2024.12.10
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カリン・ユエン氏:第2番目は、1931年に植民地の展覧会を始めたアフリカ・オセアニア国立博物館のコレクションです。これは、フランス植民地時代に所有していた、さまざまな文化と資源を展示する試みでありました。
彼らの植民地との関係性はお互い利益的であることをを強調するためであり、彼らが植民地社会に同化していったことは過小評価されていました。これらの物品は、今日美術館のコレクションの一部になっていますが、どのように獲得されたかは全く定かではありません。それを確認する手段もありません。
このアフリカのマリからのドゴン族芸術家による特殊な彫り物は、主題や素材、そして様式を確認することができます。しかしながら、誰が制作したか、どこから来たのか、いかなる方法によってフランスの所有となったかを示すサインも日付も存在しません。これらは、購入されあるいは持ち去られ、あるいは、それを強奪した人間と取引されたかもしれません。
当時のヨーロッパにはこのような文物に対する多大な需要があり、ピカソのような近代芸術家を含めた多くの人々は、廉価で手に入れることができたのです。実際に2000年代初頭には、ニュージーランドの国立美術館テ・パパ・トンガレワは、世界中のさまざまな施設に収蔵されているマオリ族の遺物を取り返そうとするミッションを設定しました。
問題となった物品というのは、モコモカイという、マオリ族の刺青を施した頭部であり、ケ・ブランリ美術館が所有していたもので、この文物は2012年にニュージーランドに返還されました。これはご案内するのに際どい風景です。
では、いかなる権利があって、美術館がこれらの物品を所有し、展示しているのでしょうか。
例えばいくつかの物は儀礼のために制作されました。保存されるために制作されたのではありません。あるイニシエーションのために恐らく制作されたのです。そこで長老の男性と若い少年が、その物品を見るのを許されました。あるものについては、女性たちは見ることは許されなかったのです。
美術館で、入場した誰でもそれを見ることができることはどういうことでしょうか。これらの部族のいくつかはもはや実在しません。私は、この常設展の経路の間中、この空間における作品に対して必要とする感受性がいかばかりか釘づけになりました。もはや存在しない、そして急速に減退していく、これらの文化や歴史を保存するための責任感がそこにありました。
しかしながら同時に、手にするのは非常に難しいこのような限定された知を共有することの喜びもありました、どれだけ多様な人々が生き、世界や信仰や善徳についてどう思っていたのか、理解しようという試みです。彼らの元々の文脈を理解するだけでなく、これらは芸術作品なのか、あるいは工芸品なのか、今日の状況について考えてみることは重要です。
3番目の大きな源泉は、美術館自体が最近獲得した文物です。ありがたいことに、今ではそこまで出所が曖昧ではなく、よく記録され経歴がわかります。しかしながら、とりわけ、ケ・ブランリ美術館にあるようなイニシエーションのものは、より念入りに繊細に、このプロセスにおいて選ばれ抜かれたものです。
トロカデロ民族誌博物館は、今でも開館していて、そして近代芸術家たちの間で知られていました。もちろん、そこにはパブロ・ピカソ、今日の問題となる人も含まれます。
ピカソ作品と非西洋美術の視覚的な類推から、文化的な借用と単純な関連付けを議論することは大変簡単です。しかしながら、展覧会は非常に興味深い方法論をとっています。この展覧会は2つのカテゴリーに分かれ、2つの方法による関係性にアプローチしています。ひとつは、ピカソが非西洋美術と接点のあったカギとなる時代について、時系列に添ってピカソの作品を追っていくことです。
この中には、彼が最初に獲得した文物も実際に展示してあります。それはマルケサス諸島のティキ像と、1954年マティスが亡くなるときに引き受けたナヴィンブンバオの人体仮面です。
トロカデロ民族誌博物館にピカソが初めて訪れた後、有名な≪アビニョンの娘たち≫を再制作したことは明らかです。女性の顔部分の視覚的な類推により、しばしばアフリカの仮面と比較されます。フランソワ・ジローの『ピカソとの人生』から引用します。
「私はトロカデロ民族誌博物館に初めて行ったとき、そこでしばらく習作を描いた。このような仮面や文物は神聖な、あるいは魔術的な目的のために制作されたのだ。彼らを取り巻く恐ろしい力との間を調停するものとして、形と力を与えることで、恐れと畏怖を乗り越えるために制作されたのだ。この瞬間、私は絵画というものは何であるか理解したのである。絵画は単なる美学的な操作ではない。我々の欲望だけでなく恐怖に対して与える形であり、つまり力の形なのである。この体得にたどり着いてから、私は自分の道を発見したのだ」。
この展覧会の大きな論点は、ピカソは視覚的にこれらの物体に影響されたのではないことです。実際に彼は「アフリカ美術(Negro Art)」という言葉を、基本的にすべての非欧米圏あるいはアジアの芸術に使用していました。彼は、これらの物品の異国趣味に興味があったのではなく、彼に深く語りかけてくる芸術作品と同等なものとみなしていたのです。
展覧会の第2の方法論というのは、裸体像や人体の垂直性、あるいは人体の記号への単純化などの、様式化とテーマの類似を探っていくものです。
しばしばピカソ自身の表象でもある、ミノタウルスのような半身獣の形態の使用など、再帰的なイメージや、変容する形態において、他のイメージを含むピカソのイメージへの関心を比較検討します。
また、彼が非西洋文明圏で用いられた技法である、ファウンド・オブジェ(自然物や人工物の転用)からどのようにアセンブラージュ(寄せ集め)を制作したかを示しています。そして、これらの作品に共通して含まれる基本的な特質、つまり衝動や直感について論じられています。まなざしや表情、口、生殖器への彼の執着は、抽象化されそして変形され、そして喪失に苦しんだ戦時中には特に凄絶なものになっています。
このような文物は、どれがピカソの作品であるか、そしてどれが匿名の作者によるものか、同水準の芸術として設置することにより、判別しにくいように展示されています。
ピカソは、これらの文物に、人間の体験の真の核となるものと感じていました。写真によって、彼がこれらを収集し自分の作品と混在してアトリエに保持していたことが示され、そしてこれらの物体が持つ力に対する、彼の崇拝、感嘆、そして恐れすら語られています。
「ピカソの原始美術」というタイトルは、美術史用語に重点を置いたものではなく、むしろ、誰にも理解できる、原初的で最も深い、根源的な人間の体験について言及しています。そして、ピカソがこれらの非西洋美術の物品と深く一致したものが論じられています。
このような物体との対話を通じて、ピカソは、西洋的な形態至上主義の方法論から自由に離脱し、モダンアートの流れを変えようとしたのです。
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