DVなどの社会課題をテーマにするコピーライター

阿部知代 氏(以下、阿部):後半は、もう1人のパネリスト・玉山貴康様のお話から始めます。玉山様は株式会社電通でコピーライターでクリエーティブ・ディレクターでいらっしゃいます。

セールスプローモーション局配属後、32歳でクリエイティブ局に転局。これまでに手掛けたソーシャルなお仕事は、ACジャパンの「こだまでしょうか?」「みんなでやれば、大きな力に」「男女平等参画推進みなとDV防止啓発パネル」、NPO法人全国女性シェルターネット「LDVEポスター」、横浜市男女共同参画協会「STOP! デートDV 写真展開催」などがあります。

社会課題を考えるきっかけとなる言葉とは何か。今日も自問自答しながらお仕事をしていらっしゃるとのことです。

玉山貴康 氏(以下、玉山):玉山と申します。よろしくお願いします。これまでの仕事をいくつかご紹介させていただきます。先ほどもありましたように、「DVの根絶パネル展」は全国を巡回して、男女共同参画の港区にそういう団体があります。今、全国をまわってます。今までに75箇所ほど回っております。

いろいろなシリーズで作りましたが、写真はどこにでもある日常の風景を撮っています。ただし、「人は入れないでください」という指示をしました。横にメッセージが書かれてます。

「DVはすぐ近くで起きている。その実情を知ることが撲滅への第一歩」と書かれています。そのメッセージはポスター全部に入っています。

でも(スライドの)上の大きな文字のところの写真とコピーが変わっていってます。「3日に1人、妻が夫に殺されています」という、これは総務省にあったデータをそのまま言葉にしたものです。

ビジュアルは階段です。普通に街にある階段なんですけども、そこにコピーが載っているんですが、「夫婦関係がある日から上下関係になっていた」というコピーを入れました。

公園の錆びた寂しいブランコですね。もう誰も使ってないような感じの写真に、こういうコピーを入れました。「通報したらこの子の父親は前科者になる」。

何気ない家と家との間ですね。それをあまりきれいなアングルじゃなくて、「そんな写真撮るの?」と思いますよね。「普通そんなところ撮らないでしょう」という写真をあえて選びました。コピーは「主人とは呼ぶが奴隷ではない」と入れました。

これは普通のマンションの写真です。すごい寒い。そんな感じの写真にしました。コピーは「ご近所に見せるあなたの笑顔が恐ろしい」というコピーを入れました。

これは電車を撮ってみました。人間の雰囲気をすこし感じさせたかったので、そういう写真に「こうなるまで耐えてしまったのは、結婚に失敗したくなかったから」というコピーを入れました。

以上がDV根絶ポスター、パネルです。僕がやりたかったことは、たったポスター1枚で、その前に立った時に、DVを受けた方の疑似体験といいますか、本当にそういうふうに思った方がいるんだと。

「LDVE」ポスターに込めた思い

玉山:まるで自分はDVというものを受けたことはないけども、そういうふうに思って過ごしている人がいるんだということを、できるだけ生々しく伝えるようにしたら、どういう言葉がいいのか、どういう写真がいいのかということで連作で作って、これが全国をまわっています。

続きまして、DV根絶国際フォーラムの告示ポスターを作りました。真っ黒なポスターに「LDVE」と書かれています。パッと見たら「LOVE」です。

でも「O」のところが「D」に変わっている。そうすると「DV」が「LOVE」の真ん中を構成しています。(ポスターの)打ち合わせでDVの立ち位置といいますか、家庭や愛情の中にDVが隠れている風潮があるので、これでポスターを作れないかなと思いました。

でも「LDVE」だけだと何を言っているかわからないので、その意味を指し示す言葉が必要です。それが小さくここに書かれているんですけど、このコピーを開発するにも、かなり時間がかかりました。

なんて書いてあるかというと「DV、それは愛を装う」って入れました。「DVそれは愛を装う」って書いてあるから、この「LDVE」の意味がハッキリわかります。下のほうに、そのイベントの情報が小さく書かれています。

「ポルノ被害と性暴力を考える会」のポスターとDMを作りました。昔はカセットビデオでした。そのカセットビデオが爬虫類的な変な生き物みたいな足が生えています。少し気色の悪いビジュアルです。

右上端のところにコピーが書かれています。「アダルトビデオとして販売された瞬間、その集団レイプは作品になった」。メッセージには「表現の自由という名目で女性の人権が侵されていないか」。

ビデオテープ型のDMで2つ折りになっていて原寸大にしてます。コピーはわざと文字を汚く濁してます。これを開くと、内側にイベントの情報が書かれています。「ポルノ被害と女性子どもの人権」というテーマのイベントを扱っています。

男女の関係を写真とコピーで表現

玉山:横浜のみなとみらいで「STOP!デートDV写真展」というのを開催しました。

駅ビルの中にギャラリーがありまして、写真家の小野啓さんが高校生をものすごくリアルに撮る。笑顔がまったくなく、真っ直ぐ前を向いた、ある意味恐い高校生を撮るフォトグラファーです。

その方の写真がものすごくよかったので、この人とコラボレーションして作りました。どういう設計にしているかと言いますと、写真の前に近づかないとコピーが見えないようになってます。

小野啓さんの写真というのは、被写体が全部カメラを向いているんですね。被写体に睨まれている感じになります。この人の心情というか心で思っていることが、実はグレーの背景に書かれてあるんです。遠いから見えませんけども、近くに行くと見えます。あえてそういう設計にしていて、デートDVする男の人のセリフが書かれてあります。

例えば、これは20枚ぐらいの中の1枚をご紹介しますと「男女関係なく俺以外のやつと遊ぶの禁止」と書いてあるんですよ。つまり束縛が激しすぎて、それもDVに当たるんだよということを書きました。

次は女性の気持ちを書いてます。やはりこういう感じで睨んでます。何が書かれているかというと「最初はそれほど愛されているのかなと思ったけど最近ちょっと怖くなってきた」って書かれています。

つまり、男の人のセリフに対して、最初は「束縛は愛情表現なのかな」と思ってきたけども、あまりにも続くから「これはちょっとおかしいぞ」と気付いてきた感じをコピーにしています。

ACジャパンの「こだまでしょうか?」です。これはこういうビジュアルで詩人の方です。山口県長門市出身の金子みすずさん。映像をお願いします。

(「こだまでしょうか?」映像)

玉山:はい。少し画質が悪かったですが、このような仕事をしてきました。この後はざっくばらんにお話しできればと思ってます。引き続きよろしくお願いします。ありがとうございました。

阿部:玉山様、ありがとうございました。

(会場拍手)

「こだまでしょうか?」のCMは東日本大震災の際にたくさん流れたのでご記憶の方も多いと思います。

「完璧な被害者と社会の不寛容」をテーマに

阿部:それでは4人の方でのお話を進めていきましょう。いくつかのキーワードを用意しました

(スクリーンにキーワードが表示される)

「完璧な被害者と社会の不寛容」。まず橘さんにお聞きします。性被害に遭ってるのに「いや、お前がホテルに付いていったから悪いんだろう」と言われてしまう、というお話が先ほど藤原さんと橘さんからありました。

有無も言わさず押し倒されてレイプされた、(責任が)0対100の被害者は同情してもらえるけど、ホテルに付いていった段階で「完璧な被害者」ではない。そういうことですね?

橘ジュン氏(以下、橘):非があることを問い詰められて、出来事や行為はやはり無視されていく。なかったことにされていく。それは警察に被害届を出しに行くこともすごくためらうことなんですよね。

無理やり引っ張られて、歩いてたらいきなり腕を掴まれて車で連れ去られたら、誰もが100パーセント同情してくれるかもしれないですが。

警察との話の中で「付いていっちゃったんでしょ?」「どういう気持ちで付いていっちゃったの?」「いいと思って付いていったんじゃないの?」「そんなこと想像できなかったの?」と問い詰められる。

でも、されなくていいことは、されなくていい。そこをちゃんとわかってほしいです。どっちがいけないか、誰がいけないかというのをブレないでほしいなといつも思います。

阿部:次のキーワード、「社会の不寛容」については藤原さん、どうお感じですか?

支援する側によるセカンドレイプの問題

藤原志帆子氏(以下、藤原):私たちはジュンさんのところと比べたら圧倒的に成人になった18歳以上の女性が多いです。やはり、みなさん風俗だとかアダルトビデオ業界で「お金をもらって出ているんでしょ?」という認識があります。

警察や行政窓口、他支援団体の方を悪く言うのはあれですけれども、実は相談を受けた側の方からの被害者の二次被害というのがあります。ある相談者は、「6本契約なんだ。じゃああと2本出ればいいんじゃない? がんばって出てみたら?」などと相談先に言われています。

阿部:えー!

藤原:また、別の相談先では、無理やりAVに出させられた女の子に対して、相談後の休憩時間にポロっと話を聞いていたある支援先の担当者が「僕、あなたのファンでしたよ」。

阿部:え~!!

藤原:セカンドレイプというか、支援する側として聞いたらビックリすることが多々ありました。

今は政府が「ちゃんとやります」と言って、たとえば相談先では警察の方も都道府県に専門のAV対策員などを置いていて、行政窓口や消費者相談窓口でも相談を受ける体制を作ると行っています。

すごく変わってきていますが、支援する私たちが同行しなければ本人は自分でそのまま行ってしまう。そうすると、警察の方の対応によっては、ものすごく傷ついて二度と相談してくれないということがありますね。

そういうことを日々考えていて、私たちはどこにも付いていくことが必要になってくると思います。

相談先はあまり悪気があって言ってない

阿部:玉山さんのすばらしいお仕事を拝見して、お聞きしたいことがあります。性被害やDVに遭った人の中には、そのことを誰にも一生告げずに墓まで持って行く、誰にも言わずに死んでいく人がたくさんいると思うんですね。

でも、その人が駅のポスターであれを見たら「わかってくれている人がいるんだ」と、そう感じて救われる人もいると思うんです。

言葉は強い力を持っていますが、その反面、勇気を出して行った相談先での言葉が、その人を改めて傷つけてしまうことがある。言葉の選び方、知性、思いやり……。どうしたら、不用意な発言を防げるのでしょうか?

玉山貴康氏(以下、玉山):そうですね。先ほどの例で言うと、相談先の方はあまり悪気があって言ってないと思います。それが良くないというか、恐ろしいと思います。

阿部:悪気がないのが恐ろしい。

玉山:恐ろしいですね。僕は言葉を扱う仕事をしていて一番大事なのは思いやりだと思っています。コピーライターの仕事は思いやりの仕事だと思っています。

先ほどから、藤原さんと橘さんの活動内容を聞いて、僕の立場でできることが本当に微々たるものだと思いました。(被害女性の)全部を引き受けて活動する方々を思うと、頭が下がるばかりです。

阿部:藤原さんや橘さんはLINEやメールを使って、悩みを抱える行き場のない女の子たちを救っています。座間の事件でも、被害者の人たちはTwitterで「自殺をしたい」「死にたい」と発信して、ハッシュタグで容疑者とつながり、家に行ったと伝えられています。

つまりオンラインでのやりとりだけで相手を信用してしまった。会ってからの会話と、オンラインの会話。そこにある言葉の力の違いは何なのでしょう。

:「こだま」がまさに求められていたと思います。女の子たちは自分と同じ気持ちの人とつながりたかったと思うんですよ。容疑者というのは、自分はそういうつもりじゃなかった。だから誘い込むつもりで、弱さにつけ込むつもりで、利用するつもりで彼女たちにアクセスしてるわけなんですけれども。

安心して「死にたい」と言える場所が必要

:彼女たちは「死にたい」とそのとき思った気持ちは本当だとしても、本当に死にたかったかというとまた別の話だし、殺されたかったかというとまた別の話なんですよね。そういう意味では、安心して「死にたい」と言える場所が必要だと思います。

阿部:え、もう1度お願いします。

:安心して「死にたい」という気持ちが言える場所が必要だと思ったんですよ。安心できない場所が今あるんですよね。

阿部:「死にたい」なんてつぶやいたら、それをエサに集まる、悪い人たちがたくさんいるということなんですね。

:そうです。死にたくなるには背景がやはりあるわけですよ。事情があってそういう気持ちになっていた。そこはちゃんと理解しなきゃいけないし、時間をかけてやりとりを重ねることを私たちは求めます。今すぐ助けを求める子に対して、何を求められるかなんですよね。

玉山さんのお仕事をいろいろ見てすごいと思ったんですけど、実際にそういう暴力を受けた、加害した方に会って、この言葉を生み出されたんですか?

玉山:最初のDVのポスターは、サバイバー(DV被害者)の方にインタビューさせていただきました。あとは本やネットなどいろいろ、できるだけ生の声を聞きました。

自分の体の中に情報を入れていくと、自分が伝えたいことが自然に湧き上がるまで待つんですね。いろんな事情を入れれば入れるほど、「ここが大事なんじゃないか」「これを言わなきゃいけないんじゃないか」とわかってくる。それが見つかったときに、いい言葉が出ると思っています。

:私は響く言葉が必要だと思っています。たぶん、座間の事件に関しては、「死にたい」「誰か……」という言葉にいち早く気づいて、響かせる言葉を巧みに悪用したのがあの容疑者だったと思うんですよ。

死にたい気持ちがある、それでも生きようとする力を信じて、私たちは応援する側なので「そうだよね」「わかるよ」という気持ちにはなれないんですよね。

だから、彼女たちは私たちやライトハウスも知ってたかもしれない。でも、「そこじゃない」って思ってしまったと思うんですよね。そういう子がこっち側(ライトハウスやBOND)にどうしたら来てくれるのかを、これからずっと考えていかなければと思いましたね。

阿部:彼女たちは本当に死にたがっていたのか。

:死にたがる少女たちではないんですよ。そのときは本気で「死にたい」と思ったかもしれないんですけど、だけど違うんですね。