アリアンナ・ハフィントン氏「新聞が"紙"である必要はどこにある?」

ひろゆき:ということで、ジャーナリズムをどう再生するのか。

河内:ニューヨーク市立大学のウォルターマン先生という人が言っているんですけど、「われわれが考えなければいけないのは、ニュースを救うことであって、ニュースペーパーを救うことじゃないんだ。あるいは、紙を救うことじゃなくて、ニュースコンテンツをきちんと消費者に送り届けるシステムをどう維持するか」。

さっき出たアリアンナ・ハフィントンさんが、面白いことを言っておられるのですが、アメリカの議会で、新聞が大変だから公的資金を入れて援助しようと、法律が作られたんですね。

それに対して広聴人で呼ばれた彼女は、「ヘンリー・フォードがT型フォードをマスプロダクションしているとき、馬車がなくなってきたから、馬車を活性化しようか、という議論はしないでしょう? この議会で論じているのはそういうこと。

私たちはニュースコンテンツが必要で、多様なニュースが民主主義のために絶対必要だ、ということはわかるけれど、それが、紙という媒体を通さなきゃならないのか、とあなたたちは思うんですか?

媒体はインターネットも電波もありますよね。あなたたちは土管の議論をしていて、中を通す水が、毒なのか、役に立つのか、美味しいのか、不味いのか、という議論をしていないから、この議論は意味がない」と言った。

おじいちゃんの議員が鼻白む場面もあったんだけど、ジャーナリズム問題ってそういうところがある。

結局、ウィキリークスとか、一色さんが流した尖閣ビデオがニュースだったかというのは抜きにして、もう一般の人たちは、国境を越えて、時間を超えて、空間を超えて、ネットでつながっているわけ。

ですから、直接、素材に触れるようになっている時代にジャーナリストの仕事って何か、というと、本当なのか嘘なのか、このニュースの生まれた背景はどういうことがあるのか。

例えば一部で言われていて、誰かが調査報道したらいいと思っているのだけど、「ウィキリークスはCIAと関係があるのか」と言ってる人もいる。そういうのを調査するのはプロがやった方がいいと思うんですよ。

プロに任した方がいいと思うんだけど、じゃあプロの仕事って、プロを雇ってプロの仕事をしてもうらうためには、一定のお金がかかるし、発表の場があると。それをどう確保するかという問題が最大で。

この本のスタートも、たまたま去年の2月に、コロンビア大学のSIPA(シーパ)と呼ばれる大学院へ何回か行ったんですけれど、そこにTBSの金平さんがいて、インターネットで電子図書も出てくるし、既存のメディアはオルタナティブが増えてきている。それで経営が苦しくなる。

苦しくなるまではいいけれど、既存のメディアが担ってきたといわれているジャーナリズムを代ってやってくれるならいいけれど、代わるものがないまま、新聞とテレビが経営的に破たんしてニュース報道、ニュース素材にあたる人や金も裂くことができなくなっちゃう。これちょっとヤバいよね、という話をしたところからなんです。

ウェブメディアでは飯を食えない?

ひろゆき:全国紙は朝日と読売があるんだから、毎日が潰れて無くなっちゃっても、分けられるじゃないですか。そしたら朝日と読売は幸せ、というふうにはならないのですか?

河内:そこで彼らは、毎日の腐肉を食ってカニバリズムで生き延びるというよりも、明日はわが身と思うんじゃないかな。新聞全体の無力化とか、新聞に対する信用とか、疑問を持つとか、読者が減っているのは毎日だけの問題じゃない。取りあえず何年かは、産経や毎日を食いちぎることで生き残るのかもしれないけど、その先は見えないから。

朝日の場合、かなり本気になって。テレ朝と資本関係はあるんだけど、テレビと新聞の融合というか相互乗り入れというか、CATVとか、通信キャリアとも組んで、何か新しい生き方を考えつつあるようには思います。

ただ、過去の印刷、新聞紙モデルとかがあまりにも成功したビジネスモデルだったために、なかなか「あらよっと」と簡単にはいかないんじゃないかな。

ひろゆき:逆にその身軽なところが、ネットメインにいきますってことで、MSNと産経が組んでみたりとか、ちょこちょこやってるじゃないですか。ああいう新しい方向はそんなに上手くいってないんですか?

河内:基本的に腹を決めなきゃならないのは、去年Googleのある人が、Googleの新聞救済法という論文を発表したのですけど。簡単にいうと、アメリカの新聞の電子媒体、電子版を研究して、これじゃダメだと。やっぱり紙(の新聞)を作っているように、電子新聞を作っているんです。

彼らの調査でいうと、アメリカの新聞の読者は、大体1日25分くらい新聞を読んでいる。ところが電子新聞にアクセスする人は1アクセスあたり十何秒しか見ない。株価をチェックするくらい。まあ何回もしているんだけど。

じゃあ、電子版にもう少しいてもらったり、アクセス数を上げる方法がないだろうか、と徹底的に頻度分析してみると、残念ながら、政治だとか、イラクの戦争についてはほとんど興味を示していない。

紙の新聞も電子版も何が一番見られて、誰が一番長く見ているかというと、生活のコンフォータブルな問題ね。トラベルとか、映画評とか、今週どれ観ようか……。

ひろゆき:文化芸能面ですか?

河内:生活ね。彼らに言わせると、今、君らはiPadを持ったじゃないか、Kindleを持ったじゃないかと。

オフィスで株価チェックする見方じゃなくって、ベッドで明日どうしようかな、どこへ行こうかな、ってテレビを見ながら読むことができるようになった。情報提供側はライフスタイルとかアクセス数でわかるわけだから、それに合わせた情報を送ればいい。

電子版の売上って、朝日、毎日、読売もそうだけど、全体の10%もとてもいってませんよね。ニューヨーク・タイムズが16%くらいなんですけども、それを上がれば、紙に印刷するのも止めるんだから、採算分岐点がものすごく下がっちゃうわけで。

さっき言った、(生産・流通・販売費用が、売上高の)65%(にも上っている)なんだから、(そこを下げれば)採算取れるんじゃないか、そういうふうにやり直したらいんじゃないか、というのがGoogleの提案なんだけど、アメリカの新聞協会でそれを検討した人は、とても電子版ではメシを食えない、と。

アメリカでも言ってるくらいだから、日本の新聞社はますますそう思っているでしょう。

ひろゆき:さっきのは新聞というより、雑誌ですよね? 娯楽として面白いところを読むっていうのは。

河内:オープン・コンバージェンスとか言っているんだけど、雑誌だろうか、新聞だろうが、書籍だろうが、テレビだろうが、コンテンツはなんだっていいんですよね。それをiPadで見るか、iPhoneで見るか、Kindleで見るか、パソコンで見るか、という問題で。

話は違うけど、こないだマードックが出した『The Daily』ってインターネット新聞があって、これ年間、40ドルだよ。安いでしょ。

ひろゆき:インターネット新聞なんですか?

河内:インターネット新聞。デイリーかな。スポーツ・イラストレイテッドもそうなんだけど、全ての記事がビデオにつながっている。リビア記事はリビアのフォックス・ニュースにつながっていくし。だからテレビを見る(感覚な)わけですね。

リンクってそういうことでしょう。関心のある情報につながっているから、これからの媒体は新聞なのかテレビなのか、雑誌なのか映画なのか全然わからない。全部ある。

第五権力の未来は、決してバラ色ではない

ひろゆき:娯楽だけじゃなくて、「世の中にこんなことがある。大人はちゃんと知っていなけりゃならないんだ」という正義感みたいなものがあるじゃないですか、新聞の人たちって。

河内:(今は)ネットでアクセスできるでしょ。第四権力の時代と第五権力の時代の違いは、もう読者は、雛スズメのようにピーピー「餌を与えてくれ」とは騒いでいないの。それにフィードしてやる。

かつては新聞が、権威ある、信頼ある、素晴らしく優秀な人材が、東大出た人間が、「間違いないんだ、だからこれ(情報)を食え」って言ってたわけでしょ? 嫌だというのに。「いつまでも あると思うな朝日と権威」みたいなものがあるじゃない。そこは頭切り替えないとさ。

ひろゆき:それだと、沢尻エリカとか歌舞伎とか相撲とか、そういう話ばっかりになりません? 日本中のメディアが。

河内:いや、ならないと思いますよ。だってぼくの履修生で、テレビで何が嫌かというと、「世の中これだけ大変な時代なのに、どこをつけても海老蔵だから嫌だ」と。まあ成績欲しくて書いているのかもしれないけれど、かなり本気ですよ。

The Dailyであれ、毎日であれ、ニコニコ動画であれ、毎日新聞であれ、そのサイトへ行けば全部あるんだから。沢尻コーナ行けば沢尻エリカばかりでしょ。Yahoo! だって政治もあればトピックスもあれば、国際ニュースもあるじゃないですか。

選ぶのは視聴者です。それで文化が低下するのかしないのか、それはでも、メディアがそこまでは決められないよね。

ひろゆき:元新聞社の人なのに、新聞社とは距離を置いたご意見が多いですね。

河内:そうかしらね。変化した先に何があるかが面白いじゃないですか。例えば、エリック・シュミットでいえば、「第五権力ができるけど、これは人類にとって決して理想でもバラ色でもない。

例えばノウハウを持っている強権国家、例えば中国はインターネットを逆に使って、民主化を遅らすことができる。インターネットはそういう力を持っていて、われわれはそれを知ったうえで、やってかなきゃいけない」ってことを言ってますしね。

グーテンベルグが印刷技術を発明した以来、初めてといっていい変化が起きている。それは量じゃなく質で起きている。エジプトで起きたり、リビアで起きたり、日本や中国で起きたりしている。

そういう中で、新聞社といわれていたマスメディア、テレビ局といわれていたマスメディアはどういう立ち位置で行くのか。「おまえ要らないよ」と言われつつあるから、「いや、ここは要るでしょ」というとこを誰よりも先に出さないと、単なるお金の経営じゃなくて、存在理由がなくなっちゃうでしょ。

そういう問題意識って、新聞社へ勤めている僕の友達の人にもありますよ。

しつこい新聞の勧誘が、もっとも嫌がるケースとは

ひろゆき:きれいな話になったところで、Q&A行ってみましょうか。

スタッフ:興味深い話ありがとうございます。たくさん質問が来ているので早速読み上げさせてもらいます。ひとつめ、同じようなご意見が来ています。

「こんばんわ。本題と脱線してしまいますが、新聞配達の勧誘がしつこいのですが、これって新聞社のノルマ、圧力が多いのですか?」

もうひとつ、これは男性の方からです。

「新聞の強引な勧誘はいろいろ問題になっているのに、大手新聞各社はこの問題をスルーしてるのでしょうか? 私の祖母は老人の一人暮らしなのをいいことに、3紙もとらされていました。この事ひとつを取っても、新聞社がとても誠実だとは思えません。あいつらはとても悪質です。チンピラと変わりません」

だそうです。

ひろゆき:だそうですけど?

河内:困ったな。きれいごとをいうと、過当競争なんですよね。1億2千万人に対して5千万部売っていると。片やアメリカは3億人で5千万部だと。

「泉に馬を連れてけども水を飲ませられない」という言葉がありますけれど、日本の新聞販売って極端にいうと、泉に連れて行ってエンジン付きのポンプで無理やり飲ませている、という状態なんです。それが、現場でこういうことになる。

例えば荻窪というところだと、朝、毎、読、産経、日経って販売店ってあるわけですよね。それぞれが経営して、従業員抱えて生きてかなきゃならない。そのために本社から補助金をもらっている。そこから本社からノルマが来る。

ノルマをどう消化するかというと、かなりの比率で怖いお兄さんが来たり、鉄板の入った靴をドアに挟み込んで「出ていかないぞ」と。

東京に出てきている女子大生のほとんどが新聞を取らない最大の理由は、身の危険を感じるからですよね。一切出ない。最近はインターフォン(オートロック)で、マンションの入り口で撃退できるようになったので、販売側は困ったと言ってますけど、そういう現実があることはよくわかってるし。まわりまわって新聞社の信用や、権威を落としたの。

遅ればせながら「正常化、正常化」って言っているけれど、各社がやっていると、正常化できるのにも限界があると、私としては思ってます。

ひろゆき:どっかの新聞会社が、「押し売りしないで、ウチは礼儀正しくします」とやったら、売上はどんどん下がっていくわけじゃないですか。誰もわざわざ自分から新聞を買いに行くということはないわけで、最終的に押し売りしているところの売上が上がる、という構造になっちゃうんじゃないですか?

河内:そういう(新聞社にとって)幸せな時代は、1990年代、バブル崩壊まであったんですよね。人のも取っちゃうとか。今は「取る」というトータルが減っている。

大宮某市で何店も経営してる有力販売店であった話なんですけど、6月の末から8月は夏休みだから要らないと、100戸くらい入っているマンションの3割くらいストップが入った。

秋になると、その3割のうち20%くらいが、もう要らないと言ってくる。なんとかして欲しいと言うんだけど、オートロックで入れないから、結局新聞が減っていく。

大きなパイがものすごい勢いで減っているということですよね。取り合いができたり、他人からかっぱらえたり、ビール券やなんかが経営が苦しくなって使えなくなった、という情勢から、現場の人に相当な矛盾が押し付けられている。そういう実態なんだろうと思います。

ひろゆき:付加価値の付いていた新聞を取るという時代から、そもそも新聞要らないという時代になったと。

河内:そうだと思いますね。こういう仕事をしているから日経の電子版を取っていますけど、やっぱり、紙は紙で4,000円払って、さらに電子版でプラス1,000円払うのは、きついですよね。