店員の「失礼しました」の返答は過剰?

飯間浩明氏(以下、飯間):つい最近の経験ですけれども、Twitterでコンビニなどの店員さんの受け答えについてツイートをしたことがあるんです。よく、店員さんたちがポイントカードの有無を聞くでょう、「ポイントカードをお持ちですか?」と。

私はポイントカードを持ってませんので「いや、持ってません」と言うと、店員さんが「失礼いたしました」と言うんですね。「いや……客に『ポイントカードは持ってません』と言わせたことがそんに失礼なのかな?」と、釈然としないんです。

(会場笑)

「俺、店員さんを謝らせてしまった」と、そこはかとない罪悪感を抱いて店を後にするわけですね。

そうすると、また別の店でポイントカードの有無を聞かれる。「持ってません」と言うと、「失礼いたしました」とくるんで、なんかその……私、いろんなところで店員さんを謝らせて歩いているわけですよね。

(会場笑)

「これ、なんとかならないか?」と思って、Twitterで「ポイントカードを持ってないってことは、それを聞くのは失礼でもなんでもないので、『失礼しました』って言わないでください」というツイートをしました。

私の予想としては、「じゃあ、どういう言い方がいいのか?」「コミュニケーション上、理想的な会話の仕方というのは、どういうのがいいんですか?」という議論になると思ったんです。

私の答えとしては、「失礼しました」と言わなくても、「かしこまりました」と言えば十分だろう、と。「ポイントカードをお持ちですか?」「いや、持ってません」「あ、かしこまりました」。これなら問題はないだろうと思いまして、そのようにツイートをしたら、現場の店員さんたちから猛然たる批判がきたわけです。

(会場笑)

「失礼しました」と返答する本当の理由

どういうことかといいますと、その批判というのが、私のまったく予想しない方向からの批判だったわけです。

それは、どうすればコミュニケーションがスムーズにいくかということではなくて、「我々はクレーマーを想定して、『失礼しました』と言っているんだ。あなたは現場を知らない」と言うんですね。

つまり、お店で働いてる人は、日々クレーマーとの戦いに疲弊して精神をすり減らしている。なんとかクレーマーを無事にやり過ごすために言葉を考えて、対クレーマーの言い方をしている。

だから、多少へりくだりすぎになるのはやむを得ない。「そこはちょっと我慢してくれないと。そこで文句を言われると、クレーマー対応をやっている我々は立つ瀬がない」と、そういう主張なんです。

本当に猛然とですね、店員さんたちからそういう声が上がるわけです。

(会場笑)

この点は私も「なるほど世間知らずであった」と反省しました。

そののちに、接客経験者の方とメールでやり取りをする機会がありました。そこでどういう話を聞いたかというと、現場の少なからぬ割合の人は、「接客はやりたくもないし興味もないが、お金を稼ぐために仕方なくやっている」というんですね。本当にそうなんでしょうかね?

彼らは「とにかく早く仕事を終えて帰りたい」と思っている。マニュアルに従ってその日の業務をこなしているだけだから、「失礼しました」「かしこまりました」のどっちがいいかなんて考える余裕も権限もない。いろいろ言われると、とにかくストレスが溜まるだけだよ、ということなんですね。

私はちょっと困っちゃいまして、「現場を知らずにそういうふうに考えていたのは私の認識不足だった」とツイートしたんです。その後、私にどういう変化が起こったかというと、ちょっとお店に行くのが怖くなりました。

(会場笑)

怖くなったというのは、コンビニにしろ、飲食店にしろ、私を接客してくれる人が「『この客はもしかすると怒鳴りだすかもしれない客だ』と思って私を見てるんだ」と考えると、お店に行くのがちょっとつらくなるわけですね。

「この店員さんも、もしかして『早く帰りたい』と思いながら、仕方なく対応してくれてるのかな」なんて思うわけです。

(会場笑)

「失礼しました」と言わせたくない一心で……

そして、ポイントカードの話ですけれども(笑)。現場のいろいろな事情はわかったんですが、それでも、「ポイントカードは持ってません」と言って謝られるのが嫌だ、という気持ちの問題についてはいささかも解決していないわけです。

人を謝らせて歩くのは嫌ですから、それならば「持ってません」と言うのをやめたらどうか、と考えたんですね。

それでこの間、池袋に買い物に行った時に「ポイントカードをお持ちですか?」と言われたんですが、「あ、ポイントカード、まあ……、それよりも、その紙袋をお願いします」とか言って話をそらしたんです。

(会場笑)

そうしたら店員さん、紙袋はくれたんですが、めげずにと言いますか、改めて「ポイントカードをお持ちですか?」と聞かれたんで、「もうこれ、仕方ない」と思って「いや、持っていません」と言ったら、「かしこまりました」とおっしゃいましたね。

つまり、「かしこまりました」と言う店もあるんです。池袋の駅中の繁盛しているお菓子屋さんでしたけれど。「あ、『かしこまりました』って言ってるじゃん」と思ったんですが、一方では「失礼しました」とおっしゃるお店もあるわけです。

ともあれ、私はちょっと考えましてね。ポイントカードの有無を聞かれた時に、「持ってません」と言わずに、別の言い方で返すようにしたんです。昨日は、「ポイントカードをお持ちですか?」に対して、「あ、次の機会でよろしいですか?」と逆質問してみました。

(会場笑)

そうすると、店員さんとしては「失礼しました」って言えないでしょう? 聞かれているんだから。今日お昼を食べた高田馬場のお店では、「かしこまりました。ありがとうございました」とおっしゃいました。

対人関係のトラブルの多くが、言葉の行き違い

結局、なにが言いたいかと言いますと(笑)。

(会場笑)

つまり、自分が謝られたくなくて、店員さんに「『失礼しました』と言わないでください」と言っても、先方には先方の事情があるんだなってことはわかった。

じゃあ、どうすればいいか? それは、相手が謝らないような受け答えをこちらがすればいい。その言い方を辞書に書けばいいんですね。……どうですか?

(会場笑)

「失礼しました」「失礼」という項目に、ちょっと解説の行数を割いて、「ポイントカードの有無を聞かれた場合において、店員に『失礼しました』と言われたくない向きは、これこれの言い方をすれば良し」と書けばいいんですね。

ポイントカードの問題で悩んでいる人が辞書を引いた時に、「あ、こう言えば悩み解決だな」となりますね。

「いや、そんな辞書があり得るのか?」とみなさんお思いかもしれません。現時点ではないんです。現時点で、コミュニケーション上の悩みを解決するようなことをいろいろ書いてくれてる辞書はないんですが、私たちはその方向へ動き出しています。

お店とのやり取りだけではなくて、家族間、あるいは恋人同士、友達同士で、いろいろ行き違いがあります。その行き違いというのは、場合によっては相手が浮気をしたとか、ギャンブルをして困るということが原因かもしれませんが、多くは言葉の行き違いなんです。

対人関係のトラブルを解消するために「どうすればいいんだろう?」と思って悩んでいる人に、その答えを提案する。辞書というのは、そういう役割を持ってもいいんじゃないかな、と考えています。

ここまでをまとめますと、基本的な漢字や意味を確認するためだけの辞書は、それは昔の辞書なんだということです。それは紙の時代の辞書である。一方、今後ネットで広く使ってもらうための辞書は、そういった従来の内容では、もうもたないだろうと考えています。

辞書の内容をどういうふうに脱皮させるかというと、人々の相談相手になるという方向を目指さなければならない。とくに、コミュニケーションに関していろいろと悩んでいる人に対して、「こうしたらどうですか?」という道しるべを示す。そんなことを辞書はしていくべきです。

古い内容からの脱皮を図る

私の本に書いた例をもう1つ紹介しましょう。葬儀の場でどうお悔やみを言ったらいいか、困ることがありますね。

その時に、「お悔やみ」という項目を引いたら、現在は「人の死をおしがり なぐさめること・ことば」ぐらいしか書いてないんです。これでは「当たり前だろ!」と言われてしまいますね。

(会場笑)

そうではなくて、「お悔やみ」を引いたら、弔問の時に、どんなふうに言えばもっとも心に伝わるお悔やみになるか、ということが書いてあればいいですね。

どう言えばいいんでしょうか? 故人の人柄をできるだけ思い出して、遺族に「あの故人はああでしたね、こうでしたね」と喋るのがお悔やみなのか? そうじゃないですね。お悔やみというのは「黒足袋、白足袋」と言えばいいんだそうです。ご存じでしょうか。(小声でボソボソと)「どうも、黒足袋、白足袋……」。

(会場笑)

これがお悔やみなんです。なにを言ってるかわかんない。これがもっとも心がこもっているお悔やみだというのが、作家である吉村昭の紹介する話です。

どうしてかというと、悲しみに打ちひしがれてる人というのは言葉が出てこないわけですね。

そこでベラベラと故人について話すのは、お悔やみとしてはあまり適切ではない。むしろ、悲しみをどう述べていいかわからず、小声で曖昧に話す。これがお悔やみである。

さすがに「黒足袋、白足袋」とは書かないにしても、そういった、お悔やみとはどういうものかを書いておくというようなことも、やはり辞書に求められることではないでしょうか。

そうやって、古い時代からある「字引」という概念を打ち破っていかなければいけない。もっと言うと、『三省堂国語辞典』は新しく生まれ変わらないといけない。そう考えています。

まだ改訂のための作業は道半ばですが、まあ、数年後には新しい第8版を出したいと内部では言っております。計画がどうなるかはわかりません。なにしろ私なんかは作業が遅いので、もうすでにだいぶスケジュールが遅れております。

……というようなことで、以上、私の新刊の趣旨に関係する話をいたしました。