2024.12.10
“放置系”なのにサイバー攻撃を監視・検知、「統合ログ管理ツール」とは 最先端のログ管理体制を実現する方法
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カイル・メイナード氏:私が小学校1年生になるくらい、また幼稚園の最後の年ぐらいに「この義足と義手を外そう」「これを使うのを完全に止めよう」と思いました。
日本にあるかどうかわかりませんけども、アメリカでは「ショー・アンド・テル」と言いまして、自分のおもちゃを持っていって、そしてお話しをするという時があるんですね。プレゼンみたいなもので、自分のおもちゃを他の友達に見せます。要するにパブリックスピーキングで、人前で喋る練習の最初のステップです。
私のショーアンドテルの経験ですが、その時はまだ義足をつけていました。最初に先生が私を抱き上げ、脚がでかくて長くて、曲げないと上手くおさまらなかった。
そうすると真っ直ぐ膝が曲がらない状態になって、なにか「ギコギコ」と歩くような感じになってしまったんですね。だから先生が私を持ち上げて、そして椅子に座らせた。そして私のバックルを外して、膝が曲がるようにして、それでおもちゃを渡してくれました。
その時、私はまだ義手をしてました。端っこにフックが付いてまして、後ろのほうに大きなストラップがあって、ある意味そのフックが物を押さえるようにしてくれたんですけど。肩を大きく動かさないとそのおもちゃを動かせないみたいな、ちょっとぎこちない状態になりました。
おもちゃのボタンを押して音を出したかったので、そのフックをとってボタンを押そうとしました。しかし、おもちゃを落としてしまったんですね。そうしたら、他の子どもたちはなにをしていいのかわからず、先生はまたおもちゃをとってくれた。でも私はまた失敗した。
もう走ってこの部屋から逃げ出したい、と思いました。でも、できませんでした。足がそこに突っかかってしまっているので動けませんし。
母が窓の外から私を見ていました。私は彼女がそこにいるのを知りませんでした。他のお母さんたちはこの「ショー・アンド・テルを子どもがやっている時は参観できました。母は、私の経験が将来にどのように影響するか知っていました。
私は、彼女にどんな経験をしたか話しました。母に言ったんです。「もう学校に行きたくない。義足、義手、こんなデカイものを付けて行きたくない」と。母は家の中で、私が義手や義足なしでも妹たちと走り回っているのを知ってました。むしろ義足が助けというよりも、私を押さえ込んでいたということを知ったのです。
そこで母は、「この大きな義手と義足を外して学校に行きたいと言ってますけどいいですか?」と先生に電話で聞きました。
その先生は「では明日の午前中、カイルは家にいてください。その間、私は子どもたちに説明しておきます。その後で義足と義手の無い状態で連れてきてください」と言いました。
おそらく2〜3時間かけて他の子どもたちに説明する必要があったのでしょうね。「彼は昨日は義足や義手があったけど、今日はなにもない状態で学校にくるから」と。
5歳ぐらいの子どもにとってはなかなか理解が難しいような内容だったわけです。午後になって私は学校に行き、他の子どもたちと遊びました。彼らは先生に「こっちのほうがいいよ」と言ったんですね。
私の人生の中には瞬間というのがあると思うんですね。ジョセフ・キャンベルが言ってましたけども、超自然の支援というか、宇宙が誰かになにかを送り届けるのです。助け手となるヘルパーのような存在を。そしてあなたの旅を進めるられるようにしてくれる。
もしかすると、それはメンターかもしれないし、ガイドかもしれない。私にとってはそれがいつ起こったかというと、スポーツをするようになってからそれが起きたんですね。特に11歳でアメフトをプレーするようになってから現れました。
その時ある「このアメフトのチームに入団用のトライアルができるよ」というチラシがきたんですね。私は母に「このアメフトチームに入るためのトライアウトを受けてみたい」と言ったら、母がコーチに電話してくれました。そして彼女が電話で「うちの子どもには障がいがある。でも、フットボールをしたいのですが」と言いました。
コーチは素晴らしい人でした。すごく素敵で情熱的な人でした。母がその障がいがなにかという説明を延々としているのを止めて、ただ言ったんです。「とにかく連れておいでよ。トライアルしにくればいいよ。できることはやってみるよ」と。
その時、私は車椅子で行ったわけですが、彼はなにが起きるかわからないからちょっとその状況に驚いたように見えました。私は、「40メートルダッシュやりたいか?」と聞かれたんですね。要するに短距離ですね。それが最初のトライアルでした。
私は車椅子でしたが「車椅子でやりたい? それともどうやりたい?」と聞かれました。私はその車椅子から飛び降りて、「うわーっ」と短距離を走り出したわけですね。もう、頭がぶっ飛んじゃったという感じでした。
私はパフォーマンスの後に、「クォーターバックのスターにでもしてくれるかな」「一番すごいスタープレーヤーみたいになれる」かなと思いました。
でも「違うポジションに行きな」と彼から言われました。アメフトにはオフェンスラインとデフェンスラインがあります。お相撲の取組みのような感じですね。お互いにぶつかり合うわけです。相手側と一緒に立会いをしてぶつかり合うような感じだったわけです。
私は地面に這ってでかい人間を相手にしなければいけなかった。僕にとっては、彼らはまるで巨人に見えました。
最初のプレーをしたとき、私に対抗していた人が、力士のように私をブロックするはずでした。でも彼はどうやって僕をブロックしたらいいかわかってないようで、僕もどうやっていいかまったくわからなかった。なにをやるべきなんだろうって思ってたんですね。わかっていたのは、なにかにタックルしなければいけないんだなということぐらいでした。
そして彼の仕事はセンターにいき、ボールを「ボン!」と取って脚と脚の間からクォーターバックにボールを投げる。そしてクォーターバックのボールを持って投げるということをやっていました。
彼はボールを脚と脚の間から投げた。そして真っ直ぐに立ったんですね。どうやって僕を止めるか彼はわかってなかったんです。「あっ、これはいいチャンスがきた!」と僕は思ったわけです。僕は彼の股の間を走ってしまったんです。
ヘルメットをとって、クォーターバックの脚に「ボン!」ってタックルをして彼を倒したんですね。それが最初のタックルでした。
私の父もアメフトをやったことがありました。その日、彼はちょうど出張してたんですけども、練習から戻った後に電話をしてなにが起ったか話しました。そうすると「11歳のアメフトリーグはもういいよ。もう大人のリーグに入れるよ」と言っちゃったんです。
僕のすべてを変えてくれた瞬間でした。それは本当に大きな初めての瞬間だったのです。自分が感じた境界線を超えられた。新しい、特別な、未知の世界へと。
私のメンター、あるいはガイドは、フットボールのコーチでした。トム・シャイという人です。その時は気づきませんでしたが、今そのことを考えると本当に泣きそうになります。
彼が私にプレイをさせるため、その許可を得るためにどれだけ戦ってくれたかということを私は知りました。私のプレイが許可されるための戦いが周りで起こっているとき、シェルターの中で守られていたようです。
ローラの話がありますよね。彼女はその時、今の自分よりも数歳ぐらい年上だったんですね。彼女が語ってくれました。彼女がその戦いを公の場でしなければいけなかったことを想像できますか? それがどんなに大変なことか。
私は本当になにも知りませんでした。自分がフットボールをプレーするための大きな論争について、考えもしませんでした。私に会ったこともない人も私の安全についてすごく心配していました。私の両親でもない人々です。
本当に私の安全性について自分となんの理由もない、なんの関連もない人たちです。でもそれがカイルの問題だと考え、プレイをやめさせようとしたのです。大きな全体投票のようなものが開かれました。
そのフットボールリーグの理事会は7人でした。そして最初の試合には参加することができましたが、その前に投票しなければいけなかったのです。最初の3人は「イエス」と投票し、3人の人が「ノー」と投票しました。私はプレイするべきじゃないという意味です。そして最後の1人の投票に委ねられたのです。
本当にありがたいことに幸運は私に味方しました。そしてプレーする機会が与えられました。その時の試合で、タックルを初めてできたその瞬間、私の人生は別の道へと導かれたのです。
それまで私は本当に、自分の人生がどこへ向かうのかということに関し、無力だと感じていたんです。私は10歳の時に、自分の障害について、もっと認識するようになりより大きな疑問を投げかけられるようになったんです。
「なんでこんなことが自分に起きたんだ。なんで他のことじゃなかったんだ。私の残りの人生どうなるんだろう」「家の中でずっと生活しなければいけないのかな」「僕の父と母が全部を投げ打って、僕を助けなければいけないのか」「それとも普通のキャリアを歩んでいけるんだろうか」
そういう、全部のことです。それがその中で一番大きなこと、自分が考えていたことです。10歳の頃です。そんな時、僕は女の子に恋するようになりました。
他の友だちがガールフレンドを見つけたりする中で、自分もガールフレンドや、自分のことを同じような存在だと思ってくれる人と出会えるのかなと思い巡らしました。
10歳の自分にとって、それは本当に一番無力だと感じだことだと思います。もう自分の人生を投げ出してしまおうと思うようになってしまった。でも、あのフットボールの試合で最初のタックルをすることによって、本当に物事が変わってくれたのです。
私が最初に試合に出た時の経験です。他のチームのコーチが私のチームのコーチに試合が始まる前にこう話していました。「この障がい児のカイルにプレーさせてあげるなんて、あなたのやっていることは特別に人道的ですね」「試合に出してあげてもボールを彼のそばになんて1回も持ってこないから、ぜんぜん気にしなくていいよ。」「彼を巻き込まないように、彼の遠くにしかボールを運ばないようにするから」と。
私のコーチは私を試合に参加させることをにしました。そして彼は他の相手のコーチに、今言ったことをカイルに説明するように言ったんです。それで相手のコーチは説明した後、僕と相手のコーチの顔を見て、こいつを試してみようと決めたようでした。
緊張しました。ボールを抱えている選手が走って戻ってきました。他の子どもたちより2倍ぐらい背が高かく4倍ぐらいの体重があったため、相手のチームは巨人みたいに見えました。
覚えているのは、彼らは私のほうに走ってきたとき、私はヘルメットをとり、それを相手の足に向けてできる限り強く叩きつけたんですね。それで彼を転ばしてやったのです。
その最初の瞬間、感じたんです。自分が達成したことになにか目的があるって。
それは違う層があったんですね。なんと言うか、自分が砂糖の瓶に感じた目的とは違うんです。それは、「あっ、チームの一員になれた」と思ったことです。自分より大きななにか貢献していると思ったのです。
それによってまったく新しいレベルに私を引き上げ、それに向かってできる限り努力するという目的を持てました。つまり、私は戦うため、あるいは挑戦するためのより大きな理由を手に入れたのです。
ここにいるみなさんは、なんらかの理由でここにきたと思います。もしかしたら、一人ひとり非常に異なる理由で足を運んだのかもしれません。歳は関係なく、子どもだろうと祖父母だろうと、どの世代だろうと関係なく、なんらかのかたちで自分の人生でなにができるか。人生でなにを築き上げていくか、おそらくみなさん考えたはずです。
実際、本当に一瞬でいいから自分が変な感じになっていいんですよ。だからメンタルエクササイズをしてみたいんですね。
ここにいる人で、この宇宙銀河全体の歴史が5分よりも長いということを誰も証明ができないと思います。文字通り今この時間、この瞬間に私たちは存在しているんですね。
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