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Japan's Ominous Dancing Cats and the Disaster That Followed(全1記事)

異変の兆候は“おどる猫” 水俣病をめぐる経緯と科学的な原因

1950年代に発生した、日本の四大公害と呼ばれる「水俣病」。実は、異変の兆候は猫たちの不可解な行動に表れており、発生当初は「猫踊り病」と呼ばれていたそうです。今回のYouTubeのサイエンス系動画チャンネル「SciShow」は、水俣病の原因となったチッソの化学製造工場の話から、科学的にその経緯を追っていきます。

水俣病が生み出された経緯

ハンク・グリーン氏:日本の南部にある水俣市は、1950年代当時、住むのに最高の場所でした。

山に囲まれ、海に面し、すぐそばに温泉も湧いています。さらに、漁師以外の仕事がしたければ、大手化学会社チッソの水俣工場がありました。ですから、仕事はあり、のどかな田園風景はあり、豊富な海産物もありというわけで、まさに最高の土地だったのです。

しかし、猫にとってはそうではなかったのです。ある日、地元の人たちは猫が奇妙な行動をすることに気づきました。そして、その原因は、半ば予想されたことですが、チッソの化学製造工場にあるとのちに判明するのです。

チッソ水俣工場はその30年ほど前から、アセトアルデヒドという化学物質を製造していました。アセトアルデヒドは酢酸やプラスチックの原料として非常に大切なものです。

当時、アセトアルデヒドを作る最も有効な方法は、ある触媒を使って、反応を促すことでした。何も知らなかった水俣住民にとって不幸なことに、チッソ水俣工場は触媒に水銀を使用し、反応過程で生じた副生成物を水俣湾に廃棄していたのです。

水銀という物質は元素周期表の中でもタチの悪いものだということはずっと昔から知られていました。ですから、現在ではあまり使われません。古い温度計とかバッテリーに残っているぐらいです。

でも、水銀そのものを食べたとしても、実はそんなに害を及ぼすことはありません。体にいいことはないので、実際に食べてもらっては困りますが、胃腸から水銀が吸収されることはあまりないのです。しかし、チッソ水俣工場が排出していたのは、純然たる元素としての水銀ではないのです。

周期表のだいたい中央部にある重金属の元素が電子を失うと陽イオンになりますが、水銀が電子を失うと、無機水銀と呼ばれるものが形成されます。これは、プラスの電荷を1~2個持った陽イオンですが、これが問題を引き起こすのです。

例えば、19世紀の帽子工場は硝酸水銀という化合物を帽子用のフェルトを作るのに使っていました。職人たちは、それから遊離した水銀の蒸気を毎日何時間も吸っていたわけです。その影響はかなりひどいもので、たいていの職人が、人格障害、幻覚症状、ひどい震えを患いました。実際、『不思議の国のアリス』に出てくる「狂った帽子屋」はここから来ているのです。

チッソ水俣工場は、帽子工場と同様、有害な水銀化合物を海に排出していました。しかし、水俣の猫は、単に水銀の蒸気を吸うより、はるかに悪い状況にありました。

その根源は水俣湾に生息する嫌気性バクテリアにあります。嫌気性バクテリアはエネルギーの源として、酸素ではなくて、硫黄を使います。また、それらは周りの水質や、漂っているイオンも気にしません。

これらのバクテリアが、水俣湾の過剰な無機水銀に触れると、それを、水銀のもっとも有毒な形態であるメチル水銀に変えます。メチル水銀は、水銀に炭素原子が1個結びついた、1価の陽イオンの形態をしています。

無機化合物と有機化合物は、水と油のように、混ざり合おうとしません。ですから、元々の無機水銀のイオンだけが漂っていても、海底の植物はそれらを無視します。

しかし、バクテリアによって作られるメチル水銀は「バイオアベイラブル」と言って、生物学的に利用可能、つまり、植物が体内に吸収することができるのです。そして、それは人間や動物にとってとくに有毒なのです。というのは、水銀そのものとは違い、メチル水銀はほとんどすべて胃腸で吸収されてしまうからです。

猫が踊り始めた?

メチル水銀が濃縮していく仕組みは次のようなものです。メチル水銀はいったん植物の中に入ると、そこに留まります。そして、これらの水銀を含む植物は魚に食べられます。魚がたくさん食べれば食べるほど、メチル水銀が魚の細胞内に溜まっていきます。

ですから、魚が大きくなればなるほど、より有毒になっていきます。そして、水俣の猫の食べ物はといえば、もちろん、大部分がこの毒を含んだ魚だったわけです。

1950年代の初め、住民は猫が踊るような素振りを見せるのに気づきました。滑稽に聞こえるかもしれませんが、実は、深刻な事態が起こっていたのです。猫は、ひどい痙攣を起こし、恐ろしい鳴き声を立て、ついには死んでいきました。

1956年頃、水俣の住民も同じような症状を経験し始めました。手足のしびれ・痙攣、高熱、視覚及び聴覚障害などを訴える人で病院はごった返しました。意識を失い死んでしまう人も大勢いました。

医者や研究者たちは、水俣病と名付けられたこの病気の調査を始めました。そして、1959年には、原因を突き止めました。魚を食べたことによるメチル水銀中毒だったのです。

しかし、なぜそれが重度の出生異常を引き起こすのかはわかりませんでした。人の体には、胎盤関門という膜組織があって、水銀のような有害なものを阻止して、胎児に届かないようになっているからです。

今では、メチル水銀は、必須アミノ酸であるメチオニンのふりをして通り抜けることがわかっています。メチオニンはもっとも大切なタンパク質の構成要素の1つです。メチル水銀は、体内にはいると、システインというまた別のアミノ酸とくっつきます。そして、システインとメチル水銀が一緒になったものは、細胞にとってメチオニンとほぼ同一に見えるのです。

メチオニンの特性は、極めて侵入が難しい胎盤関門や、脳を守る同様の関門をいとも簡単に通り抜けるということです。

1962年には、研究者たちによって、チッソ水俣工場の化学製品製造工程は、メチル水銀中毒を引き起こしうるということが証明されました。しかし、チッソが工場廃液を海に排水するのをやめたのは、最初の犠牲者が出た12年後の1968年になってからのことでした。

政府は1977年に水俣湾の汚染除去を開始し、1997年には湾の海水は安全になったとされています。しかし、人々が、再び水俣を素晴らしい楽園と見なすようになるのはまだまだ先のことでしょう。

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