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三⽊雄信⽒ 講演(全2記事)

孫正義氏の「ゴール志向」とは何か? 元ソフトバンク社長室長が語る、成功の3つの要因

さまざまなテクノロジーが生まれ、日々進化を続けるマーケティング。そのなかで、テクノロジーとサイエンスでマーケティングを成長させるために必要なことをマーケターに紹介する機会として、「成長するマーケティング」をテーマにしたカンファレンス「SHANON Marketing Conference 2017」が開催されました。キーノートでは、株式会社シャノン代表取締役社長の中村健⼀郎氏、かつてソフトバンク社長室で室長を務めたトライオン株式会社代表取締役三⽊雄信⽒が登壇しました。

元ソフトバンク社長室長の孫正義氏との出会い

中村健一郎氏(以下、中村):本日は「成長するマーケティング」というテーマで行わさせていただいております。成長するには、成長してきた企業に聞いたほうがいいということで、ソフトバンクで社長室長をされていらっしゃった、三木様にお話しいただきたいと思います。

こういったPDCAの本を出されています。マーケティングでPDCAと言えば、いつも聞く話なので、みなさまも存じ上げているとは思うんですけれども。

改めて、成果をあげるのにどういったことを行っていけばよいのか。より大きな成果を出したソフトバンクさんで、そばで実際に見ていた三木様の話を聞くことで、みなさんと一緒に勉強してまいりたいと思います。

それではお呼びしたいと思います。トライオン株式会社代表取締役、三木様。どうぞよろしくお願いいたします。

(会場拍手)

三木雄信氏(以下、三木):今ご紹介いただきました、三木雄信です。

もともとシャノンさんのお話を受けるときに、どういう会社さんかというお話を直接中村社長から聞きました。それで、正直驚きました。

これは、ちょうどソフトバンクが通信事業を算入した2000年~2001年頃、ADSLの事業の立ち上げで、すごくアナログに赤い袋を配っていて。そこから今のソフトバンクができたわけなんですが、そのときにやってきたことを、ほぼクラウド上でやられている。

ぜひ、こういう機会にお話しできたらいいなと思って、今日ここに立たせていただいています。50分という短い時間なんですが、通常だと2時間ぐらいかけて執拗にやるような内容を、できるだけ詰め込んで、みなさまのお役に立てるようにお話したいと思っています。それではよろしくお願いいたします。

私は1972年福岡生まれです。久留米大学附設高校という高校で、孫社長は途中でアメリカに行かれたんですけれども、私自身の同級生が孫社長の弟の孫泰蔵さん。あと、元ライブドアの社長の堀江さんもおられるんですね。

そういう意味ではみんな高校のときから孫社長を知っていて。そういう影響を受けて将来ITの道に進んだ、という人間です。

もともと三菱地所に入社をしたんですけれども、入社して3年経ったときに、孫泰蔵さんに「ちょっと考えてることがあるんだよね」と話していたら、「孫社長に会わない?」と言われて。ランチを一緒に食べていたら急に、「三木くん、会社が300年続く方法は知ってるかね?」と聞かれました。

私は「多様性だと思います」と。化石がけっこう好きだったので昆虫の歴史などを知っていたんですけど、昆虫って地球上の生き物のなかで一番種類が多くて、一番長く生存している生物らしいんです。そういう昆虫の話を念頭に置いて、「多様性だと思います」と言ったら「そうなんだよ、多様性なんだよ! 今すぐ入社しろ!」と言われてですね。

「まず会社を辞めないとほかの会社には入れないですから」とその場で帰ったんですけど、結局ドタバタと入社をしました。

急に入社したんですけど、2年ぐらい経って(孫氏が)「三木、お前ベンチャー企業がどうやったら人を採用できるか知ってるか?」と。「いやあ、なんですかね」と言ったら、「考えさせないことだよ」と言っていて。「あなたそれを私にかけたでしょ」と思ったんですけど。そんなことで、ソフトバンクに入社をしました。

ソフトバンクが拡大するまで

そのあとは、マイクロソフトのジョイントベンチャー、今はYahoo!のサービスになっていますけれどもカーポイント、(現在は)カービューですね。そのあとナスダック・ジャパン(現JASDAQ)の立ち上げや、あおぞら銀行の買収などですね。

その後、一番大変だったのがADSL事業の立ち上げで、今の通信事業の最初の頃なんですね。当時、ソフトバンクは水天宮のシティターミナルの隣の雑居ビルの本当に20畳ぐらいの狭い部屋で。3人ぐらいで銅の線などを束ねていろいろ実験をしていたんですけど。

そのなかで、ある日孫社長がやって来て、「お前らどうなってんだ」「遅すぎる!」と。今すぐ全国で募集するんだと言って、全国1,000局の局舎のユーザーを集めはじめました。モデムを100万台発注して、あちこちでパラソルを立てて、そこに揃いの赤いポロシャツを着た人間にとにかく配らせる。ティッシュを配る勢いで超アナログにモデムを配ったところから、最後は開通させてですね。

代理店も何百社も使っていて、パラソルは見えやすかっただけなんですけど、ほかにアウトバウンドもやったし、当然Yahoo!もやったし、しまいには訪問販売もやりました。

いろいろな代理店のなかで、考えられないようなさまざまな手法を全部使って、おそらく何十、何百という手法を試しながらやってきました。

2006年には、ソフトバンクが日本テレコムの買収をしまして、私は本部長だったんですけど、本部長が十何人もいる状況になりました。もとを正せば、小さな会社でいいからソフトバンクグループの社長になりたっかんですけど、そういう会社ではなくなってきたなということで辞めました。

ソフトバンクで学んだことを世の中でできるだけ活かしていきたいということで、本を書かせていただいたり、こういう講演会をさせていただいたりしています。

今はもう1社、子会社のトライオンという会社で、英語のパーソナルトレーニングの事業をやっています。こちらでも今、ソフトバンクで学んだことを利用して、営業と本質は一緒だと思っていて、うまく英語を1年間でマスターできるというプログラムをやっています。

ここで、企業環境について。少しソフトバンクに即してお話をしたいと思います。

みなさん、昔ガラケーの時代に、N501iやS501iなどアルファベットが最初についている携帯電話があったことを覚えている方、たくさんいると思うんですね。NやSの意味をご存知の方おられます?

(会場挙手)

あ、けっこうおられますね! さすが近しい業界におられる方ですね。ご存知の通り、あれはメーカーの名前ですよね。SONYとか、NECとか。そのあとに501とついているのは何かというと、ドコモが出す基本的なスペックを表すものなんですよね。各社は、それに多少自分たちの味付けをして(製品を)出すという予定調和の世界だったんですね。

ところが、ソフトバンクがどかんとやってきた。むしろスマホの流れは前からやってきていたんだと思うんですけど、ジェットコースターのような不連続な変化がやってくるようになって、今やスマホ以外のガラケーはごく一部になってしまいました。予定調和の世界では、日本には12社ぐらいメーカーがあったんですけれども、結局今、すごく限られたかたちに統合されつつあると思います。

こういう変化を捉えて波に乗っていくということをやってきたのがソフトバンクだと思います。今日も「成長するマーケティング」というテーマなんですけど。

ソフトバンクの業態転換とネットバブル後の成長

私が入社したのは1998年ですね。売上が4,000億ぐらいありました。4,000億というと「けっこうあるな」と思われる方もおられるかもしれないんですけれども、当時のソフトバンクはソフト流通の会社だったんです。

ソフト流通というと非常に聞こえはいいんですけれども、実は私も最初は単なる孫社長の秘書で、いろいろなところに着いて行ったり棚卸しなどもやっていて、倉庫に行くとけっこうエッチなソフトがたくさんあるんですよね。

なにしろ当時のパッケージソフトというのは、けっこうエッチなコンシューマというのが多かったわけです。「もしかしたら俺、入る会社間違ったんじゃないかな?」と思わないこともなかったわけなんですけれども。

そういう意味では、実はこの頃のソフトバンク、卸で4,000億あるといっても、だいたいメーカーでも10分の1ぐらいの世界なので。売上で言えば本当に、みなさんの会社のほうが大きい会社が多いのではないかと思います。

ちなみに、余談で思うのは、今実はソフトバンクに一番似ている会社は、孫社長に言うと怒られちゃうんですけど、DMMじゃないかなと思ったりしますね。デジタルで、彼らはソフトを卸していたりもしますけれども。それをデジタルでなくアナログでやっていたという点では似ているのではないかと思います。

ただ、そのあとのソフトバンクは決して楽にどんどん大きくなっていったわけではありません。ネットバブルやYahoo!の立ち上げなどもあったわけなんですけれども。実需のところでは、売上が少し減っているんですよね。1998年、99年。ネットバブル崩壊のなかで減っていたんです。

ソフト流通というのは、アメリカや海外のソフト会社が「日本でマーケティングするときにソフトバンクにお任せします」ということでやっていたわけなんですけど、時間が経つにつれ日本のマーケットもわかるし人材も使えるようになってくるので、「自分でやります」「もうちょっと料率下げてよ」と言われて、だんだん粗利率は下がってくると思っていて。

そういう課題があるなかで、インターネットの世界に出ていったのが、ソフトバンクの業態の転換なんですね。決して順調に、どんどんすぐ(大きく)なっていったわけではなかったんです。

ところが、2000年と2001年の頭にネットバブルが崩壊して、そこからはなかなか苦しい時期が続いたわけですけれども、2000年から種をまいたところが、どんどんADSLに拡大していって、2005年ぐらいにはADSLに500万人が加入しました。

モデムを、赤いパラソルで配って配って配りまくって、代理店をどう管理していくかということをまさしくマーケティングオートメーションのような仕組みで管理をして、いい代理店、悪い代理店、ライフタイムバリューの長い代理店、ライフタイムバリューの短い代理店、営業のクレームが多い代理店、ということも管理していました。

それを、あるところまでずっと泳がせていたわけです。5年間赤字でも、会社は上場廃止にならないらしいですから。そして5年目に、スパっとそれを切って、2005年に黒字化を達成しました。

これで一旦ADSLの事業立ち上がりました。そのあとは日本テレコムを買収して、ボーダフォンも買収して、あっという間に9兆円。営業利益で1兆円近いところまで成長することができた、というところがソフトバンクの簡単な歴史になります。

孫正義氏のゴール志向

実は私、ソフトバンクの本をだいたい30冊ぐらい書いているんですね。2006年に(ソフトバンクを)卒業してもう十何年も経っているんですが、いまだに書き続けているのはどういうことなのか。

実は、学んだことの本質ってすごく限られていると思うんです。ゴール志向であることと、数値にめちゃくちゃこだわること。あとはそれをPDCAをするということだと思うんですね。この3つは、別に普通といえば普通だなと思われるかもしれないんですけれども、それぞれに非常にこだわりがありました。

これを当てはめると、例えば先ほど話した英語学習もそうだと思いますし、本当の営業活動もそうかもしれません。私自身、ソフトバンクのオペレーション本部長という、申し込みから最後に課金して決済するまですべてのオペレーションを見ていたわけなんですけれども、そういうオペレーションにも適応できるという、あらゆる局面に適応できるものだと思っています。

まず、この3つの要因について少し説明をしたあと、とくに今日は「PDCAの数値化」というところについてお話をしたいと思います。

まずはゴール志向ということです。先ほど中村社長が「AIにはゴールが必要だ」とお話しされていたんですけど、その通りですね。ソフトバンクは1980年代から理化学研究所で脳型コンピュータというコンピュータをずっと研究していました。

それは何かというと、ゴールを与えたらそこをめがけて試行錯誤していくということを脳型と定義して、コンピュータにやらせていたんですね。

例えば、ヘリコプターに脳型コンピュータをくっつけて最初に与えた指示は、「できるだけ長く滞空時間を保つんだ」と。壁にも当たらず屋根にも当たらず、滞空を長く続けるという実験をしていると、試行錯誤しているうちに「これ以上あがっちゃいけないな」「右にこれ以上行っちゃいけない」ということをコンピュータが学んで、長く滞空できるようになってくるんです。人間もその通りで、まずはゴールがあってはじめてそっちに進んでいくということだと思うんですね。

このゴール志向ということで言えば、孫社長の一番有名なゴールの設定と言えば、人生50年計画ですね。人生50年計画は、ご存知の方もおられるかもしれないですけど、孫社長が10代の終わりに立てたらしいです。

20代で名乗りをあげる。30代で軍資金を1,000億貯める。40代でひと勝負をして、50代で事業を完成させる。60代で事業を継承するという人生50年の計画なんですけど、実は(孫氏は)これをだいたい達成しているんですね。

もともと20代のときに会社を創業して、30代で株式公開して1,000億作って。40代で、先ほどお話ししたYahoo!BBとADSL事業、それからテレコム、ボーダフォンの買収と勝負をかけて、今のソフトバンクの姿を作ったわけです。

50代でこれを完成させて、ちょうど今年の夏60歳になったんですね。本当は、もう60歳のときにある人に移譲するつもりでいたらしいんですけど、それができなくなってしまって、今も元気にやっています。きっと、60代のうちにはそういう移譲をするんだと思いますね。

ソフトバンクは、こういう目標をとにかく上から下まで必ず共有します。孫社長の年次の計画もあったりするんですね。10年ごとだけではなくて、1年の計画もあります。私、正月、三が日に家族とのんびりしてたら「三木、家に来い!」と呼び出されて。「わかりました」と行ったら、広い部屋の大理石のところに孫社長1人でいました。「ご家族は?」と聞こうと思ったんですけどやめて。2人で「寒いっすね」とか言いながら「今年の計画立てるぞ」と言われて、1年の計画を立てたりしたこともありました。

月次でもちゃんと計画を持っていて。最終的には、全部自分のミーティングのスケジュールなどを見ながらどんどんスケジュールをセットしていって、そこから逆算して資料作りなどを全部やっているんですね。

全部、最終ゴールがあって、そこからぜんぶ逆算していっているというのが、ソフトバンク流というか孫社長流の仕事のやり方かなと思います。

PDCAではなく「DPCA」

2つ目は数値化です。数値化に関してはめちゃくちゃこだわりがあります。一時期は、ご存知の方もいるかもしれないですけど、統計の一手法の多変量解析がわからない人間は幹部から追放する、と言っていた時期もあります。

みんな慌てて、多変量解析を勉強した人もいたんですけど、急に多変量解析と言われてもわからないなという人は、だいたい理系出身の統計に強い人を1人連れてきて、資料を分析させて多変量解析をした資料を出す、ということをやっていました。

多変量解析ということで言い出したのは2000年ぐらいからだと思うんですけど、1980年ぐらいから「日次で決算をするんだ」と言っていました。決算といっても、前提を置いての管理会計的なものなんですけど、それを千本ノックと呼んでいて。孫社長がぶわーっとファイルを並べている前に、それぞれの事業責任者を呼んで、「どうなってるんだ」ということを数字を見ながら激詰めするということをやっていました。

今で言えばBIみたいなものですが、それをとにかく紙ベースでプリントアウトして共有してわいわいやる、ということをやっていたわけです。

今では、当然ツール化されていて、スマホからリアルタイムで自分のところの業績がどうなってるのか品質管理ができるというのが、普通の行動様式になっています。

もう1つはPDCAです。「すごいPDCAと、PDCAの違いってなんなんだ?」と聞かれます。実は、編集者の人と話していた時に「本当はPDCAじゃないんだよ」と言いました。そうしたら「え、そうなんですか!? 本を書いてるのに『PDCAじゃないんだ』なんて言い出さないでください!」というやり取りがありました。

実は、一番最初にあるのはの「D」なんです。小さいPがたくさんあって、Doがたくさんあるんですね。Doがたくさんあって、それを同時にやっているなかで一番いいものが生き残る、と。

これは、先ほどのソフトバンクに入社する際の話で、「多様性だと思います」と言ったことと同じですね。実際に環境のなかで生き残るやつがいいんだ、ということだと思います。そういう意味で、Doをたくさんやる。

そのうえで、いいものをフィードバックしながらP、C、AとまわしながらPを確定させていく、というやり方なんです。だから、(編集者に)「DPCAにしたいんだ」と言ったら「それは検索には引っかからないからだめです」と言われて。さすがマーケティングはわかってるなと思ったんですけど。その通りかな、と思います。

今日は、そういう話をしていきたいと思います。こういう話をすると、だいたい「ソフトバンクだからでしょ? 孫社長が天才だからそういう真似ができるんですよ。普通の人、普通の会社ではそういう真似はできないでしょ?」っていう人が、非常に多くいます。

ですので「そんなことないですよ」って言うために、私が今まで書いた本やセミナーもそうなんですが、ぜったいに誰もが真似できる手法にしようと思っています。そういう意味では、孫社長本のなかにはいろんな、孫社長の天才性とか、もともとの人格であったりとか。生まれに依存している説明があったりするところがあると思うんですけど。

結局本人にはなれないので、真似できません。ですので、できるだけ作法やツールのやり方など、フォーマットに落としてできるように書かせてもらっています。

毎日目標を定めて勝負をつける

これは非常にわかりやすい例で。私のゼミの教授が退官したあと、いくつかの大学のゼミをやっていまして。そこで後輩のゼミ生と、私も仲間だということで、いつもいっしょにご飯食べたり、いろいろな社会人として話をしていたりします。そのなかの1人が就職して僕のところにやって来たんですね。

彼は、法人系の通信機器を売る会社に入りました。ところが、なかなか成績があがらない、と。最初の6ヶ月間ぐらいは試用期間があるんだけど「毎月3件は法人契約を取らないとクビになっちゃう」と、暗い顔をしてやって来たんです。学生のころはけっこう元気ないいやつだったのに暗い顔して来て。

かわいそうだから、じゃあ一緒に考えよう、ということで考えはじめました。これは非常に簡単で、まず「お前どうやってんの?」と。「契約ってどういうフローになってるの?」と聞くと、普通ですよね。リストは会社がくれるらしいんです。

でも、どういうリストがいいかわからないけど自由に見ていいよ、と。過去のログも適当に書いてあるけど、それがどんな意味かわからないし、ぜんぶ書いてあるわけでもないけど、ちょっと過去のログが書いてあるだけなんです。

「これを見て電話するんです」って言って。「そうか、それは大変やね。どうやってんの?」「むやみやたらにかけてます」みたいな。「もう朝から晩までかけるんです」と言っていて、それじゃあかんだろう、と。結局、そのあとトークしてアポ取りして会社訪問して、見積もりして契約なんですけど。

最初のリストが100だとすると、そこからアポが8件も取れれば比較的いいほうなんじゃないか、と思うぐらいです。結局、会社訪問6、見積もり3、契約1とかですね。こんな感じでどんどん減っていって、月に1件しか取れないんです、という話をしていました。

プロセスはわかった、と。では、ボトルネックは何なのかというと、基本的にはちゃんとしたアポ取りがなかなか取れていないのが問題なんだろうと考えました。まずはそこをなんとかしましょう、ということで。

彼は今まで、とにかく電話することだけに集中してたので「毎日がんばったか、がんばってなかったか、自分でわからないだろう?」と。それでめっちゃ疲れて暗い顔していたんですよね。

だいたい、営業をやっていて1ヶ月の売上の目標について本当に焦りだすのって、16日ぐらいだと思うんです。15日までは焦らないんだけど、16日ぐらいになるとやっぱり焦ってきて。今月もやばいな、どうしようかな。と考え出すわけです。

でも今さら打つ手もなくて、どうしようかな、どうしようかなと思いながら月末になって「やはりショートだ」となってしまう。

これが多くのパターンだと思うんですけど。そういう意味では、毎日自分がどれだけやらなきゃいけないのか、まずゴール設定をして。1日ごとに勝った、負けたを毎日管理するということがすごく大事なんですね。

そうじゃないと、今日のがんばりがよかったのか、今日やったことが正しい、ちゃんと前進する内容だったのかわからないので。彼には「とにかく毎日、3人と5分話せ」という目標を設定しました。

ともすると、「トークスキルを磨け」という目標を与えがちだったりします。ですが彼の場合はいくら言ってもそれで気が付いて何かやるタイプではないわけです。なので、「とにかく5分話すんだ」と。世間話でもいいし、自分の商材のことでもいいし。なんでもいいからとにかく5分話せ、という目標を課して、達成したかどうか毎日マル、バツつける。

今日は話せた、今日は話せなかった。とりあえず目標を毎日達成するように集中する。毎日勝ち負けをつける。あとは、リストをなんとなくかけるのではなく、どういうターゲットがいいのかというところ。IT系だけかける、とかですね。あとはかける時間も「朝イチはだめだ」「これはどこがいいんだ?」という話になるんです。

架電時間を考えて具体的に、1日3人と5分話すという目標を達成できることだけを、とりあえず集中するんだ、ということで話をしたわけです。

その結果、半年後には15人のチームで2位になったらしいんです。見違えるようになっていました。最初のころはしょぼくれて自信もなくて、すこし挙動不審でした。ところが半年後には15人のチームで2位になって、「今から俺は1位を目指してがんばります」なんて言っていました。

見違えるようになってよかった、ちょっといい思いしたな、と思いました。やはり、こういうマーケティングみたいなことって、営業も含めてなんですが、数字に追われているとあまり楽しくない。やはりただただ苦しい、ということはあります。

うまくいってるのか、うまくいってないのかわからない。そうするとがんばれないんですよ。モチベーション持って今日も1日がんばろうと思っても、「今日もまた電話か」と思ってしまう。そこを毎日勝ち負けで、毎日ちょっとずつ改善して毎日よくなっていることを知るのが、結果として半年後に大きく花開いたんじゃないかな、と思っています。

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