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SEKAI NO OWARIのプロデューサーと進撃の巨人の編集のプロデュース講座!(全6記事)

『進撃の巨人』作者は「人間的にどんどん成長している」 仕掛け人らが語る、クリエイターの過去と今

多種多様なクリエイターが登壇し、メソッドや哲学を学ぶ学校「QREATOR SCHOOL」で、SEKAI NO OWARIのプロデューサーである宍戸亮太氏と、漫画『進撃の巨人』の担当編集である川窪慎太郎氏によるプロデュース講座が行われました。作品やサービスを多くの人に届けるにはどうすればいいのか? また、ヒットの種をどうやって見つけたのか? 大ヒット作を手がける2人がアーティストや作家との運命的な出会いから現在に至るまでを赤裸々に語りました。

クリエーターの変化と成長

佐藤詳悟氏(以下、佐藤):「作品と人」というか……作品だけ良くて、人が微妙ということはあり得ますかね? お2人の話を聞いていると、ここには書いてはありませんが。結局、面白いモノを作る人は違ったりするのかな? という。

宍戸亮太氏(以下、宍戸):どこかいい意味で壊れている部分はあるんじゃないかな。

普通の人は、普通の人でしかないから「普通のモノ」しかきっと作れない。でもやっぱり「世の中に出ていくモノ」を作る人というのは、どこか普通ではない部分を持っている。クリエーターによって普通じゃない部分は違うと思いますが、必要な部分なのかなと思います。

佐藤:お2人とも、最初に会ったときから、今対峙しているクリエーターの方は人も違ったし、作品も来るものがあったと。さらに進んでいく中で「変わった」ような瞬間はあるのですか? クリエーターの方がなにか一気に。

宍戸:僕はありません。未だに会った頃の感じとずっと一緒です。4人仲良しで、ピュアであるという部分は変わらない。変わらないのも、あの子らの武器だと思います。

佐藤:諫山先生は?

川窪慎太郎氏(以下、川窪):諫山さんも、ぜんぜん変わらないですね。今、講談社の中では最も売れている作家さんなので、そういった意味では僕らは頭が上がらないというか、なんでも言うことを聞いちゃう作家ではあるのですが。

わがままを言ってきたことはないし、締切が守れなかったこともありません。夜中に打ち合わせをすると「遅くまですみませんでした、ありがとうございました」と言って帰っていきますし。根っこのところは、まったく変わらないですね。むしろ人間としてはどんどん成長していくというか……。

唯一、デビューして間もない頃にインタビューをよく受けましたが、その頃は本当に人との会話がうまく成立しませんでした。

インタビュアーが質問をすると答え始めるのですが、ぜんぜん違うことを言って途中で「ごめんなさい。質問なんでしたっけ?」となることが多々あり。僕が通訳してあげないとインタビュアーさんが困っちゃうような感じでした。でもそういうことはなくなり、社会にどんどん適応していっている感じはします。

(会場笑)

佐藤:今はもう大丈夫なんですね? そういったものは。

川窪:今はむしろ……ついこの間も地元のテレビ大分からコメントを求められて、僕が経由して向こうに渡したのですが。こんなに自分の言いたいことと相手が求めていることを、両方うまく言えるなんてすごいなぁと感心するぐらい。

佐藤:だいぶ成長した(笑)。

宍戸:成長したなと。

川窪:本当に、すごく思いました。

当初からプロデューサーを志していた?

佐藤:お2人のことにも迫っていきたいのですが。そもそもプロデューサーというか、お2人……宍戸くんはマネージャーというかプロデューサーになるのでしょうか? 川窪くんは、編集という感じですが。これというのは、そもそも目指していたところなのですか? 仕事として。

宍戸:その……。

佐藤:職種というか、役割として。

宍戸:職種ね。僕、マネージャーの仕事の一部としてプロデューサー的な側面はあると思います。マネージャー型プロデューサーと言うのかもしれませんが。

そもそもは、人と音楽をつなぐ仕事をしたいと思って始めました。

最初はA&Rという、音楽を宣伝回りで届けるところがやりたくて入ったのだけど、やっていくとチームの一番根っこの部分には、作るアーティストとその横にはマネージャーがいるのです。マネージャーがすべてのことに対して責任を負って話をしなければならない。

結果、全部を理解しなければいけないし、やらなければいけません。全部のことの責任を……良くない点で言うと負わなければいけませんが、いい意味で言うと、負った上で一番根っこのところで物事を一緒に作っていける。そういった点では求めていた形にはなっていますね。

佐藤:小さい頃から、そういった気質だったのですか?

宍戸:あ、ないない。ぜんぜんない(笑)。

佐藤:社会人になってから?

宍戸:社会人になってからというか……。

佐藤:音楽業界を目指してから?

宍戸:ラストラムという前の会社に入ったところからです。「人と音楽をつなぐ仕事をしたい」と思ってからですね。それまでは、原チャリで旅をしたり、フワフワしていたりしたから。親は心配したと思います(笑)。

仕事を続けた結果、プロデューサーになった

佐藤:(笑)。川窪くんは?

川窪:僕は……。

佐藤:出版社に入ったときは、編集希望だったのですか?

川窪:そうですね。みなさんの前に出てしゃべる人間でもありませんが。僕は就職活動のときに大事にしたことがありました。そんなに人より秀でたところがあるわけでもないし、自分でなにかを生み出せるわけでもないので、サラリーマンしかないかなぁとまずは思っていたのです。

でも、嫌なことの方がいっぱいあって。例えば、満員電車に乗りたくない。中高は満員電車で1時間以上通学していたので、それはもう嫌だなぁと。夏にスーツを着るのは大変そうだなぁなど。そうした消去法で考えたときに、マスコミなら出社が遅いし、講談社の場合はスーツを着なくてもよさそうだし、と思いまして。

佐藤:(笑)。

川窪:かつ、小説や漫画が好きだったので。そう考えると出版社がいいなと思って会社に入ったというのがまず最初にあり。営業にいってしまうと、スーツを着なければいけなくなるので、編集者がいいなと思っていました。すみません(笑)。

佐藤:(笑)。今の感じだと、面接などではなにを伝えるのですか?

川窪:面接は……。

佐藤:面接で今の感じは出せませんよね?

川窪:面接も私服で行って、スーツを着たくないんだということはアピールしました。

(会場笑)

川窪:志望動機、好きなモノ、どういう作品をつくってみたいか、出版業界の未来をどう思うかといった。通り一遍のことは当然あります。

佐藤:今の仕事がプロデューサーにさせていったということなのですかね?

川窪:そうですね。今でも、その根っこのようなモノはあまり変わっていなくて。仕事をなるべく目的にしないようにということは、日々心がけています。

仕事が目的になっちゃうと、うまくいかなくなったときに辛いじゃないですか。だから、仕事はなるべく手段になるよう心がけていて。仕事でお金を稼いでご飯を食べるということもそうだし、なるべく頑張って、女の子にモテるぞなど。モテませんが(笑)。

佐藤:(笑)。

川窪:まぁ、失敗しているのですが(笑)。……仕事をがんばることで他のモノを得ようといったことは心がけていて。就職活動のときの「スーツを着たくない」「毎日電車に乗りたくない」など、それを目的、手段として仕事を選んでいたのかなというのは、今でも変わらずあります。プロデューサーのようなことでいうと、結果論ですね。

プロデューサーとして教わった「自分でブレーキを踏むな」

佐藤:就職したり、編集部に入ったり、宍戸くんでは会社に入ったりだと思いますが。プロデューサーとして、クリエーターと向き合う職種としての師匠のような人はいたのですか?

宍戸:僕は、わけのわからない僕を履歴書でとってくれた村田(積治)さんという人が師匠ですね。

佐藤:具体的に、どういったことで?

宍戸:具体的には、音楽業界をまったくわからずゼロから入って。「新人を見つけたいのなら行ってこい」と行かせてもらって。新人がいたら、「お前が好きならやれ」と言ってくれました。

他にも一例で言うと、インディーズのデビューが決まり、状況がどんどん良くなっていく中でのことです。インディーズのアーティストはなかなかテレビに出ることはできないのですが、みんなに彼らのことを知ってもらいたいので出したいなと思っていた頃のこと。

あるとき『日経エンターテイメント』でNHKの偉い人が出ていて、部署名が書いてあった。村田さんに「これに部署名が載っているんだから、電話してみろよ。繋がるはずだろ」と言われて電話したら、本当に出て。そして、音源を送って紹介しました。

その後にもう1回、翌週電話をするとまた出て聴いてくれて「すごくいいからうちの番組に出てください」となって出たのが、初めてのテレビ出演です。

佐藤:へー。

宍戸:こういうことから“あまり自分でブレーキを踏むな”というのが、1つの教えとして身につきましたね。

これは一例ですが、いろんなことを教わりました。僕の目標は、村田さんを引退させることです。後輩が育って「コイツらがいれば大丈夫」というように思わせられたら、村田さんは業界を退くだろうし。それをまだできていないので、僕自身、もっともっとやらなければいけないなと思います。

コルク・佐渡島氏から学んだこと

佐藤:川窪さんは、師匠というか……。

川窪:師匠……。

佐藤:ようは、この業界は、あまり教えてくれない業界のような気がしていて(笑)。

宍戸:「自分で学べ」といったところは、あるかもね。

佐藤:僕も吉本のときは、誰に教わったというよりは、むしろ芸人さんに教わったことです。編集部もそういう……なにかがあるのかなと。

川窪:一応、会社としては、1年間指導社員という者がいて。その人が今、たまたまうちの編集長をやっているのですが(2017年8月4日現在)。その人に付いて仕事を学んだというものはありますが。

プロデューサー論、編集者論のようなことを学んだという意味では……もしかすると、佐藤くんや宍戸くんは知っていると思いますが、佐渡島(庸平)さんという。

佐藤:あぁ。

川窪:もともと講談社の社員で漫画編集者でしたが、今はコルクというエージェント会社を立ち上げた方がいらっしゃって。この佐渡島さんが会社を辞めるときに、初めて僕は話すようになったのです。

漫画はかなり立ち遅れた世界というか……出版社自体がかなり遅れていて、マーケティングの概念なども未だにほとんどなく「宣伝する」といったこともぜんぜんありません。

10年前、15年前というのは、面白い順に漫画が売れていくというか……書店に置いておけば、自動的に面白い順に売れていくでしょ? といった感じだったのです。

でも「それじゃあダメだよね」ということを、社内で唱え始めたのが佐渡島さんでした。『モーニング』という雑誌で『宇宙兄弟』、安野モヨコさん、あとはドラマにもなった『ドラゴン桜』という漫画を担当していた方でした。

漫画はただ置いておくだけではなくて、きちんと「届ける」というか、「売る」「宣伝する」ということをもっとやっていかなければいけないということを……それはみなさんが聞くと、当たり前のことだと思われるでしょうが。そうしたことを、出版界でいち早くやり始めた方から、意識のようなものは学んだかなという気はしています。

プロデューサーとしてのメンターは誰か

佐藤:結局、自分で向き合って覚えていくというか、学んでいくことの方が多いですよね。

川窪:そうですね。結局、作品と向き合って、その作品をいかに1人でも多くの人に届けるかといったときに、初めてお客さんという消費者を意識するものですし。自分で作品と深くコミットしていくしかないかなというのは感じますね。

佐藤:例えば、デザイナーさんになる方法などは、けっこう世の中に本などが出ているのですよ。

川窪:うんうんうん。

佐藤:でも、あまりプロデューサー側の話がまとまっていることはないので、このたびはそうした回として、きちんとネットにも記事などを残しておきたいなと思っています。

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