憧れのアディダスを1年でクビに

玉乃:レアル・マドリード……。フロントスタッフの立場としてレアル・マドリードの現場を見てきた日本人は、ヒロ君だけだと思います(TAMAJUN Journal編集部注:酒井氏はレアル・マドリード在籍中、日本市場向けSNS、公式HPの管理をはじめ、スポンサーシップ権、放映権等の販売・管理を担当)。

酒井:そうです……ね。実際に、日本に伝わっているレアル・マドリードは真の姿の10分の1くらいだと思っています。なんというか……プロフェッショナル具合は、トップオブトップの選手ほど、やはり半端ではないですね。彼らの見えない努力というのは計り知れないものだと思います。

玉乃:そもそもヒロ君って何者なんですか?(笑)。

酒井:少し自己紹介しますとね、日大卒業して、新卒で中堅の広告代理店に勤めたんです。サッカーは幼少からやっていて、実は大学時代、アディダス・ジャパンでインターンやりました。アディダスかっこいいなあ! という思いだけで。入社したかった。

でも当時面接してくださったクリストフ・べズというフランス人の社長が、「お前、5億10億のおカネ、動かしたことあるか?」って聞くんです。要するに、「ココは人を育てるところじゃなくて、育った人が勝負するところ、ビジネスするところだからね」という意図だったんです。「経験がないなら経験積んでから来い、その方が、双方にとって幸せだ」というメッセージだと解釈しました。

ハッとしました。仕事の目的は、カッコツケやキレイゴトでなくて、おカネ。それが実績であり、経験だと。実際アディダス社には他業界で経験を積まれている方がたくさんいらっしゃいました。そこで、「モノを売らなければおカネはつくれない、モノを売る仕組みを知るには……広告代理店だ」と考えたんです。

玉乃:で、広告代理店へ就職。

酒井:入社してみると昔ながらの風習があるわけです。深夜1時や2時まで仕事して、そこから飲みに行き、時には朝方帰宅して、9時にまた出勤。インターンで経験したアディダスとは真逆の世界でした。非効率な仕事の進め方を批判して、先輩たちと衝突することもありました。でも、いつかアディダスへという思いで我慢を続け、その甲斐あってか、3年半が経過したときにアディダスからお声がかかったんです。

玉乃:いよいよ、憧れのアディダスでのキャリアがスタートするわけですね。

酒井:……1年でクビになりました。リーマンショックという背景があるのですが、切られることを納得せざるをえませんでした。サッカーと一緒ですよ。チームに貢献できていない人から切られる。実利に繋がる動きが少なければ、戦力外リストの最初に名前があがるわけで、いま考えれば、「当たり前」のことです。

玉乃:……。

外資企業を転々として行き着いた先は……

酒井:で、アディダスでのシューズ・ビジネスのキャリアを活かそうと、ゴルフ業界にチャレンジしました。競技こそ違えど、経験を活かせますから……外資系のメーカーに入社しまして……で、驚くほどの成果が出たわけです。それで、調子に乗ってしまいました。主張すべきことを主張しようと、見境なくどんな相手に対しても意見を述べました。というより自分の意見を押し付けたんでしょうね、いま振り返ると。ある朝、「明日から来ないでいいよ。」と言われました。

玉乃:……。

酒井:ただ捨てる神あれば拾う神ありで、実績を評価してくれていたアメリカ本社のボード・メンバーが、またゴルフ関連の企業を紹介してくれました。厚意に応えるべく頑張って、それなりに結果はだせたと思います。でもですね……。

玉乃:え! まさか……。

酒井:1年でクビです。またもや。

玉乃:えええええ。それ、外資系企業だからですか? だとして、なんでそんなに厳しい外資系企業ばかりを選ぶんですか!?

酒井:外資系だからですかね……。ま、当時の僕は、空気が読めていなかったんだと思います。外資系の企業だと、思ったことを発言できますし、それにもとづいて行動もできますから、責任が大きい反面、やりがいを感じることも多いですよね。だから好んでそういう環境を選んでいたのですが、ただ、当時は言いたいことを言いたいだけ言い放って、空気を読まな過ぎた。

玉乃:空気を読めず、外資系企業を転々……(笑)。

酒井:当時32歳。半年くらい人生悩んで、国内最大手広告代理店の子会社に入社しました。そこで勤められていた知人が、3年の契約社員で、チャンスをくださったんです。「3年間与えてあげるから、今後の人生を良く考えなさい」と手を差し伸べていただいきました。おカネもない状態でしたから、心底ありがたかったですよ。

一方で、「3年経ったらサヨナラ」の可能性が高かったですからモチベーション維持も大変ですし、大好きなスポーツの仕事とも無縁な職場生活でしたし、日々、悶々と自問自答を繰り返していました。「雇用って何だろう?」、「雇われ人生って何だろう?」って。次第に、人に使われて捨てられるだけの人生はイヤだと考えるようになっていきました。

そんなとき、社内で、宮本恒靖さん(TAMAJUN Journal編集部注:2002年日韓ワールドカップでも活躍した元日本代表サッカー選手、現役引退後、元サッカー選手としては日本人初のFIFAマスターを修得したインテリジェンス溢れるサッカー人)の講演があったんですよ。「FIFAマスター」を卒業されたということが僕の頭に残りました。

「これだ!」って、思いましたね。海外留学! MBA! ……って直感で……ところでMBAって何だ? ……これまでモノ売ってなんぼの世界だけを見てきたわけですから、知らないわけです。「経営学修士」について調べ始めました。すると驚くような金額なわけです。学費がね。よく名を聞くようなアメリカの名門校は2年間で1500万円とか……無理ですよ。

で、色々調べていると、ある先輩がレアル・マドリード大学院というのがあると教えてくれました。レアル・マドリードってあのレアル? ……サッカーしたことある人なら知らない人はいない、あのレアル・マドリードにMBA取得のプログラムが……しかも他と比べると学費も比較的安く現実的……「よし!コレだ!」。早速、計画をノートに書き込みました。ドリーム・ノートって呼んでいるんですけれど(笑)。

生涯忘れない合格通知

玉乃:ドリーム・ノートには「マドリード行き」をいつと書いたんですか? 大学院に行くわけですから、結構な勉強量なはずですよね? しかも当時働いていましたよね?

酒井:半年後の試験を受験しようと計画しました。一刻を争っていましたからね。そう、会社勤めしながら、暇さえあれば英語の勉強をしていました。それまで所属した外資系企業で英語をずっと使っていましたが、アカデミックに勉強したことがなかったので苦労しました。

同時にお金も貯めなくてはならないですから。家にあるモノを片っ端からオークション・サイトで売りさばいて、お昼ご飯は毎日吉野家の牛丼にコーヒー。全然飲み会にもいかず、1日450円、それ以上は使わないと心に決めました。

家賃も3万円ぐらいの所に引っ越そうかと思っていましたが、当時半年ぐらい付き合っていた彼女……いまの妻なんですが……彼女が自分の家に迎え入れてくれたんです。実はそれ以前にもけっこう助けてもらっていて、妻は料理家だったので、仕事でつくった料理が余ることもあり、「捨てるくらいなら、頂戴」とお願いしていました。

玉乃:なんだか、スーパーかっこいいのか、ダサすぎるのか紙一重ですね、ヒロ君のその発言(笑)。

酒井:本当に生きるか死ぬかでした。その後も彼女の献身さに助けられながら、奇跡的に試験に合格、いよいよマドリード行きです。合格通知の当日のことは生涯忘れないですよ。

玉乃:努力が実った瞬間ですからね……。

酒井:いや、そうではなくて。……その日妻に呼ばれたんです。「話がある」と。いつもとは違う雰囲気で向かい合ったんです。ここまで支えてもらって養ってもらって、で、またもう1年スペインに行くわけですよね、しかも留学で。だから、さすがにフラれてしまうのかなと思いました。自分勝手なことばっかりしていましたから、そうなっても仕方ないですよね。受け入れる覚悟はしていました。

「子供ができた」。

それも数ヶ月前から……彼女黙っていたんです。子供ができたことを知ったら僕が留学をあきらめて、子供のためにも日本でそのまま働くと言い出すだろうと思ったみたいで……。そんなに真剣に挑戦している人を引き留めることはできないって。

玉乃:神じゃないですか。

玉乃・酒井:……。

玉乃:泣きそうなんですけれど。

酒井:僕も。そのときは超泣いた。

レアルマドリードの一員として

酒井:たしかに思い返せば、体調悪そうにしていて。でも、花粉症とか言ってごまかされていました。申し訳ないことに気付かなかったんです。本当に自分のことしか考えていないんだなって、そのとき反省しました。

彼女は料理家としてフランスに留学した経験もあるから、僕の気持ちを理解してくれていて、チャレンジを心の底から応援してくれていたんですよね。子供が生まれて10日ほどで出発しました。妻と子を残して。MBA取得プログラムの受講期間である1年間という約束のもと。

とにかく必死で勉強しました。卒業できるように。当然授業は全て英語、日本語でも知らないような英単語と向き合いながら、絶対に卒業してやるって。それと同時にプレゼン資料を作って、レアル・マドリードにインターンシップを申し込むのですが、なぜか、在学生100人の中で僕だけが採用されました。

理由はおそらくですが、「控えめな日本人」だったからでしょう。なりふり構わない勝手な発言の連発で外資系企業を転々としていた僕が、他の国の人たちより、おそらく空気が読めるようになっていたからだと思います(笑)。

相手の話をよく聞いて、彼らのニーズを汲み取るように、こちらから日本のマーケットや、のちにバルサのスポンサーとなる楽天の戦略的意図について等をまとめて、プレゼンしました。ちょうどその頃、レアル・マドリードがチャンピオンズリーグを制覇してクラブワールドカップで来日することが決まっていたので、「僕を使わない手はないですよ」とも付け加えました。

あのとき(チャンピオンズリーグ決勝)は、勝って来日となれば、自分にも大きなチャンスが巡ってくるだろうと思っていたので、心の底から応援していましたよ。実際、「正社員」としてレアル・マドリードと契約をしたのはクラブ・ワールドカップ後でした。大成功に終わったクラブ・ワールドカップ直後、間髪入れずに再度自分を売り込んで、存在価値をアピールしました。そこでやっと手にしたんです。

玉乃:わお。

酒井:飛び上がりますよね。1人でガッツポーズしちゃいました。あのレアル・マドリードで、本当の意味でチームの一員になれた瞬間でしたから。

すぐ、妻に連絡して、歓喜の報告をしました。同じ夢を見ていてくれた妻も喜んでくれました。もう約束の1年間はすぎていました。でも電話越しに、「シーズン途中で帰ってくるなんてカッコ悪い。こっちは頑張るから最後まで頑張って」って言われました。生まれたばかりの娘を1人で育てて、相当な不安や負担も当然あったと思うんですけれどね。

僕は……レアル・マドリードの一員になったとはいえ、妻子をスペインに呼んで生活できるほどの給料なんていただいてはいませんでしたから、妻のコトバにただ勇気づけられるだけで、引き続き単身で、掴んだばかりの夢のような舞台に留まりました。絶対に「夢のよう」で終わらせてはならないと心に誓いました。

まずは、警備員や裏方の方々、全スタッフの名前を覚えました。自分のことを覚えてもらうために、どこに行っても挨拶を徹底しました。身だしなみにも気を遣い、いつ訪れるか分からないチャンスに神経を研ぎ澄ませました。誰でもできる当たり前のこと……そんな当たり前のことを徹底的にやっているうちに、幹部であるブトラゲーニョやラウールなどのクラブのレジェンドにも名前を憶えてもらえるようになりました。本当に高揚する毎日で、断続的な緊張のある日常でした。

超一流が集い極みを目指すというある意味特殊な環境に身を置いて、僕は今後どのように生きていくべきなのか、どのような価値を創造できるのか、考えていました。苦しかった10年間を振り返ったりしながら……やはりこの環境で自分と同じ日本人が活躍する姿を見たいと思いました。自分しかできないこと、それは自分がこの目で見た世界最高のプロフェッショナル集団の裏側を日本の選手に伝え、いつかその選手がこの舞台で日常を過ごすことだと思ったんです。

その準備のため、帰国することを決意し、レアル・マドリードを退団しました。もちろん夢舞台に残るという選択肢もありましたけれど……。

玉乃:……難し過ぎる選択ですね。選手達の側で日々「あの」興奮を味わっていたわけですよね。しかも日本に戻ってまたゼロからのスタートですか……。

酒井:MBA取得した経験によるものなのかどうなのかわかりませんが、シビアでも自分の価値を活かせて未来を感じられる選択をビジネスマンとしてしたのかもしれません。

玉乃:なるほど……。で、そうすると、奥さまは一度もマドリードには行かれず……?

酒井:それがね、一度だけスペインに来てもらったんです。子育てしながら日本での仕事が大変なのもわかっていましたけれど。コツコツ貯めていたお金で渡航費を捻出してね。どうしても僕が見ている世界を一度妻にも見てほしかったんです。家族を犠牲にしてしまってまで夢中になっていた世界の頂点を。

そしたらね、サッカーのサの字も知らない妻が、試合終了間際のセルヒオ・ラモスの決勝ゴールに、娘を抱えながら飛び上がって、サポーター達の歓喜の輪に加わっているわけですよ。

そのとき、思いました。一緒に夢を見てくれた家族のためにも、絶対に「想い」を実現させるって。

【酒井浩之プロフィール】 1979年愛知県生まれ神奈川県育ち。両親の影響で、幼少の頃からサッカーとピアノに打ち込む。2003年、日本大学法学部を卒業。日大在学時より青山学院大学体育会サッカー部OBが中心となって運営されている社会人チーム、FC青山(東京都社会人サッカーリーグ所属)に所属し、サイドバックとしてプレー。卒業後は広告代理店やスポーツブランドに勤務し、2015年3月にレアル・マドリード、スポーツマネジメントMBAコースに日本人として初めて合格。その後、同コースから唯一レアル・マドリードに正社員として採用され、2017年退団。現在は、東京とマドリードを往復する日々を送りながら次のキャリアに向けて準備中。