浦和サポーターの記憶に名を刻んだ男

玉乃淳氏(以下、玉乃):わざわざ沖縄からおこしいただき、ありがとうございます。

根占真伍氏(以下、根占):いえいえ。

玉乃:根占くんといえば、サッカーファンには忘れられない、あのシーンが……2007年でしたっけ? ……浦和レッズの優勝を阻止した「あのゴール」で名を馳せましたよね。

根占:名を馳せた?(笑)。

玉乃:最終節でしたっけ?

根占:そう。浦和vs横浜FC。浦和は、勝てば優勝で、引き分けでも優勝で、僕らは(横浜FC)すでに降格が決まっていて、試合はじまる前から、誰もがみんな浦和優勝の空気の中にいた……日産スタジアムで。

玉乃:満面の笑みでゴールして(前半17分の根占選手の得点が決勝点となり、最終節で浦和が鹿島に逆転優勝された)、5万人のレッズサポーターの沈黙を誘った……よく当時、街を歩けましたね。

根占:確かに(笑)。

玉乃:いろいろ言われました、そのとき?

根占:どういうこと?

玉乃:KYとか!?

根占:言われたかな。

玉乃:レッズサポーターに「なにしてくれてるんだ!」とか。

根占:それは、ないかな。

玉乃:「根占真伍」とサッカーファンが聞くと、だれもが半笑いになる(笑)。

根占:やっちゃったな、あいつ……って(笑)。

玉乃:ウチのスタッフたちも、「あ、あの人ですね?」って、「やっちゃった人ですよね?」って(笑)。激動のサッカー人生を歩んできたとは誰も知らずにね。結局、何年現役でやりましたか?

根占:なんだかんだで、結局10年。小学校4年生からヴェルディで。ヴェルディジュニアユース、ユース。で、トップチームにはいって……4年間ヴェルディのトップチームでやって、4年間横浜FC、2年間熊本かな。合計10年。もう1年間、最後に海外でもやりたくて、探してみたいと思ったけれど、そのまま引退しました。

膝のケガに悩まされ続けたサッカー人生

玉乃:引退時は28歳ですよね。ということは、引退後まだ3年そこそこしか経っていないんですね。もう10年ぐらいかと思いました(笑)。僕はそばにいたので、根占選手といえば「膝のケガ」というイメージが強いのですが……ファンの方も含めてみなさん、そんなに知らなかったと思うんですよね、あの苦労を。いつ頃から膝のケガに悩まされていたんでしたっけ?

根占:中学からです。中学3年から常にアイシングをしていたからね(笑)。

玉乃:それはオスグット(成長痛)ですか?

根占:それの延長にあるような状態だったらしくて。最初片足だったのが両足とも痛みが出てしまって……。

玉乃:すごかったですよね。練習前のケアと練習後のアイシング。成長痛と思っていたら、成長止まってからもずっと痛そうでしたよね。大手術も経験したわけですけれど、あれは、いつ頃でしたっけ?

根占:プロ入って2年目かな?

玉乃:プロ1年目からレギュラーで試合に出ていたのに。

根占:痛みとつきあいながらだね。2年目にはもう制御不可能になって、腱が切れちゃった。1年ぐらいリハビリして復帰して、またケガして、計3回やっているからね、手術。

玉乃:想像を絶しますよね、いま考えると。世界をみわたしてみて……この同じ持病を持った方って誰でしたっけ……?

根占:イタリアのキエーザとブラジルのロナウド。

玉乃:あ、そうでしたね。当時、日本で手術できるドクターはいたのですか? かなり特殊なケガだったと思いますけれど。

根占:手術できる先生はいたけれど、症例が少なかったようだよ。結局手術する人は交通事故か、お年寄り。スポーツ選手としては初めてだったみたい。国内で名医といわれている先生でも症例が少なかった。1回目の手術では完ぺきではなくて……結果的には成功したけれどね、手直ししてもらったっていう感覚だよね。復帰してからも、また別の痛みとの闘いがまっていた。膝が曲がらないとか、逆足をかばって痛めちゃうとか……。

玉乃:よくその状態で28歳まで続けられましたよね? しかもプロの第一線で。

根占:いま考えると、たしかにね。

玉乃:そんな痛みの中、「やめたい」と思うことは、一度もなかったんですか?

根占:一度もなかったですね。まあ、これは後日談なんだけれど、一度目の手術のときに、ドクターが僕の親に、「(現役続行は)無理かもしれない、覚悟しておいてほしい」伝えていたそうです。僕は聞いていなかったけれど、やめざるをえなかったかもしれないですね。

玉乃:そのことを、いつ聞かされたのですか?

根占:24歳。結婚したときぐらいかな。それにしても選手時代の半分ぐらいはリハビリしていたんじゃないかな。

根占氏を支えた奇跡の女性

玉乃:リハビリのときと、メンバー外のときほど、選手にとってツライときはないと思います。そんな状況が、10年間のうち5年間もあったわけですよね? その苦しい状況を乗り越えられたのは、完全に奥さまのおかげですよね!?

根占:そうだね(笑)……24歳で結婚して、妻が一番大変だったと思う。

玉乃:たしかに。若くしてこういう「わけあり物件」な旦那を支えるってね。しかもタレントをやっていたわけじゃないですか、彼女自身が。

根占:たしかに(笑)。

玉乃:芸能界から退いてまで、根占くんを支える決断って……。

根占:本当に感謝だね。

玉乃:で、現役時代の大変さもさることながら、引退してからも路頭に迷ったわけですよね? 何をしたらいいんだろうって。それでも応援してくれるって、どれだけ根占くんのこと好きなんですかね。

根占:ありがたいね。

玉乃:ありがたいっていうか、ボランティアなのかな?

根占・玉乃:ははははは。

玉乃:だってツライよね? 逆の立場にたって、もし毎日奥さんがケガして帰ってきたら。

根占:絶対落ち込むよね(笑)。でもホント、一度もイヤな顔をされたことがなかった。たしかに、いま考えると凄いことだよね。

玉乃:国民栄誉賞あげたいですね!

根占:たしかに(笑)。厳しい業界でタレント活動していたことも勝負の世界を理解してくれた1つの理由なのかも。「最後までやりとげて」って言ってくれた……泣けてくるね。

玉乃:一方で、東大出身のお医者さんと結婚されてしまった、僕。

根占:(笑)。

想像を絶した引退後の苦悩

玉乃:痛みとともに歩んだ10年間も想像を絶するほど大変だったと思うんですけれど、引退後のこれまでの3年間も大変だったんじゃないかなと思っていました。そばで見ていましたが。

根占:どちらかっていうと引退後の方が想像できていなかったかもしれない。思ったより大変だったというのは、正直あるな。引退決意したときはノープランだったからね。タイミングよく、知人の紹介でお仕事の話をいただいて、チャレンジしようかなと思った。業種で選んだというよりは、知り合いの紹介だからという感じだった。

玉乃:でも、知人の紹介だからといって、よく「じゃあ、これやろう!」って、すぐなりましたね? 不動産関係ですよね?

根占:そうだね……でも結局、そこの会社9ヵ月でやめることに……家族は沖縄に移っていて、東京で単身赴任だったから……やはり家族と一緒に住みたかったかな。会社の人たちは本当にいい人ばかりだったけれどね。もう少し現役時代から引退後のイメージ持っていたほうがよかったかなって、いまは思っている。

で、沖縄で家族と一緒に暮らすことを決意して……仕事探さなければならないから、自分で電話して面接受けに行って、就職。いざ沖縄に移住することになるんだけれど、自分にとってはまったく未知数の沖縄でしょ、引退して初めて就職したときより心配は大きかったよ。怖かったなぁ。

で、そこの会社で半年くらいかな、働いて……また知人から……転職の話をいただき、同じ沖縄県内で転職を……いま3社目。

玉乃:どんだけ行き当たりばったりですか。

根占:沖縄で家族と一緒に住むことを最初に決めたから仕方ない部分もありますよ。家族と一緒に住むことが最優先だったから。そこが一番大事なところだから。

玉乃:その状況下で自分にあった楽しい仕事を見つけるっていうのは、かなり難しそうですね。

根占:ギャンブルみたいなものだよ。

玉乃:大きな組織の中で働かれていると思いますが、具体的な仕事の内容は?

根占:住宅に関わる設備をメーカーから販売店に対して卸しています。

玉乃:勝手な想像なんですがね、根占くん自身、そんなに面白くはないと感じていると思えるんですが、実際はどうですか?

根占:いまいる会社は業界では名も通っているし、安定という意味で家族にとってはいいのかなと思う反面、大きい会社での大変さというか、縛りのようなものが、当然いろいろあるね。

玉乃:そこでよく馴染めていますね? 根占くん、昔からマイペースだから(笑)。失礼ながら、沖縄の人って時間にルーズで守らないイメージなんですが、会社はどうなんですか?

根占:会社は当然時間守るよ(笑)。納期のある仕事でもあるし、リズムがゆったりはしているけれど、もちろんちゃんと納期守るよ、沖縄だって。でも刺激は少ないかな。自分にとっては子供を育てるという意味で、とてもいい環境ですけれどね。

玉乃:愛されていますよね、常に。引退してからもこんな仕事あるよとか、沖縄でも知り合いの方から転職のお話いただけたりとか。

根占:たしかに。

玉乃:愛されるキャラなんでしょうね。そういえば小学生の頃から日本一キャプテンらしくないキャプテンでしたもんね。キャラが濃くないというか、存在感ないというか(笑)。

根占:ははは、自分でもそれは思います(笑)。なんでキャプテンなんてやっていたんだろう。しかも3年間もやっていたからね。

玉乃:現役時代の膝のケガの苦しさに比べたらなんでも乗り越えられちゃいますよね、きっと。キエーザ、ロナウド。根占……って、プレースタイルは他の2人とまったく違うのに(笑)、なんで根占くんがその痛みを授かったんですかね? 神様とかそういうレベルの話になりますかね、「なんで俺だけ?」って。誰かのせいにしたくはなりませんでしたか? またケガの話に戻っちゃいますが。

根占:誰かのせいなどとは思わなかったよ。やっぱり助けになったのは妻の存在。あと、やっぱりサッカーが大好きだったからね。

玉乃:それだけ好きだったサッカーと全く関わりがない環境に、いまいると思いますが、もう関わらないのですか? 関わらないで、すむものなのですか?

根占:引退直後は、もうサッカーに関わることはないと思っていましたが、いま少し時間が経って、完全にはなれてしまっていることに対して、ちょっと寂しい気持ちもあります。なんらかの形で繋がっていたいなって思っています。具体的なプランはありませんが、これだけサッカーに携わってきて、膝のケガともあんな思いをしながら付き合ってきたのにって。

自分にしかできないこと

玉乃:その膝の痛みの経験を、誰かのために活かすようなことを考えたことはありませんか?

根占:それ、今後、間接的な形でサッカーに関われる可能性かもしれないね。「膝のケガをしたら、根占まで連絡を!」みたいな。

玉乃:僕、そういうの、すごく需要あると思うんですよ。結局、ケガを我慢して乗り越えたことが、いまの家庭の礎になっているわけですよね。あの試練を放棄してチャランポランに生きていたら、いまの家族はないですから。だから、「とりあえず、ケガをしたらこちらへ!」みたいに、メンタル面でもなんでも相談にのってもらえたら、スポーツ選手助かるんじゃないかなって思いますよ。

根占:需要あるなら、してみたいな。そういうのって、お金云々じゃないもんね。少しでもケガをした選手の役に立てたら嬉しいかも。経験したことあれば、わかるけれど、リハビリも忍耐の連続で、3歩進んで2歩さがる……なんてものでなくて、3歩進んで4歩さがるみたいな日々をすごすからね。ツライよね。

玉乃:トップレベルのプロ選手でなくても、例えば中高生の世代で、ケガのためにスポーツ選手としても夢をあきらめなければならない選手もいるわけですから。でも人生はそこで終わるわけではなくて、一歩ふみだして、また夢を追うこともできるし、そこから歩き続けることができるんですよ。そう意味では、根占くんの経験って、同じような境遇の人たちにとっても、非常に貴重なんだと思います。

根占:そうだね……活かせるかもね、僕の経験も。

それにしても考えさせられるね、この対談。自分だけだとね、実は怖くて過去を振りかえったり、現状と向き合ったり、できないからね、普段。今日は話せてよかったよ。大きな会社に勤めて、一見「安定」というものを手にしたような気もするけれど、まだまだ勝負をする機会あるってことも、気づかされたし。ただ、唯一無二というか、僕にとって絶対的に揺るぎない一つの基準は、「家族がそばにいるということ」だな。それにも気づかされたよ。ありがとう。

玉乃:こちらこそ! わざわざ沖縄からきてくれて、ありがとうございました。お互い刺激しあってこれからも生きていきましょう!

【根占真伍プロフィール】 ヴェルディの下部組織出身。東京ヴェルディや横浜FC、ロアッソ熊本など、10年間プロとしてプレー。正確なパスとチームへの献身性は、どの監督からも高い評価を受け、各所属チームではスタメンでプレーすることが多かった。一方で先天性の膝の持病をかかえ、幼少期からケガと戦い続けた。引退後は沖縄に移住し、大手企業に就職。現在、海のある心温まる生活環境で、家族4人で幸せに暮らしている。