複数の肩書を持つ意味
次のスライドは「人間が人間のインターフェイスの方がよい」。僕はいっぱい肩書があるんですけど、アートとリサーチとビジネスと、アートビジネスをやっている人間です。
普通、昔だったら、アートをやっている人はアートだけ、リサーチをやっている人はリサーチだけ、ビジネスをやってる人はビジネスだけやっていました。ですが、そうじゃなくても、うまくいくようになってきた。つまり睡眠と仕事と生活をキレイに昔は切り分けられたんです。働き方は一通りくらいしかなかったから。
つまり「あなたはどんな職業ですか?」と言われたとき、1パターンくらいしかなかったけど、僕は、働くときストレスとストレスじゃないものを切り分けている。例えば、緑のところはビジネスをやって、赤のところはアートをやって、青のところはリサーチしようみたいな。
だって原稿用紙100枚ぐらい埋められる人でも、体力がまだ残っているけど脳にストレス感じていたとしたら、あと50枚埋まらないみたいなことがありえます。
この中でプログラム書く人いますか? 例えば、一日に書けるプログラムの行数って、大体決まってたりするじゃないですか。
そういうクリエイティブワークって、脳に負荷がかかる。体力的には大丈夫でも、頭、使えなくなっちゃう。それをうまく切り替えていくのが多分重要で、それを生活の中でミックスする生き方をしています。
なので、メディアを見ていても俺がなにをする人か、まったくわからないだろうね。だって『AXIS』という結構有名なデザイン誌で、デザイン誌の表紙に俺がなんで載っているんだろうとか。
『Nature』という有名な、サイエンス研究の雑誌になんで俺が表紙に載っているんだろう? 建築とか車の雑誌に載っているんだろう? それなのに、なんでマレーシアで個展をやっているんだろう? みたいな感じになるわけです。
そんな風に生活をミックスしていくと、一日中働いているんです。最近では3人分の働きができるように社会がなってきて、それをうまくやって、そこでシナジーを出している。それが僕の生き方です。
「計算機自然」の世界観
うちのラボと会社で40人の専門家がいますけど、僕は「波動エンジニアリング」と「デジタルファブリケーション」「メタマテリアル」「ディープラーニング」「ヴァーチャルリアリティ」「身体ハック」。この6本柱で戦っていて、1個1個にシナジーがあって、なかなか面白いんですよ。
だって、「波動」が出るなら、出た波動はなにかにぶつかる。ぶつかるなら、物質側もプログラミングできるわけだから、3Dプリンターが作られているし、人間も極論を言えば物質。
なので、どうやったら身体をハックするのかということもやりたいし、身体をハックする人間をコンピューターの中に入れて、人間自体をヴァーチャルリアリティでなにか表現するみたいなことをやりたい。
つまり、この三つ巴の関係を要素要素に分けると「ディープラーニング」とか「波動」をやるとか、そんな関係になるわけです。そういう世界観を、僕らは「計算機自然」と呼んでいる。
今、新しく人間社会がある上に、どうやったら次の自然を打ち立てられるかが勝負です。16世紀以前に我々は人間と自然を対比して、人間は人間社会を作って自然を克服することをテーマにしたけど、そうではなくて、もう1回、自然になっていくんじゃないかと僕は思います。
なぜかというと、我々って、これ(会場に流れている動画)は1902年の映画ですけど、SFの上では、1902年に月に行っていたんです。当時の人からすれば、月に砲弾で行ったって、これ本当なのかな? って思うじゃないですか。嘘っぱちですよね。肉、ミンチになりますよあんなの。重力ないし。
(会場笑)
でも、我々は映像を信じる訓練をずっとしてきて、僕らはアポロが月に行ったことも映像を通してしか知らないですよね。誰か現場で待ち構えてた人いますか? 月でアポロ来ないかなって。いないですよね? みんな映像でしか知らない。
「大抵のことはだいたい嘘っぱち」の真意
だから、映像であったことは本当だと思っているし、週刊誌に載ったことは本当だと思う傾向にある。でも、大抵のことはだいたい嘘っぱちなわけです。そういうことを考えると、約60年前に月に行ったけど、映像でしか知らない。ただ、この世界は、多分変わるはず。
僕らって、今、同じ光と同じ音を聴く、もしくは同じものを見る世界があって、それが映像の世紀。それが20世紀で終わったなら、これから先は違う光と違う音を聴く世界になるんじゃないか。それを「魔法の世紀」と呼ぼうというのが、僕らの持っている考え方のひとつです。