけですね。環境が変わり、そこに対するハードウェアも変わってしまったのですが、ソフトウェアや文化はだいたい遅れてついてくる。そこで今、タイムラグの端境期にいるというイメージですね。

例えば研修医。僕らが研修医のときは、お医者さんもある意味ちょっと鼻っ柱が強い人が多かったんですね。ある種の全能感というか。僕らがたぶん最後の世代だったので、こういう言い方はそもそもが良くないという前提で聞いてほしいのですが、よく言われたのが「士農工商〇〇……犬猫ねずみに研修医」と言われていたのですよ。

要するに、研修医のときに「お前らが一番下だ!」と。

西村:すごい(笑)。人権どころか。

大室:人権なんかない。でも、これね。真顔で受け取ると、人格に触れるパワハラの基本のキから破っているじゃないですか。ひどいんです。

ただその一方、医学生はだいたいがプライドが高い。でもそこまで言われると、失敗しても「まぁ俺、ねずみ以下だからな」と思うじゃないですか。だからなにもできない、病院に出たら看護師さんに教えを乞う立場の研修医をあらかじめ救っているという側面もあるんですよ。

もちろんこの言い方は今ならアウトなのは言うまでもないですが。

西村:なるほど、なるほど。

大室:救っている部分もある一方で、これをやり過ぎてしまうと、僕らはそうは言っても先生を入れて4人チームなどで阿吽の呼吸がギリギリ伝わるくらいのところでやっているわけですね。医者はまだ恵まれていて、指導医と研修医の子弟関係が濃厚ですから、しっかりとした指導医なら目が届きやすい。

「死ぬまで働け」「……どこまで?」に見る文化の違い

大室:僕、一番似ているなと思ったのはマッキンゼーなどのコンサルです。チームが少ないのです。たぶん、5人学級くらいなのですよ。上の人から見ると。

その中でけっこうきついことを言うのですが、言われている側をここをクリアすればキャリアアップが見込めるという「希望」とセットです。また医者も新卒の戦略系コンサルの方なんかも「最悪、辞めてもなんとかなるだろう」という思いがある。だからそうした文化だということを覚悟してきている。

ただ、これが20人などになってきたときに、今まで体育会系でやってきたからいいですが、例えば「体育会系未経験。大声さえも出されたことがない」という女性社員が入ってきた場合。そのときに、やっぱりその言葉がかなり重く響いたりしますよね。

やっぱり言葉は、僕はよく言うのですが、日本人は比較的同質性が高い民族なので「こう言えばどういう意味か」がだいたいみんなわかりますよね。ダチョウ倶楽部が「押すな押すな」と言えば、どういう意味かだいたいわかるじゃないですか(笑)。

体育会系の人が「死ぬまで働け」と言えばどのくらい働けばいいかもわかるわけですよ。でも「死ぬまで働け」と言ったときに、体育会系じゃなかった女性社員は「どこまで?」と思いますよね。

そのように、ぜんぜん今までの文化体系と違う人間が入ってきた場合に、そうした言葉使いは非常に、知っているもの同士であればすぐに断ってインフレになるのですが、それが起きているのかなと思います。

おじさん上司は女性部下への接し方に悩んでいる

西村:まさにそうですよね。この本にも書かれていたじゃないですか。冒頭の2章のところですね。「なぜ起こったのか」というお話の中で、「女子力がない」というような。

そうした発言などは「パワハラだしセクハラだよね」ということを書いているのも、きっと発言している側の上司にはそんなつもりはない。むしろかわいがっているつもりでいるのですが、言われた女子からすると本当にショックだし、もう「セクハラだ」と思うわけですよね。それも、今の話に通ずるのですかね? 

大室:そうですね。やっぱり男性の、とくに大きな会社ですね。今50代や40代くらいの人たちは、女性の総合職の人とどう接していいのか、その「間合い」を測りかねているイメージがあります。

西村:本当に悩んでいますからね。

大室:うん。どうなのか。ただP&Gのように、そもそも女性が半分くらいが当たり前の会社というのがまだ非常にめずらしくてですね、女性とどう接していいのかわからない。

ちょっと前はですね、一般職と総合職が分かれていて、昔の会社では……僕、この間どこかで50代くらいの人に聞いたときに「うちの会社で、俺が20代ぐらいの若い頃には、なんかの余興のときに女性社員全員にレオタードを着せていたよ」と言っていましたからね(笑)。そんな時代かよと。

西村:ヤバイ(笑)。

大室:今であれば炎上案件だぞと言って(笑)。やっぱり、そうしたことがありましてね。

仕事で差をつけられたくない、でもデート代は奢ってほしい

大室:結局、女性社員と接するときはだいたいですね。よくあるパターンは体育会系が強い会社。女性社員にとって接しやすい……どうですか。女性社員とどうやって接しますか?

会場:あまりセクハラにならないように、一応女性社員ということで接します。

大室:どうですかね。どんなふうに接してほしいですか?

会場:(笑)。でも、あまり(仕事で)差をつけられるのもかえってイヤかなと。

西村:そうですよね。

大室:ではデートのときも差をつけずにワリカンをしてほしいタイプですか?

会場:それはちょっと……(笑)。

(会場笑)

大室:これがどうして難しいかというと、女性も一枚岩じゃないんですよ(笑)。

西村:そうですね(笑)。これは本当に。

大室:今のこれがまさに象徴的で、仕事で差を付けられる。でもこれはさっき言ったように、トレードオフなのですよね。

仕事では男性の方が責任が重いし、稼ぐからデート代を出す……それがいいとは言いませんよ。ただ昭和の男性はそれを疑っていなかった。けれど今は、女性の方が責任も稼ぎが多い人もめずらしくありません。また、地位も稼ぎも上でもデートでは奢ってほしい女性も依然として一定数存在する。

その一方、すべてフラットに扱ってほしい女性も存在する。女性もその部分に関しては個人としても集団としても、アイデンティティが完全に統一されているわけではないのですよ。

この間、酒井順子さんの『男尊女子』という本を読んだのです。酒井さん周辺のキャリア女性の中にもそうした部分があり、「男のくせにデートでケチんのかよ」と言っちゃうわけですよね。

それでも「女のくせに」ということで逆を言うとすごく怒るわけですよ。でも、これというのは実はかなりセットであったりもするのですが、これが別に悪いわけではなくて、今、そのようにアイデンティティが揺れるような時期なのかなと思います。