(注:全編英語の会見を翻訳書き起こししています)

日朝交渉のかつてのキーマンが登場

司会者:お集まりのみなさん、こんにちは。本日ここで田中均教授をご紹介できるのを非常にうれしく思います。

彼の名前をご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんが、長い間この名前には愛着があります。なぜなら、私はいつもこのミスターXが一体誰なのかと知りたいと思っていました。

今となってはみなさんが、ミスターXが誰かを知っていますね。残念なことに現在では辞めてしまったようですが、彼の果たした北朝鮮との交渉(注:2002年、小泉純一郎元首相の平壌訪問)は、外交のマスターピースであったと私は考えています。

私も元外交官だったのでよくわかるのですが、ああいう類の突破口を開けた国はとても珍しい。とくに日本は秘密裏で行われる外交に関する経験はないと当時思われていたのです。

とにかく、これは彼のおかげと言えるでしょう。今では国際戦略研究所の理事長をしているので、北朝鮮との国交よりも大きな分野をカバーしておられると思います。彼がここにきたタイミングは本当にラッキーです。

ちょうど北朝鮮の問題が勃発したところですから、その点に関してもお話を聞けたらと思います。彼をここにお迎えできるのは光栄です。携帯電話は電源を切ってください。彼は30分ほどお話をしてくださることになっています。

その後、質疑応答に移ります。(田中氏の方を向いて)タイムリミットは16時でしたよね? ですから1時間は質疑応答ができるはずです。みなさんもたくさん聞きたいことがあると思います。田中さん、お願いします。

(会場拍手)

北朝鮮と秘密裏に交渉した田中氏

田中均氏:ありがとうございます。そしてグレゴリーさん(司会者)の親切な紹介の言葉と、身に余るお褒めの言葉に感謝します。

しかし、正直に話すと、私自身が今日なぜこの場に呼ばれたのかをよくわかっていません。私は12年前に政界を離れましたので、現在、朝鮮半島において日本とどのような状況が生じているかをよく知らないからです。

しかし彼が今、親切に話してくれたように、15年前に北朝鮮の外交官と話をし、秘密裏に北朝鮮と1年間交渉しました。2002年の9月17日に小泉純一郎総理大臣が北朝鮮に出向き、日朝平壌宣言のための交渉でした。

この日朝平壌宣言は、日本と北朝鮮の関係におけるロードマップのような働きをすると話していましたが、その中には北朝鮮における核開発の疑問を解決することも含まれていました。北朝鮮の核開発における問題解決に関してはとくに具体的に述べられていました。

私は2001年初頭、北朝鮮との交渉だけでなく、長きにわたり関係を持ってきました。北東アジアの取締役、霞が関の理事として、北朝鮮の問題を研究していました。

大韓航空機撃墜事件が起きた後の1988年、北朝鮮のテロリスト・金賢姫氏に初めて会いました。そして1994年に生じた、初めての北朝鮮における核危機の緊張も目撃しました。

また、KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の設立のために、米朝を相手に交渉しました。それは軽水炉を用いて朝鮮における核開発の問題を解決するという目的のものでした。初の防衛協力ガイドラインに関する交渉です。

そのガイドラインは朝鮮半島の緊急事態に備えるものでした。そして1996年に防衛協力ガイドラインをまとめます。私は今でもアメリカのキャンベル氏らの外交官と話をした時のことを覚えています。私たちは朝鮮半島が非常事態となった時のシミュレーションをしました。そして北朝鮮との緊急事態における日本の役割を定義しました。

制裁で解決するより交渉による解決を

2001年、さまざまな問題の外交的解決のために北朝鮮との交渉をしました。その問題の中には核ミサイル問題や拉致被害者問題に関するものが含まれていました。実は、私は外務省を12年前に去りましたが、私は今でも、交渉による外交的解決にかかっていると思っています。

ほとんどの政府は圧力の必要性について言及します。もちろん、圧力は外交的解決において必要です。そこで、朝鮮半島の状況についての懸念点と、北朝鮮の核開発問題の解決方法について、私なりの考えを述べたいと思います。

まず、私は朝鮮半島においての軍事的圧力の可能性を軽視するべきではないと考えます。なぜ半島においての軍事的圧力を軽視するべきでないのか。その理由をはっきりお話ししたいと思います。米朝に対する交渉してきた私の経験をもとに分析した考えです。

私は長期間にわたってアメリカと交渉をしてきました。1980年代、アメリカと26の同意を得ることができました。アメリカの弁護士たちは本当にタフで、高圧的に、「あなた方がこうしなければ、処罰が加えられますよ」という交渉をしてきます。私はそれにうんざりしました。先ほど話したように北朝鮮に関しても、何年もの間、交渉をしました。

私がなぜ軍事的圧力を軽視してはならないと言うか、それには5つの理由があります。まず、北朝鮮はアメリカの真のアプローチを理解していないのです。北朝鮮は核兵器を開発し、ICBMをアメリカ本土の、とくに東海岸に届くようにすることが、アメリカからの攻撃にあった際の最も有効な抑止力になるであろうと考えていますが、それはまったくの間違いです。

なぜならパールハーバーの事件や、9.11を例に考えると、アメリカは国家の安全を脅かされると即座に行動を起こしてきました。北朝鮮はこのことを理解してはいません。ですから、北朝鮮が自身の軍事力やICBMに核兵器をつけてアメリカ本土に届くようにすることにより、アメリカが先制攻撃をする可能性を引き上げていると私は考えるのです。これが、私が軍事対決の可能性がほど遠くないと考える1つめの理由です。

2つ目の理由は、私が先ほど話したように、「アメリカが世界で一番の国家である」というアプローチに慣れてしまっているからです。朝鮮半島の歴史をよく見てみますと、朝鮮はたくさんの侵略をロシア、中国、日本から受けてきた国です。

それゆえ彼らのメンタリティは強く、怒りのような感情を抱いて大きな力に立ち向かうといったところがあります。それに対してアメリカはいつも、「正義のため」というのが根本的な姿勢です。

ですから私たちは北朝鮮のメンタリティを理解する必要があるのです。私が北朝鮮と交渉していた1年間の間に非常に強く感じたことは、日本が朝鮮人に対して多くの苦しみを与えてきたと捉えられていることです。

在りし日の金正日の印象

私の通訳が彼を将軍として紹介したのですが--北朝鮮の将軍と会った時、私は彼らの主張に先に耳を傾けるべきであると感じました。私はただ、彼らの悲しみの声を何時間にもわたり耳を傾けました。

彼は、自分の祖父母は日本の名前を持っていると言いました。そして植民地時代のさまざまな騒乱により朝鮮人は苦しんだとも言いました。ですから私が言いたいのは、友、敵、そして北朝鮮のような得体の知れない国家との間であれ、いかなる外交的交渉を行う際に信頼関係を築くのは不可欠であるということです。

信頼関係がなければ、交渉は決裂してしまいます。ですから私は、アメリカは北朝鮮の思考を理解できていないと考えるのです。

私たちがなぜ軍事的対決を軽視してはならないかという3つ目の理由は、北朝鮮の内部状況と大きく関係があります。金日成、金正日ときて今は3代目です。金日成、金正日にはカリスマ性がありました。

私が北朝鮮と交渉をしていた時、北朝鮮は金正日の支配下にありました。私の通訳はよく、彼の主君である金正日はいかに有能であるか、いかに勇敢であるか、いかに頭が柔らかいか、というようなことを言っていました。

結局あのような独裁社会において、毎日の生活において一般市民を窮屈にコントロールする必要があり、あの強い力を保持するためには、民衆からの尊敬を受けなければならないのです。

その点に関して金正恩は未熟にもかかわらず、北朝鮮の基本的な政治構造を変えてしまっているのです。金正恩の時代には軍事が先行していましたが、現在では政治の党派が優先されています。

政治管理されるようになったので、それら多くの人たちが処罰されてしまいました。ですから金正恩は魅力ある強い人であるとされる必要があり、今回の核兵器やミサイル開発やアメリカとの戦いは彼が国民を支配する道具として非常に重要になるわけです。

同様のことがアメリカに対しても言えるかも知れません。私はトランプ政権について語りたくはありませんが、彼の任務は通常でないと言えるでしょう。

アメリカの世論において詳細に何が起きているのか私は把握してはおりませんが、少なくともトランプ大統領は国内において多くの困難を抱えることになるでしょう。

ロシアゲート問題、予算問題、アメリカにおける伝統的な政治組織からのさまざまな批難は北朝鮮問題などの外部の状況にも影響を与えるのです。私はそのことを心配しています。