「忙しさ=充実している」という勘違い

安藤哲也氏(以下、安藤):川島さんが言った、地域のこととか子育てとか、今回はそういうことで転職をしてしまった人がいる。秋鹿さん。

秋鹿良典氏(以下、秋鹿):はい。安藤さん、転職したというよりも辞めたという……。

安藤:辞めたと。はい。

秋鹿:若い方からバトンを受け継いだ、たぶん最年長かな。秋鹿と言います、よろしくお願いします。(スライドの)これが……。

安藤:何年かな?

秋鹿:僕、昭和40年ですね。

川島:僕、39年だよ。

(会場笑)

秋鹿:今日はいろんな登壇者がいて、かなりいろんなバリエーションのある話が聞けると思います。私の話は、まあ、ちょっと『しくじり先生』的な……。

(会場笑)

安藤:なんで、しくじってないのに(笑)。

秋鹿:まだしくじってないけど、しくじりそうな予感がして。

(会場笑)

それはなぜかと言うと、考えずに、感覚で感じて行動してしまったというのがあって、それが実は、一番推進力が大きかったんですね。

改めて自己紹介します。昭和40年生まれです。家族は妻と娘がいます。学校を出て、普通にサラリーマンをやってました。製造業で、28年間。この時に、異動が8回。

忙しくて出張もバンバンしていましたし、出張にいっても徹夜が多くて、1泊4日の出張とかですね。前の日にチェックインしたら電話が鳴って「今から来てくれ」なんて、チェックインしたその日のうちにチェックアウトして、そういうわけのわかんない仕事をいっぱいしていました。

そんなことをやっていて、引っ越しもたくさんして。ただ、子どもが生まれるまでは、「忙しさ=充実している」という勘違いだったんですね。スイッチが入ったのは、子どもができたときですね。それから、生き方、時間の使い方、ウェイトバランスを考えるようになって。もやもやして、でも結局28年間サラリーマンをやっていたんです。

まあ、いろいろ悩んだ末に、リセットしようと。でも、タイトルもそうですが、人生100年。まあ、100歳まで元気でいられるとは思えないですけども、75か80ぐらいまでは、なんとか体が動くかと。

家族が増え、減ったことがターニングポイントになった

秋鹿:そうすると、だいたい20歳から社会に出て働いて、80ぐらいまでかろうじて現役でいるとすると、60年間稼働できるわけですね。私も、だいたい半分終わったんですよ。そこを半ば盲目的に、学校を出てサラリーマンをやってて、とくに疑問も感じず、なんかこう、真面目にやってきたんですが、なんか違うなと。もよおしちゃったんですよ。

(会場笑)

安藤:娘に言われたんですか? 「お父さん、眠れてる?」って。

秋鹿:自分で自発的に辞めたんだけど、きっかけは多々あったんですよ。私が単身赴任しているときに娘が、下の子がご飯の時に、「お父さんがいないと寂しいね、つまんないね」って言うのを、妻からのメールで見ちゃったんです。

安藤:あら。今日のハイライトね。

(会場笑)

秋鹿:これはやっぱり、父親としていかがなものか。もちろんその、さっき安藤さんが言ったようにお金を稼ぐための仕事は大事なんだけども、「そこに志はあるんだろうか」とかね。「自分が本当に求めているものはあるんだろうか」とか、悩みがふつふつわいてきて。それでもう、思い切ってやめたんですね。ぶっちぎった。

安藤:それ、いつ頃? 去年?

秋鹿:それが去年ですね。

安藤:だって2年前のとき、ぜんぜん言ってなかったもんね。

秋鹿:まだマグマがふつふついってたんです。

小津智一氏(以下、小津):まだ昔はなかった?

安藤:四日市で飲んだときな。

秋鹿:いろいろあったんですよ。それで、話すと長くなるんで、一番最後ですね。川崎パパ塾っていうのがあって、川崎市を中心に男性の育児参加等を支援している仲間がいるんですね。そこの方にお声がけいただいて、私のスピンアウトしたサラリーマン人生をコラムに書けよと言われて、だらだら書きました。

それがあったんで、お声がけいただいていると思っているんですけども。「川崎パパ塾」と検索いただいて、私のコラムも読んでいただけると、「ああ、こんなやつもいるんだな」というのが、より一層……。

安藤:葛藤が?

秋鹿:いやもう、そうですよ。まあ、結婚して子どもが生まれた。それからもう1つ、親の死があったんですね。家族の人数が増えた、減ったというのは、やっぱり1つのターニングポイントになりうるんですね。そこで気がついてしまって、やめて。

どうもやめたら、肩の荷がおりて、正直すごく楽になりましたよ。いろんな制約から解放されて。もちろん自己責任でもあるんだけども、自分で主体的にチョイスできる日々。これはかなり……。

安藤:禁断の(笑)。

(会場笑)

自分で考えて決めた方が絶対に後悔はない

秋鹿:やっとね。こっち側にきちゃったんですね。

安藤:俺のせいじゃねえからな。

秋鹿:まあ、影響がなかったとは言うわけではない。ただ、自分でハンドリングできる快感はもちろんありますよね。そこをどうとらえるかですよ。

川島:カミさんは、すんなりOKだったの?

秋鹿:やっぱり、支えてくれましたよ。

川島:いつもは、一般的には反対されるじゃん。その先が、ライスワークが不安的になるからって。

秋鹿:そうなんですよ。でもそこは、私が体をちょっと壊したこともあって、総合的な判断というか、それを元に。

(会場笑)

背中を押しはしませんが、止めもしなかったと。だけど、それが今は完全に無理で、責任は感じてますよ。やっぱりやるべきことはやる必要があるし。ただやっぱり、迷っているとどんどん時間がなくなっていくんで、そこは「えいや」っていうのが、たぶん必要なときが人生にはどこかであるんですよ。

それが私だと、つい最近。なので、なにがリスクかわからない。そこはもう、自分で考えて決めた方が絶対に後悔はないと思います。よい子はまねしちゃ駄目だよ。

(会場笑)

ということで、よかったら川崎パパ塾のコラムもぜひご覧いただけると、パパ塾の人が喜びますんで、よろしくお願いします。

安藤:今は、ファイナンシャルプランナーで食べてるのかな?

秋鹿:そういうことをしています。実際、まだ1円も稼いでないんですが。これもさっき話が出た、副業でなんかこう、成果物がないと難しいよねっていう。私もサラリーマンで、ちょっと専門的なことをやってたんですけども、やっぱり会社を辞めると、それを活かす場がそうそうなくてですね。

じゃあ社会と向き合ってなにを武器にするかっていうので、なんか資格を取ろうということで。サラリーマン時代まったくの無縁だったのに挑戦して、手始めにFPの資格を取りました。今、もう1つ違う資格をひたすら勉強中です。

それも先々役に立つかどうかわかりませんが、そっち方面の知識を身につけたいという動機がそこにありましたね。あくまで、自分の志向性です。上手くいけばなんとか店でも出して、少しは社会に還元したいとは思っています。蓄えを食いつぶしながら、今は日々勉強、自己実現に向けて勉強中です。

安藤:児童館でも働いていたよね。

秋鹿:そうなんですよ。なんか、ネタだししていますよね。

(会場笑)

安藤:なんか興味あるんだよ。「なにしてるんだ、この人」って。

(会場笑)

我々大人が稼いだお金は、次の世代にもっと還元しなきゃいけない

秋鹿:フラフラしているんですけど、実は大きな野望がありましてね。子どもの貧困ですとか、貧困家庭が最近取り沙汰されていて、そこはなんとかしたい。その貧困から起因する、子どもたちの学習機会の損失。そういったものは、なんともいかんともしがたい。

これは我々大人の不作為の結果ではあると思っているんです。なにかしなきゃいけない。そのためには広い意味で教育とか、養育の実態がどうであるかを知っておく必要がある。そういうことで、児童館で、ごく短期ですけども仕事をしていました。折り紙をおったり、画用紙を切って、飾り付けしたり、それでお金がもらえるって。

安藤:そら、もらえるよ。

秋鹿:楽しかったですよ。あのね、子どもたちと一緒に遊べる。それから、自分の子どものことはわかっているつもりでも、よその家の子どものことって、まあ知らないですよ。世間の子どもがどうかっていうのは、もっと知らない。それを、不特定多数の子どもが日々入れ替わり、立ち替わり来て。

児童館で働いていると、やっぱりいるんですね。明らかに経済的にちょっと不利な家庭のお子さんもいるし、もちろんその、多少の障がいを持っている子もいますね。

そういう子どもたちと対峙して、やはり大人ってなにができるんだろうというのは、ああいう場にいないとわからないんですね。それをなんとかするためには金融の知識もいるなと思って、FPの資格を。

それで先々は、相続っていうところに少し手を出して。我々大人が稼いだお金は、次の世代にもっと還元しなきゃいけない。こう思っているんですね。それを仕事として出せたらいいなという、個人的な思いがあって。うまくいったらご報告します。

(会場笑)

やっぱりいろんなことにチャレンジします。自己実現を楽しもうと、妄想は素敵だと。そういうことで、話がまじめな感じに。

安藤:はい。妄想まっただ中の秋鹿さんでした。

秋鹿:はい。ありがとうございました。

(会場拍手)

安藤:じゃあ、次は……あ、そうか。

西村創一朗氏(以下、西村):はい。

川島:じゃあ、がんばってね。

西村:はい。

(西村氏が退席する)

(会場拍手)

家族の幸せを自分で実現したいと思った結果、主夫に

安藤:じゃあ、次はリクルートを飛ばして……(笑)。坪井さん、いこうか。

坪井博一氏(以下、坪井):わかりました。

安藤:今日一番の変化球。

(会場笑)

坪井:えーと、主夫です。坪井と申します。よろしくお願いします。

(会場拍手)

ライフシフトした主夫ということで、家族の幸せや自分でデザインするというのが、今日ついているんですけど。まさに、家族の幸せを自分で実現したいなと思って。今、結果主夫をやっているっていうのが現在の状況です。今、私は44歳です。年上の妻と、小3の長女と、保育園年長の次女。4人家族です。

安藤:なんか、娘が多いね。

坪井:多いですね。

(会場笑)

安藤:俺も、娘じゃなかったらファザーリング・ジャパンやってなかった(笑)。

(会場笑)

坪井:かわいいですもんね。まあ、それで本業は家事育児です。さっき副業の話をしていましたけど、副業でインターネットで中古品を販売して、個人事業主としてやっています。稼いでいます。

あと同列で、区の市民会の審議委員をやっていたり、PTAを始めとした地域活動をやっています。それで、共稼ぎです。妻は大手建設会社の事務職をやっています。家計は毎月半分ずつ出し合って、私が管理している。

安藤:奥さん、お小遣い制なの?

坪井:いや、毎月だいたい掛かる金額がわかっているんで、毎月半分ずつ出して……。

安藤:管理はやっている?

坪井:管理は私がやっています。

安藤:主夫だね。

坪井:(笑)。私もお金に強いみたいで、買い物とか、ヨーカドーの食品の底値とか、私のほうが知っているんで。

(会場笑)

だいたい、この辺で買えるなと。

安藤:副業はされてない?

坪井:それはしてないです。なので、半分ずつ出し合ってやってます、はい。主夫になる前はなにをやっていたかと言うと、2007年に今の妻と結婚したんですけど、実はその前に、若いときに結婚して離婚しています。

若いときから、とりあえず専門学校を卒業して普通に営業職をやって、けっこうまだバブルの残り香がある頃だったんで、営業でけっこう稼いで。仕事は大変だったんですけど、まあ、ボーナス1年目で100万とかもらっていたんですよ。でも使う時間がまったくなくて、夜の銀座に消えていった。20歳ぐらいのとき(笑)。

(会場笑)