訪朝から帰国の猪木氏が会見

アントニオ猪木氏(以下、猪木):元気ですかー!? 元気があればなんでもできる! 

本当に今大事なのは、健康に勝るものなしということで。私もだいぶ歳を重ねてきましたので、腰も痛いし首も痛いし、身体に受けた傷、手術、歳の数よりもはるかに多いというのが今の現状です。

今回また、何回目でしょうかね、前回、たしかあれは4年前でしょうかね。その前に、もしかしたら(モハメド・)アリの試合の時もここに呼ばれたことがあったのかなと。まあそういうわけで、今回またお呼びをいただきまして、ありがとうございます。

今回の訪問が32回目ということになります。最初に訪問したのが94年。北京に1泊しまして、空港へ向かう途中に「金日成主席、逝去」というニュースが流れて、空港で足止めになりました。

「今回はお迎えできません」ということで諦めて帰ってきて、そのあと、2ヶ月後でしょうかね、招待状が来て、最初に北朝鮮を訪問しました。

今日は時間が短いので。なぜ北朝鮮とのつながりがあるかということは、私の師匠・力道山が北朝鮮の出身であった。(力道山は)日本に帰化してましたから、日本人でもあるわけですが、戦後最大のヒーローというか、日本の敗戦という、廃墟から国民に立ち上がる勇気を与えてくれた。

戦後の最大のヒーローだった師匠・力道山が、祖国に錦を飾れないという。南北が分断してしまって。そういうなかで師匠の思いを届けましょうというのが、先ほど言った1994年ですね、最初に訪問したことから始まります。

そういうことで、毎年招待をいただき、またこちらからも積極的に行ったこともあります。本当に1日も早い平和ということを願いましたが、逆に時代を重ねるとともに緊張が高まり、一番最悪な、核戦争まで起こりうるのではないかという、今、状況に来ております。

ご存じのとおり、毎日ニュース、トランプ大統領のニュース、また日本の首相、安倍総理、あるいはいろんな各分野からの話もあります。

1つには、どちらが先かは別にして、拳をあげた、そうしたら北朝鮮が拳をそれより高くあげた。それより今度はアメリカが拳を高くあげた。そんな感じで、今、どちらが拳を高くあげられるかみたいな感じに、私には受け取れます。

日本は唯一の被爆国として、広島、そして長崎ということで、本来はこの仲介役に立って、さっき言った拳を半分、少しでも下げるような、日本の独自の外交をやってもらいたいというのが私の思いです。

みなさんも質問があるでしょうから。質問に入ったほうがいいと思いますので。限られた時間で、なんでもけっこうです、聞いていただければ、率直にお答えをさせていただきます。

1つは、挨拶が長くなりますと、あいつは歳をとった証拠だと言われますので(笑)。

(会場笑)

どうぞ、質問されてください。

安倍総理には訪朝は難しい

(外国人記者1から「これまでの訪朝の成果」「なぜ赤いタオルを着用しているか」についての質問)

猪木:まず、最後の質問から。昔プロレスラーだったので、リングでガウンを着るときに、下に赤いタオルを巻いていたんです。それで引退したあと、ファンから「やっぱり赤いタオルが似合いますから」と言ってタオルが贈られたんですが、タオルじゃ流石に街を歩けないので、。マフラーというのかストールというのか、国会でもこれは議論になりましたが、そういうかたちでやっております。

それで先ほど言われた今までの成果というのは、人の流れを切らない。どんな状況であろうとドアを閉めないという私の基本的な考え方です。

1つには、スポーツ文化交流は否定する人は少ないと思いますので、私の場合は「スポーツ交流を通じた世界平和」というのが、89年に政治の場に出たときのスローガンでした。お答えはそれでいいですかね? 

先日、小泉元総理が(北朝鮮)に行かれるということが新聞やニュースになりましたが、安倍総理にはこれ(北朝鮮訪問)は非常に壁が高いと思います。

平壌宣言があって、その後は制裁をかけられたという、そのへんの誤解というよりも流れがあります。なので、もっと違う方がもし行くチャンスがあれば、前段の交渉をされることが大事だと思いますね。

自民党の中に北朝鮮と対話したい議員がいる

(外国人記者2から「北朝鮮に対する政府の対応の変化」に関する質問)

猪木:やはり政権与党である自民党の決定が非常に大きいわけですね。その中で空気が変わりつつある。今までは制裁一辺倒であったのが、対話も必要だと。

先日の朝日新聞でも五十数パーセントの方が「対話が大切だ」、「圧力」は四十数パーセントだという記事がありました。そういう中で、自民党の中にいろいろ対話をしたいという考え方を持つ人がいまして、そういう仲間が増えてきているということ。風が変わってきた。

たぶん政治には表と裏がありますから、みなさんが願っていることは「戦争はとんでもない」。同時に風が今、ちょっと変わりつつある。日本はみんなで渡れば怖くないという言葉がありますが、1つの流れができると全部そっちに目が向いてしまう。そういう反省から言えば、第二次大戦もしかりだと思います。

そういう流れの中で、今違う風を、ちょっと方向を変えてみる。そういう空気が醸成されていると思います。

まあ1つには、「ぶれない」という言葉。先ほどどういうふうに英語で訳されますか、と質問したんですけど。

今日言ったこと、昨日言ったこと、今日は違う。今日言ったこと、明日には違う。そういうのが各国のリーダーが発言されていることを見ました。

要するに人生は、プリンシプルという、1つの背骨じゃありませんが、キュッとした基本的な考え方、生き方。これは今、戦後に本当に忘れ去られたわけではないと思いますが、それをしっかりと、人生はどうあるべきかという部分、基本的なそういうものを持たなきゃいけない。

政治の世界がまさにそういうものを示してもらいたいと思っています。

北朝鮮で会談した人物たちは

記者3:北朝鮮でお会いされた方々、もう少し具体的に(お聞きしたいです)。北朝鮮でお会いされた北朝鮮側の政治家、そして彼らの発言について。

猪木:写真ありましたか? あ、これか。

この方が、党の副委員長、リ・スヨン。外交の今トップであります。

政治の仕組みというのが、労働党が一番上にあります。労働党の幹部、そして政治というかたちになりますんで、この方が外交では全部、権力を持たれています。

この方が労働党常任委員会の委員長ですね、キム・ヨンナム。

必ずパーティの席上でですが、まあ、会談もしたこともありますが、非常に私のことをよく理解していただいたというよりは、「この難しい時期によく来られましたね」という歓迎の意をいただき、ご覧のとおり、にこやかな顔で出迎えてもらっています。

(ほかに現地で会ったのは)パク・ヨンスク。なんだろうな、人民武力省というのがありますが、それの大将ですね。

ほかにもいろんな方お会いしましたが、本当に膝を突き合わせて握手をして、その感じっていうのは、本当に友好的であるかどうかっていうのはわかりますね。だから、「やあよく来ましたね」っていうので終わるんじゃなくて、そこからまた話が始まるんで、時間が長くなってしまったりすることもあります。

訪朝団の可能性

(外国人記者4の「安倍首相を含めた議員団訪朝」についての質問)

猪木:先ほどちょっと出ましたが、訪朝団という議員団の……ある方も代表団という提案をさせてもらいましたが、そこはまだちょっと時間的に(難しい)。それで、(北朝鮮側に)「議員団の訪朝団を迎えてくれますか」という話をしたら、「喜んでお迎えしましょう」と。

1つには、これは、アジアというか、あるいは北朝鮮、韓国も含めての、儒教の世界の精神であったり。そういう意味では必ず1つのお土産を持って、お土産ってものじゃないんで、その、そういうお国のあれがあると思います。

最後に、答礼の会をやったときに、「ぜひぜひ提案されたことを前向きに考えましょう。そしてその訪朝団に関しては受け入れるし、我々は了承しました」と。

(外国人記者5の「元プロレスラーが議員として活動することにどのような違いがあるか」についての質問)

猪木:私はあの、1976年ですね。モハメド・アリと試合をしたおかげで、世界中に私の「アントニオ猪木」という名前が知れました。そういう関係で、政治の場に出たときも非常に馴染みやすいというか。

普通は国と国との関係であったり、外交について、その点は独自外交ということで、基本的にはスポーツ外交ということでいろんな偉い方と会見することもありました。

最初にお会いしたのは、フィデル・カストロ(フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルス)さんで、1989年ですかね。そういう関係で、ロケットのアントニオさんは知りませんが、1つは先ほども言ったように、交流という。

これは、ある意味では、今は議員外交も大事だと。当然、総理が行かれて話をする、これは最高のアレでしょうけれども。同時に、我々バッジをはめさせている以上は、そういう二重外交という素の批判が出ますが、そうではなく国をちゃんと理解した上で、我々の立場という部分で、そういった外交は必要だと思っています。

金正恩側近と会談しての感触

記者6:日本語で質問いたします。先ほどリ・スヨンさんとかキム・ヨンナムさんなど、お会いされた方々のお名前が出ましたけれども。議員が実際にそういった方々とお会いして、とくに日本に対してどういうお話があったのか。あるいは、議員の方でどういった感触を得たのか。

とくに今回のミサイルというのは、アメリカにとって、アメリカまで届くか届かないかの瀬戸際で非常にそれを深刻に考えているということはわかるのですが、日本はもともとミサイルのレンチの中に入っているわけです。

今、日本と北朝鮮との間でどういうことが起きていて、日本の政府の反応や対応を北朝鮮側はどういうふうに見ているのか、評価しているのか。議員がお話した方々からの反応でもしそういったものがあればお願い致します。

猪木:かつて私は、イラクの人質開放を1990年ですかね、その時にウダイ・フセイン、あるいはラマダン副首相と、そういう方と会談をする時に、30~40分ずっとストーリーを聞かなきゃいけないんですね。「なぜここだ」と。

そういう経験の上で、北朝鮮も同じように、最初はそういう話を30分黙って聞いてなきゃいけないんですけど。まあそういう、ある意味大事ではありますけど、こちらも勉強して行ってます。そういう中で、「もうそういう話を抜きにして、本音の話をしましょうよ」ということで、向こうの方たちとの会談をしております。

それでまあ、たまには、私の場合は、まず酒を飲んだ時に、ロシア外交をやった時に、ウォッカでロシア人をぶっ飛ばしたのは私だけだろうと。佐藤優君が書いてますけどね。

そういう意味では、やはり政治家あるいは外交は体力も必要だよと。まあ、そういうことでですね。正確なお答えになってたですかね?

日本の訪朝団、実現するとしたら…?

記者7:日本語で失礼します。2つあるんですが、まず1つ目。今回32回目の訪朝ということでしたが、今、厳しい状況であるというお話もありましたけど、これまでの訪朝と特別違ったところがあったかどうか。

もしあったとすればそれはどんな行動だったり、猪木議員とお話されている内容でなにか感じられたことはありますか?

猪木:政治的には、先ほど プリンシプルという話で、言ってることはずっと毎回同じかたちでの話です。

ただ1つ、やはりメディアの欲しがるいろんな写真。街並みが行くたびに変わっていると。今回、70階建てのビルも完成して、本当に街並みは……。

あるいは、そこにいる人たちのファッションもそうなんですね。私に同行してる人間がそのへんは詳しいのであれなんですけど。要するに2、3年前は日傘が多かったんです。いろんなきれいな。今年は乳母車がけっこう流行ってて。動物園にも案内されましたが、乳母車に乗ってるような場面。

そのへんが、政治的なつっぱり合いの話と同時に、国民感情がどういうふうに変わってきてるか。たぶん根底にはいろんな……これからの経済という部分に目を向けてる人たちも増えています。

記者7:じゃあ、もう1つすみません。先ほど自民党の中の空気も少し変わってきたというようなお話があったかと思うんですが。

具体的にいうと、どのぐらいの方々が対話の方向に少し変わってきたかなというところと、もし訪朝団を組まれるとしたらどのぐらいの人数になるのかなというところはいかがでしょうか?

もし対話というのは、日本政府は核兵器を保有することを認められないというスタンスではありますけど、そのあたり、対話に持っていく場合に、核兵器の保有を認めるかというのはどうでしょう?

猪木:私の場合はこういうキャラクターですから、別にどこから叩かれようがなにも問題はないんですが。例えば名前を出してしまうと、そういう政界の中でのいろいろがあると思うので、ちょっとそこは差し控えさせていただきたいと思います。

もう1つ、私が質問させていただきたいのが、日本の不倫問題はどうお考えですか? 女性の立場から。

記者7:(笑)。

最後は恒例の「1・2・3・ダァーッ」

記者8:フリーランスのフジタと申します。夕刊フジと関係しておりますが、リ・スヨンさんが、「アメリカの核に守られた日本の脅威があるから」ということを言っていたのをテレビの報道で見ましたが。

逆にそれに対して「いや、そうじゃない」と「あなたがそんなことをするから、日本も韓国も核武装だ、なんて議論が出てくるんだ」という、猪木さんからカウンターを出したとか、言った内容が聞ければ大変ありがたいんですが。

猪木:まあ時間がないので……、(記者に対して)なんでそんな遠くに行っちゃったんですか? 殴られると思ったんですか? あっはっは(笑)。

そうですね。ただ相手の状況も見極めながら来訪をやっていかなければならない。決して北朝鮮に期待する片棒を担ぐという、すぐそういう言い方をする人もいるかと思いますが、相手がなにを考えているかを聞くことも一番大事なんです。

当然これからレベルの上がった話し合いになっていけば、そういう話は出てくると思います。

(司会者から感謝の言葉)

猪木:先ほども申し上げたとおり、信念というかぶれないというか。やはり我々はファンがいるので、そのファンに対して生き様というか、「だから猪木を信頼できる」と。今のレスラーたちや、あるいは他のスポーツ選手も引退をして、またすぐに「やり残したことがあるから」とカムバックをしている。でも、現役というのは最高の状態を持続できないから引退をする。

それはそれぞれの生き方があるから否定はしませんけれども、そこが私が一番大事にしたいところだと思います。

今、若い政治家が多いですから、やはりこれからもっともっと色んな経験を積んで、「命を賭けます」と選挙中にかならず言うと思いますが、本当に命を賭けるということがどういうことなのか。そういう国家国民のために命を賭けられるような心を持った政治家に、若い人たちが早く育ってほしい。我々はその背中を見てもらえればいいと思っています。

司会者:ありがとうございました。

猪木:行くぞー! 1・2・3・ダァーッ!