自分を何者だと認識している?

西澤ロイ氏(以下、ロイ):リンポチェ様、お越しくださりどうもありがとうございます。

ザ・チョジェ・リンポチェ師(以下、リンポチェ師):こちらこそありがとうございます。

ロイ:あなたはダライラマ法王からザ・チョジェ・リンポチェの生まれ変わりだと認定されていますよね。

リンポチェ師:はい、されています。

ロイ:でも、前世の記憶はないとうかがっています。ご自分は何者だとお考えですか?

リンポチェ師:ふーむ。自分は何者かというのはとても大きな質問ですね。みんな自分が何者なのか知りたいでしょう。私の場合は、16歳になるまで普通の男の子として生活していました。しかし16歳の時に突然、高僧の生まれ変わりとして認定されたのです。チベット社会において、アイデンティティを揺るがすような出来事です。

例えば、16歳まではみんなが仲良くしてくれました。本当に普通で、当時は別の名前がありました。「チュンジョル」と言います。みんなが普通に「チュンジョル」と呼んでくれました。しかし、16歳の時にダライラマ法王から手紙が来て、私が生まれ変わりだと言うのです。

それで突然、社会の目が変わりました。例えば、私の両親や祖父母、兄弟、そして近所の人たち、みんなが私に対する見方を変えたのです。それまでは普通の少年だったのが突然、ある瞬間から、チベット社会のみんなにとって、神聖な少年ということに変わってしまったのです。

個人的には、その変化はとても興味深かったです。私自身はそんなふうに、急には変われないからです。でも、人々はそういう目で私を見ます。少し時間がかかりましたが、それを受け入れられて、気分が楽になりました。

以前の「普通の少年」はどこへ?

リンポチェ師:時々そのことを考えるとおもしろいのですが、ある時、友人に質問されたのです。「以前は普通の少年だったのに、16歳で僧侶という神聖な人間になったけど、以前からスピリチュアルだったのか」と。私は答えました。「違う。宗教的でもないし、スピリチュアルなことはあまり信じなかった」と。

そうしたら彼女はこう言うのです。「その少年はどこに行ったと思う?」と。あの普通の少年は今……? その質問には悩みました。そして私はこう答えました。「その少年はもういない。」と。

ロイ:もういないんですか?

リンポチェ師:そうです。彼は亡くなりました。「どうして」と聞かれたので、「それ以来、彼を見た人はいないから」だと答えました。なぜなら、私はここにいますが、彼らの目にはすっかり変わり、別人になってしまったからです。

そして、私が何者かという質問への答えですが、基本的には、私は私です。私だと自分で思っているのが私です。

自分は「神聖な人間」などではなく…

リンポチェ師:自分がスピリチュアルな人間だとか、神聖な人間だなどとは思いません。ただの人間です。名前はリンポチェです。人はそうやって呼びますし、そうやって考えています。だから「ザ・チョジェ・リンポチェ」が私の名前です。

でも、「あなたはザ・チョジェ・リンポチェですか?」という質問にはちょっと違いがあります。「誰なのか」と「名前は何か」は同じではあり得ません。時々その質問を子供にします。アメリカである時、小さな男の子がいましたので、「お名前は何?」と尋ねました。「名前はジョンです」が答えです。

なので「あなたはジョンですか?」と聞いたら「もちろんジョンです」と答えるのです。次にこう尋ねました。「ジョンだということがどうしてわかるの?」と。答えは「パパとママが、僕がジョンだと知っているから」。

これはちょっとおもしろいですよね。我々は自分を名前で表わすことが多いですが、名前は名前に過ぎず、何者なのかは示してくれません。ですから、一番いい答えは、私の名前はザ・チョジェ・リンポチェです、でしょうか。

ロイ:あなたは人間だと。

リンポチェ師:あなたはザ・チョジェ・リンポチェですかと聞かれたら、「うーん、それは私の名前ですね」と言うでしょう。

ロイ:素晴らしいご回答ですね。

誰かができたことは、自分にもできるはず

ロイ:人生において、最初から「これはムリだな」と思ったことはありますか?

リンポチェ師:ムリだと思ったことですか。あるとは思いますが、特定のことはとくに思い当たりません。もちろん、私ができないことはたくさんあります。でも、私のところに来るものは……私のエゴがちょっと強いからかもしれませんが、練習したらできるようになるといつも思うんです。

誰かができているということに勇気をもらえるんです。私にできないはずがあるだろうか、と。私にもできるはずだと。スピリチュアル的な話をするなら、悟りもそうです。お釈迦さまが悟りを開くことができたのであれば、私にも悟りが開けるはずだと。

この考え方を私はいつも「幸せ」に対しても当てはめます。幸せになれないはずがありません。ですから基本的に、私にできないことはとくにないと思っています。

人はなぜ本当はやりたいことを諦めるのか?

ロイ:人々が本当は達成したいことを諦めてしまったり、避けてしまったりするのはどうしてだと思われますか?

リンポチェ師:世の中にはたくさんのことがありますが、例えば私はいつも幸せに関するこの例を持ち出します。誰もが幸せになりたいのです。みんな幸せになりたかったでしょうし。でも、諦めてしまうことが何度もあります。「私は幸せにはなれない」とか「大変過ぎてできない」と。

そして、ちょっと気分が落ち込んだり、不幸な気持ちになります。「この幸せというものは、私には縁がないんだ」とか「私は幸せになれないんだ」などと考えます。でも、時には単に怠けているだけかもしれません。またある時は、自尊心が低いだけなのかもしれません。自分はまだまだなんだと考えているのです。

幼少時の育てられ方に大きな原因がありますが、大人は時々、子供のことをけなします。「お前はダメな子だ」とか「何もできないヤツだ」などと言うのです。そういった言葉は脳に刷り込まれます。その人はこんな風に育つのです。「分かったよ。先生はお前にはできないと言われるし、親にも言われる。僕は良くない人間なんだ。僕は足りない人間なんだ」と。

だから「自分にはできない」と思って、自信が持てないのです。それが諦めてしまう一因です。また、人々は楽な道を欲することが多くあります。目を閉じて、顔を空に向けて手を差し出し、「お願い!」と言うと金の延べ棒が手に入るような……。

空を見上げればいいというのは、非常に簡単な方法です。人はそういう幻想を抱きやすいのです。そういう考え方も、諦めを生むのです。多くの人がただ空を見上げ、ひげを生やした老人が現れて、欲しいものを与えてくれると考えていたりします。

でも、そういうことは起こりません。そして、諦めてしまうのです。たくさんの理由があるでしょうが、一番大きなものは、自己評価の低さと楽をしたい気持ちです。それが本当はやりたいことを諦めてしまう原因なのです。

自己評価を高める第一歩目とは?

ロイ:では、自己評価が低い人はどうしたら良いのでしょうか?

リンポチェ師:それが重要な問題であり、ほとんどの人がそれを課題としています。お釈迦さまは自己評価を高めることに関して「仏性」という言葉を使い、誰もが素晴らしい本性を持っていると言いました。素晴らしいマインドを私たちは誰もが持っています。このマインド、本性は非常に強力なものです。

この本性の中においては、誰もが可能性を秘めています。悟りを開ける潜在的な力を持っているのです。幸せになれる潜在的な力とも言えます。それが私たちの中に等しくあるのです。人類はすべて、その本性を等しく持っているのです。だから、他人が「お前はダメな人間だ」と言ったとしても、他人が何を考えようが言おうがまったく関係ないということを、まずはきちんと認める必要があります。

自分が自分をどう思うのか? それを問うことが大切です。自分の素晴らしさを認めることが重要なのです。科学的にも、私たちの脳は素晴らしい能力や可能性を秘めていることが証明されています。自分にそれだけの能力や可能性があることを受け入れるのは、自分自身の選択なのです。

だから、認めて、受け入れることが最初のステップです。能力や可能性を持っていることを。他人が何を言おうが、他人がどんなレッテルをあなたに貼ろうが関係ありません。自分自身の足でしっかりと立ち、自分を受け入れるべきなのです。

仏教的にはそれを仏性と呼びますが、一般的に言うと、誰もが幸せになれるということなのです。それが実は一番大切なことなのです。だから、自分は幸せになれると考えてみてください。幸せになれないはずがないと。そう考えることで、より幸せになる方向にあなたは向かっていくのです。